廊下の再会……フォーリング・瑞樹

 階段を二段飛ばしに駆け上がり、僕は雄二の待つ生徒会本部を目指して走り続ける。

 新校舎は閑散としていた。校庭と、旧校舎から響いてくる喧騒が酷く遠いもののようにすら聞こえる。僕が立案し、木下さんが指揮を執り、秀吉とムッツリーニが尊い犠牲となって切り開いた奇襲作戦。これが今、ほとんど理想的な形で成功しつつあるのだ。

 渡り廊下の向こうに見える敵主力は、幸いまだ旧校舎の制圧――というより良光君を血祭りに上げようと躍起になっていた。彼らが後方をひた走る僕に気付き、反転してきたら終わりだ。だから、二階にたどり着いた僕はまず真っ先に渡り廊下の防火扉を閉じた。気付かれることなく、僕は作戦成功のために必要な大きな難所を乗り越える。

 ひとまず胸を撫で下ろした。

 新校舎二階、本部へと続く無人の廊下。もう雄二と僕の間に遮るものは何一つない――ように思えた。

 もちろん不安要素が全て払拭できたわけじゃない。新校舎にまだ伏兵が隠されている可能性。雄二が本部を空にしている可能性。旧校舎、校庭ともに制圧され、残存兵力が全て僕に叩きつけられる可能性。

 それに――。

「明久君は、本当に凄いですね……」

 ここまで姿を現さなかった、姫路さんの存在。

 生徒会本部のプレートが掲げられた部屋の前に、おそらく最後の壁となるだろう姫路さんが佇んでいた。所在なさげに肩を落とし、どこか物悲しげな俯くその姿は、まるで出会った頃の内気な彼女を思い出させた。

「本当に全部を突破してくるなんて……。でもそれが、明久君なんですよね」

「姫路さん……!」

 駆け寄ると、疲れ果てていた僕の召喚獣が僅かに元気を取り戻した。

 新たな科目フィールドに更新されたのだ。生徒会本部前の廊下には技術家庭科が配置されている。僕の点数は98点。個人的には満足いく数字――なのだけれど、実は平均点を下回っている。雄二が作戦で組み込んだ通り、こうした教養科目は出題範囲が限られているおかげで、点数が図抜けたものとなりやすい。

 料理、といういかにも家庭科っぽい範囲からの出題が殆どなかったのが悔やまれる。料理は数少ない僕の得意技能だけれど、筆記の出題範囲は健康管理や栄養学という分野に偏っていて、まったく生かせなかった。食事を社会的かつ体系的に分析するという概念が、まだまだ僕にはぴんと来ない。

「明久君。ごめんなさい、ここは通せません。心を鬼にしてでも止めます」

 宣言して、姫路さんは自身の召喚獣を廊下の中央に陣取らせた。豪奢な西洋鎧に巨大なツーハンドソードという、凛々しいまでの出で立ち。頭上には334という立派な点数が輝いていて、僕は思わず尻込みしてしまう。

「姫路さん! 話を――!」

 ずいと前進を始めた姫路さんに、僕は声を上げる。が、僕の言葉を根元から断ち切らんばかりの勢いで、姫路さんはツーハンドソードをなで斬りにしてきた。見た目以上に間合いが広い。大きく後方へ逃れたつもりだったけれど、胸元を切っ先が掠めていった。

 幸い――姫路さんの点数は高いけれど、主要五教科ほど圧倒的ではない。きっと栄養学の筆記に余計かつ危険な化学式を盛り込んでしまったのだろう。主要科目ならどれでも600点を軽く越えてくるのが姫路さんという優等生だから、家庭科フィールドを戦場に出来たのは僥倖といえるだろう。

