*会遇の危難

 二人は集落を後にして野を進んでゆく。村の周辺となんら変わりない風景だが、北の民であった両親はかつてこの野を放浪し二人が見ていた景色をいま、私も見ているのだろうかとナシェリオは外の世界に触れている感慨にひたった。

 空は青く、まだらに浮遊する雲が大地に幾つもの影を作り出す。野を吹き抜ける風は覆い尽くすように広がる丈の短い草を波立たせ、見たこともない海を連想させた。

 父や母はどれたけの苦難に遭い、立ち向かって安住の地にたどり着いたのだろうか。ナシェリオはそれを考えて胸に小さな痛みを走らせた。

 幼き子を残し若くして彼岸に旅立った彼らは、果たして幸せだったのだろうか。愛されていたという私の記憶と、彼らの抱いていた感情は違っていたかもしれない。

 そんなことを思い、視界を満たす風景にその広大たる世界をうやうやしく眺めた。それと同時に言いしれぬ不安が湧きあがる。

 なに一つとして知り得ない世界は、輝ける希望だけを与える訳ではない。それを恐れていては何も始まらないのは解っている。

 それでも、ナシェリオにはあえてそこに飛び込む理由はなかった。

「いい天気だなあ」

「そうだね」

 呑気に発したラーファンに素っ気なく返し、いずれ訪れるドラゴンとの対峙に気が重くなる。

 彼は目標に向かって希望だけを胸に携えている。その様子にナシェリオも笑みを浮かべるが、やはり不安は拭いきれない。


 ──さすが西の辺境とでも言おうか。この二日さしたる出来事はなく東に進んでいた。保存食の干し肉は食べ物がなくなったときのためになるべく残しておき、兎や鼠などを狩って野には食べられる草花も多く比較的、満足のいく旅となっていた。

 狩りはラーファンが、野草を摘んだり狩った獲物の調理はナシェリオがと自然と役割を分担するようになっていた。

 ラーファンは蛇やトカゲを嫌ったが、ナシェリオが料理して勧めると思っていたより美味しい事を知って喜んだ。

 しかしあるとき、

「ナシェリオ、あれ」

 先を進むラーファンは、眼前に小さな二つの影を見つけた。

「ラーファン!」

 嫌な予感を覚えたナシェリオが影に近づくラーファンを制止する間もなく仕方なく彼の背中を追う。距離を縮めるにつれて影は詳細な姿を現していった。

 鉄のヘルメットに鎖帷子くさりかたびらの鎧と腰に提げられた剣は兵士だと窺える。それを確認したラーファンの馬の足取りが心持ち速くなった。

「た、助けてくれ」

 二人の姿を見た兵士も旅人だと安心したのか声を上げる。本来、鎖帷子は板状の鎧の下に着けるものだがこの兵士たちは身軽にするためか金がないのか金属板の鎧は肩と腰回りのみに装着していた。

