第20話 灰色の悪意
9 灰色の悪意
「で、何があった。ケインはどこだ」
「ケインさんは……お前たちは逃げろって、一人で魔物たちと」
皮鎧の少年が答える。
エドワードは訝しげに顔をしかめた。
「あいつが二階でてこずるだと? それにその傷、どう見てもサソリじゃねえな。いったい何とでくわした」
「石みたいに固くて、爪が鋭くて、翼で飛び回る魔物でした。リックの鎧を裂いたのもそいつらです。それが何体も」
魔術師らしい風体の少年が答えた。
「そいつらの色は」
「灰色だったと思います」
「ガーゴイルくせえが……そんなはずはねえ。四階より上じゃ見たことがねえぞ」
「下の階から上がってくることはないんですか?」
アトリが横から問う。
「滅多にねえな。魔物は基本的に召喚された場所にとどまろうとする。つまりダンジョンの深層だ。弱いのが押し出されて上層に来るんだが、ガーゴイルは二階へ追われるほど弱くねえ」
「誰かが下から連れてくる可能性はありますか」
「ガーゴイルを引き連れて、四階から二階まで逃げてくるってか? そいつも考えにくいな。三階は階段から階段までが長え。その間に逃げ切るかやられるか、普通はどっちかだ」
「そうですか……」
アトリはうなずいて通路の警戒に戻ったが、なおも黙考している様子だった。
――今度は何を考えてやがるんだか。
エドワードは空恐ろしさすら覚えていた。アトリの観察眼と洞察力は経験不足を補って余りある。あの明晰な頭がどんな結論を導き出すか見当がつかない。
「……あの、俺たちこれからどうすれば」
皮鎧の少年が恐る恐る口を開いた。
「帰るついでだ。一階の広間までは送ってやる」
「でもケインさんは」
「あいつはガーゴイル相手に死にやしねえ。ぶっ倒すなり、逃げるなりしてるさ。お前らは二階の集合地点なんて教わってねえんだろ? なら一階へ逃げたと考えて追ってくるだろうよ」
十人に増えた一行は隊列を変更し、B通路を北上した。先頭にエドワード。負傷した五人の小隊が後に続き、ジャスパーら四人が最後尾を固める。
四人の隊列はこれまでと逆にアトリとルピニアが先行し、ジャスパーとエルムが最後尾を務めている。全体の隊列が伸びた分、後方からの襲撃を警戒するためだ。
ケインらのパーティがB通路を通ってきたと聞いて、エドワードは進路を変更した。彼らがもと来た道を戻るように動けば、ケインもそれを予想して追いついてくる可能性が高いとの判断によるものだ。縦のB通路を直進すれば最終的に横の1番通路に突き当たる。左折すれば階段は目の前だ。
「なんか、今日はアトリが大活躍って感じだったな」
ジャスパーが前列のアトリらに声をかけた。
「せやなあ。まさかエドに喧嘩売って勝つなんて想像もせんかった。サインを見破るわ、通路のプレートを見つけるわ。アトリには驚かされっぱなしや」
「喧嘩だなんて、そんな……」
アトリが恥じ入るように身をすくめる。
「エドワード先輩には申し訳ないと思っているんです。わたしたちのためにいろいろと考えてくれていたのに、予定を狂わせてしまいました」
「それは問題ないんじゃないかな。ボクたちは誰も怪我しないでクエストを終わらせたし、怪我したひとたちも助けられたし。あとはケインさんが無事なら、何もかもうまくいったことになるもの」
「そうだといいんですが……」
うつむき気味に答えるアトリの声からは憂いが感じられた。
「わたしたちはまだダンジョンの中にいますし、バートラムさんが予想した危険が去ったのかどうかも分かりません。気を抜くのは早いと思うんです」
「アトリは心配性やな。あの連中にはすまんけど、ウチらの分まで厄介ごとを引っかぶってくれたんやないか? 魔物が何体も出てきとったら、さすがにウチらとエドだけじゃ厳しかったやろな。そりゃエドかて強いけど、戦いの本職いうわけやないし」
「ボクもちょっと気になるけどね。四階の魔物がどうしてここにいたのか。運が悪かったらボクたちが襲われてたよ」
「勝手に上がってきたんじゃないなら、誰かが連れて逃げてきたってことか? アトリはどう思う」
アトリは前を向いたまま小さく首を振った。
「分かりません、エドワード先輩も普通はありえないと言っていましたし。……でも」
「でも?」
「普通ではないとしたら。誰かが四階から魔物を連れて、逃げもせず倒されもせず、かといって魔物を倒しもせず、三階を通り抜けたとしたら」
ジャスパーは一瞬考え込んだ。
