二の段其の幕間 妖園の誓い




 二の段其の幕間 妖園の誓い






 魔獣。物の怪。怪異に化生。 妖怪。悪魔に祟り神。

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていたそれらの化け物達は、唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。

 

 それを正しいと考える物質文明は未だ存在せず、しかしそれでいて社会システムをつくる精神文明は現代と大差ない野蛮さを持つ武家文化が、その残虐な本質を露にした時代。


 それが戦国時代であり、現代まで延々えんえんと続く血統主義による搾取型階級社会思想の時代である。


 だが、その思想は永遠に続いていいものではない。


 人が争いあうことを前提として、結果その争いを目的としてしまう本末転倒した国家システムを操る人々の集合意識に潜むイドの怪物が、人類を道連れに滅ぼうとした様を何度も見、その滅びを食い止めてきた久遠は、いつしかそう考えるようになっていた。


 社会システムではなく、幼児教育による動物的破壊欲求の制御と解放的な性文化を否定しない農家の歴史を肯定した人と文明の在り様。


 転生した久遠が新たに築こうとしているのは、効率を求めるあまり人間性を歪める軍隊的思想を規範とした前世界とは一線を隔した思想で運営される社会だった。


 安直な論理を使って安易な成功を求める行為を肯定する考え方を、現代的あるいは進歩的と美化したマインドコントロールを受けて育った人間なら思いもつかなかったであろう。

 

 しかし、久遠は人類と歴史を客観的に見る文化人類学的な思考を常としていた。


 その事が、この時代に人類の大半を占める農家を中心とした農協によって戦国の世を終わらせ、文明を加速させるという未知の選択を久遠に選ばせる。


 当然の事だが、それは英雄や覇王として立つ事などとは比べ物にならない困難な道だ。


 だが暴力に頼り、権益を餌にして確立する征服統治システムは安易で効率的だが必ず腐っていき、多くの不幸を撒き散らしやがて崩壊する。


 それは歴史が証明していた。

 それだけならまだしも、核兵器や生物化学兵器の登場により、前世界の21世紀ではその崩壊が人類全体の終焉に繋がっていた。


 それをこの世界で知る唯一人の人として、久遠はそれを辿ってはならない歴史と決定したのだ。


 既成の搾取システムにアレンジを加えたり効率化を図るのではなく、役割分担と倫理規範に基ずく社会支援システムを新たに構築するのは、世界を一から創りあげるようなものだ。


 しかし久遠にはそれを可能とさせる経験と技術の積み重ねがある。


 動物的な情動や凶悪な自滅本能によって理性を歪める人間を社会システムの運営に関わらせない事で、そういった後ろ暗い人間を減らしていく。


 親に依存する幼少期の一部を義務教育化することで、負の教育的連鎖を断ち切る。


 そういった方法で、久遠は農協による社会を構築していた。

 

 前世界では世界を滅ぼす事くらいしかできない技術も、自然や神々が人のそばに息づくこの時代でならば、奇跡や神秘の陰で世界を変えていける。


 そう考え、今日も久遠は、それを成す為の膨大な作業を続けている。

 


 今、久遠が取り掛かっているのは仙丹を利用したナノマシンの増産。


 動植物を妖怪化して利用するという唯一神教的倫理で考えるなら禁断の技術である。


 だが、手段が科学的手法か原始的な交配かの違いを抜きにして考えれば、その本質は品種改良となんら変わりは無い。


 純血種と名付けられブランド化されたペットや家畜を交配によって作り出す行為と同質の技術だ。


「これが家畜ねえ」


 遣い魔を媒介に現れたメイアの影が、久遠の創りだした巨大な猪の妖怪を前に訝しげな顔でつぶやく。


 猪の妖怪とはいっても猛々しい突進によって全てを破壊するかのような化け物ではない。


 直径三メートルほどの巨大な毛玉に猪の頭がついたような奇妙な生物だ。


 そのそばでは樹というよりは巨大な草といったいいような5メートルほどの高さの緑色の木が風もないのにゆらゆらと揺れている。


「どうかしたかな?」

 何か言いたげな彼女の様子に促すように久遠は訊いた。


「あなたのしたい事は解ったつもりだけど、あいつら ・ ・ ・ ・みたいな事になる危険はないの?」

 

