第3話 氷室の中の猫【ギャグ/ゲスト:オリガ】

「はじめての出張と心躍らせていたというのに、どうしてこんなど田舎で洞窟めぐり」


「文句言わないのマクシム。はぐれ魔導書の回収も私達の仕事よ」


「そもそもなんではぐれるのか」


 魔導書だろう。

 渡り鳥や魚じゃないんだから。はぐれることなんてないだろう。というかはぐれるという表現がどうかしている。


 とはいえもう慣れた。

 だいたいこの手の理不尽が、魔導書にまつわる仕事にはついてまわる。

 お約束だ。


 毎度毎度突っ込むのも疲れる。

 それでも気になってしまう。

 前職が盗賊なんていう細かいことに気を使う仕事だったからだろう。


 これが戦士だったら深くも考えやしない。

 魔法使いなら納得する理屈を考え付くのだろう。

 司書に鞍替えしたというのに、昔とったなんとやらは中々に治らないものだ。


「もう、まだそんな魔導書の基本も分からないのね、マクシムったら」


「こんなこともどんなことも、俺には分からないことだらけさね」


 リーリヤのご高説のはじまりはじまりである。


 餅は餅屋。


 産まれてこの方、王立図書館の正司書に従事している彼女にはあたりまえ。

 はぐれ魔導書がどういうものかばっちりと分かっているらしい。


「いい、魔導書って言っても、所詮書物は書物よ。書いてあることは何の難しいことはない言葉の羅列」


「文字、ムズカシイ、俺、ヨメナイ」


「まぁそりゃ、田舎育ちの農民からすれば難しいかもしれないわ。けどね、ちゃんとした素養のある人間が見れば、それと同じ内容のものを書くことは簡単にできるの」


「偽造ってことか。任せろ、それなら俺も昔取ったなんとやら」


「違うわよ。写本よ、写本。同じ内容のものを書き写すの」


 何が違うんだ。

 そっくりそのまま、同じものを作るというだけだろう。


 わからん。こいつの言っていることがさっぱりわからん。

 そら偽造とか複製というもんだろう。それ以外になんというのだ。


 まぁけど、言った所で話が長引くだけだ。


「よく分からんが、なんとなく分かった。つまり魔導書ってのは、それほど難しくない技術で造れるってことだな」


「もちろん特殊なものはあるわよ。けれど、まぁ、世の中の魔導書の大半はそうね。そして、魔導書を写本するなんてのは、古代の頃からやられてるのよ」


「……つまり、その複製された魔導書っていうのが、はぐれ魔導書ってわけか」


 なんだそりゃ。

 そんな趣味か仕事か分からんが、さらりとまねて作ったようなものに大騒ぎして出張ってことか。そらちと大げさすぎじゃないだろうか。厳しすぎやしないだろうか。


 そんな思いを言葉にしようとした矢先、機先を制するように分かってないわねとリーリヤが溜息混じりに呟いた。


「マクシム。粗悪な魔導書ほど『バグ』が沸くのは貴方も知ってるわよね」


「周りに影響を与えるのもな。それが、どうしたんだよ」

「幾ら書いてあるものをそのまま写すだけっていってもね、やっぱりほら、人間のやることじゃないのよ。一文字、二文字、そりゃちょっとくらい、は、ね」


「……なるほど」


「原著だったらいいけれど複製の複製とかだと、複製のたびに人為的なミスが蓄積されていくことになるのよ」


「暴走しやすくなっちまう、と。なんだよちっとも簡単じゃなくないか、それ」


「読み書きの教養って大切よね」


 そんなのんきな台詞が、前方の闇の中へと消えていく。

 なるほどそりゃちょっと気合入れて探そうかという話にもなる訳だ。


 暗闇の中に本を探す意味をかみ締める。

 あらためて、俺は三歩先も見えぬ深い闇の中を、手元のランタンで照らした。


 これまでの話のとおりである。

 俺とリーリヤは、王都からはるばる遠方にある街へと赴くと、その近辺の洞窟に巣食っているという、謎の生命体の正体――おそらくはぐれ魔導書を退治するべく暗闇の中を彷徨っている次第だ。