「……つまり逃げたんじゃなくて、わざと二階まで連れてきたってことか? 魔物より強くないと無理だぞ、そんなこと」
「だいたいなんの得があるんや。そんなことしとる余裕があるんなら、さっさと倒せばええやんか」
「理由は分かりませんけど、原因は他に考えられません」
ジャスパーは首をひねった。彼の隣でエルムも思案顔をしている。
「お前はどう思う?」
「うーん……。普通の状況じゃないことはたしかだよね。普通じゃないことが起こったと考えるしかないのかも」
「だとしたら迷惑な奴だな。食べ残しよりよっぽど危険じゃないか」
ぼやくジャスパーの耳に、前方から呼びかけるエドワードの声が聞こえてきた。
「おい後ろ、聞こえてるか? 足元に注意しろ。穴が開いてるぞ」
四人は慌てて石床に目を向けた。十メートルほど先の床に四角い穴が黒々と口を開けており、先行する集団が左右に分かれて迂回している。穴は幅も奥行きも二メートル近くあり、深さは見当もつかなかった。
穴に流れ込む空気が複雑な気流を巻き起こしているようで、前方から不自然な風が吹いている。近づくにつれ、エルムが持つたいまつの炎もちらちらと揺れた。
「たぶん空気穴だね。落ちたらただじゃすまないよ」
一階から階段で下りてきた距離を思い出し、エルムは身震いした。三階まで同じだけの高低差があるとすれば、落ちて生きていられるとは思えない。
「聞こえてる、大丈夫だ!」
ジャスパーが大声で返答する。
エルムはたいまつを胸の前まで下げ、腕で風をさえぎった。炎が消えるほどの強風ではないが、用心するに越したことはない。
明かりの範囲が狭まり、周辺の光量が下がる。
エルムは目をしばたいた。夜目が利くとはいえ、明暗の変化に目が慣れるには数秒の時間を要する。
斜め前のルピニアは平気な顔で歩いている。闇を無視して遠くを見通すというエルフの遠見には、光量が変化しても影響がない様子だ。
前を歩くアトリが左の壁際に寄った。
エルムはかすかな違和感を覚えた。
穴まではまだ距離がある。横を通り抜けるにしても気が早い。
「なんやアトリ。まだ遠見しとらんのか?」
「その、久しぶりなのでうまく切り替えられなくて」
ルピニアは肩をすくめた。
「言わんこっちゃない。あとで特訓せなあかんな」
エルムは足を止めた。
不意に脳裏をよぎる光景があった。
二階へ下りてすぐの場所だ。あの時アトリは、壁に生えたコケを観察していた。
彼女は手にたいまつを持っていた。
ルピニアの言動からすると、エルフ族は遠見を使わなくともいくらか夜目が利く。この程度の薄暗さで、自ら発光するコケがよく見えないとは考えづらい。
思えばダンジョンに入った際、エドワードを除く四人の中で、最初にたいまつの火を点けようとしたのはアトリではなかったか。彼女も平然と歩いていたが、その時点ではエドワードが歩ける程度の光があった。
アトリから穴までの距離はもう五メートルもない。足元に吹く風はますます強くなり、ヒュウヒュウと不気味な音が鳴り響いている。
エルムは早足でアトリに追いついた。驚いて振り向くアトリの横で立ち止まり、たいまつを頭上に掲げる。空気穴の周辺を光が照らし上げた。
エルムはにこやかに笑った。
「一応、用心だよ♪」
「……ありがとうございます」
アトリが浮かべる笑顔はわずかに固い。
エルムはうなずき、ついと視線を逸らした。
「ええかジャスパー、ついでやから覚えとき。ああいう気遣いが女のエスコートには必要なんや。エルムに負けとったらまずいで」
「なんだよ急に。お前しっかり見えてるんだろ」
「そういう問題やない。ええか、女心っちゅうもんはな」
空気穴の右側を迂回する二人のやり取りが聞こえ、エルムは苦笑をにじませた。深い穴のすぐ横を歩いているというのにルピニアの調子は変わらない。
「エルムもエルムや――」
穴の向こう側でルピニアがくるりと振り向く。
言葉が途切れた。その目は一杯に見開かれていた。
「う、後ろやバカ!」
「え?」
振り向いたエルムの目に映ったものは、何か大きな灰色の塊だった。
強烈な衝撃がエルムを襲った。
エルムは真横の壁に叩きつけられ、石床に崩れ落ちた。
たいまつが落ち、乾いた音を立てる。
――風が、うるさい、なあ……。
ぼんやりした思考の中でそんな言葉が浮かんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます