激闘! 島田美波 対 清水美春


 ところで、僕の召喚獣は特別な作りをしている。

 僕は文月学園に入学してから、どういうわけか開校以来類を見ない問題児だと教師陣に看做されてしまった。まったく不名誉甚だしいし、反論したいことは山盛り一杯あるのだけれど、とりあえず今は脇においておこう。

 そんな問題児のために、学校側が用意したのが観察処分者という身分だ。まるで受刑者みたいなネーミングだけれど、あながち間違いではない。プリント運びから用具の片付けまで、教師の命じたありとあらゆる手伝いに狩り出されるのだ。

 そんな、日々休まず押し付けられる手伝いを円滑に進めるために、僕の召喚獣にはほんのちょっと細工が施されることになった。

 召喚獣は壁をすり抜けられない――物理的な干渉能力を持たないというのが普通なのだけれど、僕の召喚獣にだけはそれが当てはまらないのだ。どういう科学技術か、それともオカルトかは知らないけれど、僕の召喚獣は全校生徒の中で唯一物に触ることが出来る。

 去年はこの能力を利用して様々な運用を行った。奇襲を成功させるために壁を壊したり、鉄人を突破するために股間を狙ったり――召喚獣の膂力は僕の低い点数でも充分強い。

 もちろん、メリットばかりじゃない。凶悪なデメリットが付属してくる。

 フィードバックだ。僕は召喚獣と触圧覚と痛覚を共有している。物に触った感触がなければ用具を運ぶのにも手間が掛かるから、そうした表在感覚がどうしても必要になってしまうのだ。頭をぶつければ頭が痛くなる。転ぶと膝辺りにじんわり鈍痛が発生する。

 ――そういうわけで、ここでちょっとした問題を出してみよう。

 フィードバック機能を持つ僕の召喚獣が、仮に他の人の召喚獣の攻撃を受けたらどうなるだろうか。その攻撃が例えばサーベル状をしていて、胸元をざっくり刺されたら、どんな衝撃が襲ってくるだろうか。

「おお……おおおおぉ……!」

 答えは簡単。――死ぬほど痛い。

「こ、これはシャレにならない……僕はどうして生きていられるんだ……?」

 胴がまだ繋がっていることが信じられなかった。半身の感覚神経が軒並みオーバーシュートして、閾値を振り切ったまま戻ってこない。腹から零れ落ちる臓腑をかき集めるような仕草で、僕は溜まらずその場に蹲った。

「これで勝利……かしら?」

 下手人は悠然と階段を昇ってくる。

 島田美波。生徒会の大隊指揮官。その地位がどれだけ高いのかは判らないけれど、圧倒的な暴力と恐怖で武断派を纏める生徒会最大戦力の長。

「これで決着ね、アキ。――秀吉、そこでじっとしていなさい。アキに殉じたいというなら止めはしないけれど」

 動きかけた秀吉を、美波は言葉ひとつで圧してみせる。桁違いのオーラが身体中から立ち上っているようにすら見えた。美波の威圧感に縛られて、階段に屯する僕らの軍勢は士気を喪失してしまっている。

 状況は絶望的だった。美波の召喚獣の頭上、燦然と輝く500という数字は、僕らの全兵力をぶつけたとしても勝ち目がない。何より、そんな点数の暴虐に晒された僕は間違いなく戦死した。戦争はあっけなく決着したのだ。

 ――と。

 みんなが思っている。

「まだ……まだ負けてないよ、美波!」

 激痛に這いつくばりながらも、僕はなんとか声を絞り出した。

「アキ、何を言って――」

 怪訝そうに眉を寄せた美波の目が、眼前に現れた召喚獣を目にして驚いたように見開かれた。

 そこには僅かに一桁、点数を残した僕の召喚獣の姿があった。弱々しい足取りで、なおも立ち上がろうとしている。

「外した……? いえ、ウチの攻撃は確実にアキの心臓を貫いたはずよ……!」

 フィードバックの存在を熟知した上でそんな攻撃を繰り出さないで欲しい。

 とにかく、美波渾身の一撃を、僕は辛うじて耐え切っていた。二発目はどう転んでも防ぎきれないが、今は敵の矢面に立つことで、周囲に僕の健在を明らかにしなければならない。

「……なら! もう一度串刺しにするだけのことよ!」

「いかん! 皆、明久を守るのじゃ!」

 秀吉の指示に呼応して、周囲の軍勢が僕の前に防壁を作る。しかし、誰も彼も点数は1点だ。美波の召喚獣が斬撃を繰り出すたび、まるで銃弾を受け止める砂糖菓子のごとく防壁はボロボロと粉砕されていく。

「くっ! 美波! 話を聞いて!」

「嫌よ! 話を聞きたくないからウチは戦うの!」

 斬撃から逃げ惑いながら、僕は美波の説得を試みる。なんだかんだ、彼女の心を知って以降、ちゃんと二人で話したことはない。でも、ちゃんと目を合わせて会話を積み重ねればきっと彼女だって判ってくれる。――そこに賭けるしかない。

 けれど、美波は頑なだった。むやみやたらに剣を振り回して、僕が話の端緒をつかめないうちに防御陣形を半壊に追い込んでしまう。

「これがウチの力……! アキ、命乞いをしなさい! 今なら世界の半分をくれてやるわ!」

 いや、初めて持つ圧倒的な点数ぼうりょくに酔っていらっしゃるだけかもしれない……。

「島田よ! 落ち着いて考えてみるのじゃ!」

 美波の隙を付いて、唯一戦力となりうる秀吉の召喚獣が飛び掛った。二つの召喚獣ががっぷり四つに組み合って、そのまま地面に墜落した。美波の召喚獣の特性なのか、離すまいとしがみつく秀吉の点数が、邪悪なオーラに侵されてジワジワと減っていく。

「何故明久がおぬしの攻撃を耐え切れたのかを!」

「どうせ何か小細工をしたのよ!」

「違うのじゃ! あれは間違いなく急所を捉えておった! じゃが、明久はそれでも耐えきった! 判るじゃろう、この意味が!」

 美波が僕の召喚獣に目を向ける。胸元に、まだ細長い刺突の傷痕が赤く残っていた。確かに急所を抉られている。でも、消滅していない。

「そんな……まさか……」

 僕が耐え切れたのには、もちろんからくりがある。だけど、そのからくりは今この瞬間を防ぐために用意したわけじゃない。計算していたわけじゃない。自然と、身についていたことなのだ。

「明久は単純に、耐え切れるだけの点数を用意しておったのじゃ! 他でもない第二外国語――ドイツ語で!」

 美波が一瞬、召喚獣の操作を忘れた。その間隙を突いて、秀吉の召喚獣が獲物の薙刀を振り下ろして美波の点数にダメージを入れる。ほんの微々たるものだ。

 やはり500オーバーの点数は鉄壁だ。反撃を食らえば秀吉もただではすまない。

「本当……なの? アキ……」

 けれど、恐れていた追撃は繰り出されなかった。戦意を失ったかのように棒立ちになって、美波は潤んだ瞳で僕を見上げてくる。その想いに応えるために、僕は美波の一撃を耐え抜いた召喚獣を、誇らしい気持ちで屹立させた。

 傷つき、今にも倒れこみそうなソイツは、僕が奇跡的に高得点を叩き出した第二外国語――ドイツ語の残骸でしかない。でも、もともとの点数を美波に見せられなかったことは心残りだけど、美波の攻撃に耐え切ったことは自慢できるに決まっている。

「美波の、故郷の言葉じゃないか。興味を持つにはそれで充分だよ」

 そう。僕は美波という女の子を通して、ドイツ語に興味を持った。実のところ、高得点の理由の大半はたったそれだけのことだ。ほんのちょっと単語を調べたりする程度で、文法やリスニングを体系だって学んだわけではないけれど、そこそこの点数の原動力になってくれたのだ。

 残りのからくりは、ただの幸運としか言いようがない。

 高校教育における第二外国語は、英語と比較した場合において、実はとてもハードルが低い。センター試験の科目として選ぶことも出来るから、英語を捨てて第二外国語に注力する受験生だって存在するくらいだ。大学が採用するかどうかは個々の話になってしまうから万能の作戦ではないけれど、例えばリスニング問題がないなどの難易度の低さを鑑みれば、充分に勝算の見込める選択だと僕は思う。

 加えて、こと文月学園の無制限回答というテスト法も僕に味方した。文法や長文問題がわからなくても、とにかく詰め込んだ単語を解き続ければそれなりの点数が出てくれるのだ。

「もっとも、そんなんだから聞き取りや発音とかはぜんぜん駄目なんだけどね……」

「……そんなの」

 美波が目じりを拭う。蔑ろにしているわけじゃないと、僕は彼女に、伝えることが出来たのだろうか。

「そんなの、いくらでも教えてあげるわよ」

「ありがとう、美波。いつか美波の案内で、ドイツにも行ってみたいな」

 任せてと美波は、嬉しそうに、でも恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 届いたのだ。この土壇場で、美波は僕の気持ちを判ってくれた。完全に決着が付いたわけじゃないけれど、敵対する理由なんかないと気付いたくれただけ、僕らは前に進むことが出来たのだ。

 美波は一人納得した顔で頷いた。そして、

「うん――そういうことなら、やっぱりここで討ち果たしておかないとね」

 ……あれ?

