第34話 辛い

 心の準備ができていないのに意中の人がすぐそばにいるという状況に、頭の回転がついていかない。

 八王子(はちおうじ)は本能的に、相模(さがみ)の背後に隠れた。こういうとき、壁のような相方の存在はありがたい。


「今日はソロ活動? 友だちは一緒じゃないの?」


 女子に対しては相手を知っていようがいまいが基本的にグイグイいく質の柏(かしわ)に手招きされ、和泉(いずみ)が一同の輪に加わった。

 コイツはそのうち絶対にチャラついたヤツになると確信しつつ、今だけは柏にグッジョブと言ってやりたい八王子だった。


「三人で行動してたんだけど、二人とも部活の当番に召集されちゃって」

「ありゃー、それ痛いね」


 千葉(ちば)の発言に渋い顔で頷きつつも、結果的に今の展開になったわけなので、和泉の友だち二人にも心の中でグッジョブ。

 学園祭という晴れの日、しかも運命の決戦直前にこうして和泉と一緒にいられるというのは、天が自分に味方しているとしか思えない八王子。

 見えないところで数度深呼吸を繰り返し十分に気持ちを落ち着けて、相模の陰から出ていく。最初からいました感を出すのも忘れない。

 すると、ちょうど和泉と目が合った。さらに、微笑んでもらうというサプライズつき。


「えーと、混ぜてもらってもいい……かな?」

「もっちろんだよ」


 和泉のおずおずとした申し出へ、食い気味に応じるのは柏。

 だから横で千葉も頷いているのか、それとも千葉がこうだから柏がああなのか……。

 八王子に異存があろうはずがない。そして大抵のことにはノーと言わない相模とくれば、満場一致で和泉は暖かく迎えられる。


「みんなは食べたらどうするの?」

「おれたちね、もうすぐ体育館で演し物やるんだよ」

「あっ、そうだったね!」柏の言葉にピンときた様子の和泉が、相模見上げて言う。「さっき、漫才やるって宣伝してたよね。三回くらい聞いたかな」


 相模はさりげなく八王子に目をやる。相方が笑みも満足に作れないまま棒立ちしているのを見て、和泉に目を戻し、言った。


「三時二十五分からなんだけど、よかったら見てくれないかな。超面白い八王子が見られるかもよ」

「いきなりハードル上げんなバカ」


 ようやく通常運転に切り替わった八王子が、相模の脚を刈るように蹴りを入れる。


「おうっ!」


 と呻き、膝カックンの要領で崩れかけて踏みとどまった後、必要以上にゆっくりと直立の姿勢に戻っていく相模。

 そしてドヤ顔。


「ノーダメージ。バット! ノーライフ」

「ただのゾンビじゃねーか!」


 八王子の目の前で、和泉が笑ってくれている。感無量だった。

 けれどもその直後、憧れの少女は純粋無垢な笑みのまま、恋する少年のハートにナイフを突き立てた。


「近くで見ると、意外と背、高いね」

「意外と……」そう言われると、下から恨めしげに相模を見上げるしかない八王子。「コイツのタッパのせいで遠近感が狂うかもしれないけど、オレ一応、一七〇近くあるよ。まだ伸びるし」


 ゾンビ野郎の体温が無駄に高くて暑苦しいのと、自分がチビに見えるという理由から、いつも離れて歩けと口を酸っぱくして言っているのだが……今回は自分が身長差を利用するという、浅はかな行動に自己嫌悪。八王子は自分で自分をブン殴りたくなる。和泉の前なので舌打ちができず、奥歯を割れんばかりに噛み締めて悔しさに耐えた。

 相方がデカくていかにも頑丈だから自分がどれほど大暴れしても笑いの範疇に収まるというのは、つまり両者の大きさに差があるからこそ成り立つわけであり――みずから考案した設定ないしネタでありつつも、どこか面白くない。


(ある意味、自虐ネタじゃねーか)


 ただそんな気持ちは、続く和泉の言葉のおかげですぐさま持ち直した。


「今までも何回か二人の掛け合いを見たことがあったけど、舞台でやるなんてすごいね」


 そうだろうとも。和泉に見てもらえるように、わざわざ校舎の逆サイドにある八組の教室前まで出向いてネタ合わせを行なってきたのだ。


「あれは練習だから。本番はもっと笑わせてあげられる……と思う」


 本当はもっと、カッコイイ発言でビシッとキメたかったのだが……もしかして、今スベった?

