第10話 相方

 返事を待たずに歩き出したが、後ろから妙に間延びした重量級ゾンビの足音がついてきているのが聞こえた。振り返らずにしゃべる。


「オマエさー、殴られてるときニヤニヤしてただろ。なんで?」

「あれはなぁ……」思い出したのか、喉の奥からこみ上げてきたらしい笑いが混じる。「向こうさんたちが、すごく必死にやってたから、なんかおかしくて。頑張ってんなー。でも腕の力だけで打っても、あんまり効かないんだよって、誰か教えてあげればいいのに、なんて思ったら、つい」

「ヨユーだなー、オマエ。でもあれ、絶対マジの力で殴る蹴るしてたけど、痛くねーの?」

「痛くはないね。人よりちょっと頑丈だから」


 振り返って顔を見上げてみる。確かに、渾身のストレートを受けたはずの箇所には、どんなに目を凝らしてもアザどころか腫れさえない。


「腹にも一発、もらってたよなー?」

「まあ、あのキックは重心ブレまくったし。どうってことは」

「オマエがニヤニヤしてたからオレも言わせてもらうけどさ」いたずらっぽく三白眼をくるめかせ、こみ上げてくる笑いとともに言う。「超面白かったぜ」

「あ、やっぱり? 笑ったらいくらなんでも失礼かと思って我慢してたけど、やっぱ笑うよな」

「当たり前だろー。だってアイツら、超必死なんだぜ? 歯ぁ食いしばって、鼻の穴全開で、顔真っ赤にして殴ったり蹴ったりしてんのに、殴られてるオマエがニヤッとしてんだもん」一部始終を思い出すと、八王子はちおうじはまた笑ってしまう。「あー、腹筋もげるかと思った」

「そうかそうか。あのおかしさをわかってくれる人がいて、うれしいよ」


 笑いのツボはかなり個人差があるものだが、八王子も相模さがみも手をバシバシ叩き、膝がガクガクになるくらい笑った。

 八王子がカツアゲを目論んだ美倉三高みくらさんこうの生徒のモノマネをし、相模がそのときの自分を再現して見せるたびに笑いが起こる。何度でも。

 若干ハスキーな「げはははは!」という悪魔笑いと、地獄の底から響くような「ぐはははは!」という……ゾンビ笑い?


「じゃーさオマエ、オレの相方になんねー?」

「え、何? あいかた?」

「おうっ」


 いまのリアクションは返事ではなくて、気づいたら口走っていたセリフに自分で驚いて発した声だ。いきなり何言ってんだオレ、とセルフツッコミを入れてももう遅い。無意識って怖い。

 返事を待つ間がいたたまれなくて、八王子は相模の前髪の奥にあるだろう目を一方的に睨みつけてから、また背を向けて歩き出した。

 ゾンビっぽいテンポの足音が、一拍遅れてついてくる。


「俺でよければ、喜んで」

「うはっ、躊躇ねーなオマエ」

「断る理由がないからな」


 意図しない展開だったが、結果的に八王子は心の中でガッツポーズだ。どんなツッコミをしても、恐らく痛がらないだろう相方を手に入れたのだ。


(コイツをうまく使えれば、学祭で大爆笑をかっさらえる! そしたら……和泉いずみに……)