「ちょっと待って美波。ここまでの下りって、もしかして全部無駄なのかな?」

 おかしいな、手ごたえ抜群の説得だったと思ったんだけど。

「無駄じゃないわよ。ちゃんと、アキの想いは伝わった」

 美波は胸元に僕の気持ちを抱きしめる。そして、僕が大好きな、あの優しそうな笑顔を浮かべて、

「アキはもうドイツ語が出来るんだもの。卒業旅行はドイツで決まりでしょ? そのままそこに永住しちゃえばいいの。なんでウチも気付かなかったんだろう……。そうよ、国外に連れ出しちゃえば邪魔者はいなくなる!」

 ……。

 困ったな、このままだと来年の今頃、僕は行方不明邦人になっていそうだ。

「美波=サン……。あの、僕は聞き取りも発音も出来ないんだけど」

「そんなのいくらでも教えてあげるって言ったじゃない。……ベッドの中で覚えるのが一番上達が速い――って、もう! 恥ずかしいこと言わせないで!」

 照れ隠しのつもりなのか、美波の召喚獣が三度剣閃を煌かせた。決意に満ち満ちた躍動感溢れる突撃は、あっという間に僕らの軍勢を切り飛ばしてしまった。

 阿鼻叫喚の坩堝の中にあっても、美波の妄想は留まることを知らない。懐かしげに目を細めて、僕にいかにドイツが素晴らしい場所なのかを語り始めた。

「ねえ、聞いて、アキ? ウチの故郷の近くに、古いけど素敵なお城があるの。広い廊下に高い天井、天蓋つきのベッドに、数々の名画――ウチ、小さい頃から思ってたの。いつか素敵な人と、こういうところで暮らしたいって」

「美波、もしかしてだけど、そういう古城って地下もあるんじゃないかな?」

「アキ、ドイツの文化まで勉強したの!? 嬉しい……そうよ、強固な地下牢がででーんと……」

「やっぱりか畜生! そんな文化はドイツにないよ!」

「拉致監禁はドイツの――」

「辞めて! そっちは黒歴史だから!」

「もう、なによ! 社会問題になるくらい、日本では一般的な風習でしょう? 聞いたことあるわよ、座敷牢に篭って働かないって……」

「ニートが閉じこもってるのは座敷牢じゃなくて心の中だよ! というか座敷牢は一般のご家庭にありません!」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ、アキ。ドイツは移民に寛容――」

「だからざっくばらんな意見で政治と歴史に切り込まないで!」

 だから僕には時事問題はわからないって!

「ああもう! ごちゃごちゃ言ってないで私と一緒にドイツに来なさい!」

 僕の想いは彼女のニトロになってしまったらしい。もはや繰り出される斬撃に一切の迷いがなかった。一直線に僕目掛けて突進してくる。

「この手は使いたくなかったけど!」

 僕は取って置きの秘策を使わざるを得ないと判断して、左手を大きく頭上に上げた。

試獣召喚サモン!? まさか――」

 去年の一時期、僕は二体の召喚獣を同時に扱うことが出来た。美波はそのことを良く知っている。警戒心を露に足を止めたその隙に、僕は新たな獣の名前を高らかに宣言した。

性獣召喚カモン! 出でよ清水美春!」

「待っ、それは反そ――」

「おっ姉様ぁ!」

「「キター!」」

 階段の上から飛び降りてきたツインテールの女の子を、僕は歓喜に、美波は恐怖に打ち震えて、同じ言葉で絶叫した。

 第二外国語が階段に配置されたときから、美波に対抗できる人材を四階に待機させておこうと僕たちは計画していた。暴虐の魔人、鮮血の美少女――と血なまぐさい二つ名を持つ美波に抗える人材は一人しか居ない。

 清水美春さん。文月学園三年生。どんな人かというと、

「さあさあお姉さま! あんなブタクズ野郎ではなく私とベッドに参りましょう! 三日三晩同人誌にもありえないハードプレイで身も心もグズグズに溶かして差し上げますわ! 地下牢上等! ニート最高! 同棲中の大学生の如く日がな一日性的に堕落した生活に耽って耽って耽りまくりましょう!」

 ……とまあ、こういう人だ。いまさら付け加える人物紹介なんてない。彼女は入学以来ほぼ一貫して美波を追い続け、恋愛禁止令以降は僕にも勝る弾圧に晒されながらも、泥水をすすりながら生き延びてきた猛者でもある。

 清水さんと一緒に飛び降りてきた、中世ヨーロッパ風の甲冑に身を包んだ召喚獣を前にして、美波は青い顔をして後ずさる。清水さんの第二外国語――まさかまさかの600点オーバーだ。

「何よその点数!」

「愛は言語を越えるのです! 美春はいつ如何なるときもお姉さまと暮らす準備を怠りません!」

「気持ち悪いわね!」

 なんだか僕の気持ちまで踏みにじられた気がする。

「清水さん、ここは任せた!」

「汚いわよアキ! 待ちなさい!」

 追いかけようとした美波の召喚獣に、すかさず清水さんの召喚獣が飛びつく。

「行かせませんわ! いえ、イっても構いませんが行かせませんわ!」

「表現が生々しくなってない!? ――ちょ、そこは駄目! 手を離しなさい! 駄目だったら……!」

 見れば本体同士もくんずほぐれつしていた。美波の薄い胸元を清水さんの手が這いまわろうとしていて、僕だけじゃなく周囲の生徒全員が、なんとなく顔を背けたくなる耽美な光景だった。