「秀吉とのことは誤解なんだ! ちゃんと逢って説明できなかったけれど、この場で弁解させて!」

 二発、三発と立て続けに繰り出される攻撃を往なしながら、僕は必死になって姫路さんを説得しようと試みる。

 冷静になってくれさえすれば、姫路さんだって気付くはずなのだ。僕たちの間に争う理由など欠片もないのだと。

 件の秀吉はすでに校庭で肉体的精神的社会的に壮絶な爆死を遂げている。文月学園史に残るであろう凄惨な形での討ち死にだったから、明日になれば周囲の視線が僕の言葉を立証してくれるはずだ。

「木下君のことはもう知っています!」

 が、姫路さんの言葉は僕の目論見を外すものだった。知っている? 秀吉のあの失敗を、姫路さんは聞いていたのだろうか――。

 余計なことを考えていたせいで、反応が遅れてしまった。巨大な刃先が僕の召喚獣に叩きつけられる。寸前で木刀を挟みいれて直撃だけは免れたものの、あっという間に僕の点数は半分まで減らされてしまった。

 フィードバックが僕の腕をじんじんと痺れさせる。召喚獣が弾かれて、壁に叩きつけられたものだから背中も痛い。

「坂本君が教えてくれました。――明久君の本命は……翔子ちゃんだって!」

 痛みに呻く僕の前に、姫路さんは泣きそうな顔で一葉の写真を滑らせてきた。

 見なくても判る。空き教室に霧島さんを誘う、僕の写真だ。この隠し撮りを使って、雄二は姫路さんを丸め込んだのか。

「……違うよ、姫路さん」

 不思議と、僕に動揺はなかった。雄二の策略を読んでいたわけではないし、予想していたわけでもないけれど――。

「これは、違う」

 不安げに瞳を揺らす姫路さんを、僕はしっかりと見つめ返した。

 信じているから。いや、確信しているから。

 姫路さんと僕の絆は、こんな写真ひとつでひび割れるほど脆いものじゃないと。

「信じられません!」

「前言撤回!」

 脳天をぶった切るかのように振り下ろされた両手剣を、僕は奇跡の超反応を見せて咄嗟に回避した。――おかしいな! 僕たちが積み上げてきた一年間は一体なんだったのかね!

「ちょっ、姫路さん! 秀吉ならともかく、雄二しか見えない霧島さんだよ!? 僕とどうこうなるわけ――」

「木下君ならともかく……?」

「テイク2お願いします!」

 僕の失言に姫路さんが荒れ狂う竜巻と化してしまった。風圧だけで残りの点数を持っていかれてしまいそうだ。もはや召喚獣では打開できそうにない。

「――私だって、判ってるんです。翔子ちゃんが明久君に魅かれるなんて、ありえないって」

 ……。ちょっと胸を抉られる台詞だったけれど、抗議の声を上げている場合ではない。無様に逃げ惑いながら、僕はどうにか姫路さんの攻撃が緩むチャンスをうかがい続ける。

「でも、もしかしたら……もしかしたらありうるかもしれないって考えたら、私――!」

「姫路さん――くっ!」

 垂直降下してきた両手剣の軌道から、間一髪身を捩じらせる。回避に成功、この隙にもっと距離を取れ――と操作したが、僕の召喚獣は微動だにしなくなっていた。

 召喚獣が羽織っているガクランが、床に縫い付けられていた。引き剥がしたり、跳ね除けたり出来る点数差じゃない。

「明久君はいつだって全力です。だから、きっと今回だって、翔子ちゃんのために全力を出しちゃいます。……そんなことしちゃったら、翔子ちゃんも明久君のことを好きになっちゃいます。そんなの、困ります!」

 そんな風に姫路さんは一気に捲くし立てた。それだけで、僕は「説得」なんて思い上がりを諦めてしまった。

 だって、見逃せるわけがないじゃないか。彼女の頬を転がり落ちていった、一滴の涙を。

「……ごめん、姫路さん」

 謝るしかなかった。

 霧島さんのためにがんばることが間違いだったとは思わない。

 けれど――僕は、姫路さんの好意を蔑ろにしすぎていた。

 去年一年間掛けて積み上げたものに、僕は甘えすぎていたのだ。想いが通じ合った。だからいつまでも同じままでいられる。二人、何もしなくても信じあえる。

 そんなことはありえないのだ。絶対に。綺麗な花を咲かせても、水をやり続けなければ枯れてしまうのと一緒だ。愛は証明し続けることに価値がある。与え続けることに意味がある。

 ――霧島さんのために奔走する僕を、姫路さんはどんな気持ちで見つめていたのだろう。どれだけの不安と心配を、彼女に与えてしまっていたのだろう。

 僕はあまりに配慮が足りなかった。

「姫路さん、僕の負けだよ。本当にごめん」

 一切の抵抗を辞めて、僕は召喚獣の首を差し出した。そうする以外に、僕に取れる行動なんてなかった。煮るなり焼くなり好きにして欲しい。殴られてチャラになるわけじゃないけれど――今はフィードバックの痛みと共に、姫路さんが涙と一緒に伝えようとする気持ちを全力で受け止めたかった。

 姫路さんの召喚獣がツーハンドソードから手を離す。そして、その小さな掌をきゅっと握り締めた。

 最後はパンチか。きっと痛いだろう。身体より心に、重く響くだろう。

「明久君、歯を食いしばってください」(がちゃり)

 うん、鋼鉄のガントレットか……。あれじゃ心より身体に、重く響くだろう……。

「食らえ、この愛!」

「食らってたまるか!」

 腰を入れて繰り出された右ストレートに、僕は命への執念が囁くまま首を捻らせた。意志を持たぬはずの召喚獣すら大慌てで生存本能を発揮し、縫いとめられたガクランを脱ぎ捨て回避行動を取る。顎があった位置を、まっすぐに亜音速の鋼鉄の拳が駆け抜けていった。

 頬から血が噴出す。――フィードバックのレベルが尋常じゃない。これ、もし顎に食らっていたら明日からストロー必須の食生活に追い込まれていたのではないだろうか……。

 ともあれ、戒めが解かれた今、千載一遇のチャンスが巡ってきた。姫路さんも虚を突かれて大きな隙を見せている。攻めきるならこの瞬間を置いて他にない。

「姫路さんこそ――食らえ、僕の愛!」

 召喚獣を跳躍させた。狙うはただ一点――姫路さん本体の、禁断の果実!

「明久君っ、そ、そこはダメですっ!」

 短い悲鳴を上げて、姫路さんは自分の胸元に飛び込んできた僕のミニチュアに慌てふためいた。払いのけられる心配はしていなかった。僕たちの召喚獣は可愛らしくデフォルメされているのだ。女の子にとっては特別凶悪な武器といえる。

 僕の目論見は正鵠を射抜いた。姫路さんは僕の召喚獣を、払い落とすことも出来ずに抱きとめてしまう。目のハイライトすらなくなる、絶対零度みたいだった表情に、朱が差した。

 姫路さんの両手を塞いだからといって事態が好転したわけでもないけれど、ガチギレモードの思考回路を何とかいつもの状態に引き戻すことには成功したはずだ。

 胸元にぐいぐいしがみついてくる召喚獣をどうしたものかと、姫路さんは顔を真っ赤にしてくるくる回っている。ここでカッコいいキメ台詞を言えれば大逆転が可能だ。でも――。

「姫……路さ……ん、どうか僕の……話を……」

 反面、僕はぜんぜん集中できないのだった。

 なにせモロ脱ぎになった召喚獣の上半身が、ぎゅっと包み込むような重量感のある柔らかさを、僕の胸板目掛けてダイレクトにフィードバックし続けているのだ。この至福、正直耐え切れる気がしない。

