悪魔とゾンビがコンビを組んだら『番長S』

Ryo

ゾンビ襲来! その日、悪魔は天使に恋をした

第1話 新学期

 恋というのは、発情を詩的に言っただけ、あるいは単なるホルモンバランスの変化にすぎない――そんなことをのたまう輩もいる。ただ、そうするとどうにも説明のつかない部分が多い。

 たとえばこの、八王子秋雄はちおうじあきをという根暗であがり症で対人スキルに難ありな男を、二か月後に学園祭の舞台という視線の集中砲火を浴びる場所に引きずり出したのは、まぎれもなく恋の力なのだから。

 恋は突き動かす。恋はけしかける。そして恋は、放り投げる。何も描かれていない白紙に投げ出される人生、その発端は高校一年の秋だった。




「おい、転校生来るってよ。しかも美少女だ!」


 転校生。

 一般的な高校生は、この単語でテンションが上がるものだ。滅多にあることではないし、その日からクラスの雰囲気が一変する。おまけにその転校生のルックスが良ければ、異性にとっては恋愛イベント突入のフラグとなるわけで。

 教室内はもう、「おほおぉぉぉ! 降臨イベントオオオオォォォ!」だのと絶叫するヤツまで現れるありさまだ。二学期初日を迎えた一年一組の教室は、主に野郎どもの大歓声で揺れていた。

 その気持ちは理解できる。ただし、同意は致しかねるというのが八王子秋雄の感情だった。彼にとって、クラス内の人口密度が高くなるのは不愉快以外の何物でもない。


かしわ、見たのか? どんな子だった?」


 ときのニュースを告げるのメッセンジャーとなったのは、奇しくも八王子の隣人、柏祐司かしわゆうじだ。

 しかし、気さくに尋ねたのは八王子ではない。あるはずがない。人見知りを超越した人間嫌いの境地に至るこの男が、必要に迫られたわけでもなく自主的に他人――クラスメートだが――に話し掛けるなど、あり得ないのだから。

 つまり、ずっと前のほうの席から飛んできた声に、教室中央最後尾の席の柏は、待っていましたとばかりに答えた。


「よくぞ聞いてくれた。あのな、つやっつやの黒髪ストレートをな、ここまでの」と柏、自分の肩口に指先をそろえた手を置き「ボブにしてさ。目はやさしげで、もし微笑まれてみろ、絶対こっちがふにゃふにゃにされること確実。うん、明るそうな子だったな。あー、アメフト部ウチのマネージャーになってくんないかなあ」


 ただでさえ垂れ気味な目尻をいっそうだらしなく下げて言ったのだった。


「おお、それは素晴らしすぎるだろ!」


 との声は、一つではない。まだ見ぬ美少女転校生の容姿は、一組男子の少なくとも半数のストライクゾーンを直撃した模様。否、八王子以外のと言うべきか。


 誤解なきよう断っておくと、八王子も健全な男子であるからして、女性という生き物がなんとなく気になったことがなかったわけではない――かつては。ただし今は、せいぜい鑑賞するだけで結構だと思っている。物理的な意味でも精神的な意味でも、触れ合うのはまっぴら御免だった。

 そんなわけで交際となると、モテないことを抜きにしても、まったく興味がない。絶対にあり得ないだろうが、万が一申し込まれても拒絶する自信があった。

 そもそも彼を人嫌いにさせたのは、女性なのだ。




 さかのぼること六年前。八王子が十歳のとき、冷たい雨の降る冬の日だった。

 せっかくの休み時間なのに外で遊べず、児童らは不満顔。それでも男子は教室の隅でプロレスごっこ、女子は三々五々にグループを作って雑談をしていた。

 いたいけな八王子少年はこの頃、すでに人見知りをこじらせてはいたものの、症状を人間嫌いに増悪させるには至っていなかった。友だちと呼べる相手こそ不在だが、別段いじめられているわけでもなかったので、一人穏やかな気持ちで本を読んでいた。ファーブル昆虫記の、フンコロガシの章だった。