「ですが……美春は間違っていました。お姉さまの心の中にはあのブタ野郎が居る……それは認めなければならない、と」

「言ってることとやってることが違うの! いいからスカートから手を離しなさい! ちょっ、ブラだけは許して! そこはアキだけにしか触らせたくないの――!」

「――やはり、そうですのね。……聞いてくださいましお姉さま! 美春は、諦めることにしました。お姉さまはブタ野郎のものです」

 大体充電が済んだ……のか、突然清水さんは唐突に神妙な口ぶりになって、組み付いていた身体を離してしまった。美波がすかさず距離を取って、乱れた衣服を直す。なんだか見えてはいけない白いものがちらちら覗いているのだけれど、言葉に出してはいけない気がする。

「残念ですけれど、仕方ないことなのだと。美春も、新しい恋に生きなければいけないんだと……」

 清水さんが、今まで見せたことのない清々しい表情を見せていた。淫獣らしい肉欲にまみれた下卑た面影などどこにもない。その計算外の心変わりに僕は慌てた。

「だ、ダメだ清水さん! 美波を自由にしちゃ――」

 そうだ。清水さんだって皆と同じように日々成長している。四月以降の厳しい弾圧に晒されて、自身の恋心にケジメをつけてしまった可能性を僕はすっかり失念していた。美波に執着しない清水さんなど、クズにも劣る性欲モンスターでしかないじゃないか――!

「だから美春は……美春は! お姉さまの来世に恋をすることにしました!」

 なんだ。吹っ切れただけか。

 がっくりと項垂れる美波の眼前で、清水さんはするりと背中から、布に包まれた棒状のものを取り出した。布が取り払われるや、周囲の空気が一瞬にして凍りつく。

「邪魔者のいない……来世で……美春とお姉さまだけで……」

 清水さんの光を失った瞳を映し返すのは、綺麗に磨き上げられた――。

 長ドスだった。

「……一緒に、来世まで行きましょ? お姉さま……」

「アキッ! これ本当に危険だから助けて!?」

 試召戦争などまったく関係のない刃傷沙汰に、周囲がパニックに陥った。神聖な学び舎にはあってはならない代物だ。

「チャンスよ! 吉井、土屋、秀吉! 四階に上がるわよ!」

 混乱の渦に揉まれながらも、目の前の出来事に一切動じない木下さんは流石たいしたものだ。僕らの周りの女の子は、どうしてこうも精神的に逞しいんだろう。

「くっ! 極めて絞めて投げる! やれるはずよ、島田美波!」

 美波だって逃げるのを諦めて立ち向かう構えを見せている。その勇敢さは讃えるべきものだけれど、思い切りの良さはいっそ恐ろしい。

「……怪我には気をつけてっ!」

「アキ! 覚えてなさいよ!」

 暴走を続ける女子二人に、もはや僕は掛ける言葉が見つからず、最低限の建前を置き去りにして駆け出した。

 直後、高らかに関節の外れる鈍い音が響き渡ったから、少なくとも美波は無事だろう。




「窮地は脱したわね。ここから立て直すわよ」

 疲労困憊の有様ながら、なんとか四階に集まった生徒たちを睥睨して、木下さんは開口一番作戦の開始を指示し始めた。

 廊下の窓から校門付近が見えて、今そこには救急車とパトカーがサイレンを鳴らしているのだけれど、それに関して木下さんは一切考慮しないことにしたらしい。いよいよ怪我人でました――の一報に揺れ動く校舎の状況すら味方につける腹積もりだ。

「これ、続けてもいいんじゃろうか……」

「…………頼もしすぎてちょっと引く」

 秀吉とムッツリーニすら及び腰だ。もしかすると雄二も、この展開には驚くか呆れているかもしれない。

「まあ、チャンスであることは確かじゃ」

「…………

 ムッツリーニの言うとおり――僕の立てた作戦は、おおむね順調といってよかった。

 久保君の投入や美波の突破など、雄二の講じた速攻戦術にあわや惨敗のところまで追い込まれたのは事実だ。けれど、二階三階が突破されるのはどのみち想定内だった。数で劣る以上、正攻法で遣り合えば必ず押し込まれる。

 僕の作戦は、押し込まれた状況からどう逆転を狙うか、という発想に基づいているのだ。逆を言えば、敵が押し込んでくれなければなりたたない作戦ともいえる。

「傾注!」

 木下さんの号令に、廊下に整列する生徒たちがぴしりと姿勢を正した。彼らは僕らの勢力の中でも精鋭中の精鋭たちだ。五十人にも満たないけれど、成績優秀だったり、召喚獣の扱いに慣れている人たちを選抜してある。

「今から私たちは、敵の首魁、坂本雄二が潜む新校舎二階に吶喊を仕掛けるわ。全員で校庭に降りて、一点突破で敵本陣を陥れるわよ」

 木下さんは短く作戦を説明していく。情報漏えいを警戒して、今の今まで秘密にしていたのだ。

 どうやって? と誰もが首を傾げた。ここは四階で、渡り廊下がない。唯一階下に降りられる階段は激戦の最中にあり、いずれ警察と救急の手が入って完全封鎖されてしまうだろう。

