一の段其の幕間 元盗賊と‘武士’教育









 浄土。極楽。 地獄に天罰。 応報。 祟りに救世くぜの船。

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていたそれらの存在は、唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。


 だが、それらの神秘を否定しても、それを用いて語られた戒めまでも否定するのは愚かとしか言い様のない行為である。


 人があるべき人の姿を描くとき、人以上の存在に頼るのは簡単で解り易くはあるが、それ故に歪みやすいものであるのは確かだ。


 物事を省略し解り易く例える場合に誤解が生じやすいように、宗教というものは妄信を生み易い。


 だが、多くの社会を支える人々は一日のほとんどを働くことで過ごし、好奇心や知識欲は死と隣り合わせであった時代だ。


 危険を理解できぬ幼児こどもしつけが必要なように、人が人として生きる為に必要な事を、教育制度に頼らず社会に広める為には、解り易くなければ意味がなかった。


 その事に疑問を持つものは、社会から外れて生きていかなければならない。

 それが、盗賊達であり武家の祖であり、民を思いやらぬ国主であり朝廷である。


 だから久遠は、下の村に住むこととなった盗賊達に、人から者を奪うことで生きていかねばならなかったものが正しく生き直すには、奪われる者を護ることが必要だ、と説いた。


 田を耕して生きることを望むならそれを与えるが、もしそれを望まぬのなら、そう生きるしかない。


 それは、褒められるべき生き方ではないが、そうとしか生きられない人間もいるだろう。


 そういって村に住む事を許された盗賊達の半ばは開墾を行い、半ばは‘武士’としての教育を受けることとなった。


 

「こ、小頭……も、もう、……おらぁ……だめ……だ」

 息も絶え絶えに、かつて盗賊だった男が、泣き言をもらす。


「ば……か……やろう。おりゃ……もう……小頭じゃ……ねぇ」


 盗賊の頭目だった金兵衛の下で手下を纏める役をしていた大男は、もう自分は昔の自分ではないと、走る速度を緩めないまま、部下をたしなめる。


「そこっ!喋る気力があるなら、まだいけるな。もう一周追加だ」

 途端に罵声が飛び、二人は絶望に近い表情を浮かべる。

「返事はどうした! 復唱っ!!」


「はい……教官……どの……もう一周……走らせて……もらいます」

 こんなことなら、部下達を纏める為に自分がなどと考えず、大人しく開墾をしておけばよかったと、大男は後悔しながら応えた。


 開墾はきつく辛い作業だが、また田畑を持てると思えば苦しくはない。

 仲間が皆、揃ってそうしたいというならそうしただろう。


 別に自分がいなければ、荒くれどもがまた盗賊に戻ると思っての事ではない。

 神罰の恐ろしさは皆、身に染みていた。

 

