ホームルームが終わると俺とゆうは、ゆうの家へ直行した。バスケ部のミーティングへ足早に向かって行くひろは、なんだか少し寂しそうな顔をしていた。いつもは笑ってるあいつの辛気臭い顔を見たのは、あいつの可愛がっていた猫が死んだ時以来だった。

 部活の先輩と後輩というのは、そんなにも固い絆で結ばれているものなのか。卒業したって、会いに行こうと思えばいつでも会えるはずなのにな。ひろが感じている寂しさは、帰宅部の俺にはとうてい理解できそうにない寂しさだった。

 青空のなかで散り散りになっている薄い雲を見ながら、俺はそんなことを思った。

 「先約ってバスケ部のことだったんだね。……ひろくん、やっぱりちょっと寂しそうだったよね。バスケ部の先輩には、ほんとにお世話になってるっていつも言ってたしさ」

 ゆうは俺がたった今考えていたことを見透かしたように言った。

 「やっぱ寂しいもんなんか~?俺いまいちピンとこないんだけど。死に別れるわけじゃないんだしさっ。卒業しても会おうと思ったら会えるわけじゃん?」

 「……死ぬわけじゃなくても、一緒にいられなくなるのは寂しいんだよ」

 ゆうの声色がわずかに沈んだのを感じ、俺は隣を歩くゆうの顔を横目に見た。うつむき加減になったゆうを見て、俺はすぐに「失敗した」とさっきの自分の言葉を恨んだ。


 ゆうは中学に上がる前に兄貴と生き別れていた。ゆうの兄貴は、高校の卒業式が目前に迫ったある日、突然家を出て行った、らしい。

 俺はゆうの兄貴とはそんなに話したことはなかったし、それにいくら幼馴染だからと言っても、よその家の事情を根掘り葉掘り聞くのはさすがにためらわれた。なにより、あの頃のゆうは一切の人を近づけさせない空気をまとっていた。


******


 ゆうの兄貴、”けい”さんはゆうによく似ていた。家に遊びに行った時に挨拶をする程度だったが、笑顔の感じや物腰柔らかなところがとてもゆうに似ていて、俺は「ほんとに兄弟なんだなあ」と感心して見ていた。

 けいさんは地元でも有名なエリート高校に通っていて、そこで常に首席を維持しているほど頭がよかった。高校卒業後の4月には、有名な難関国立大学への入学も決まっていた。

 母さんにもよく、「あんたもけいちゃんを見習って勉強しなさい!」と言われたものだ。けいさんは誰もが認める優等生で、誰もが尊敬せずにはいられない存在だった。

 今にして思えば、勉強を教えてもらったり話したりしてみればよかったのかもしれない。ただ、当時小学生だった俺は、「なんでもできる完璧な人間」に対抗心のような、畏怖の感情のようなものを抱いていて、話しかけられてもゆうの時と同じようには話せなかった。

 けいさんに近寄りがたい雰囲気があったわけではなく、むしろけいさんはいつも小春日和のような色をまとっている人だった。けいさんがみんなに好かれていたのは、単に頭がいいからではなく、この独特の柔らかな空気のためでもあると思う。

 ゆうもけいさんをとてもよく慕っていた。学校ではけいさんの話が出ない日はなかったし、「将来は兄ちゃんみたいな人になる!」といつも目を輝かせて言っていた。

 一人っ子の俺は、寂しいと感じたことはなかったが(ゆうといつも一緒にいたし)、「兄弟も悪くないのかも」とひそかに思ったこともあった。


 そんな誰からも好かれていたけいさんは、ある日忽然と姿を消した。卒業式が迫った2月の終わりに、まるで神隠しにでも遭ったかのように消えた。

 近所の人たちや警察、学校の教師や友達、多くの人が毎日捜し回ったが、一向に足取りはわからないままだった。さまざまなメディアを使って目撃情報を集めようとしたが、けいさんの行方は丸5年が経った今でもわからずじまいだ。だから、「きっとどこかで死んでしまったんだ」と諦める人もなかにはいた。

 慕っていた兄を失ったことで、ゆうはとても変わった。泣き虫だけどよく笑う小学生のゆうは、中学に上がると一切の感情を表に出さないゆうになった。笑うことも泣くこともしなくなった。あんなに大好きだったけいさんの話も、一切しなくなった。

 あの頃のゆうのなかには、ただただ、色のない喪失感だけが満ちていた。


******


 うつむいたゆうを見て、俺は「ごめん」と呟いた。するとゆうはさっと顔を上げ、「なにが?」と俺に笑って見せた。

 その笑顔はけいさんとよく似ていた。小春日和のような、秋の暖かさのなかに冬の冷たさを潜ませた、そんな作った笑顔だった。

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