「ザイルとか、使うんじゃないですよね?」

 誰かの質問に、精鋭たちも戸惑いの声を上げ始めた。

 すでに怪我人の出る戦争に発展している。四階からラペリング垂直降下の要領で降下しろ――という命令を予想してしまったのだろう。

「安心しなさい。そんな危険なこと、させないわ」

 木下さんは広がりかけた動揺を沈めて、窓側に設置された白い箱をこんこんと叩いた。

「これを使うわ」

 それはシューターという。白い鉄の箱には救助袋と書かれていて、おおよその生徒が、何となく使い方を想像できたらしい。

 シューターとは、袋状になった滑り台式の避難用具だ。避難経路が火炎で閉ざされた場合でも、最上階から逃げ出せるようにと考案された。高いところから一気に、かつ大量の人数を避難させられるから、探せばどの学校にも採用されているだろう。これを校庭に伸ばし、一気に兵力を移動させてしまおうというのが僕の作戦の第二段階だった。

 ちなみにシューターには垂直式と斜降式の二つがある。文月学園は垂直式を採用していて、場所をとらないだけ今回の作戦には有利といえる。

 校庭にはさほど兵力は配置されていない。主力を旧校舎の制圧に振り分けてきたのだから当然といえば当然だ。おそらくは置き所に迷った兵力なのだろう、下級生や元Fクラスを主体にしたグループが、暇そうに欠伸をしているだけだ。

「校庭に降下したら、まずは橋頭堡の確保よ。私に続いてA班が――」

 奇襲を成功させるなら、淀みない流れが必要不可欠だ。木下さんがグループごとに役割を振り分けていく。

「最初のキモは土屋。C班D班は、命に代えても土屋を守りなさい」

 話を振られたムッツリーニが強い意志を秘めて頷き返す。呼応するように、流石は精鋭といったC班D班の面々も、がっちり肩を組んで力をみなぎらせていた。

 校庭はおそらく突破できる。最大の難所は昇降口――保健体育だ。生徒会側が用意している人材には予想が付く。はっきり言って難敵だ。そこまでムッツリーニを運べるかどうかが鍵だった。昇降口付近では絶対的な猛威を振るうだろうムッツリーニも、その前段階である校庭の総合科目では37点という哀愁漂う戦闘力だ。

「始めるわよ。第一陣、用意して」

 不安を振り払うように、木下さんは強い口調でみんなの背中を叩いて回る。

 生徒たちが粛々と行動を開始した。僕と木下さんは第一陣だ。気合みなぎる木下さんの横顔に、僕は奇襲の成功を確信する。

 でも、着々と準備が進められていく中で、僕は唯一の不安要素を口にせずに入られなかった。

「救急と警察の目の前で、避難用具が展開される……か」

「火事かなんかじゃと誤解を受けそうじゃな……」

 大事だと警察たちが判断してしまえば、戦争そのものが中断されてしまいかねない。

 教師陣がなんとか公的権力を押し留めてくれることを祈るしかない。鉄人には苦労をかける、申し訳ない――と心から思いながら、僕はシューターの箱を力任せに引き放った。






 シューターを抜けた――瞬間、僕は取り囲まれてしまっていた。

 比較的迅速に展開できる避難用具とはいえ、窓から白い滑り台が放り投げられれば、校庭にいる人たちには意図が明白になってしまう。駆けつけて出口で叩く判断を出来たのは数グループ程度だけれど、いきなり僕は一対多の状況に飛び込んでしまったことになる。

「吉井……!? これはお手柄だ!」

「秀吉を奪われた悲しみ、ここで晴らしてくれようぞ!」

 即断即決できたのは元2-Fクラスを主力とする異端審問会メンバーだった。いつもの黒覆面を被ってやる気満々、おかげで誰が誰だかもわからない。身元を隠す習性が身についているだなんて、流石は経験豊富な古参兵といえよう。彼らは目配せひとつで連携を取って、一瞬のうちに僕を包囲してしまう。

 好都合だ、と僕は怖じることなく召喚獣に木刀を構えさせた。彼らの経験には警戒と敬意を払うけれど――パラメータは、はっきり言って敵にならない!

「バカな! お前、本当に吉井か!?」

 一人が僕の点数に気付いて足を止めた。その隙は見逃さない。すかさず木刀を叩き込むと、相手の召喚獣が一撃で掻き消えた。

「300オーバー!? 総合科目だぞ、何かの間違いじゃ――」

「鉄人の補習がそれだけキツいってことだ!」

 続けざま、躊躇した集団に召喚獣を突っ込ませる。数発のダメージをものともせずに、力技で振り払った。それだけでFクラスの面々が半壊する。

「福村がやられた!」

「ほんと出落ちしかねぇヤツだな! 手の空いてるヤツ、すぐに兵力を集めろ! 一年にも頭いいのいただろ、全部連れて来るんだ!」

 けれど敵もさるもの、崩壊しかけた士気をすぐに立て直して、再度戦線を構築してくる。

 生き残った生徒が指示を請け負って、すぐに多数の兵力をつれてきた。召喚獣の扱いには慣れていなさそうだけど、ちらほら300点クラスも見える。下級生を主体にした校庭戦力の主力だろう。