 メイアがいうあいつら ・ ・ ・ ・とは、かつてファシズムを使い世界を征服統治しようとした魔術結社群と覇権を争った錬金術師結社連合のことだ。


 国際連合の雛形になった利益調整機関だが、ユダヤ資本を取り込んだフリーメーソンをはじめ、多くの結社が参加していた。


 近代、産業革命による商人勢力の台頭により、軍人勢力とそれに深く結びついたキリスト教勢力が凋落を迎えた事で、ヨーロッパ社会に潜んでいた魔術師や錬金術師が新たな精神的支柱たらんとして三つ巴の争いが始まった。

 

 19世紀末から20世紀半ばまでの間、続けられたこの争いは二度の世界大戦を巻き起こし、人類を滅ぼす可能性を持つ兵器の完成によって終わりを迎えたが、その後の科学信仰の成立からも解るように、前世界を掌握したのは彼らであった。


 そして、ファシズムと戦った久遠とメイアにとっての錬金術師結社連合は、敵の敵であるから味方と言えるような単純な存在ではなく、いつ寝首をかかれるか判らない相手でしかなかった。


 それはメイアの死後、日本への原爆投下によって、完全な敵対へと変わり、久遠の手による結社連合のタカ派の壊滅という形で決着がつく。


 ナチスとその本質は大差の無い連合国の軍人達の陰で、無差別爆撃や人体実験に原子力兵器の使用という蛮行を指示した彼らの所業を久遠から聞かされたメイアは、それと同じような事がこの先に起こるのではないかと問うたのだ。


「犠牲を容認するつもりも、無駄な犠牲を出すつもりもないよ」


 メイアの短い問いからすべて ・ ・ ・を読み取った久遠は穏やかな笑みを浮かべて答える。


「この先に起きる多くの悲劇を少しでも減らす事も計画には入っている」

 

 そういった久遠に続いてメイアが久遠のすることに危惧を抱いていると受け取った‘式樹’の無機質な声が壁に埋め込まれたスピーカーから響いてくる。


「技術運用に関する倫理規定及び技術者への倫理教育制度、それらの根幹となる幼児期の道義教育、内政面での全てシミュレートは終了しています。 また史実の大規模な戦乱や天災で起きうるだろう被害の軽減計画もほぼ完了。 シミュレートに移行──」

 

「そう、だったらわたしも協力してあげなきゃね」


 延々と続く‘式樹’の報告らしきものを聞き流してメイアは久遠に微笑み返す。


 その顔は、歴史を大きく変える事で起こってしまうだろう悲劇を危惧したもののかおではない。


 久遠が決して非情になれない事も、それでいて決して情に流されない事も知っているメイアだ。


 久遠がそう答えることも、その為に綿密な計画を建てているだろう事もっていた。


 だからこれは新たな盟約を結ぶための前フリにすぎない。


 幕末の争乱で歴史の非情さをった男と二つの世界大戦の狭間で起きた謀略を憂いた女が、かつて一つの盟約を結んだ。


 これは、その時と寸分違わぬ焼き直し。

 儀式を重んじる古の魔女らしいやりとりだ。


 その日、久遠とメイアの盟約は再び結ばれることになる。


 そう、戦いのための盟約ではなく、戦いを前提に創られた国家の起こす必然が繰り返す悲劇をくい止めるための盟約が。

 












用語解説 歴史心理学者K 歴史とその思想背景を斬る(民明書房)より一部抜粋




血統主義による:


 混同されがちであるが、愛情と独占欲が別であるように家族の情愛と血統主義もまったく別の思想である。

 故に独占欲が愛情の崩壊やストーカーなどを生むように、血統主義も家族での殺し合いを生むような忌むべき思想であるといえる。




搾取型階級社会思想:


 生産者の創りだした物資を非生産者が奪いあう事を前提としたこの思想は、弱肉強食といった言葉に象徴される人を野生動物に貶める排他的な競争によって成り立つ暴力肯定思想である。




争いを目的としてしまう本末転倒した国家:


 組織が外敵から国民を守るという前提で成立している為に、組織間抗争である戦争を必要としてしまうという現象。

 国家が搾取型階級社会思想を前提に運営されている為に本来は必要としない争いを必然としてしまう。




本来は必要としない争い:


