*優しい世界

 東にある首都に憧れを抱く若者は少なくはない。それでも、その道のりを思えば憧れだけに留めるものだ。

 その類に漏れず、ラーファンも首都に華やかな想像を抱いていた。

 人間が増えたとはいえ、まだまだ危険なモンスターがそこかしこに彷徨うろついている。そんな大地を旅する者を放浪者アウトローと呼ぶ。

 時には単独で、時には仲間とパーティを組んでと、腕に自信のある者だけがそう呼ばれた。そうでなければ世界を歩き回るなど不可能だからだ。

 商人たちは常に旅団を組み、アウトローたちを雇って移動している。ラーファンはそんな生き方に憧れていた。

 しかし、彼の両親がそれを許さない。村で嫁を見つけて静かに暮らす事をいつも望んでいたが、ラーファンにはそれが不満だった。

 首都に上って騎士となり名を上げるか、有名なアウトローになる事を夢見てナシェリオに常々語っていた。

 ナシェリオにはラーファンのような名誉欲も出世欲も無かったが、外の世界には憧れていた。

 凶暴な獣、可愛い動物、続く大海原──辺境までたどり着いた物好きなアウトローから聞く語りに胸を躍らせていた。

「一緒に旅をしようぜ」

 ラーファンの誘いはナシェリオにある種の希望を抱かせる。しかし、それもまた躊躇いを生んでいた。

 足手まといになるのは目に見えている。出来る限りの鍛錬はしていても、体力に自信がある訳じゃない。そんな自分が彼の足を引っ張るのは確実だ。

 どのみち、ラーファンの両親が許すはずがない。心中ではそれに安心していた。

 ナシェリオは自分たちが思うほど世界は優しいとは考えていなかった。おいそれと放浪者アウトローになれるほど、この世は平穏ではない事を知っていた。


 †††


「君と一緒に見たかったよ」

 青年は灰色の馬からさざ波を立てる砂浜を遠くに捉え、広がる海に目を眇めた。初めて海を眼前にしたとき、感動よりも先に突いて出たのは張り裂けるような胸の痛みだった。

 お前の知恵など浅はかで何の役にも立たないと突きつけられてくずおれる。憧れなど妄想だと言うように泡の如く軽く握りつぶされ、寒々と思い知らされる。

 それから幾度となく目にし、渡った海は枯れた涙を蘇らせようと風を送るが、むなしさにしかなり得ない。

 そうして一度、強く目を閉じて馬の首をさするとマントをひるがえし海を背に走らせた。

 たどり着いたのは入り江の小さな港町、それでも活気に溢れていた。

 潮風を受けた町は全てが潮臭く、あちこちに乾燥して出来た塩が白く付着している。金属も手入れをしなければ潮風ですぐに錆びてしまうだろう。

 港のそばにある市場には揚がった魚などが並べられ、辺りには独特の生臭さが漂っている。旅人の一人や二人に目を向ける者はおらず、フードを目深に被ったナシェリオは無表情でそれらを眺めたあと酒場に足を進めた。

 グラスと食べ物が描かれた看板が下げられている建物をフードのふち越しに見やり、軽い板張りのドアに手をかける。

 それは見た目と同じく軽いきしみをあげて開き、ようやく旅人に視線が集中した。訪れる者が少ないのか、物珍しそうな目が青年の姿をなめる。フードを被った旅人の正体を知りたいのかもしれない。

 カウンターに手を乗せると、

「水を頼む」

 若い声と背格好に隣にいた髭を蓄えた男がいぶかしげに見下ろす。硬い鎧も身につけておらず、腰には細身の剣と短剣ダガーのみ。

 小柄だというのにアウトローにしても仲間はいそうにない。旅人は水の入った木製のカップをマスターから受け取り、それを傾けるときにちらりと見えた面持ちに男はさらに眉を寄せた。

「女か? いや、男か。随分と綺麗な顔じゃないか」

 ナシェリオは男を一瞥し、再び水を口に含む。男はそれが気に入らなかったのか、目を吊り上げて旅人に向き直った。

「おい、聞こえてるんだろう」

 太い腕を見せつけるようにこっちを向けと手で示す。ナシェリオはフードを被ったまま顔を少しだけ男に傾けた。

「それにどう反応すればいいと言うのか」

「なんだと?」

 男は感情のない声に顔をしかめてわざとらしくドカドカと足音を立て距離を詰めた。旅人の腕を試したいのだろうか、挑戦的な目を向ける。

 それにも旅人は動じることなく二杯目の水を注文し、ついに男はマントを掴んで拳を振り上げた。

 周囲がそれを確認した刹那、男が掴んでいたマントがふいに軽くなり背後に気配がしたかと思うと膝の裏を思い切り蹴られてがくんと崩れる。

「うっ!?」

 体勢を立て直そうと片膝を床についたとき、右頬にひやりと冷たいものが触れた。剣の切っ先がわずかな距離にあり、小さく引き気味に叫びを上げる。

「どこにでもいるな」

 呆れたようにつぶやいて剣を収め、マントを拾い上げると硬貨を二枚カウンターに置いてそのまま酒場から出て行った。

 あとに残されたのは、青白い光をまとった剣と艶美とも言える青年を見た者たちの溜息だった。

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