 太ももをつねり、唇をかみ締め、何とか姫路さんの乳固めを痛覚で相殺する。

「姫路さんの言うとおり、僕は確かに霧島さんのことに全力になってる! 姫路さんを蔑ろにしちゃって、本当にごめん――!」

「明久君……」

 姫路さんが、胸にしがみつく僕の召喚獣をぎゅっと抱きしめる。良かった、耳を傾けてくれている――のだけれど、たゆんたゆんの弾力が僕の胴体を優しく包み込んできて、変な声が漏れそうになってしまう。

「でも、僕は困っている友達を(きゅっ)アフン……見捨てることなんて出来ない! 霧島さんだけじゃない、もし困っているのが美波(ぎゅっ)うはぁぁ……や姫路さんだったりしても、やっぱり僕は全力を(ぐりぐり)ふおぉぉぅ! ――ちょっと姫路さん!? 僕で遊ばないで!?」

 真面目な話をしてるから! 多分ここ、クライマックスだから!

「ご、ごめんなさい明久君……反応が可愛くって、つい……」

 言いつつも、姫路さんは腕に込める力を緩めてくれない。それどころか、今ではどうも僕の気持ちいいところを探し当てるかのように、ぐりんぐりんと僕の召喚獣を自慢の双丘で弄び始めている。

「ちょっと、愛子ちゃんの気持ちがわかります……」

 僕もムッツリーニの気持ちがわかっちゃいそうだ。好きな子からものすごいストレートなボディタッチをされて、しかも男性としての尊厳を打ち壊されかねないほどリアクションを楽しまれてしまうと――いけない、目覚めてしまいそうだ。

「あのですね、姫路さん。出来ればどうかお話をちゃんと、しっかりとですね、お聞きいただきたいのですが……」

 心身も尊厳にボロボロにされて、もう僕は平身低頭、お沙汰を待つ気持ちで床に突っ伏した。

 ごめん、霧島さん。ごめん、木下さん。ごめん、秀吉。ごめん、ムッツリーニ。ごめん、みんな。僕はここまでのようだ。

「――ふふっ」

 けれど、覚悟を決めた僕に掛けられたのは、どこか苦笑交じりの笑い声だった。

 顔を上げると、姫路さんの、ちょっと恥ずかしそうな、同時に嬉しそうな、笑顔がそこにあった。よかった。いつもの姫路さんだ。

「やっぱり、明久君は明久君なんですね。――気付いてたんです。こんなの、私の思い込みに過ぎないんだって。明久君のいいところは、何にも変わっていないんだって、ホントは判ってたんです。とっても優しくて、困っている人を放っておけなくて、とっても友達想い……友達……想い……?」

 そこに疑問符をつけないで欲しいけれど、まあ常日頃の所業を見ていればそうもなってしまうか。訂正させてもらうなら、僕が友人を売ったり裏切ったりするのは、彼らもきっとどうせ同じことをしてくるだろうという確信があるからだ。互いに信じあえている――つまり、僕たちの間には確固たる友情があるんだと考えてもらいたい。

「だから私は、明久君のことを好きになったんです」

 ぎゅうと、全身を強く抱きすくめられた――ような気がした。召喚獣が姫路さんの想いをフィードバックしてきたのだ。

 姫路さんの、落ち着いた鼓動すら僕の中に入ってくる。

「――僕は行くよ。何にだって、誰にだって、全力を尽くす。姫路さんに、ずっと好きでいてもらえるように」

 その温もりに応えるように、僕は微笑みかけた。姫路さんが目尻を拭って、そして僕の召喚獣を床に下ろす。

「頑張ってください、明久君。――でも、私は嫉妬深いですよ? 早く決着をつけて、私を安心させてください」

「うん。絶対に霧島さんを助けて、校則を――。……そうか、忘れてた」

 そうだ。僕は校則を変えるんだ。霧島さんのことばかりで、すっかり忘れていた。

 一番最初に僕を突き動かしていた原動力を思い出して、ぶるりと身体が震えた。どうしてそこを蔑ろにしちゃっていたんだろう。

 霧島さんのために戦う。秀吉のために戦う。ムッツリーニのため、美波のため、良光君と土屋さんのため――そして僕を支えてくれた人のために戦う。その中には、きっと雄二だって含まれている。