 金兵衛と共にいた時は、別に死ぬのは嫌だが怖くはなかった。

 金兵衛に従って食うために他の村を襲った時、そんな感情は捨ててしまった。


 死んだら地獄に落ちるのだろうと思いながらも、生きる為、獣のように人をあやめた。

 そして、その事を考えないようにして罪を重ねていった。

 しかし、雲に乗り空を飛ぶ仙人を見たときに、己の罪から目を逸らせなくなってしまった。


 自分達は死んで地獄に落ち罪を償うのだと思った。

 それは嫌ではなかったが、恐ろしくてたまらなかった。

 その思いは今も心に刻み込まれている。


 だから、自分と同じ想いを持っているだろう仲間達がやけになって、などと考えたわけではない。

 ただ、血塗られた手で鍬を握れぬと言った不器用な仲間が心配だったのだ。


 しかし、そんな心配など、この教官に吹き飛ばされてしまった。

 そう、この金兵衛以上に恐ろしい男に。


 隣では、聞こえるか聞こえないかの喘鳴まじりの声が、教官の指示を復唱していた。


「声が小さいっ! もう一度っ!!」

 教官と呼ばれた男は、背は高いが大男ほど横幅はなく、一見、優男に見える。


 だが、二人も、それ以外の‘武士’教育を受けることとなった男達も、この男の強さが並ではないことは知っていた。

 突如現れ、自分達を役立たず呼ばわりしたあげく指導してやるといったことで、反発した連中が襲い掛かって返り討ちにあったのだ。


「はい……教……官……どの……もう……一周……走ら……せて……もら……います」

 教官の容赦なさを知っている男は、泣きそうな声で、そう応える。


 男も大男も襲いかかりはしなかったが、連帯責任という理屈で一緒に罰を受けた。

 裸にさせられ、自分達は毛無猿同然の愚か者ですキキキッ、と言わされたときは情けなくて死にたくなったものだ。


 腹はたったが、尚も歯向かった者が、お前のような馬鹿には尻尾をやろうと、尻の穴に山芋を突っ込まれたのを見て、それは怖れに変わった。


 金兵衛のような無慈悲さは感じられなかったが、この教官に逆らえば全ての矜持きょうじを剥ぎ取られる気がした。


 百姓として生きるならそれは、たいして必要のないものだったが、男の矜持きょうじまで無くしたらと思えば反抗心は霧散した。


「そこっ! もっと速く走れ!!」

 今度は後ろで遅れそうになっていた男達へと叱咤が飛ぶ。


 これで、訓練が終わればただの面倒見のいい男になり、自分達の世話を焼いてくれるのだから、二重人格などという言葉を知らない男達も、教官の中身が別人に成り代わっているのではないかと思うのも無理はない。

 

 訓練の時の教官は修羅か鬼神にとりつかれていると、今では皆、思っていた。

 彼らは知らない。

 教官の中身が本当に入れ替わっていて、鬼神ならぬ仙人がその正体だとは。

 そして、訓練時以外の教官が、自分達が女神とも崇める美亜だということも。


 知らぬが仏。言わぬが華。

 男達は今日も何も知らないまま‘武士’として生まれ変わる為の軍事教練と‘士道’教育を受けていた。

 





用語解説 異端民俗学者Kの日本は最古の移民国家だった(民明書房刊)より一部抜粋


国主:

 古代日本は土着の一民族国家ではなく、アジア・オセアニアの人々が移民した集落を和合した多民族国家で移民国家だったので領主ではなく大国主というような表現がされた


大国主:

 記紀によれば神であるが神話の神は国家や民族を象徴するものなので、その民族の王。国譲りの伝説は朝鮮から渡ってきた百済くだら系の民族とそれ以前に流れ着いたユダヤ系氏族と土着の民族の和合国家が百済くだら系の民族を吸収した国家の誕生を意味する


百済:

 日本と朝貢関係にあった国家。

 古代朝鮮にあった国家で現在の朝鮮民族の祖である新羅や高句麗に滅ぼされた。

 日本に逃げて来た遺臣達が邪馬台国を乗っ取ったのが大和朝廷の始まり


邪馬台国:

 漢民族が中華思想に基づく風習で、やまと国に当てた漢字表記。

 弥生文化を伝えた騎馬民族を祖とした為、この字があてられた。

 劣ると考えた周辺国家のみでなく、懲罰として親から与えられた字を卑しいとされる字で公的に表現する等、小学生のイジメのような幼稚な発想だが当時は高尚とされた。


やまと:

 もとはイア・マトゥ。 イアは偉大なる、マトゥは和合の意味で、偉大なる和合によってつくられた集団の意味となる。

 後に漢字で大和という文字が当てられるようになる。


大和朝廷:

 ということで、記紀の神話に表されるように、度重なるクーデターや武力制圧で百済系の民族が主導して土着氏族を吸収合併して生まれた連合国家。


記紀:

 古事記と日本書記。

ユダヤ・キリスト教の聖書にも見られるように権力者による改編が著しい。

アマツミカボシとスサノオやツクヨミとアマテラスなど、エピソードのすり替え多数。

ヒミコの王朝をイザナミとして冥府に封じるなど呪術的要素も持つ。

時系列逆転や象徴化により征服の正当化を後世に示した公式記録


ヒミコ:

 漢民族の当て字では卑弥呼というように卑しめられた字が当てられているが、農耕文化の太陽神信仰と製鉄民族の火神信仰を共に祭る神子にして巫女の意を持つやまと国の女王の呼び名。

古代国家では王は神を祭る司祭でもあった為、火巫女や日巫女が正しい当て字。

後にクーデターによる父権国家となってからは製鉄の民は野に下り、日神子となる。

しかし、記紀の編纂時に呼び名は消し去られ、やがて天皇が大和の王の称号となった。


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