 魔導書、というのは、年月とともにその間から、魔法による擬似生命体である『バグ』を生み出す。


 世に言う化物。

 世間で知られているその大半が、実はこの『バグ』が正体であり、リーリヤの言葉の通り、粗悪な魔導書が、怪物の現れる地にはあることが多いのだそうな。


 なので、怪奇現象の調査に、俺たち司書が図書館から呼びつけられる。

 別に旅をすること自体は嫌いではない。俺は構わないのだが、なんというか、司書という敬称にはなかなか似合わない仕事だ。


 まっ、本にかこまれてかび臭くなるよりはマシかもしれんか。


「あ、ちょっと、マクシム。前に何か見えない」


「あん? なんだよ、どうせこうもりとかそういうのだろ」


「こうもり!? えっ、ちょっと、血を吸うのよね!! やだ、首を隠さなくちゃ」


「ファンタジーな本の読み過ぎだっての。蚊じゃないんだ、吸うかよ」


 リーリヤの言ったとおり、先方の闇がかすかに揺れていた。

 こうもりか。

 いや、それにしては、揺れている範囲が大きい。


 ついとランタンを前に突き出す。

 光を絞って闇の奥へと届けると、その姿がやがてぼんやりとだが明らかになってくる。

 足を止めて、息を飲めば、すぐにそれは、俺とリーリヤの前に姿を現した。


「リーリヤどの、マクシムどの、この先で道が分かれているようであります」


 闇の中から出てきたのは小さく黒き獣人。

 黒い髪に黄色い目、黄色い耳に黒白まだらの尻尾。

 獣人のオリガだ。


 王国の常備軍、陸軍の制服を着たその黒猫の獣人は、今回の旅にとつけてもらった頼れる助っ人である。


「なんだオリガか、びっくりさせやがって」


「はて、びっくりするような要素が自分にあったでありますか?」


「暗いから余計に見えづらいのよね。というか、ランタンはどうしたのよ」


「あぁ、あんなのより、夜目のほうがよく見えるでありますから。消していたであります」


 流石は獣人。


 穴の中で暮らすドワーフか、それか闇夜に眼の効く猫科の獣人か。暗いダンジョンを潜るなら、これほど頼りになる人材はないだろう。

 性格を抜きにすれば、の、話だが。


「それより、どうするでありますか。この先、二手に分かれるでありますか?」


「おかしいわね。村人からもらった地図だと、そんなのないはずなんだけれど」


「見間違いじゃないのか」


 って、獣人のオリガに限ってそれはないか。

 フォローしようとした矢先に、失敬なとオリガが叫ぶ。


「しかとこの眼で見てきたであります。尻尾にかけてもいいであります」


 オリガが肉球のない手で瞼を開いて言った。


 野生児の多い猫科の獣人族に関わらず、きっちりと制服をきこなしている彼女。

 常備軍の兵隊なんてものをやっている辺り、これで結構しっかりしている。

 だが、そんなポーズをする必要があるのかという感じに、ところどころお茶目というか気が抜けているというか、そういうところが透けて見える。


 まぁ、彼女のそういうところは置いておいて、だ。


「どうなんだ、魔導書は穴を掘るのかリーリヤ」


「聞いたことないわ」


「住人から貰った地図が古いということは?」


「さっきそこで村長さんに書いてきてもらったのよ。つい先月にも洞窟の奥に氷を取りに入ったって言っていたから、間違いないはず」


「だとして、一月も立たない間に空いた穴でありますか」


「でけえモグラだな」


「マクシムどの、その口ぶり、自分の言葉を信じてないでありますか?」


「お前には絶対とか間違いないとか言われて、何度となく痛い目に会わされたことがあるからな」


「心外であります!! リーリヤどの、ちょっと、マクシムどのに言ってあげて欲しいであります!! 自分は嘘をつかないであります!!」


「そうよマクシム。オリガは嘘をつかないわ。ううん、嘘をつけないってこと、貴方もよく分かっているでしょう」


 獣人族は単純だからな。

 彼らもエルフと同じで、元々は森の中で暮らしている民だ。

 そして、エルフと違って、原始的な生活をしている一族でもある。


 脊椎反射というか、本能的というか、そういう生き方をしているものだから、獣人たちには嘘を吐くのが下手な奴らが多い。

 なのでオリガもまた、嘘を吐きたくて吐いている訳ではない。

 素直に見たまま、思ったまま発現してしまうのだ。

 もうちょっと推理とかそういうのを付け加えりゃ、いろいろと予防線も張れるのに。


 単に要領が悪いというか、認識が甘いというか。


 そう、なんというか、ドジなのだ、この軍服猫娘は。


「まぁけど、さしものお前も、穴のあるなしを見間違えるほどマヌケではないよな」