 だとしたら収集をつけねばならないが、和泉との距離が一メートルも離れていないというこの状況で、頭が正常に回転するはずがない。


「おい貴様、口説いてんじゃねぇ」

「口説いてねーよ!」


 援護射撃に心の中で礼を述べつつ、相模の頭を真正面からはたく。ついでにそのまま、カレーの紙皿を引ったくった。


「罰として没収な」

「えー! 別にいいけど、えー!」

「いいんならサッと寄越せっつーの。なんだ、辛口だったりすんのか?」

「辛口ではないけど」八王子がカレーをすくって口に入れてから相模は言う。「地獄カレーだよ、それ」

「え、じご……?」


 口に入れた瞬間は、酸味のほうが強く感じられた。わずかに遅れて、辛味の混成部隊が一斉射撃を開始した。


「あああああああああ!」


 八王子は、ホラー映画で悪魔に乗っ取られた人みたいな勢いで相模に顔を向け、ホラー映画で悪魔に乗っ取られた人につかみかかられた人みたいな叫び声を上げた。

 三白眼の瞳孔が開き、その底に地獄の深淵が見える……かもしれない。いずれにせよ彼の形相は、悪魔も気を悪くするほど壮絶なものだった。


 渾身の力で押しつけられた地獄カレーの紙皿を受け取りながら、相模は苦笑いで最寄りの出店へ向かう。


「飲み物買ってくる」

「……二秒……」

「うん無理。二十秒待ってろよ」


 バラエティーノリな展開に、柏は手をバシバシ打ち鳴らしながら笑っている。千葉はうずくまって肩を震わせ、和泉は「相模くんが戻るまでがんばって!」なんて励ましてくれてはいるものの、全開の笑顔だ。


 他の誰かならいざ知らず、和泉にがんばれと言われて頑張らない八王子ではない。

 舌やら歯茎やら喉の奥やらを刺すような焼くような痛みと熱さに耐えつつ、顔を真っ赤にしたまま耐えた。耐え抜いた十八秒。


 リレーのバトンよろしく、いっぱいに腕を伸ばして駆けてくる相模から紙コップを受け取り、一気にあおった。

 鎮火したという表現が最もふさわしいように、八王子には思えた。一口目で地獄カレーの残滓は胃袋へとさらわれ、二口目でその冷たさに癒やされる。海からあげたばかりのクラゲにかぶりついたら、こんな感じだろうか。


「そういえば、八王子は辛いの苦手だったっけなあ」

「……そーゆーレベルじゃ……なかったぞ」


 和泉にカッコ悪いと思われては一大事だ。柏の言葉に弁解を試みたが、完全復帰できていないせいか、声は蚊の鳴くように心許ない。


「俺でもそれなりに辛さを感じたから、結構辛かったんだと思う。売ってたの三年生で、悪ふざけのノリで何かいろいろかけてたし」

「そのおかげでオモシロだったよ。近年まれに見るリアクションだった。動画に撮っとけばよかったなー」


 というのは千葉だ。一応、褒めてくれているつもりだろう。慰めになってないけれど。

 いろいろな意味で涙目になりながら顔を上げると、和泉はやっぱり笑いをこらえきれないといった表情だったが、どこか気遣わしげな顔つきでもあって……八王子は一連の流れをオイシイ展開だったと、無理矢理納得させた。

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