第11話

引っ越した当初は気心の知れた親友と後輩との生活に新鮮さを感じたものの時間が経つにつれそれまで長兄と一緒に住んでいると言っても誰にも気兼ねしない生活をしてきた私は二人との生活に疲れを感じ始めていた。親友とは小学校は違ったが保育所が一緒だった事や中学で同じ野球部に入ったこともあり仲が良くなっていた。高校に入ってからも同じ弓道部に入り彼の家にもよく泊まりに行き夜遅くまで音楽や将来の夢、好きな女性のことを語り合った。二年の時私は同じ弓道部の女子と付き会ったが上手くいかず別れたことがあった。その時主将でありながら弓道部を辞めて陸上部に入ったことで一時口も利かない時期があったが私にとっては無二の親友だった。ただ彼にも私は自分が抱えている不安や孤独感について話すことは無かった。彼は高校時代と同じように接したが私は昔の様に彼と接することが出来なくなっていた。一緒に暮らすようになってますますそう感じるようになっていた。

アパートに引っ越して二ケ月ほど経った一一月私は奈保子に会いに奈良へ出かけた。少しでも長く一緒にいられるようにと朝早くアパートを出て新横浜から始発の新幹線に乗った。近鉄奈良駅に着いたのは昼前だった。奈保子は私のためにサンドイッチを作って来てくれた。私たちは奈良公園の登大路園地の林の中で奈保子が作ってきたサンドイッチを食べその後東大寺や正倉院を見て回り若草山、春日大社と周り公園を散策した。奈保子は楽しそうにしていたが私は心から楽しむことができなかった。好きな人と一緒にいるのだからもっと楽しいはずなのに何故か心が沈んでいた。私は疲れているからだろうと思った。奈保子と付き合うようになり住むところも変え環境は変ったがまだそれ以前の自分を引きずっていた。さらに親友や後輩との同居で気を使い眠れない日もあり精神的に疲れていた。興福寺近くまで来る頃にはもう日が落ち始めていた。私は宿をまだ決めていなかった。近くの旅館やホテルを探したが週末ということもあってどこも満室だった。それからまた何軒か回ってようやく猿沢池のほとりの旅館が見るに見かねて布団置きに使っている部屋でもいいならと言ってくれた。私は奈保子も一緒に泊るものと思っていたが奈保子は外泊許可ももらってないし着替えも持ってきてないから寮に帰ると言った。そんな奈保子を何とか説得し、彼女はしぶしぶ近くのコンビニで替えの下着を買ってきた。私たちが通されたのは四畳半程の小さな部屋でそこには布団が二組敷かれていた。夜も更け私たちは床に就いた。私は奈保子の布団に入りキスをし胸に触れ体を求めたが奈保子は笑いながら体をよじってそれを拒んだ。私はそんな奈保子を見てそれ以上強引には出来ず自分の布団にもぐりこんだがなかなか寝付けなかった。翌朝旅館を出た私たちは奈良駅近くの喫茶店で朝食をとり電車で京都の嵐山に向かった。私は窓の外を流れる風景を眺めながら昨夜のことを考えていた。正直言って私は奈保子に拒まれたことで不機嫌になっていた。電車の中では奈保子は何も言わなかったが京都駅から乗った嵐山行きのバスの中で私が寝不足だと言うと奈保子は冗談を言って私をからかった。私はただ苦笑いするしかなかった。嵐山に着くと日曜日ということもあり観光客であふれていた私たちは渡月橋や天竜寺付近を巡り歩き橋の袂のお茶屋でお菓子を食べた。私は初めてだったが奈保子は何度か来たことがあるようで楽しそうにあちこち案内してくれたが私は心に霞がかかったように気分が重かった。茶店を出た後私たちは右京区の府立植物園に立ち寄り、その近くの食堂で昼食をとった。まだ東京に戻るには時間が早かったが奈保子が宇治で茶道教室があるからと言うので私たちは京都駅に戻った。私は新幹線の切符と宇治までの切符を買い奈保子に渡し奈良線のホームで奈保子を見送った。奈保子を乗せた電車は右に大きくカーブを切り鴨川に架かる鉄橋を渡り見えなくなった。一人になると急に寂しさがこみあげてきた。それとともに何故奈保子と一緒にいても心から楽しめないのだろうという思いが湧きあがり胸を締め付けた。

