第8話:うなれ! 深夜の逃避行


「さぁ、大人しくしてて下さいね」


 アクアの両腕に冷たい鉄の輪がはめられた。外界との連絡を断つ、犯罪者の証だ。

それを俺たちは、なすすべもなく見送っている。

兵士の人も、流石に体裁が悪かろうと同情したのか、特徴的な水色の髪を隠すように外套を被せてくれた。


「アクア」


 声を掛けてみたものの、今のあいつに何を言えばいいのだろう。

同情してやるべきか、いっそ笑い飛ばしてやるべきか?

そのどちらも、アクアが望むことじゃない。

分かっては居るが、今俺にできることは何もないんだ。


「おまわりさん……私、何を間違っちゃったのかな……」


 アクアの瞳から、とめどなく大粒の涙がこぼれ落ちる。


「それを決めるのは、これからのあなた自身ですよ」


 兵士がそう答えると、アクアはまた声を上げて泣いた。






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 一時間ほど前。


「イヤよ! イヤイヤ、ぜぇ~ったいにイヤ!!」


 アクアの拒絶する声が、夜にも関わらず周囲に響き渡った。

思わず俺はその口を手で塞ぐ。まったく、夜中だということを忘れてんじゃないかこいつは。


「しかしだなアクア、その娘は恐らく世界が滅びかける原因となるんだ。何も命まで奪おうって言うんじゃない、危険な神器を回収して、封印しなおそうというだけだろう?」

「イーヤーッ! あの子はそんな子じゃないもん! なによダクネスまで、どうしちゃったの!? 私がいない間に、悪魔にそそのかされちゃったの!?」

「そういう訳では……いや、確かにそう言われるとその通りなんだが……」


 ま、駄々をこねている理由はこんな所である。

めありすの話を鑑みて、そのイヤリングだけでも封印しとこうと主張する俺たちにアクアが反発。

ソファーにしがみついて首を振りながらの断固拒否であった。


「あの子はそんな子じゃないの。ほんとーに可哀想な子なの! 世界を滅ぼしたりなんかできるわけないじゃない! 皆悪魔に騙されてるのよ。いけないわ! 今日という今日はこの世にシミつく頑固な油汚れ系悪魔を綺麗サッパリ洗い落としてやらないと!」

「これだもんなぁ……。もういいよダクネス、一旦頭冷やさせようぜ。とにかくそのイヤリングをスティールするなりなんなりして、処分方法はそれから考えたって良いじゃねーか。ウィズに溶岩の底に沈めて貰う手だってあるんだからさ」