「ただ一人吉井を討ち取ればいい! 突撃! 突撃!」

 背の高い黒覆面がこの一帯の指揮官だろうか。状況判断が的確だ。あいつを刈り取れれば――。

「待ちなさい、吉井。変わるわ。食らいなさい――」

 背後からの言葉に、僕は慌てて召喚獣を下がらせる。直後、爆撃のような衝撃が一直線に敵陣を切り裂いていた。

「危ないよ木下さん!」

「こういうのはタイミングが命なのよ」

 僕に続いて滑り降りてきた木下さんは、動揺覚めやらぬ敵陣を見やって、満足そうに乱れた髪の毛を払った。傍らには身の丈を越えるランスを携えた、重装甲の召喚獣が控えている。総合科目645点。学年五指の実力者は、やはり桁違いの性能を有していた。

「お、おのれ木下姉め……! 坂本に援軍を要請しろ! 大至急だ!」

 組み上げかけた包囲陣形を崩されて、黒覆面が歯噛みする。

 その間にも僕らは着々と橋頭堡を築きつつあった。続々と滑り降りてくる精鋭たちを秀吉が整列させていく。校舎を背に半包囲体制を受けるという緊張感の中にありながら、僕らは前面に出張る木下さんを梃子にして、どうにか突撃体制を整えていった。

「よし、準備はいいわね! ここからは時間との戦いよ! 突撃!」

 木下さんの号令直下、僕たちは喚声を上げて昇降口への進撃を開始した。しかし、敵の動きも素早かった。決定打にはならない。

 こちらの昇降口突破の意図を読みきった上で、敵は防御陣を形成しつつあった。それに、僕らは側面から校舎に押しつけるような圧力を受けながらの前進を余儀なくされている。時折敵の高得点者が割り込んできて、足並みは乱れる。

「土屋と吉井だけは守りなさい! あと少しよ!」

 最前線で突破口を切り開いていく木下さんが、その都度激を飛ばして陣形を立て直す。割り込んできた高得点者は複数人で連携して刈り取っていく。僕も点数を減らしながら、激戦の只中を駆け続けた。

 全体的な形勢を見れば、僕たちが優勢だった。

 当たり前だ。敵は主力を旧校舎にぶつけてきた。持ちうる戦力の半数は投入されているだろう。彼らは今も、四階の制圧に躍起になっているはずだ。例え僕らの作戦を看破したとしても、あの大人数を迅速に反転させるには時間が掛かる。

 加えて、校庭にいるのは雄二から見限られた予備兵力で、数も多くなかった。点数の高いものもいないわけではないが、殆どが新一年生で召喚獣の戦いに慣れていない。

 人数、錬度、士気でこちらが勝る。僕たちは確実に、歩を進めていた。

「いかん! ムッツリーニ――土屋康太は何としてもここで始末するのだ!」

 形勢不利を見て取った背の高い黒覆面が、これ以上ない急所を抉るために兵を動かし始めた。

「させんのじゃ!」

「手伝うよ、秀吉!」

 ムッツリーニ目掛けて殺到してくる敵兵力を、僕と秀吉が矢面に立って受け止める。避け切れなかった攻撃が召喚獣の胴を抉る。僕の点数がぐんと減った。けれどまだ行ける。肺が破れたかのようなフィードバック。それでも、崩れそうになる膝を叩いて、僕は眼前に迫る敵を睨み返した。

「明久! おぬしはここで潰れてはならん!」

「大丈夫――ここが点数の使いどころだよ、秀吉!」

 弱ったと見たのか、敵が矛先を僕に向けてきた。切っ先を避け、掻い潜り、往なしながら、僕はそのうちのひとつを選んで反撃する。

「掛かったな!」

 嘲るような笑いに、僕は失敗を悟った。木刀は、一際巨漢を誇る相手の胸元に確かに食い込んでいた――が、体力を削りきるには至らなかったのだ。巨漢の召喚獣は僅かに残った点数で僕の木刀にしがみ付いてくる。

「しまった、離れない……!」

「今だ! 滅多打ちにしろ!」

 黒覆面の指揮に、周囲の召喚獣がわらわらと飛び掛ってくる。

「まったく、不用意に飛び出てはならんのじゃ!」

 すかさず背後を守るように秀吉が割って入って、獲物のなぎなたを一薙ぎした。秀吉の点数はそれほど高くないから、切り裂かれて消えたのはすでに限界間近だった数体だけだ。けれど今の僕にはそのサポートがあれば充分だった。木刀を力任せに押しこんで、巨漢の召喚獣を撃破する。

「助かったよ、秀吉」

「世話が焼けるのう」

 背中合わせに並び立って、僕たちは取り囲む敵方に全周警戒の態勢を取った。秀吉は僕の動きを良く知っている。点数の関与しない部分で、もっとも強い連携を出せる相方だ。気合に押されたのか、敵は突撃を躊躇していた。

 これなら百人力だ。僕と秀吉の絆の強さ、思い知らせてやる――!