 奈良から戻っても私の頭の中は奈保子のことでいっぱいだった。私の心情を知る由もない親友たちは奈良でのことを聞いてきた。私は楽しくなかったとも言えず奈良公園や大仏殿,嵐山に行ったと当たり障りのないを話した。自分では好きだと思っているのになぜ一緒にいても楽しくなかったのか私にはわからなかった。奈保子は自分のためにサンドイッチを作り、寮に帰る予定を変え一緒に旅館に泊まった。そして奈良や京都を案内してくれた。奈保子は何も悪くなかった。原因があるとすればそれは私の方だった。私はそれまでの自分の過去を振りかえった。通学の電車の中でも講義中もとにかく一人の時はどうして自分はこうなってしまったのか何日も考え続けた。大学の友人や親友と話しているときもそのことが頭から離れることはなかった。過去を遡るうちに私は中学生の時のあの事件のことを思い出した。それまでの私の人生の中で思い出すのも嫌な出来事だった。あの事件のことはそれまでも何度も思い出すことがあったそしてそのたびその時の感情が甦って来て憤りや自己嫌悪、自責の念に襲われ冷静ではいられなかった。あの出来事が自分にどんな影響を与えたのかはわからなかったが私はそのことを奈保子はもちろん他の誰にも話さず心に封印している事が原因のような気がした。それともう一つ誰にも言えない秘密があった。それは中学三年の頃のある出来事だった。その日近所に住む男友達が家に遊びにやってきた。彼とは小学校から一緒だったが中学に入ってからはそんなに親しくしていなかった。最初のうちは音楽を聴いたり雑談していたがプロレスのまねごとをしているうちに私は変な気持になってしまい彼を押し倒していた。その友達はびっくりしていた。私はすぐに身体を離して起き上り冗談だと笑ったが心の中ではなんて馬鹿な事をしたのかと後悔した。何故そんな事をしたのかわからなかった。その友達は女性のように華奢で綺麗な顔立ちをしていた。私は彼を女性だと錯覚したのかもしれない。しかし理由はどうあれ彼を押し倒したのは事実だった。私は彼が学校の誰かに話すのではないかと心配したが彼は誰にも話すこともなく,卒業後会ってもそのことに触れることはなかった。私はこの二つの事件のことと東京に出て来てからの自分の心境の変化を手紙に書いた。9年近く誰にも言えず心に抱えていた秘密を手紙に書き終え私は少し気持ちが楽になっていた。しかしその手紙を読んで奈保子が自分のことを嫌いになるのではないか不安だった。私は祈るような気持ちで奈保子に手紙を送った。返事が届いたのはそれからしばらくしてだった。私は不安とはやる気持ちをおさえながら封を切り手紙を開いた。


弘史さんへ


 手紙を読んで大変ショックでした。弘史さんにとってはとても辛い事だったと思います。


でも同級生の人ももしかしたら弘史さんと同じ気持ちだったかもしれません。


もう私に話をしたのだから郵便配達の人を憎まず事件のことは忘れてください。


 話は変わりますが弘史さんは正月は宮崎に帰るんでしょ?わたしも正月は宮崎に帰ります。


その時会えるのを楽しみにしてます。それじゃあ元気で頑張ってください。


                                                       奈保子



手紙を読み終え私はほっとした。奈保子は自分のことを理解し付き合うと言ってくれた。それまで真っ暗で出口の見えなかった私の心に希望の灯が点った気がした。私はあの事件が自分にどんなふうに影響したのか、はっきりとは分からなかった、が自分の人生に影響を与えた事は間違いないと確信した。私はすぐに返事を書いた。


 奈保子へ


 俺のことを信じてくれてありがとう。今まで誰にも話せなかった事を奈保子が聞いてくれて心が楽になりました。


奈保子の言うように同級生には悪い事をしたと思っています。あの事件のことも思い出すと辛いので忘れようと思います。


話を聞いてくれて本当にありがとう。


ここまで書いて私は筆を止めた。そしてまた奈保子を心配させてしまうかもしれないと思ったが今の自分の気持ちを正直に伝えようとその時私が抱えていた問題を後に続けた。


 ところで前にも話したと思うけどやっぱり鈴木とは気が合わない気がする。


一緒に住み始めた頃はそうでもなかったけれど最近は鈴木の言う事ややってる事が子供じみていて気になって仕方ない。


鈴木のほうも俺と話したりするよりは後輩と話してるほうが楽しいみたいだ。


俺は学校が遠いので早く寝るのだけど二人は夜遅くまで音楽を聴いたりギターを弾いていてなかなか眠れない。


今も二人は隣の部屋で話をしているけど俺にとってはどうでもいいような話だ。


一緒にいると気が疲れる。こんな話、奈保子にしてもしょうが無いのだけど一応聞いておいてもらいたくて。


詳しい話は正月帰った時にします。じゃあ体に気をつけて。正月会えるのを楽しみにしてます。


                                                         弘史


こう書き添え私は手紙を奈保子に送った。その時の私はまさかこれが奈保子への最後の手紙になるとは思ってもいなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る