第3章 カシダのギター(1)

 数日が過ぎた。

 デュルケンという型破りの少年に対して、ある子供は遠巻きに避け、ある子供は興味津々で声をかけた。前者の代表は、初っ端からデュルケンにぶたれたサムで、後者の代表は、出会いが最悪だったにも関わらず、何故か懐いて来たパルテナである。

 助けてくれと頼んだ訳ではないとレジーナに言い張ったものの、行き倒れのところを拾われた恩を感じる気持ちが微塵も無いという事でもない。デュルケンは、傷が癒えて肩を動かしても痛みが走らない程度になると、積極的にではないものの、家の仕事に関わるようになった。

 この家にはレジーナをはじめとする三人の大人がいたが、全員が女性で、彼女達とそれなりの歳になった子供があらゆる家事をこなさねばならない。料理や縫い物はともかく、大量の洗濯物を庭先に干す事や薪割りといった力仕事も、例外ではなかった。

 一応、自分が彼女達よりは腕力のある若い男だという自覚はある。

 上手く薪が割れずに四苦八苦している少年の代わりに斧を持ち、一撃ですぱんと薪を真っ二つにすれば、子供達は目を丸くし、重たそうに抱えてよろよろ歩いている女性の手から洗濯籠を取り上げて運べば、感謝された。

「おい」とか「貸せ」などとぶっきらぼうにしか声をかけないので、相手を萎縮させる事もあったが、洗濯籠を引き受けた時には、その女性は頬を赤らめていた。

 いずれにしろ、家の日常に突然現れた新参者に、誰もがそれぞれの距離を測って接する事に決めたようだ。


 そして、ある日の昼下がり。

「んー、んー」

 台所から唸り声が聞こえて来たので、何事かと思い顔を出してみると、パルテナが踏み台の上で爪先立ちになり、一生懸命棚に向かって手を伸ばしていた。

 見上げてみる。どうやら彼女が取りたいのは、棚の最上段にある袋のようだ。だが、パルテナの身長は目的物の位置に対して圧倒的に低く、踏み台も小さくてまるで用をなさない。

 デュルケンはひとつ嘆息すると、つかつかとパルテナの元へ近づき、

「どけ」

 相手を怯ませかねない鋭さで声をかけた。だが、振り向いた少女は「あ、デュー」と怯える様子など全く無く、ぱっと笑顔を弾けさせる。

「あのね、エミルが後でおやつを作ってくれるって言うから、あの小麦粉を取りたいんだけど」

 世話役の一人の名前を挙げ、その後に「パリィには届かなくて」と舌でも出すつもりだったのだろう。言い終わらない内に、デュルケンはパルテナを踏み台から降りさせ、代わりに自分が乗った。

 手を伸ばす。が、予想外の事態が起きた。袋に指はかかるのだがそれ以上にならない。つかんで引き下ろすにも、意外に中身が詰まっていて、指で引っ張る程度ではびくともしない。

 自分はこれでも上背があるつもりだったのに、しゃしゃり出た結果がこのざまだ。デュルケンは顔をうつむかせて歯をかみしめ、自分の軽率さを呪った。パルテナにも笑われるだろう。

 だが、少女はデュルケンを馬鹿にしたりはしなかった。思案しているらしき沈黙がしばらく落ちた後、

「じゃあ、こうしよう?」

 明るく言うと同時、背中に飛びつかれて、デュルケンはやや前につんのめる。何を考えている、と問う暇も無い内に、パルテナはするするとデュルケンの背中をよじ登り、肩車状態になった。

 デュルケンは内心うろたえ、しかし表情に出さないまま、パルテナがあおのけに倒れていかないように彼女の足をつかむ。花の匂いが鼻先をくすぐり、言葉で形容できない動揺をデュルケンに与えた。

 少年がそんな心持ちになっている事などつゆ知らず、パルテナは両手を差し伸べて小麦粉の袋をつかむ。

「取れた!」

 嬉しそうなはしゃぎ声は一瞬後、「あ」間抜け声に取って代わられる。

 少女の手からずるりと滑り落ちた袋が少年の頭を直撃。撒き散らされた中身が、台所中にもうもうと白い煙となって舞ったのだった。


「ごめんなさい、デュー」

 背後からパルテナの萎縮した声がする。シャツを脱ぎ上半身裸になったデュルケンは無言を貫いて、井戸端の桶に溜め込んだ水で、蒼髪にへばりついた白の原因を洗い落としていた。風がよどんだ今でも、家では独自に地下水を汲み上げているので、綺麗な水が使える。

 袋から飛び出した小麦粉は、パルテナの服とデュルケンの髪と顔を真っ白に染め上げた。

 パルテナは自分のしでかした事にしばし唖然としていたが、小麦粉まみれのデュルケンの顔を見た途端、ぷっと吹き出し笑い転げた。

『あんたたち、台所で何ふざけてるの!』

 笑い声に異変を感じて怒鳴り込んで来たレジーナも、デュルケンの惨状を見るなり、怒りが収縮して笑いになり代わってしまったようだ。口元を手でおさえてうつむき、ぷるぷると肩を震わせていた。

 女二人の笑いの種にされて、デュルケンの機嫌が悪くならぬはずがない。

「ごめんってばー」

 パルテナの謝罪を無視したまま、仕上げのすすぎにかかる為、汲み上げ井戸の取っ手をつかもうとする。ところがそれより早く、冷たい夏の水がざばりと勢い良くデュルケンに降り注いだ。

 窒息するのではないかと思うほどの大量の水を浴び、いくらかが口の中に入り込んでむせる。怒涛が去った後で顔を上げると、得意気な藍色の瞳と視線が合った。

「『ごめんなさい』って言ったら、『いいよ』って仲直りするんだって、パパが言ってた。それが友達なんだって」

 取っ手を握って何故か得意気に胸を張る少女の姿を見ていると、いつまでもへそを曲げているのも何だか馬鹿馬鹿しくなって来た。それまで身の内で渦巻いていた苛立ちが、急速に消失してゆく。

 しかし。

「パリィはデューと友達になりたいよ」

 その言葉を聞いた途端、デュルケンの心は一気に冷え込んだ。

「……俺は」

 頭を振って水気を振り払うと、そばの低木の枝にかけてあったタオルを手に取り、うつむきながら髪を拭く。

「俺は、友達なんか要らない」

 そう、友を作る必要も資格も無い。

 自分はこの国の支配者から逃げる逃亡者で、その人間を殺そうとする復讐者で、既に何人も殺した咎人だ。そんな自分と深く関わった人間は、きっと死ぬ。自分が呼び込む不運の風に巻き込まれて命を落とす。

 彼のように。

 瞑目しても、燃えるような髪色は今もまぶたの裏に鮮明に浮かぶ。かの人の事を思い出し、感傷に耽りそうになったデュルケンの耳に、ぽろん、ぽろんと、弦楽器の音が響いて来た。

 顔を上げ音の出所を探す。家の二階、窓が開け放しになった一室から、音は流れて来るようだ。だが、調弦がなされていないのか引き手の力量が拙いのか、いかんせん調子っぱずれで、お世辞にも美しい音色とは言えない。

 デュルケンはシャツをまとうと、家へ向かって歩き出す。パルテナが後をついて来る足音が追いかけて来た。

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