 真横の席では女子が三人、おしゃべりをしていた。キャッキャキャッキャと、それはもう、楽しそうに。当時はやっていた男性アイドルグループの話をしていたのかもしれない。

 その声のトーンが、あるとき突然、落ちた。直前までがやかましいくらいだったから、三人が急にいなくなったかのように錯覚した。

 八王子少年は本から一ミリも顔を動かさないまま横目を使って、女子たちが相変わらず一つの机に頭を寄せているのを確認した。

「ねー、八王子ってさぁ……」

 完全に内緒話のトーンだった。でも、距離は一メートルと離れてはいない。それに気づいたか、女子の一人が手振りで声をさらに小さくさせて、それでもたりずに自分の耳を相手の口元に持って行っていた。

 もう、何を話しているのかは聞こえてこない。

 それが逆に、八王子少年の恐怖をかき立てた。声のトーンを落としたのは、また別の女子があわてて耳を貸したのは、本人に聞かれては不都合な内容だったからだろう。早い話、悪口だと思った。

 八王子少年はすでに、フンコロガシの生態について書かれた内容が頭に入ってこなくなっていた。心臓が気持ち悪いくらいにドキドキしている。顔が熱い。耳はきっと、真っ赤になってしまっているだろう。


 もう、その場に居続けることはできなかった。おとなしく、誰にも迷惑をかけずに読書している自分が、どうして立ち退かなければならないのか腹立たしかったが、それでも動かざるを得なかった。これ以上は一秒たりとも女子たちの内緒話の話題になりたくなかったし、彼女たちのまなざしを右半身に受け続けてはいられなかったから。


 パタンと本を閉じ、八王子少年は立ち上がった。わずかなタイムラグのあと、図書室の匂いが香ってきた。顔を上げず、うつむいたまま教室を出る。

 ヒーターのない廊下は、別世界のように寒かった。出歩いているのは他に誰もいない。それをいいことに、八王子少年は休み時間が終わるまで、長い廊下の端から端を行ったり来たりして過ごした。

 この先二度と女子なんかと関わるか! ――そう思いながら。




 そして中学生になる直前の春休み。八王子は夢を見た。

 おそらく舞台はアメリカで、自分は賞金稼ぎだ。

 懸賞金のかかった指名手配犯をふんづかまえる仕事を終え、打ち上げの真っ最中。


 酒盛りなのになぜかコーラを飲んでいると、セクシーなハスキーボイスが自分の名前を呼んだ。目をやれば、いわゆる出るところは出まくりで引っ込むところは引っ込んでいるゴージャスボディーの金髪美女が手招きをしていた。

 すでに女性に対して苦手意識を持っていた八王子は、聞こえないフリ、見えていないフリを決め込んだ……が、失敗した。

 背後で仲間が「いけいけ!」「ようやくお前にも春が来たんじゃねーの」などと煽ってくるのだ、忌々しい。

 しかたなしにコーラのグラスをカウンターに置き、いかにも気が進まない足取りで金髪美女の元へ向かった。

 距離にして一メートルほどのところまで来ると、彼女のほうが自分よりもだいぶ背が高いのを思い知らされた。艶やかで満開の笑顔が見下ろしている。


「何か――」


 八王子は最後まで言葉を発することなく、その場にくずおれた。美女が表情をまったく変えぬまま、膝を彼の、あろうことか股間に叩き込んだのだ。

 声にならぬ声を上げ、脂汗を滴らせながら吐き気に耐え、悶絶したた。

 夢なのに何で痛、つーかクソが、ブッコロ――そう思いつつ、割れんばかりに奥歯を噛み締めるしかなかった。




 以上二つのとんでもない仕打ち――そのうち一つは現実ではなかったが――を受けた上で女が苦手にならなかったら、生き物としてヤバいというのが八王子の持論だ。

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