「秀吉……! 何故だ! 何故俺ではなく吉井を選んだんだ! そんな『想い合う二人』のような姿を見せられたら……! 俺は……! 俺はっ……!」

 寄り添って立つ僕らを見て、黒覆面が血と共に呪詛の声を吐いた。――あの吐血からして、中身は多分須川君のような気がする。また穴が開いてしまったのか……。

「そ、それは……違うのじゃ……」

「ちょ、秀吉!? 今離れたら……!」

「隙ありぃ!」

 すごすごと秀吉が距離を取った瞬間、敵の突撃が再開してしまった。間一髪攻撃を避けて、再び秀吉とフォローしあえる位置まで戻る。

「近づくでない明久っ! 誤解されるのじゃ!」

「いまさら!?」

「もうわしは限界なのじゃぁ!」

 涙目の秀吉も可愛いけれど、今はそんなことやっている場合じゃない。二人力を合わせないと……。

「ククッ、ピーンと来たぞ……」

 だが、そんな連携の不備を見逃す須川君ではなかった。ここまで的確な判断を下してきた胃潰瘍の男は、今度もまた僕らの急所を見抜いてくる。

「さては吉井! 秀吉を満足させられなかったな! この短小めが!」

「もっと嫌な誤解を受けている!?」

 完全なる誤解だけれど、須川君の一言は明らかに周囲に影響を与えていた。唐突に空気がよどみ始め、主に男連中が鼻息を荒くする。

「秀吉が……夜の相手をご所望だと……?」

「一夜の恋でもいい……人生一度の恋でもいい……それが秀吉なら……」

「あんなこといいな……できたらいいな……」

 彼らだって思春期真っ盛りだから仕方ない。でも、舵が効かなくなるのは判るけれど、せめて時と場合は選んで欲しいものだ。

「じゃ、じゃあ秀吉。ここは任せるよ。大将がこんなところで討ち死になんて、皆に申し訳が立たないから――」

「逃がさんのじゃ! 明久、死んでもよいから盾になって欲しいのじゃ……!」

 秀吉がひっしとしがみ付いてくる。けど、その行動は逆効果だ。秀吉の可憐な仕草に、いよいよ我慢の限界を迎えた男連中が衣服を脱ぎ捨てて殺到してきた。

「「「俺のものになれ秀吉!」」」

「逃げよう秀吉!」

「わ、判ったのじゃ!」

「「「この期に及んで手を繋ぐとは!」」」

 僕も火に油を注いでしまったらしい。裁ききれない量の召喚獣が一斉に飛び掛ってきた。

 やられる――と覚悟を決めた瞬間、横薙ぎの暴風が吹き荒れた。敵方の召喚獣が一瞬にして千切れ飛ぶ。一方的な虐殺を終えて、頼りになる指揮官が僕らの前に仁王立ちした。

「何やってるのよまったく!」

「姉上!」

 最前線にいるはずの木下さんだった。ということは――。

「バトンタッチよ、吉井。昇降口まで後一押し。殿は努めてあげるから、土屋と一緒に新校舎に乗り込みなさい!」

 これほど信頼できる人と言葉も他にない。頷いて、僕は駆け出した。

「ここは通さないわよ。吉井と秀吉の恋路は誰にも邪魔させない!」

 理念信条は相変わらずだったけれど。

「おのれ、交際には姉の許しを請わなければならないのか!」

「弟さんを俺にください!」

「秀吉を俺にください!」

「あんたたちは私を怒らせた……」

 双子の、しかも女である自分を差し置かれて、木下さんはふつふつと怒りに身を震わせている。敵方の男連中、これは何人か病院送りもありうるだろう。特に須川君など、秀吉に告白し、駄目だったからという理由で木下さんに告白した前科を持っている。ただでは済むまい。見れば彼はすでに胃の痛みに蹲っている。哀れを誘うイモムシのような姿も、木下さんにとっては踏み放題の格好の獲物でしかないだろう。救急車が来ていて本当に助かった。

 なんにせよ。――なんにせよ、どう転んでも秀吉の未来は真っ暗のような気がする。一刻も早く戦争を終わらせて、秀吉に彼女を作ってあげなければ。

 決意を新たに、僕は最前線へと急いだ。




「ムッツリーニ!」

 最前線ではすでに、C班D班が最後の押し込みを見せていた。昇降口の保健体育フィールドまであと数歩。敵の抵抗も臨界点を迎えつつあり、殺到する精鋭たちに次々と戦死者を出していく。

「…………もうすぐ」

 周囲の喧騒を委細気にせず、遠目には眠るように、ムッツリーニは静かに瞑想に耽っていた。彼なりのやる気の出し方なのだろうか。

「一気にこじ開けるよ、皆!」

「「「応!」」」

 C班D班の点数も残り僅かだ。だが、あと一押し。僕も残った点数を敵にぶつけていく。

 たまらず敵の前線が下がった。そこに召喚獣を突っ込ませて、木刀で薙ぎ払う。横陣の一角に、昇降口へと続く大きな穴が開いた。

「ムッツリーニ――今!」

「…………加速!」

 ムッツリーニが踊りこむのと、待ち構えていた昇降口戦力が吹き飛ぶのがほぼ同時だった。光と同化するかのような速度で、ムッツリーニの召喚獣が敵陣を駆け抜けたのだ。

 僕らの軍勢から大きな喚声が上がった。敵陣を構成する召喚獣の大半が、塵のように砕け散って光の粒に変わる。煌く残滓の中で、ムッツリーニの召喚獣がゆらりとその姿を現した。