「ダメだったら! 絶対に行かせないからねカズマ、行ったら馬小屋時代にされたことを二人にバラすからね!?」

「おいふざけんな、天に誓ってお前にはなんもしてねえよ! あたかもなんか起こったような言い方してんじゃねえぞ、この貧乏神が!」


 誤解されたらどうすんだ、このボケ女神め。

どうやらアクアはバニルが一枚話に噛んでいるのが気に入らないらしく、ずっとこの調子だ。

埒が明かないので俺の怒りのボルテージも上昇中である。ああもう、少しは話し合えって言ってるのに。


「……まあ、カズマの言う通りですね。今日はもう遅いですし。その転生者さんをどうするかについては、明日まためありすを交えて話し合いましょう」

「要らない! そんな話し合い要りません! なによめぐみんまで、この私がそんなお間抜けに見えるって言うの!?」

「今更なにを言ってるんですかね、このアホ女神は。そんなだから活躍に比べていまいち人気が伸びないんですよ? 色気のない尻しやがって」

「わ……わぁぁぁぁー――っ! わああー――っ! あぁぁー――!!」

「い、言ってません! 私そんなこと言ってませんからね、アクア!? カズマ、人の声真似で口を挟むのはやめて下さい!」


 人気云々と言うのは以前開かれた魔王討伐パーティの中で誰が一番人気かを競った結果で、なんとめぐみんが一位であった。

普段は頭がおかしいが、ここぞという時に大砲役をしていたのが功を奏したのかもしれない。

品行方正な騎士として誤解されているダクネスが二位。アクアは見事、俺を抑えてのビリっけつである。

なおアンケート結果としては、

・露出度は高いのに全くエロスを感じない

・店の前で吐くのをやめて欲しい

・ていうかアクシズ教団だし

などのお便りが届いております。どうしようもねえな。


「知らない知らない知らないもん! 私なんにも悪いことしてないし! 皆のばか、そこまで言うなら悪魔の子になっちゃいなさい!」

「あ、ちょっとアクア! どこ行くんですか!?」

「お酒!」


 大泣きして半狂乱になったアクアは、ついに屋敷から飛び出していった。

めぐみんの静止の声も聞かず、無駄に高いステータスを活かしてあっという間に見えなくなる。

あーあ、なんて嘆息していると、めぐみんの恨みがましい視線がこっちを向いた。


「……カズマ……」

「なんだよ。アイツがああなった以上、単に議論の邪魔だろうが」

「だからといって、私の声真似までするのはやり過ぎです。ほら、早く追いかけて行って下さい。アクアを捕まえて帰ってくるまで、この家には入れてあげませんからね」

「おいおい、一応俺が家主なんだぞ……」

「今度ばかりは自業自得だ。まったく、アクアを泣かせるのも良いが時と場合を考えろ」


 マジかよ。いやまぁ、つい追い打ちをかけちゃったのは申し訳ないとは思っているが。

だってさっきから駄々こねっぱなしで面倒くさかったんだもん。

そのくせ、あいつ自身は代案が出せるわけでもないし。


「はぁー……しょうがねえなぁ、追いかけてやるかぁ……」


 お酒! とか叫んでたし酒場に行きゃあ居るだろう。

流石のあいつも、夜に野外へ無目的に突撃したりはしないはずだ。

だったらそのままサキュバスの喫茶店にでも寄って、しれっと一泊して帰ろう。

そう考えれば少しはやる気も湧く。一晩もすればアクアも頭が冷えるだろうし。


「行ってらっしゃいカズマ。アクアを無視して例の店に寄っていたのが分かったら、今度爆裂魔法の的になって貰いますからね」


 そんな俺の企みは容易く見ぬかれているのだった。ぐすん。






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 『千里眼』スキルを鍛えあげた俺にとって、アクアを探すこと自体は難しくない。

なんせアレだけ目立つ服装に珍しい水色の髪をしているのだ。

深夜の町中であっても、視認性は抜群な女神である。


「アクア、おいアクア」

「……なによ」

「そんな顔すんなよ。悪かったって、反省した」


 本気でしょげくれた顔のアクアを見て、少し強く当たり過ぎたかと今更思う。

めありすが居た時は、こいつは話に参加して無かった訳だしな。

なのにいきなりお前のやったことは間違ってるやり直せじゃ、そりゃアクアだって拗ねるさ。


「……私だって、本気で褒めて欲しい時くらいあるんですけど」

「分かった分かった。お前は凄い女神だよ、アクア。俺だって何だかんだ、お前が居なかったら何回も死んでた訳だしな……いや、生き返ってるわけだから死んでるには死んでるんだけどさ。まあ、お前が居なけりゃ魔王討伐なんてできっこなかったさ」

「でしょう!? やっぱりそう思うわよね? ずっと思ってるんだけど、なーんかその割には私の扱いが軽いと思うの。そりゃ直接魔王を倒したのはカズマだけど、働き的には7:3……ううん、8:2で私だったと思うの!」


 ……あれ、なんか思ってた反応とずいぶん違うぞ。


「いやーやっぱりカズマもそう思ってたってことで、早速何か奢ってちょうだい。カズマには個人の誇大評価の分、言わば私への借金があるわけだから、その返済に当てると思えば実質タダみたいなもんよね。さ、返してちょうだい。誠意を返してちょうだい!」


 そう言ってアクアは、俺に向かって催促するように掌を差し出した。

そういえばこいつ、財布も持たずに飛び出していったな。

要するに、飲もうにも懐に飲み代が無いってわけか。なるほどなるほど。


「ふざけるなよアホ女神。確かにお前が居なけりゃ生き返れなかったのも確かだが、半分くらいお前のせいで死んだようなもんだろうが! 行くとこ行くとこ強敵とばっかりエンカウントさせやがって、黄金のツメかてめーは!」

「だだだだーれが呪いの武器よぉ!? あんた言うに事欠いて穢れ無き女神のことを呪い呼ばわりしたわね! 誰のお陰で英雄になれたと思ってんの、耳揃えて返しなさいよぉぉ……!」


 このクソ女、調子乗らせるとすぐこれだ!

俺の財布に手を伸ばそうとするアクアの腕をつかみ、逆方向に捻り上げる。

が、こいつめかなり力が強い。無駄にステータスだけは高いんだよホント!



