ぼくと理想の✖✖✖(3)

「パス1じゃ」

 いやだいやだじゃ始まらない……といっても、真なる恐怖に慄いて足がすくんでしまう人だっている。

 次順――秀吉がそうだった。秀吉にしては珍しいほど強硬な拒否の姿勢を見せている。何とか「さもん」の三文字を言わせられないかと試行錯誤してみたけれど、秀吉はこういうのには引っかからない。

「どうしてそこまで嫌がるのさ」

 性的嗜好はこれ以上ないほど人畜無害だし、よもやけっこう仮○再来なんてこともありえない。

「性の目覚めを暴露されてもさ、どうせ仲間内だし笑い話じゃない?」

 女子はドン引きかもしれないけれど、男子陣の話題としてはそれほど奇妙なものとは思わない。

「違うのじゃ。もっと大きな真実に向き合わねばならんかもしれんのじゃ」

「というと?」

「最近ワシは、自分の性に自信がない……」

「はははっ、秀吉ならきっと、演劇の王子様とか召喚されて笑い話で済むじゃないか」

「王子様が召喚されたら笑い話では済まされんのじゃが!?」

「…………きっと秀吉の性の目覚めは文学……。ロミオが出てくる……」

 性の目覚めに拘りたいらしい自閉モードのムッツリーニが、虎視眈々と巻き込みを狙っている。清廉潔白な秀吉だからこそ、性の目覚めを暴露されるのが恥ずかしいのかも――。

「あの、みなさん」

 性の目覚め、性の目覚めと連発する僕ら男性陣に、姉さんが少し困った顔で言った。

「これは理想や憧れを具現化するものであって、性的傾向を暴露するものではありません。確かに多少、幼少期の思い出などは加味されるでしょうが、人は成長するものです。必ずしも性の対象というわけではありません」

 あくまで今現在の憧れ――ということだろうか。いろんな影響を受けているから、僕だってこうだと思い描けるものはない。

「土屋君のは、特殊な例外、というわけです。子供のころの強い影響を今も持ち続けるのは、決して悪いことではありません」

「けっこう仮○だけどね」

「…………もう触れないでいただけないか」

 死体にムチ打つとはこのことか。

 しかし、当の秀吉には姉さんの解説もピンと来ないようで、いまだ渋りきった表情を崩さない。

「それでは、一度理想像としてあるべき姿を見ていただきましょうか。葉月ちゃん」

 頑なな秀吉を解きほぐそうというのか、姉さんが指名したのはこの中でもっとも純真無垢な少女だった。元気よく葉月ちゃんは、はいです! と手を挙げて教卓の前に進み出る。

「どうすればいいですか?」

 表情が朗らかなのは、この状況を楽しんでいるか……あるいはわかっていないかだ。

「…………無垢な少女の性の目覚め……気になる……」

「ありえないから。初潮だってまだでしょ」

「…………初潮!?」

「人の妹の初潮を推測しないでくれる?」

 のそりと起き上がったムッツリーニがたちどころに鼻血の海に沈む。どこか軽蔑したような美波の視線を極力視界に入れないようにして、僕は試験召喚のやり方を面白そうに聞き入る葉月ちゃんに注目した。

「できますか?」

「はいです!」

 葉月ちゃんはもちろん僕らの高校の生徒ではない。だから今までの蓄積がない分、今回のテスト結果がモロにでる――そんな説明を最後に姉さんが付け加えて、いよいよ葉月ちゃんの試獣召喚が始まった。

「――アキが出てきたら……厄介ね。妹とどう接すればいいのか……」

 なにやら美波はぼそぼそと危機感を抱いた顔で呟いている。

 何を心配しているのかわからないけど、確かに妹の純真無垢さが否定されたら姉としてはあ黙っていられないかもしれない。大騒ぎになりそうだ。

「さもん!」

 弾むような口調で葉月ちゃんが手をかざす。本当に楽しそうだ。そういえば一年の時、僕らが初召喚に挑んだ時も、ゲームみたいで楽しかった。

 幾何学文様から織りなされた人物像は、なんというか、ちょっとだけ疲れた様子の、中年男性だった。まさか葉月ちゃん、その御年で中年趣味!? とざわめき始めた教室を払拭するように、葉月ちゃんの明るい声が響いた。

「パパです!」

 なるほど、理想の男性像――自分の父親というのはよく聞く話じゃないか。まさか葉月ちゃんの年齢をファザコンと呼べるわけもないだろうし。

 さすがに高校生になればそんなこともないだろうけど、異性というか、そういう意味では一番影響力の強い関係のはずだ。

 葉月ちゃんが駆け寄っていって胸に飛び込んでいく。召喚された島田パパには物理干渉能力と自律機能が付与されているらしく、葉月ちゃんをしっかりと抱きとめていた。

「いいお父さんだね、美波」

 ややお疲れ気味の表情だが、葉月ちゃんの本当にうれしそうな顔にはこちらもほのぼのとしてしまう。

「ええ、まあ……」

 けれどすこし、美波は苦み走った顔になっている。姉と妹で、父に抱く印象が違うのだろうか。

「パパ、お仕事はもう大丈夫ですか!?」

「はっはっはー! 葉月、もうパパ、会社に盾突いてドイツとか色んなところに飛ばされたりしないぞぅ! 単身赴任もしないぞぅ! いやぁ土下座ってしてみるもんだなよなぁ! こうして葉月と一緒にいられるのが一番さ!」

 ああ……。

「……ねぇ美波」

「気骨がありすぎるパ――父でね……。私がドイツ帰りなのもそのせい。今度北極に飛ばされるはずよ、一人っきりで……」

 沈まぬ太陽第一部みたいな人なのか……。

 葉月ちゃんの理想――つまり、一緒にいてくれるお父さん、だ。できればその気骨溢れるパパさんに今の光景を見せてあげたい。幻に過ぎないだなんて、切なすぎる……。

 ひとしきり、仮初の父娘の交流が目の前で展開され、どれだけ葉月ちゃんがお父さんを慕っているか、同時にそのお父さんがどれだけ家に帰ってこないか暴露されたところで、頃合いよく強制停止ボタンが押された。

「葉月ちゃん。父母がいなくても、子は育つものですよ」

 父がそれこそ幻のように消えうせ、名残惜しむ葉月ちゃんに、姉さんの言葉は大人として容赦がなかった。そういえば僕の両親も海外暮らしが長い。姉さんだって昔は鍵っ子だったらしいし。

「それに葉月ちゃんには優しいお姉ちゃんがいるじゃないですか。たくさん甘えて、いいんですよ」

 そうか。家を空けがちだった両親でも、僕が寂しくなかったのは姉さんがいたから……なのかもしれない。

 今では露出狂染みた頭のおかしい姉だけど、幼少のころに世話をされた実感は確かにある。そこには、確かな感謝を伝えなくちゃいけないのかもしれない。

「……仕方ないのぅ」

 葉月ちゃんの癒しの光景に決意を固めたのか、大きな息を一つ吐いて秀吉が立ち上がった。

「言っておくが、わしはまだ恋愛などはよく判らん。高校生にもなってとよく言われるが、そこだけは事実じゃから、先に教えておくのじゃ」

 葉月ちゃんみたいに、自分も子供のころの原風景をそのまま出してしまうかもしれない、と前置きしているようだった。

「もしかすると幼稚園のころ優しくしてくれた、保母さんが出て来るやもしれんのぅ!」

 はっはっは、と空気を和ますように笑って、

「サモン!」

 と、ついに秀吉が叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る