シーン3 少年忍者と美少女忍者が密談すること

 そして放課後。

 瑞希は蔵書量ではそこらの大学にもひけを取らない学園図書館にいた。

 いかに忍者集団「吉祥蓮」の家系に連なる瑞希とはいえ、兄が関わる分野は守備範囲の外にある。

 その点、「上は天文・下は地理」、知らぬことなどないかに見える母の一葉は戯曲にも詳しいようだった。

 しかし。

「欲しい情報は自分で取りに行け」というのが、彼女の教育方針である。

 やむなく、瑞希は新たな領域の知識に向かって扉を開くべく、関係書籍の山に埋もれることとなったのだった。

 しばらく経って調べ物の手を止め、図書館から高等部の稽古場を眺める。

その瑞希のもとに、分厚い本を手にした玉三郎がやってきた。

「またあんた?」

「昼休みの隠密行動、お疲れ様」

 ちなみにこの会話、周囲には全く聞こえない。

 二人とも声を出すことなく、また相手の口の形と舌の位置から互いの言葉を推測して会話しているのである。

 この忍びの技、お互いに相手から目が離せないので、傍目から見ると無言で見つめあっているように見えるのが難点である。

 もっとも、そこは二人とも心得たもので、「恋人同士」オーラを出すほど愚かではない。

 図書館には放課後の趣味や自主学習のために時間を費やす生徒が多くいるが、誰一人として瑞希と玉三郎を意識する者はない。

「主役の退学は、もう知ってるだろ?」

三好藍みよし らん。3年のエース。去年の『わが町』では、ジョージ役で大評判を取ったって。どんなんだか知らないけど」

「こんなん」

 玉三郎は本を開いた。

 ソーントン・ワイルダー『わが町』であった。

 その見開きページの真ん中に、スマートフォンを置く。

「文化祭の動画。あの女の隠れファンが持っててさ」

 電源を入れると、音声のない画像が動きだした。

「ミュートで我慢してくれよ。その代わり、台本でだいたいの検討つけて」

 椅子の他には何もない舞台の上で、男の子と女の子がはしゃぎまわっている。

 やがて、二人は椅子に並んで座る。恋に落ちたようだった。

 「農場主ギブス家のジョージが大学進学を捨てて、地元新聞編集長の娘エミリーに求婚するシーン?」

 開いたページに目を通した瑞希が、そんなこと見たらわかるわよ、とでもいうような顔つきをした。玉三郎も、その表情を真似てみせる。

 なによ、とムキになる瑞希に、今度は真剣なまなざしを向ける。

「こっちは逆らしいけどな」 

「付き合ってたって噂はあるけど、え? 三好藍が葛城亜矢を振ったってこと?」

 玉三郎は得意満面である。

「知らなかった?」

「調査中」

 むっとした様子で、瑞希は玉三郎を睨みつけたが、すぐに口を尖らせて首を傾げた。

「それで何で辞めなくちゃいけないわけ? 振られたんならわかるけど」

「調査中」

 瑞希と同じ言葉を返して、玉三郎は横目で窓の外を見た。瑞希もその視線を追う。

 その先には、高等部の稽古場があった。

 遠目にも、白熱した稽古の様子がわかる。

 そこでシゴかれているのは、冬彦だった。

 彼を取り囲む上級生たちは、ある者は肩を怒らせ、ある者はヤンキ―座り、またある者はいらだたしげに全身を揺すって何やら叫んでいる。

 やがて、葛城亜矢が姿を現すと、上級生たちはその場を離れた。

 彼女は冬彦を正座させ、自分も背筋を伸ばして座る。

 冬彦は頭を垂れて、何か説教を聞いているようだった。

 瑞希もうなだれて、ため息とともにつぶやきを声に出した。

「笑わせるのと、笑われるのは違う、か」

「それ、俺のこと?」

 立ち上がって本を返しに行く玉三郎を見もしないで、瑞希は「そう」とふてくされたように答えた。

 再び始まった稽古を瑞希が眺めているうちに本を返しに行った玉三郎は、それきり戻ってこなかった。

 そんなことにはいっこう構わず、瑞希は再びつぶやく。

「世話が焼けるんだから、お兄ちゃん……」

 瑞希は、先輩たちのシゴキに小さくなっている兄の姿を窓越しに小さく小さく見ながら、ついさっきまで調べものに使っていた百科事典のページを押さえた。

 そこに解説されているのは、近松門左衛門が唱えたとされる『虚実皮膜ひにく論』。

 そこでは、こう説かれている。

 ウソであってもウソでない、ホントであってもホントでないから面白いのだ、と。

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