 血統主義による搾取型階級社会思想を肯定する国家の存在が戦争を必要とするのであって、その思想を否定するなら国境も戦争もない社会の実現は充分可能である。




動物的破壊欲求:


 ホルモンバランスの不均衡や生物学的な現象によって起きる暴力衝動。

 否定する事で鬱積して論理構築に影響を及ぼす事も多い為に、その存在を認めて内外から制御することが必要となる。




効率を求めるあまり人間性を歪める軍隊的思想:


 近代国家とそれ以前の国家を比べ、最も注目すべき違いは効率性の追求にある。

 効率を追求することは、多様な人間性を抑圧した上意下達式の軍隊的思想を社会の根幹に置く事に繋がり、結果、近代国家は洗脳型教育を必要とする歪なものとなる。




洗脳型教育:


 個人ではなく国家や思想といった抽象的な存在に対する忠誠心をすりこむことを目的とした基礎教育。

 地位や役職が上位であれば理不尽であっても従うべきで、そうでないと社会が維持できないという嘘を信じ込ませるもの。




忠誠心をすりこむことを目的とした基礎教育:


 それに毒されているかどうかを判別するには、それを否定する意見を聞いたときに、感情的な反発を感じたり、検証する事も無意味だと思うかどうかである。

 感情的な反発や論理的な検証の否定は、洗脳やマインドコントロールを受けている証拠となる。




洗脳やマインドコロール:


 明確な区別はつけづらいが手法の違いによるこの二つの技術の進歩が近代国家を創った。

 洗脳は価値基準を変えることで意志を変化させるもので薬物などを使うものも含む。

 マインドコロールは宣伝や威圧を繰り返すことで無意識下で意志の誘導を行うもの。

  



現代的あるいは進歩的:


 物語や著名人の発言を使ったイメージ戦略で創りあげられた近代国家の虚像。

 代表的なものでは、古代より近代の社会が全ての面で優れている。(失われた技術や思想の否定)

 過去を褒める人間は、みんなノスタルジィに毒されている。(一方的な決め付け)

 文明は変化したのではなく、進歩して近代国家を生み出した。(非西洋文明の否定)

 理数学的技術の発展した国家は精神的文化も優れている。(軍事技術の神聖化)

 などの隠れた目的を持つ根拠の無い嘘や虚栄心をくすぐる混同が上げられる。





用語解説2 全てみせます世界の裏側(民明書房)より一部抜粋




錬金術師結社連合:


 ルネッサンス期以降、ヨーロッパを中心に広がった秘密結社の利益調整機関。

 洗脳技術や非人道的な技術を隠蔽する為に科学万能思想を広めた立役者。




科学万能思想:


 非科学的思想の排斥という宗教的手法から科学信仰などとも呼ばれる。

 近年、欧米の相対的弱化により日本では影響力が薄れているが未だ根強い力を持つ。




日本では影響力が薄れている:


 理系への進学率の低下やSFブームからファンタジーブームへの変化などに見られるが、それを否定する欧米型社会至上信仰の政治家がそれを食い止めようとしている。




欧米型社会至上信仰:


 日本の場合、明治維新で政治の手綱を握った人間達に流入したこの信仰により、西欧化と軍拡が始まった。

 第二次大戦の敗戦を経て社会の米国化という形で一般にまでマインドコントロールで広められ、日本は固有の文化を急速に失い変化していった。




マインドコントロールで広められ:


 脚の長い西欧型の体系がかっこいい、二重まぶたで彫りの深い西欧的顔立ちが美形、

などの美的価値観や学校給食制度を利用してのパン食普及やステーキなどの肉がごちそうであるという食文化に和服を着る女性は時代遅れなどの多彩な意識誘導が戦後に行われ、テレビ放送の開始とともに爆発的に広まった。




日本への原爆投下:


 非常に実験的要素の高いもので、投下当時は戦術的にも戦略的にも大きな意味をもたないものだったが、多くの無意味な犠牲を生む事で戦後の政治的な主導を取るという非人道的思想をもとに行われた蛮行。




ナチスとその本質は大差の無い連合国の軍人達:


 白人至上主義思想による洗脳で人種差別が当然の時代、特にアメリカの軍の上部はドイツ系が多く無差別爆撃や人体実験に原子力兵器の使用など歪んだ理性による狂気を振りまいた。







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