 運気が良い具合にめぐってきたのを、八王子は確信した。

 面白いことを言えるヤツは少なくないが、存在自体が面白いヤツはそうそういない。こいつは、絶対に逃してはならない魚だという予感。

 今このときこそが、和泉への初恋という転機を経て、八王子のその後の人生を決定づけた瞬間だった。


 だから八王子は、有頂天に向かって急速に駆け上がるテンションをなだめつつ、見下ろしてくるスダレ髪に悪そうな笑みを向けた。


「そっか、じゃー一つよろしくな」


 言いながら、握りこぶしを差し出す。

 やや上から、やたらめったら迫力のあるゴツいこぶしが迫ってきて、八王子のこぶしに押し当てられた。妙に熱い。


「こちらこそ」

「オマエ、手ぇあちーよ。気持ち悪っ! 何なの?」

「平熱三十八度あるからな」

「おかしーだろソレぇ」

「おかげで生まれてこの方、いかなる予防接種も受けさせてもらったことがないね」

「地味に不便だな」


 こんなにデカい図体をしながら、冬が来るたびにインフルエンザで寝込んでいる相模を想像すると、なんだかまた笑えてきた。

 八王子は相模の右隣に移動して、また歩く。なんとなく、相方なら横並びが自然な気がしたからだ。


「オマエ、ボケね」

「何それ。いきなり悪口?」

「ぶは! なんだよそのボケはー。まあ、オレにはちょっと面白かったけどな。でも、他のヤツは笑わないぜ、きっと」

「今度は褒められてるのか? ウケを狙ったつもりはないんだけどな」

「そんなコトよりオマエさー、結構な勢いでツッコミしても平気だったりするよな? な?」

「ツッコミってあの、ど突くやつ?」


 どこまでもボケ倒す相模に、八王子はニヤつきを抑えられない。


「当たり前だろー。今なんの話してると思ってんだ」

「それなら見てのとおりよ」


 三人がかりでフルボッコにされたにもかかわらずノーダメージの頭からつま先を示し、相模はまた口の端だけを持ち上げた。


「だよなー」


 もしかすると、あの〝バイクマジシャン〟を超える強さのツッコミで漫才をすることになるかもしれない。すでに書いたネタが、また別の可能性を帯びて変わろうとするのを八王子は感じた。家に帰ってネタに変更を加えるのが楽しみすぎる。


 とはいえ、駅まではまだしばらくあった。

 何気なく相方に目をやって、八王子はようやく違和感の正体に気づく。


「つーかオマエさ、なんでこうクソ暑いのに学ラン着てんの? 襟までガッチガチにとめちゃってさー」

「さぁね、家庭の方針で。そもそも転校の理由が、夏でも学ラン着用可能な学校ってところだからな」


 赤Tシャツの上からカッターシャツを羽織っただけの八王子に比べ、相模は学生服フル装備。つまりこの炎天下に冬仕様だ。そりゃ体温もバカみたいに上がるだろう。むしろ熱中症でぶっ倒れないほうが不思議だ。

 聞けば、一学期の間通っていた高校は当然だが六月に衣替えがあり、上着を着用できなくなったのだという。それを知った相模父は大激怒。即座に転学手続きをし、服装に関する校則が「学生服であること」という規定しかないヒバ高に送り込んだというのが、転校の顛末だった。


「あー、確かにヒバ高は服装に関する校則がユルいけど……オマエの親父さんて、どういう人なの?」

「話せば長くなるけど――」

「じゃ、いいや。でもオマエ、そんな真面目臭ぇ格好してっからカツアゲなんてされんだよ。せめて襟開けてボタン一つは外せよなー」


 絶対ナメられるんだぜ、とまで言われて、相模が渋々実行に移す。それでも二人が並ぶ構図はまだ、ヤンキーと優等生と言うほかない。何だこのコンビ。

 だが、ようやく相方ができたのだから、ソイツが暑苦しかろうが全裸だろうが大した問題ではない。次のステップに移るべきだ。というか、移りたい。

 つまり一刻も早くネタを合わせてみたい八王子。相模の時間を確保すべく行動に出る。


「休み時間はオマエ、なにやってるっけ?」

「弁当食べてる」

「あー、そーだった!」八王子は思い出したように手を打って、悪魔めいた笑い声を上げる。「オマエ、休み時間のたびに毎回弁当食ってるよな。なんで真面目キャラなのに早弁だけすんの?」

「一時間おきに食べないと、空腹で集中力がね。肉のみと飯のみの弁当箱を三つずつ持ってきて、交互に食べてる。だからこの中、ほとんど弁当箱なんだよな」


 相模が、今時誰も持っていないような革の学生カバンを振ると、確かにアルミの弁当箱とタッパーがぶつかり合う音がした。それにしても、合計六個って。


「じゃー、昼休みは全力で弁当食うのに忙しいクチか?」

「昼休みに食べる量も他と変わらないから、どちらかというと暇だな」

「お。そんなら話は早いな」

「ん?」


 夕日の中へ、結成間もない凸凹コンビの後ろ姿が消えてゆく。

 この日、八王子秋雄はちおうじあきをは、人生初の友だちを得るより先に、相方を得たのであった。

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