「そうよね流石にそんな節穴ってことは」


「二人とも酷いであります。自分を信じて欲しいであります」


「あぁけどその台詞を効いて、いい結果になったためしが」


「とにかく穴は本当にあったんであります!!」


「じゃぁ、なんで増えてんだよ」


「それはその、クマとかが、冬眠しようとして掘った、ということも考えられるであります」


「ちょっとやめてよ。クマは流石に怖いわよ、クマは」


 そもそも、クマもモグラも、氷室代わりの洞窟なんかに近づかない。

 寒くってかなわないからな。


 分かっちゃいるが怖いのだろう。リーリヤが俺の背中に隠れる。

 ほら、早く進みなさいなと、あくまで先頭に立つ気はないリーリヤは、俺の背中をぐいぐいと押す。


 俺は壁か盾かよ。

 元盗賊に何を期待しとるのだ、このエルフ。

 攻撃が当たれば即お陀仏、盗賊の紙装甲を舐めてもらっては困る。


 クマが出てきたら、こいつを置いてけぼりにして、とっとと逃げてしまおうか。


「ふっふーん。まぁ、クマが出てきても、モグラが出てきても、自分にかかれば返す刃で三枚おろしであります」


 こうであります、と、闇に向かってオリガは自分のサーベルを振るう。

 この自信である。


 正直なところまったく信用できない。


 獣人族が好戦的なのは往々にして野生の血によるものだ。

 だが、それも種族によりけり。

 彼女のような猫科の獣人は、膂力にいま一つ難のあるものが多い。


 ぶっちゃけ、熊相手なら三枚におろす前にオリガの方がミンチだろう。

 それを理解せずに言っている辺りが、この娘のかわいいところ。

 というか、マヌケなところである。


 いつか本当にこのお調子で、大変なことにならなければよいのだが。


「さすがねオリガ。頼りになるわ。どっかの鼻だけワンコと違って」


「誰が犬っころだ」


「ふふん。まぁ、そんなおだてられるようなこともないようであるであります」


「お前も調子に乗ってんじゃねえよ、オリガ」


 リーリヤの奴が俺を引き合いに誉めるもんだから余計に調子に乗る。

 悪い循環という奴だな。


 その時だ。

 がさり、と、暗闇の奥で物音がした。


 途端、俺の背後に立っていたリーリヤはその場に尻もちをついた。

 ひゃあという叫び声が洞窟につんざくように響く。

 かとおもえば、オリガの姿が俺の前から消えている。


 どこへ行ったのか、オリガ。

 辺りをよく眼を凝らしてみてみれば、剣を抜くどころか構えることもなく、後ろ飛びに跳躍していた。リーリヤの後ろまで下がった彼女は頭を抱えている


 言った傍から、これかよ。


「おいこら、頼りになるんじゃないのかよ」


「なんであります。いったいなんであります。なんの物音であります」


「ガサって言ったわ。今、ガサって言ったわ。なにあの音。ちょっとどういう生き物なら、そういう音がするのよ」


 二人無様に肩を抱き合って震える。

 ふるりふるりと、その特殊な耳の先が震えるのは、獣人もエルフも同じようだ。

 とまぁそんな感じに、すっかりと、先ほどの物音に怖気づいてしまった二人は、もうこれっぽっちも進む気がないという感じだ。


 いつまでもこうして居たってしかたない。


 俺は腰からナイフを抜くと、ランタンを持つ手の反対に握って前に踏み出した。


「進むぞ」


「えっ、ちょっと、待ちなさいよマクシム。もうちょっと様子をみてから」


「そそそ、そうであります、マクシム殿。兵は命を惜しむようでは兵にあらず、と申しますが、あたら無闇に進むのも」


「うっさいボケ。物音くらいでびびってんじゃねえよ。熊が出てこようが、巨大がモグラが出てこようが、倒せばいいだけだろうが」


 ウパァ。


 情けないエルフと獣人を叱りつける俺の背中で、得体のしれない鳴き声がした。

 ひぃと引きつるリーリヤ達の顔を尻目に、俺は振り返る。

 すぐさま、暗闇に向かって手にしていたランタンを突きつければ。


「ウパァ」


 白い顔をして、首元に大きな襟を巻いた、二本足で立つオオトカゲ。


「ウパァ」


 間抜けを顔をしたそのつぶらな瞳が俺達を見ていた。


「んだこのファンシー生命体」


「『バグ』のなりそこないかしらね。魔術書から漏れ出たのかしら、とりあえず、燃やしちゃ

いましょうか?」


「いやいやここは自分が宣言どおり三枚におろして」


「正体分かった途端容赦無いのなお前ら」


 さっきまでの怯えはどこ行った。

 まったく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る