真・仙極無双 農協戦国下捨上

OLDTELLER

序の段  江戸時代中期から現代まで



 魔法。幻術。魔術に仙術。 妖術。呪術に陰陽術。

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていた神秘や怪異は唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。

 

 だが、常識としてそれを否定するものは多くとも、何故それが否定されねばならなくなったかを考えるものは少ない。


 科学がそれを否定した?

 いや、実証論が否定するのは実在論であって、現象として存在するものを否定はしない。


 広く一般に知られていないのだから存在しない?

 いや、科学にすら秘匿された技術や失われた技術は数多い。


 では何故それが存在しないことになっているのか。

 理由は二つある。


 表向きの理由は、法の公平さを守り実証不可能な現象による治安の悪化を抑制するためというもの。

 しかし、それは地獄や神の審判など神秘による治安の安定という手段も否定することでもあり、法の公平さは本来、神秘の存在の是非とは別ものだ。


 裏にはもう一つの本当の理由が存在している。

 それは、秘術として伝えられてきたそれらの技術が科学技術に対抗できなくなってしまったという理由だ。


 存在を否定されなければ秘術は力になり得ないと判断した一部の権力者が、宗教権力との離別という近代化の流れに乗じて、神秘を常識として否定させることに成功したのだ。


 宗教権力を支えていた洗脳技術や詐術は、それにより効力を大きく減じることになったが、それ以外の実利的な技術は効果を増すことになる。


 それでは、まるでそんな神秘の術が存在するかのようだ?

 その通り。フィクションに語られるようなものではないがそれは存在する。


 幻術が催眠術や奇術と呼ばれてその存在を認められるのとは別に、人間に危害を及ぼす技術は深く隠蔽され、一部の権力者の切り札として使われることで生き残った。


 そしてそれらとは別に、古来より血によって伝えられた特殊な能力を根幹とする術の系譜も、また失われつつあるとはいえわずかに存在している。


 神秘がおおやけで否定されることのなかった時代でさえ、権力者と結びつくことを嫌った彼らはその能力を隠しながら暮らすことを余儀なくされていた。


 特殊な技術を有するとはいえ、ただの人間にすぎない彼らはそれを知られることの危険さを知っていたのだ。

 

 悠樹久遠もまたそうした彼らに習い、自らの能力と技術を隠し生きてきた人間の一人だった。


 有史以前にこの世界に存在した超文明の遺産。

 後にインドから東方では仙術と呼ばれるようになる技術の継承者が久遠であった。 


 とはいえ、共に歩む一族なしに唯一人で生きてきた久遠という男にとって、秘匿というその縛りは、かなり緩いものではあったが。


 人と深く関わることをしなければ、守るものを持たなければ、それは容易いことだった。

 だが、その代償は“群れを作って生きる動物の一個で存在することへの本能的な不安”つまりは孤独感との戦いだ。


 幸か不幸か久遠にとって孤独は、敵ではなく親しい友だった。

 幼少期に無償の愛を受けて育ち、読み書きや計算も物心つく頃には全て教え込まれていた久遠は、孤独を恐れることもなければ憎むこともなかったからだ。


 孤独感は、論理的思考が形成されない乳幼児期に、絶対の存在である保護者に嫌われることへの恐れや見捨てられることへの不安あるいは幼児期の交友関係での疎外などから生まれる。


 保護者に嫌われることへの恐れや不安は孤独を恐れる感情を、幼児期の交友関係での疎外は孤独を憎む感情を育てていく。


 その感情は好まれることはなく、深くその感情を覗き込むことは忌避されてきた。

 だが、孤独とは耐え難い感情であるからこそ、人と人とを結びつけるものでもある。


 近代になって、引きこもりや社会性の欠如といった問題が取り沙汰されるようになったのも、孤独への恐怖が薄れたことが原因だ。

 乳児期から三歳頃までの言語の発達段階で保護者が子供を叱ることがないと子供は孤独を嫌なものであっても恐ろしいものとは感じなくなる。


 そして幼児期に親以外の人間と接する機会が増えた段階で周囲との軋轢が生じ疎外されて孤独への憎しみが生まれても、それを他者のせいと考えさせてしまえば、和合は生まれず孤立や排他へと繋がることになる。


 幼児期を論理的な思考によって多面的な価値観を整合できるまでと考えたとき、近代では情報量の多さから幼児期の長期化が思春期以降にまで達したため、これらの問題が表面化してきたのだろう。