「どうしたんですか?」

 馬を下りて近づくラーファンにナシェリオは再び制止する機会を逃し、馬にまたがったまま様子を見る事にした。

「仲間が怪我をした。傷薬か何か持っていないか」

 隣の男を示す。よく見れば怪我をしているであろう腕の先から血がしたたり落ちていた。

「それは大変でしたね。ナシェリオ! 傷薬があったろう」

 振り返りナシェリオに薬を出すように促す。しかしナシェリオは二人の男に怪訝な表情を浮かべた。

「獣か何かに襲われたんですか?」

「ああ、そうだ。歩いていたら獣に襲われてなんとか追い払ったが……。旅の途中か?」

「はい。ナシェリオ、早くしろよ」

「君の友達かい?」

 怪我をした男は馬にまたがるナシェリオを見て問いかけた。

「そうです。すいません、臆病な奴なんで」

「いやいや、無理もない。こんな所で兵士に会うなんてびっくりしただろう。しかし、君の友達はとても綺麗だな」

「そう言われるのは本人はあまり好きじゃないみたいです」

 初めて見る兵士にラーファンは羨望の眼差しを向けた。村に時折訪れる旅団が雇うのはほとんどが放浪者アウトローか暇な渡り戦士だからだ。

 名のある商人がいた場合、王都の兵士などが加わる事も多くはないが、兵士は旅団から離れる事がないため目にする機会がない。

「へえ、そうなのか。勿体ないねえ」

「道に迷いでもしましたか?」

 三十代後半ほどと思われる兵士に尊敬の念を込め丁寧に接する。ラーファンにとっては剣を持ち戦う者はすべからく敬意を払うものなのだろう。

「そうなんだ。出来れば近くの集落を教えてほしい」

「解りました。おいナシェリオどうしたんだ、早く薬を──」

 馬から下りようとしないナシェリオに苛立ち振り返った刹那、ラーファンと兵士の間に剣が突き立てられた。ナシェリオが投げたものだ。

「ナシェリオ!」

 なんてことをするんだと目を吊り上げるラーファンを一瞥し兵士を見やる。

「ラーファン、彼らから離れて」

 その表情と声色はいつものナシェリオではなかった。

「一体どうしたんだ」

「誤解しないでくれ。我々はただ──」

「ここから北東には小さな町がある」

 それに兵士二人はぴくりと眉を寄せた。

「その町はいま、他の部族と抗争中だ」

 狩り場の独占に対する抗議がいつの間にか抗争にまで発展した。互いに一歩も譲らず、傭兵や渡り戦士を雇っていさかいを繰り返している。

「それがどうしたんだ」

 話が飲み込めないラーファンは小首をかしげた。

「ラーファン、それは獣にやられた傷じゃない。剣によるものだ」

 その言葉で彼は二人の兵士を凝視した。兵士が戦場から逃げ出す事は少なくはない。割に合わないものに命を賭けるほど彼らとて馬鹿ではない。

 町は王都から兵士を要請するも、辺境の町に精鋭を送り込む程には西を重要視はしていないようだ。送られてくる兵士は素人に毛が生えた程度の者か荒くれ者、大した強さは持ち合わせていない者ばかり。

「逃げてきたからどうだっていうんだ」

 男はナシェリオを睨みつけた。

「傷の治療だけで終わらせる気はないんだろう?」

 逃げた先に約束された生活が待っている訳でもない。大抵はその後ろめたさから元の場所に戻れず、盗賊に身をやつしてしまう。ナシェリオはそれを知っている。

「ナシェリオ、なに言って──」

 ラーファンが苦笑いを浮かべた瞬刻、ナシェリオは素早く馬から下りて駆け寄り地面に突き立てた剣を掴んで男を斬りつけた。

「ぐお!?」

「きさま!?」

 突然の事にラーファンは訳がわからず、友と男たちを交互に見やる。ナシェリオには解っていた、彼らには初めから殺意があった事を。

 ナシェリオがまず気付いたのは兵士の立ち位置だ。怪我をした仲間を気遣いながら、何故常に一定の距離を保ち互いに離れていたのか。

 彼らの腰にある刃物の大きさを考えれば、それは剣を抜き易い間に他ならない。さらには、ラーファンが振り返る度に剣の柄に手を添えたのを見逃さなかった。

 彼を人質に取られてしまえば身動き出来ない。

「ナ、ナシェリオ」

「下がって」

 いつになく真剣な面持ちの友にたじろぎ、漂う緊張に喉が詰まる。

「弱そうに見えてやるじゃないか」

 まさか抵抗されるとは思わなかった兵士は鎖帷子くさりかたびらの傷に驚きつつ剣を構えた。踏み込みが甘かったのか、切り裂く力までは無いのか男たちはそれに余裕を見せる。

 金属とはいえ、動きやすくするために軽量化されている鎖の鎧は大いに期待出来るほどの強度はない。強く突けば容易く貫けるものだ。

「傷薬くらいは分けてやれる。それで諦めてもらいたい」

「多少のしつけは必要だろうが、てめえを売れば高い値が付きそうだ」

 下卑た男の声にラーファンは衝撃を受け、まるで石像のように固まって動かなくなった。

 ナシェリオはそれを横目に捉え、兵士二人を鋭く睨みつけた。本来ならば二対二のはずなのだが、相手は早々に一人を見捨てナシェリオのみに剣を向けている。

 初めての実戦に勝てるかどうかは解らない。しかし、ここで負ければ後はない。ナシェリオは目の前の敵をしっかりと見据えた。

「ガキが!」

 男は大きく振りかぶる。ナシェリオは広げられた懐に一気に飛び込むと、先ほど傷つけた鎖帷子の傷の上に刃を走らせた。

 寸分違わぬ閃光は見事に鎖の鎧を切り裂き、男たちはあまりのことにナシェリオを驚愕の目で見つめたあと、わめきながら逃げていった。

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