 でも、何より、僕は僕のために戦う。ただ一人、姫路さんと恋人同士になるために。

「ありがとう、姫路さん。僕も姫路さんのことが――」

 決意表明を口にしかけた瞬間、毎度のことのように、姫路さんの背後から人影が押し寄せてきた。

 生徒会勢力だった。ついに僕たちの旧校舎が陥落したらしい。反転してきた全兵力が、唯一残る大将首を求めて突撃を始めたのだ。

「ここは私が食い止めます! 早く行って下さい、明久君!」

「姫路さん――!」

 姫路さんが遅い来る生徒会勢力の前に立ち塞がった。飛び掛ってきた生徒たちを、ツーハンドソードを振るって返り討ちにする。

 彼らの点数は高くない。技術家庭科を取っていない人もいるらしく、1点の成績すら散見できる。けれど、一人でも突破できれば僕の首を落とせると判断したらしく、味方を囮に使ってでも突破しようとしてきた。姫路さんも大わらわになって対処する。

「明久君! 急いで!」

「うん!」

 いくら姫路さんといえど、この人数を相手にすれば長くは持たない。

「明久君! どうしたんですか! 早く!」

「うん!」

「明久君! 早く立ち上がって坂本君のところに行ってください!」

「うん! ――でもあと二分、いや一分だけ時間をください!」

「明久君っ!?」

 姫路さん。

 男の子は、ちょっとだけインターバルが欲しいときがあるっていつか知って欲しい。あんなスキンシップに曝されたあとは、特に。

 僕は精神統一のために瞼を閉じる。

 そして、とりあえず――学園長、あのババァのことを想い出すことにした。




 生徒会本部。

 僕が部屋に飛び込むと、感心したような、どこか嘲笑するような、あのいつもの口調が出迎えてきた。

「やるじゃねえか、明久。本当に突破してくるとはな」

 雄二は泰然と、豪奢なつくりの椅子に踏ん反り返って、僕を待っていた。

 この本陣から動かなかったらしい。木下さんの読み通り――なのだが、どことなく違和感を感じる。このタイミングで本陣を捨てていれば、僕に勝ち目はなかっただろう。あれだけ僕らの行動を先読みしてきた雄二だ。それが判らぬはずがない。

「安心しろよ。もう策なんてねぇ」

 伏兵がいないか用心深く周囲を見回していると、雄二は立ち上がって自身の召喚獣を晒してきた。

「強いて言うなら、俺の点数が最後の策か」

 総合科目。雄二は540点。今現在Aクラスに在籍するこの男にしては、低いといえた。かつて神童と呼ばれた雄二は、持ち前の才能と要領のよさだけで高得点を叩き出してしまうのだ。本気になって勉強をするまでもないと、あざ笑うかのような点数だった。

「だがまあ、明久。お前の総合科目の点数だけは警戒してた。相当気合が入っていたからな」

 僕の点数。校庭で散々使ってしまったおかげで、もう64点しか残っていない。

「……らしくないね、雄二。最後に一騎打ちだなんて」

 慎重に間合いを計りながら、雄二の召喚獣を見る。僕と同じガクランスタイルで、獲物は両拳のメリケンサックだ。リーチはないが小回りが効く。地力が違う今、ヒットアンドアウェイの戦法を取られたら勝ち目がない。

「もうだまし討ちなんてしねぇ。明久、生徒会長ともなると、ただ勝つだけじゃダメだからな」

 奇襲をしてくる様子はなかった。雄二はにやつきながら、召喚獣に構えを取らせる。

「全ての作戦が、お前をここで討ち取るためのものだったんだよ。旧校舎に開幕特攻して本陣から動かす。四階に押し込んで校庭に降ろす。総合科目の点数をそこで削る。お前だけを突破させて、懐に呼び込む」