「うるさいわね、今何時だと思ってんのッ!」

「「す、すいません!」」



 往来でギャーギャー騒ぎながら組み合っていたら、その辺の家の窓からお叱りの声が響いた。

見えてるわけでは無いだろうが、思わず反射的に頭を下げてしまう。

……なんだか、馬小屋時代にもこんなこと有った気がするなぁ。

なんでアクアと居るとこうも成長した気がしてこないんだろう。


「……ったく、お前のせいで叱られちまったじゃねえか。まあいい、とりあえず飲みに行くぞ。奢りはしねーけど建て替えるくらいならやってやる」

「やったー、カズマさんったら太っ腹! やっぱ最近外に出かけることが減ってきたかしら?」

「やめろ。やめろよ。……楽に痩せれるスキルとかないの、この世界」

「大変ねー下等な人間どもは。あ、ウィズがそんな感じのポーション仕入れてたわよ、確か」


 なるほど、それは間違いなくロクでもない効果だな、やめとこう。

今度ダクネスと一緒に腹筋でもしようかなぁ。あいつのトレーニングって結構ハードだから、元引きこもりの身で付き合うのは相応に覚悟が要るんだけど。

……元、か。そういや家じゃ穀潰しだのなんだの言われてたんだった。それが今じゃ、立派な屋敷持ちの英雄である。

ジャージ一つでこの世界に降り立った時は、ここまでになるとは思ってなかったな。


「なあ、お前が貰い泣きしたっていう転生者のことだけどさ」

「なによ。幾らカズマでもあの子に手は出させないからね」

「そうじゃねえよ。でもまぁ、今もこの街に来てるんだろ? 良い仲間が見つかるといいな」

「え?」


 ……いや、なんだその「え?」って。

何でそんな思ってもみなかったような顔をしてんだ、女神。


「……転生したらまず、駆け出しの街で生活基盤を整えるんだよな?」

「いやー……こう言っちゃなんだけど、カズマさんが街スタートだったのって結構な幸運だと思うの」


 そうかい。道理でなんか妙だと思ってたんだ。

結構な数の転生者がこっちに着ているはずなのに、全く「駆け出し」たところの噂が無い。

俺がわりと後発だったことを考えれば、超ステータスの冒険者が生まれたって「またか」みたいな反応があってもおかしくない筈なんだ。

最速で駆け抜けたにしても、街から街へのテレポーターを利用するには数十万エリスかかる。

冒険者になりたてのヒヨッコが数日でそれだけ金を稼げば、少しはやっかみ混じりの噂が流れててもおかしくはない。

それがないということは、答えは一つ。


「お前、転生者を送る時ってランダムにスタート地点決めてたのか……!」

「し、知らないわよー! 注文出したの私だけど、システム作ったのは私じゃないもの! 開発担当はチートがあれば大丈夫って言ってたもの、目にクマできてたけど!」

「大丈夫じゃねえよ致命的な欠陥だろうが! 人殺し! お前らは人殺しだ! 平和ボケした日本人がいきなりモンスターとエンカウントの可能性とか、どうかしてるよ!? だいたいその子、戦闘系のチート持って無いじゃん! それもう街引けなきゃ死ぬしか無いじゃん!?」


 いや、未来のことを考えれば恐らく死にはしないのか。

だが、死にかけて世を恨む可能性は十二分にある。

そうじゃなくとも、危機というのは得てして想像だにつかない怪物を生み出すものだ。

ああ、うん、いま分かった。たしかにアクアのうっかりは世界を滅ぼす器だ。

俺たちがシャンとしなければ、未来はうっかりで滅ぼされるのだ――!



 ――ガタン!



 その時、どこかで扉が勢い良く開かれる音がした。

ヒタ、ヒタと夜の街に足音が響く。俺に胸ぐらを掴み上げられていたアクアが、ヒッと喉を詰まらせる。

その只ならぬ様子に、ゆっくりと振り返れば……そこに、鬼の姿があった。


「ひとぉーつ、暇無き手間をかけ……ふたつ、深くは眠れない……」


 どこかくたびれた顔に、殺意だけを爛々と瞳に輝かせ。

金棒という名のフライパンが、ビュンビュンと風を切る。


「みっつ、醜い深夜の母の……」


 アクアの手が恐怖に震え、しかしそれは俺も同じであった。

相手は魔王よりも恐ろしいプレッシャーを纏い、完全に俺たちを萎縮させている。



「夜泣きする赤子を起こす、悪い奴はだぁれぇだぁぁぁ!」

「「ご、ごめんなさぁぁい!」」



 深夜の住宅街。

この街を裏から仕切る奥様連合の鬼に追われ、俺たちはほうほうの体で逃げ出した。

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