躍動するマシュマロ

 悩んでいた。

 僕は大いに悩んでいた。

 ディスプレイに映し出されているのは千葉大学文藝部の部員専用BBS、そしてまだ題名すらつけられていない「文書1」という真っ白な新規ドキュメントを表示したマイクロソフトのワードさん(2003)。

 いや、よくよく見てみればそのドキュメントは決して真っ白なわけではない。「文書1」の頭には、こう書かれている。


 ――躍動するマシュマロ


 それは部内でひそやかに行われている企画、「第三回さらし文学賞」で統一されている題。

 こともあろうに今回のさらし文学賞は前回の文学賞で優勝した先輩が、「マシュマロが動いて喋る程度のアイディアで天下獲れると思うなよ文学賞」という、前代未聞のテーマを投下してきたのである。

 今現在BBSに表示されているテーマと募集内容からは、目を背けたくて仕方ない。

 だがしかし僕も幽霊部員とはいえ文藝部に名を連ねる者の一人。

 どんなテーマであろうとも気合と根性ととっさの閃きさえあればきっと形になると信じて、我らの味方ワードさんを立ち上げたはいいのだが、僕は一つだけ完全に失念していたことがあった。

 ……今日が、〆切だということ。

「自業自得っ。君遅筆じゃん、絶対間に合わないって」

「うるさい黙れ。気が散る」

「うわっ、冷たい! カキ氷みたいに冷たいよ君!」

「美味しくていいだろ、時期じゃないけど」

 普段なら鬱陶しいだけの横槍にいちいち言葉を返すのは、ある種の現実逃避。何となく思いついたところから書きはじめてみるけれど、三行くらい書いたところで先が思いつかなくて一気にバックスペース。

 こうしてまた「文書1」に書かれている文面は題名である『躍動するマシュマロ』のみになった。

 横からぐぐっと身を乗り出してきてワードさんを覗き込んだそいつは、いたって他人事のように笑って言った。

「で、原稿は進んだの?」

「さっきから見てんのに当然のこと聞くな!」

 ええ進んでませんとも進みようがありませんともこの白紙をどうしろと。

「で、テーマは何だっけ?」

「『躍動するマシュマロ』、だよ」

 僕が「文書1」の頭一行を示すと、そいつは不可解なものを見たかのように「うーん」と唸った。大丈夫、僕も十分不可解だと思っている。

「マシュマロって、あのマシュマロ?」

「あのマシュマロだ」

「躍動させるんだ」

「させなきゃならんらしい」

 僕は椅子の背もたれに思い切りもたれかかり、天井を仰ぐ。この部屋の壁はうちの親が最近ベビーブルーに塗り替えてくれたのだが、天井だけは塗り替えるのが面倒だったらしく、うす汚れた茶色をしてこちらを見下ろしていた。

「マシュマロ、躍動……ねぇ」

 いつもなら作業中の僕にとって迷惑でしかないそいつは、今日ばかりは僕の切羽詰った様子に同情してくれたのだろう、珍しく頭を捻って考えてくれている。

 普段頼りない分、もしかするとすごいイマジネーションを発揮してくれるのかもしれないと期待して、僕はそいつに目を向けた。

 そいつはしばしうんうん唸った後に、唐突にぽつりと言った。

「『パラサイトマシュマロ』、とかどうかな」

「『パラサイトマシュマロ』?」

 何だその明らかに何かパクっちゃいけないものをパクったっぽい題名。嫌な予感しかしないんだが。

「話はこう。マシュマロで世界を征服しようと企む科学者が」

「その地点から何かが間違ってるような」

 世界征服をもくろむ科学者という地点であからさまにありがちだし、まずマシュマロで世界を征服って、一体マシュマロのどこをどうするのか。

 映画「ゴーストバスターズ」のマシュマロマンみたいなのが大量生産されて暴れまわれば確かに世界は崩壊するだろうが、それはそれでかなりコストがかかりそうな気がしてならない。

 多分僕がさっさと話を遮ったからだろう、そいつはわかりやすくぷうと膨れた。

「思いつかないから考えてやってるってのに、何その言い方」

「悪かった悪かった。続けてくれよ」

 僕はやる気なくひらひら手を振る。それでもまだそいつは納得してくれなかったみたいで、不機嫌そうに膨れながらも言葉を続けた。

「世界征服を企む科学者が、マシュマロにだけ感染する病気をばらまくんだよ」

「待った」

 マシュマロにだけ感染する病気、ってお前。

 聞いた瞬間、思わず僕は「感染」という言葉それ自体をググってしまう。

 我らの強い味方ウィキペディアさんによれば、「感染」とはこういうことだ。


 感染(かんせん、infection)とは、ある生物の生体内に別の微生物が侵入し、そこに住み着いて安定した増殖を行うこと。

(Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/感染)