 忍者に似たいでたち。頭上には900を越える驚愕の点数を浮かべていた。この点数は秀才しか採用されないという文月学園の教師陣すら凌駕する。他に並びうるものなどいない。

「相変わらず凄い点数だね、ムッツリーニ君」

 いや、たった一人。ムッツリーニには終生のライバルがいた。

「…………工藤愛子……。やはりここにいたか……!」

 崩壊し、戦意すら失った陣の後ろから、ただ一人悠然と姿を現した女の子。

 ――Aクラス所属の、工藤愛子さんだ。

 小柄で華奢な体つきと意味深な朗らかさは、短く切りそろえた癖っ気な髪と相まってどこか少年染みた魅力を放っている。美波よりはあるらしいけれど、薄い胸板もそれを助長していた。

「今日は負けないよ。――君には言いたいことがたくさんあるんだ」

 ムッツリーニが緊張した面持ちで召喚獣に攻撃態勢を取らせた。

 工藤さんの後ろから、彼女の召喚獣がのそのそと現れた。重そうな戦斧を肩に担ぎ、本人同様自信ありげな表情でムッツリーニを見下ろしている。その点数は800オーバーだ。ここまで高い次元になると、もはや100点の差は誤差に近い。

 いや――。

 ムッツリーニに分が悪いか。

「…………そっちも、かなりの点数」

「ボクも頑張ったと思ったんだけど。まだ君は上に行くというんだね」

 ムッツリーニが工藤さんを苦手にしているのは点数の話ではない。ムッツリーニは単なる座学、簡単に言えば知識のみのエロ河童だが、工藤さんは実践派を自称する経験に基づいた点数だというのだ。

 その華奢な身体でどこまで実践してしまっているのか、僕だって興味深々になってしまう。ましてやどうしようもない性的な想像で鼻血の海に沈んでしまうムッツリーニでは、出会った瞬間昏倒しかねない。

「ところでちょっと、君たちには教えとかなくちゃいけないことがあるんだけど――」

「…………言わせない」

 先手を打って飛び掛ったのはムッツリーニだった。工藤さんにエロい行動を取らせないために、速攻に出て押しきってしまおうという考えらしい。

「ちょっと、焦らないでよ!」

 光となったムッツリーニを、工藤さんは戦斧を盾にして冷静に弾き返す。その着地を狙って斧が振り下ろされた。捕らえた――瞬間、すでにそこにムッツリーニの召喚獣はいない。

 下級生が見とれてしまうほど、ハイレベルな攻防だった。科目が保健体育でなけりゃ、対外的にもアピールしたいくらい格好いい。

「もう、ムッツリーニ君。安心してよ、別にえっちな話題じゃないんだから」

「…………むぅ」

 警戒を崩すことなく、ムッツリーニは工藤さんの話を促す。

「…………話してみろ」

「うんとね。坂本君からの伝言だよ。『バカめ、お前たちの考えなどお見通しだ』――だってさ」

 それが合図だったのか。

 校庭の周囲の茂みから、一斉に大量の生徒たちが姿を現した。

「なっ!」

 やられた。――伏兵だ。

 雄二は、昨日僕が総合科目の試験を受けたときにすでに、校庭を利用する腹案を見抜いていたのかもしれない。見れば裏庭のほうからも続々と兵が集結している。成す術もないまま、あっという間に二重三重の包囲網が完成した。

 最初から雄二はこうするつもりだったのだ。旧校舎から僕と精鋭をたたき出して、狭い廊下ではなく校庭を主戦場に設定して包囲殲滅する。結局掌の上というわけか――。

「気にすることないわ、吉井!」

 すぐに事態を察したらしい木下さんの大声が、最後尾から飛んできた。

「逆に今、新校舎の中は空っぽよ! 早く愛子を突破して、坂本を殴りに行きなさい!」

 そういうことか。単純な引き算だ。旧校舎に流れ込んだ人数、今僕たちを包囲する人数。両方を足せば、雄二に余剰戦力はない。

「さすが優子だね……」

 木下さんの声に、工藤さんが同意を示した。自分は抜かれないという自信があるのか。

 最後尾で一際大きな喚声が上がった。敵の包囲網が、ついに僕たちを締め上げ始めたのだ。あっという間に僕たちの長蛇陣が乱れ、敵味方の区別すら難しい混戦模様を呈し始める。木下さんが必死に方陣への組み換えを指揮しているけれど、怒声と悲鳴にかき消されて適いそうにない。

 こうなってしまえばもう後はない。全員を打ち捨ててでも、僕は雄二を殴りに、新校舎へと突入しなければならない。

 ――ムッツリーニに、託すしかない。

「そういうことだから、ムッツリーニ君」

 工藤さんが不適に笑って、召喚獣を前に押し出してきた。

「決着をつけよう!」




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