 雄二の召喚獣が拳をあわせた。がしん、とメリケンサックが鈍い音を立てる。

「そうすりゃ俺が直々に大将首を取れる。多少の点数差を苦にしないお前でも、ここまで点数が開けば成す術がないだろ?」

 会長自らが大将首を取る。宣伝効果を狙っていたのか。自分は誰よりも凄いと証明して、今後の生徒会運営に役立てようという意図があったのか。

「まあ、唯一の不安要素はお前が途中でくたばることだったがな。明久には手を出すなとはまさかいえねぇ。期待に応えてくれて助かったぜ」

「……楽じゃ、なかったよ」

 まるで自分の掌の上だったとばかりに語る雄二に、むかっ腹が立った。

 ここまでの道のりは楽じゃなかった。久保君の理想。良光君の反抗。美波の夢。清水さんの決意。木下さんの指導力。秀吉の献身。ムッツリーニの覚悟。土屋さんの兄妹愛。姫路さんの想い。そして、みんなの――僕についてきてくれたみんなの奮戦。

 それは決して、雄二が用意したものなんかじゃない。あの激戦のさなかで、みんなが全力で足掻いた末に生み出されたものだ。そんなみんなの力を束ねて、僕はここまでたどり着いた。辿りつかせてくれた。

 雄二のみみっちい政治なんかに、ぶち壊されるわけがない。

「だが、ここまでだ」

 雄二が召喚獣を屈めさせた。

「おい、明久。お前も構えろよ。一方的に殴るんじゃ、味気ないだろ。まあ、そんな点数じゃ何をしたって無駄だが」

 勝利を確信した顔で、じりじりと雄二は距離を詰めてくる。

 僕は――。

 僕は木刀を、捨てた。

「戦わないよ、雄二。最初から戦う気なんてなかった」

「興ざめなことを言うんじゃねぇ」

 雄二が青筋を浮かべる。

「全校生徒を巻き込んだ試召戦争を起こして――戦う気がなかった? ふざけんな、そんなわけねぇだろうが」

「雄二は言っただろ。何か伝えたいなら、全てを乗り越えて俺のところまで来いと」

 あの、二人っきりで受けた試験の時。

 雄二は確かに明言していた。伝えたい言葉があるなら、それがどれだけ大切なのか、血と汗を流して証明しろと。そしてこうも言った。

「そうしたら聞いてやる、とも」

「聞くのは勝利者の言葉だけだ。俺を倒したなら、聞いてやる」

「それじゃ意味がない」

 僕は自分の懐を探って、ソレを取り出した。

「戦って、勝ったり負けたりして、仕方なく決められたんじゃ――意味がないんだよ、雄二」

「IC……レコーダー……?」

 白い、小型の録音機材。ムッツリーニから拝借したものだ。

「僕は雄二を倒しにきたんじゃない! このレコーダーを……霧島さんの本当の言葉を、届けにきただけなんだ!」

 ICレコーダーを投げ渡す。雄二は胸元でキャッチすると、躊躇うようにレコーダーと僕の顔を交互に見た。

「聞いてよ、雄二。たったそれだけのために、ここまで苦労したんだから」

 ――みんなには怒られてしまうかもしれない。でも、もしかしたら笑って許してくれるかもしれない。

 校庭で総合科目を減らしてまで戦ったのは、僕に最初から雄二とやりあうつもりがなかったからだ。木下さんは気付いていたのかもしれない。

「チッ……」

 舌打ちひとつ。雄二が再生ボタンを押した。僕は、証明できたのだ。雄二という――僕の親友に向けて、伝えなくちゃいけない気持ちを伝えられたのだ。

 さぁぁ、とノイズが入り、やがて霧島さんの声が流れ始めた。

 この瞬間――。

 僕の作戦の、全てが成った。

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