放つ炎 3

 ――あまりにも早くが来てしまった。いや、焦った自分が迎え入れたのだ。リセアは自嘲した。旅路を共にするならば、いずれ自分の口から告げるか、あるいは明かさざるを得なくなる時が来る。それにしても、だ。彼が離れても、自分を罵ったとしても、何一つ不思議ではない。出会ったばかりだから互いに未練もない。これまでどおり一人に戻るだけだ。

 目を閉じた。土の臭い。頬を突く草。背中を粟立たせる矢の音。その全てを遠ざけるように、眉間の辺りに意識を集中させる。暴れるように響く脈を数え、なだめる。

 ――備えは整った。リセアは唇を湿した。

 研ぎ澄まされた意識の向こうで用心深い足音が鳴る。一つや二つではない。言葉が低く交わされる。

 杖を握りしめる。眉間の奥で赤い蕾がちかりと瞬いた。

「リセアっ!!」

 青年の叫びが空気を裂いた。飛び起きるなり素早く視線をめぐらせる。合わせて八人。振りかざされる湾刀が五つ。まずはそれ。

「燃えよ」

 抑えつつも上ずる声が湾刀の柄を捉えた。男たちがわめきながら得物を投げ捨てる。金属の柄が炎を上げていた。巻かれていた革が燃え、縮み、鼻をつく煙を上げる。寸隙を与えず同じ言葉を放った。今度は引き絞られていた弓が、あわてふためく男たちの背中で矢筒が燃えた。

「ぶ、武器を出せ! 隠してるやつも全部だ!」

 唖然として成り行きを見守っていた青年が、我に返ったように声を張り上げる。リセアが繰り返して急かすと、男たちは観念したように武器を取り出した。腰に差した小ぶりの剣からブーツに潜ませた短剣までが地面にばらまかれた。

「失せろ」

 並んだ顔を油断なく見回し、リセアが言い渡す。男たちには未だ憤りと怯えが満ちていた。それでも一人が踵を返すと、それを合図に全員が森へ去っていった。

 背中が見えなくなったのを確かめてから、リセアは袋を一つ青年に渡した。

「ここに武器をしまえ。町で売る。無理をして詰め込む必要はない」

 青年がしゃがんで拾いはじめても、まだ森を見つめていた。朝の明るさが満ち、木々の間もだいぶ見通しが効くようになっていた。男たちの気配はもうない。

 なおも脈が騒いでいた。一つ二つとゆっくり息をして、しかしそれを静められないまま、リセアは口を開いた。

「私は、」

「あのさ、」

 青年が腰を上げ、歪に膨らんだ袋を背負った。

「この前助けてくれたの、リセアだろ?」

 リセアは弾かれたように青年を見ていた。風が草をなで、ささやかな音を立てる。

「ほんとにありがとう。縄が焼けた時、匂いがした。魔法の匂い。さっき通った人が助けてくれたって、ぴんときたんだ。この前は、逃げられたって伝えたかったとかなんとか言ったけど、あれは嘘……嘘っていうか、ほんとの目的じゃなかったんだ。助けてくれたお礼を言いたくて、でもいきなり魔法のことを話すのはだめな気がして」

 確かに、とリセアは思い出す。あの時青年の目は無防備に光っていて、しかし話しはじめた途端、迷うように揺らめいていたことを。

「リセア。俺、」

 青年が言った。まっすぐにリセアを見つめて。

「恩返しがしたい。今度は俺がリセアを助けたいんだ。魔法使いでもなんでも関係ない。だからもう一度、ちゃんと聞く。俺を連れて行ってくれないか? だめならもちろんそれでいいし、途中で兄さんが見つかったら、それはその時考える。それに……リセアが俺を嫌いになったら、いつでも別れるから」

「命を危険にさらすとしても、来たいか?」

 青年はわずかに顔を強張らせ、しかし大きくうなずいた。東からの光を受けて山吹色の瞳が輝く。その時、リセアの脳裏に短い響きが浮かんだ。川底の砂金のように、記憶の底に沈んでいた言葉。

「ティズ」

 唇が動いていた。

「え?」

「ティズ。昔読んだ物語の主人公だ」

「もしかして……俺の名前、か?」

 リセアは、ああ、と応える。

「ティズ、ティズ――うん」

 青年は歯を見せて笑った。

「この名前、好きだ!」

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