 久遠の場合は周囲から隠れて暮らしていた為にその問題は発生し得なかった。

 それ故に、久遠の中には孤独への忌避感自体が生まれなかったのだ。


 それは、久遠の母の一人子供を残して逝かねばならぬことを知る故のたゆまぬ努力と深い愛情の賜物たまものだったのだろう。


 社会組織の一員として暮らす人間にとっては不可欠な孤独という感情だが、人里から離れて権力者や人間の欲望と距離を置く仙術の継承者としては不要と思ってのことか、それとも偶然によるものかはしれないが、久遠は母亡き後も孤独を苦とはせずに長い時を過ごすことになる。


 不老不死等を目標とする仙術の継承者とは現代風にいうならば、生体内に生物学的ナノマシンとその制御機能を持つ生物学的サイボーグへと自らを変貌させた人間だ。


 ナノマシンを使って無機物や生命体から自律型ロボットを作る‘使鬼術’。

 ナノマシンによる無機物や生命体の修復や改造を行う‘霊波術’。

 ナノマシン散布により周囲の状況を察知する‘透視術’

 ナノマシン散布による遠距離通信を行い、生体反応から嘘を見抜く‘他心通’。

 ナノマシン散布によって音や振動から光まで操る‘穏行’や‘幻視’。

 ナノマシンによる身体強化による‘硬気功’や‘剛力’。

 ナノマシンによる空中機動を得る‘軽気功’や‘水歩’‘飛翔’。

 ナノマシンによる物理的力を使った‘風刃’や‘念動’。


 多彩な術を使うことから古来多くの権力者から狙われてきたために、彼らの多くは人の通わぬ山野で暮らしてきた。

 しかし、肉体はともかく精神は人間でしかない彼らは次第にその数を減じ、久遠の母である悠姫の時代には、日本には彼女以外にいなかったという。


 山の中に行き倒れ息絶えた女に抱かれたまま泣いている久遠を、悠姫が見つけねば彼女の代で日本における仙術の系譜は絶えていただろう。


 人を仙人へと変える古代の機構はすでになく、人を仙人に変えるには乳児期に仙人がナノマシン移植を行うしかなく、悠姫には積極的に仙術を伝える気がなかったからだ。

 

 長く孤独な時を過ごしたためか、悠姫は久遠を見つけるまでは感情の多くを封印して生きてきた。

 それ故に、仙術を伝えるという意欲も共に封印されていたのだろう。


 だが、それは久遠と出会うことで解き放たれ、本来、情の深い人間であった悠姫は死ぬまで久遠にその愛情を注ぎ続けた。

 人間と違い成長の終了と共に老化を終える仙人だが、その弊害か死ぬときは身体の全てをナノマシンに与え、死体すら残さずに消えていく。


 それを寂しいと感じ、別れを哀しいとは思っても孤独感に苛まれることのなかった久遠が、悠姫と共に過ごした庵を離れ下界に降りたのは、それから百年近くたち、日本が慶応と呼ばれたわずかな年月の終わりの年のことだった。


 理由は戦争による行軍を目にしたからだった。

 争いの虚しさや残忍さを悠姫に聞かされていた久遠は、悠姫が感じたものとはどんなものだったかを知るために、幕末から明治へと変わる動乱を追うことになる。


その傍ら、‘使鬼術’でこっそりと西洋医学や西洋の科学に触れてその技術を吸収するというスパイのような真似をしながら、久遠は長い旅を続けた。


 京都。鳥羽・伏見。会津。函館。

 武士という殺し合いのために育てられた人間達の生き様と死に様を、数多の命を救いながら見続けると同時に、人を救うという志を持って医療を行う在野の人材から多くの人間を弟子にした久遠は、後に日本各地に病院を設立していく。


 元手となったのは情報収集の副産物であった幕府の埋蔵金であった。

 それは不老不死を目的とした仙術の継承者としては当然の帰結だったのかもしれない。


 やがて平民が苗字を得て戸籍制度が生まれると、久遠は悠樹の姓を名乗り、欧州へと渡る。

 仙術と錬金術に魔術と科学。

 久遠は二つの世界大戦が終わるまでの数十年を多くの秘術を学びながら、多くの命を救い、ときに幾つかの命を奪う戦いへと身を投じる。


 欧州で彼の敵となったのは、ナチスの背後にあった魔術組織だった。

 もし、欧州に彼が渡らなければ、その後の歴史はまったく変わったものになっていたかもしれない。


 ナチスとともにその魔術組織が滅びた後、悠樹久遠が日本に戻ったのは、米軍統制による旧帝国制度解体の最中だった。


 復興期の日本で悠樹久遠は、新たな戸籍を取得。

 悠姫と共に過ごした庵があった山とその周りの土地を買い、そこに生涯教育を目的とした私立の学園を築く。


 人の争いをなくすには教育こそが第一であるという信念を掲げたこの学園は、その後多くの人材を各界に輩出していくことになる。

 

