勇者のいない世界で

DA☆

第一部・「彼女の役割」

第1話




 これは、「僕の役割」と、「世界のしくみ」を探し当てる物語。





 今年の関東地方は春の到来が遅くて、入学式の当日に桜の満開が重なった。


 美しく咲き誇る桜を見て、僕は突然違和感を覚えた。───桜って、春に咲くものだったろうかって。なんでそんなことを思ったのだか、わからなかった。



 常識離れした突飛な思考など、僕にはこれまで縁がない、はずだった。


 僕───友納秋緒とものうあきおという名の、一五歳の少年は、平均的な知性と体格を持ち、平均的な家庭に育ち、特筆すべき才能も、大きな事故や事件に遭遇した経験もない。平均値が服を着て歩いているような、ごくごく普通の人間だ。


 でも、それを後ろめたく思ったことはあまりない。自分は、まだ色がついてない何かなのだ。これから初めて出会う新入生の中でも、とりわけまっさらな。


 色をつけられてしまうかもしれない、という漠然とした期待こそが希望だった。僕がこの世界に生きて何をなすか、僕の役割とは何なのか、それはこれから決まる話なのだ。



 僕が入学する神奈川県立小杉南高校は、数年前に創設されたばかりの新しい学校だ。


 JR武蔵小杉駅横須賀線口前のバスロータリー。工場地帯を再開発し、タワーマンションやオフィスビルに筍のごとく生えそろうエリアの一角に、生徒会から案内役として派遣されたらしい先輩方が、「南高校はこちら」と案内板を掲げて立っていた。


 指示に従って、新幹線の高架に沿うビルの谷間の路地を、ブレザーの制服をまだ着こなせていない集団が、南極のペンギンみたいに覚束ない足取りで無秩序にしかし一方向へ進んでいく。僕もそのひとりになって歩いた。


 誰も彼も、いよいよ始まる高校生活への期待に胸ふくらませていた。それが宝物みたいに、壊れることなんかないみたいに。表情は明るかったり固かったり様々だが、そうした昂揚感の連鎖だけで世界すら変えられるような、そんな気がした。


 ビルの一階のコンビニの、愛想よさげな中年店員が、店の前を掃除しながら、そんな初々しさをまぶしそうに眺めていた。





 入学式は、禿頭の校長の挨拶だの、えらい議員の挨拶だの、いかにも頭が切れそうなメガネの新入生総代の挨拶だの、担任教師の紹介だので、通り一遍で終わった。


 その後は各教室に移動し、担任教師から今後の行事や学業について説明を受ける、最初のホームルームが行われる手はずだった。桜舞い散る渡り廊下を抜けて、僕ら新入生はぞろぞろと教室へ向かった。


 僕は一年B組だった。みなB組であることを喜び、他のクラスの面々からはうらやましがられた。なぜなら担任が若い女性で、ひとことで言って美人だったからだ。


 僕もその輪のひとつに混じり、会話の端に加わった。担任の話が終われば、どこの中学から来て、どんな部活に入っていて、と話題は変わっていった。


 教師陣はいったんミーティングを挟んでいるらしく、担任はなかなか教室に姿を現さなかった。共通の話題が少なくて、じきに一巡してしまい、誰からともなく校内のあちこちに華やかに咲く桜のことを口にし始めた。


 「きれいだよね……」


 「後でみんなで花見しようか。親睦を深めるために」


 その輪の中で、ふっと僕は口にしてしまったのだ。


 「秋に咲く桜って、なかったっけ」


 「秋の桜って、コスモスじゃなくて?」


 「そうじゃなくて、普通にさ、木に咲く桜で……」


 ───そう言ったら、不審者でも見るような胡乱うろんな視線がいっせいに僕に刺さった。


 しまった、と思った。今ので、僕の高校デビューは普通ではなくなってしまった。僕は「いきなり変なことを口走るヤツ」になったのだ。これを放置したら、僕は高校三年間ずっと、「変なヤツ」にカテゴライズされたまま過ごすハメになる。僕は焦った。何か、取り戻せるような言葉を言わなくちゃ。けど、焦れば焦るほど、言葉が出て来なかった。


 すると、


 「いいんじゃないの、それで」


 そのとき初めて教室に入ってきたひとりの女子が、会話に紛れ込んできた。───彼女は、見た目に「変なヤツ」だった。ほとんど白髪だったのだ。八割以上が白髪で、全体的に明るいグレーに見える。


 「あんたの世界じゃ、秋に桜が咲くんだよ。そういうのもアリさ。あたしは好きだよ、そういうの」


 その目立つ外見で視線を一身に集めた彼女は、そのまま中央後方の席にどっかと腰を下ろした。電車の中でおっさんがやらかすような品のないそぶりだった。そのまま、片頬杖をついて、ニヤニヤと、不思議な笑みを浮かべた。


 見た目以上に、態度が「変」だった。いてはいけない異物だと、誰もが思ったろう。花畑のようだった場の空気が自然と、冬空の下のように澄んで引き締まった。


 「あなたは───」まだ名は知らない、お下げ髪で鈴を振るような声の女子が、黒板に貼られたクラス名簿と当人とを見比べて尋ねた。そこは、出席番号二三番、「飛鳥さくら」という名の生徒が座るはずの席だった。


 「これ……、あすかさくら、でいいの?」


 「『あ』で始まるんだったら、二三番なわけないだろう」遠く突き放す口調は、とても女子とは思えなかった───というより、これから新生活をともにする仲間に向けてよい態度ではなかった。「覚えておきな。それでひとりと読むんだ」


 「とり?」


 名を尋ねた女子は、頭にアクセントをつけて返した。たとえば「似鳥」という苗字がある。あるいは「佐藤」でもいい。それと同じように。


 「───ああ、ひとりだよ」


 けれど飛鳥さくらさんは、平板に、アクセントをつけず答えた。


 彼女はそれっきり会話には参加しなかった。やっぱりニヤニヤしたまま、窓の方へと視線を移した。


 同調者───というか、「もっと変なヤツ」の登場により、僕へのレッテルははがれたようだった。助かった、と思い、同時に、そう思った自分が恥ずかしく思えた。自分のレッテルは嫌で、彼女にはレッテルを貼り付けてかまわないのか。身勝手すぎるじゃないか。


 それに、「変なヤツ」の何が悪いんだと言わんばかりの彼女の態度は、僕の目をひらかせるには十分だった。そうだ、どんなかたちであれ、僕は「色をつけられる」ことを望んでいたはずだ。彼女はとびきり鮮やかな自分の色を持っている、それは間違いなかった。たとえそれが何色だったとしても。

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