 僕はディスプレイの一点を指差して、そいつに聞いてみることにした。

「……マシュマロは生物か?」

「うっ」

 流石にそいつも生物と非生物の違いくらいはわかっていたらしい。一瞬俯いて黙ったが、それは本当に一瞬のことで、すぐにぱっと白い顔を上げて言った。

「でもほら、非生物のコンピュータウイルスとかも感染っていうってウィキペディアさんは言ってるし!」

「まぁ確かに」

「だから、マシュマロに感染して、しかも感染が拡大する病気ってのがあってもおかしくないって!」

「そうかぁ?」

 もちろんそいつが言っているのは僕が今から書こうとしている『躍動するマシュマロ』の話、架空の物語だ。初めから突飛な話になるのは僕だって百も承知の上である。

 なら何故いちいちそいつに突っかかるのかと言えば、単に反応を見てからかっているだけなのだが。こうでもして気を逸らしていないと、気が急いて仕方ない。

 気が急いていてはろくにいい文章も書けないものだ……と常々思っているのだが、考えてみると〆切前にならなければ書き始められない僕は、永遠にろくな文章を書けないことになる。何という残酷な真理。

「で、その病気ってのは、マシュマロにしか感染しないんだけど人間の身体の中に入ると別のことが起きるんだよ」

「ほほう」

「何と、病気に感染したマシュマロを食べてしまうと、自分の身体がどんどんとマシュマロになっていき、最終的には生けるマシュマロになってしまうのだー!」

「怖っ! それ怖っ!」

 ホラーだろそれ紛れもなく。僕にホラーを書けというのか。文藝部随一の桃色物書きと称される僕に、人が徐々にマシュマロになっていくホラーを書けというのかお前は。

 僕が素直に怖がったからだろう、そいつはぐっと小さな胸を張った。いや、そこが胸かどうかはいい加減僕には判別つかなかったが、きっとそうだったと思いたい。

「ふふん、どうよこの素敵アイディア」

 人間の肉体が少しずつ甘ったるいマシュマロに変換されていく様子を脳裏に思い浮かべ、かなり気持ち悪くなる。元々僕はあまり甘いものは好きでないのだ。そもそもそういう問題ではない気がするけれど。

「ちょっと面白かった。でもさ」

「何」

「躍動はしてないよな、それ」

「あっ」

 そう、僕が一番悩んでいるのはそこなのだ。マシュマロでネタを書くこと自体はそこまで難しくないと思っている。しかし問題は『躍動』というその一点だ。

 そいつのアイディアは僕向きではないが、もしも書くとすればきっと誰かが面白おかしく書いてくれるに違いない、いろんな意味で。

 ただ、問題は「生けるマシュマロ人間」を想像すると、あーうー唸りながら蠢く白い物体しか思いつかないことだ。どうにも『躍動』という言葉とは程遠い。

 そいつも僕と同じようなものを想像していたのだろうが、僕の横で飛び跳ねながら、何とか軌道修正を図ろうとする。

「じゃ、じゃあ、マシュマロ化した人間が他の人間をすごい運動神経で襲うとか! その名も『マシュマロハザード』!」

「もうそこまで行ったらマシュマロマンでよくないか?」

「ダメだよそれパクリじゃん!」

「お前の題名の方がパクリだろあからさまに!」

 この次は『マシュマロクエスト』とか『マシュマロファンタジー』とかに及びかねない。逆にそこまで行ってしまえばありきたりすぎて誰も気にしないかもしれないが。

 そいつは破裂するのではないかと思うくらい膨れて、僕にくるりと背を向けた。

「ああもうああ言えばこう言うー! もう知らないっ! 一人で考えて!」

「あ……」

 調子に乗りすぎたか、と僕が思った時にはそいつは机の上からぴょんと飛び降りて、キッチンの方にぴょこたんぴょこたん跳ねていく。手も足もないのに器用なものである。

 僕はそいつの真っ白な後姿を見つめながら、再び椅子の背もたれに体を預けた。

「お前のことが書ければ一番早いと思うんだけどな……」

 だけど、「マシュマロが動いて喋る程度のアイディアで天下獲れると思うなよ」って言われてしまっているし。

 だからといってそいつが動いて喋る以上のことができるわけでもないし。

 一応宇宙からの侵略者なら、不思議な能力があってもよさそうなものだが、どうやら話を聞く限りそうでもないらしい。

 結局のところ単にうるさいだけである同居人、マシュマロ型宇宙人の姿がキッチンに消えたのを見て、僕は盛大に溜息をついて呟いた。

「あー……もう原稿諦めっか」

 諦めも、肝心である。多分。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る