 明治。大正。昭和。平成。

 そうして激動の時代を生き抜いた悠樹久遠も今、最期の時を迎えようとしていた。


 しかし、それは静かにこの世との別れを告げる穏やかなものではなく、生涯をかけて久遠が得た不老不死への答えの一つを得ようとする実験の場であった。


 悠姫と同じように肉体の限界を迎えようとした久遠は、その日、科学と仙術と魔術の秘奥を持って自らの死に向き合っていた。


 死とは終焉であり摂理であり真理の体現である。

 それをって尚、久遠はそれを覆そうとする。


 こんと呼ばれる高次空間への意識の窓口と、はくと呼ばれる多次元空間に作られた肉体情報の記憶領域へ、自在に情報を書き込む技術を持って久遠はそれに挑む。


 これは、コンピューターがデータをコピーするように、人間を構成する情報の全てを持つ魂魄こんぱくを死後も残そうというものだ。


 精霊魔術と死霊術と科学を融合したその技術は、久遠自身の意識のコピーを作ることには成功していた。

  久遠と同じ記憶と意識と性格と意志を持つ人造人間が、今久遠の最期の時をともにしている。

 これは、ある意味、不死の一つの成功例であると言えよう。


 だが、それは久遠自身が不死となったわけではない。

 久遠とまったく同じ存在が永遠に残り続けるとはいえ、それは久遠自身がそのまま残り続けるわけではないのだ。


 久遠はその成果に満足はせず更なる挑戦を試みた。

 唯一神教に戒められた禁忌である不滅への挑戦は、神を超え万象自在融通無碍を目指す仙人としては当然の行為であったのだ。


 久遠が試みるのは転生。

 本来、高次空間に存在するアカシックレコードに還元され、初期化される魂魄こんぱくを保護したまま、再びこの世へと生を受ける輪廻への挑戦だ。


 人造人間はもう一人の久遠としてその結果を知ることになるだろう。

 それがどんな結果をもたらすのか。

 これから語られるのはそんな禁忌を超えた者の物語である。









用語説明 堕天使の辞典(民明書房)より抜粋



唯物論:

 人の心なんてのは、外部からインプットされた唯のプログラムデータさ。霊? いねーよバカ。 バカなの? って感じ


実在論:

事実=現象は、人間の脳内データとは別ものさ。 って感じ


実証論:

 事実=現象なんて観察・実験で知ることしかできないんだから、別物って意味ないよね、うぷぷ って感じ


秘匿された技術:

 軍事機密とか洗脳技術とか組織的完全殺人法とか、知ると怖いアレ


秘術:

 だから隠しておけば邪魔者を消すときとか便利だよねって技術


孤独感:

 イジメを受けても群れの輪の中にいたほうがいいと思わせる強迫観念


幕府の埋蔵金:

 小栗んの埋めたって言うアレ、赤城山じゃなくてアソコにあった^^


ナチス:

 ユダヤ人やジプシーなどを虐殺した第二次大戦の火付け役。多国籍企業のスポンサー達に操られたファシスト達


米軍統制:

 現在まで続く日本の影の征服統治システム。自衛隊が米軍の下請けにされたり、外国の軍に国家予算を吸い取られたり、米兵が女の子をレイプしたりする原因


復興期:

 精神論を歪めて悪用した軍人のせいで、物質的な豊かさの為なら悪事やってもいいのだよ、っていう政治屋連中が今以上に好き勝手していた時代。昔は良かったって連中はたいていそのおこぼれで甘い汁を吸った寄生虫


学園:

 矯正や強制を主とする学校とは理念を別にする場所。自主自立自尊をたいていは掲げているが内実は学校と変わらないものも多い


高次空間:

 人間が数学的計算でしか認識できないよく解らない場所。権利のように概念としてしか存在しないという人も多いが本作では存在する


精霊魔術:

 物質全般に宿る霊という謎存在を扱う魔術の総称。ゲームの属性魔術はその一例。 本作では感応魔術なども含む西洋魔術の総称


死霊術:

 洋の東西を問わずに不老不死を求める人間の入門編となる魔術。中世ヨーロッパでは誘拐殺人の原因や政敵を処刑する為のでっち上げに使われることとなるが久遠は仙人なので人間そのものを使った実験はしていない。


融通無碍:

 自由と同じで誤解されやすい概念。善悪とは別ものでまったく関係ないのに悪事の言い訳に使われやすいのも自由と同じ

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