幕間 3

 風の止まない夜半、彼は杯を傾けていた。彼の腕を見込んで繰り返し訪ねてくる客も少なくない。なかには彼の好みを見抜き、金に加えて酒を謝礼とする者もいるのだった。

 同居人を迎えて一月ほどが経ったが、暮らしはほぼ何も変わっていない。日の出ている間は同居人――少女が村まで学校に行っているためだった。帰ると一言のあいさつを残し、書棚から本を取って屋根裏部屋に閉じこもる。交わす言葉は限りなく少ない。

 干した杯を置いた時、居間で気配が動いた。鼠のような小さなものではなかった。蝶番が細く鳴る。彼は意識を地面に這わせて気配を追った。気配は村へと続く道を外れて進んだ。先には小さく開けた場所がある。意識を体に呼び戻した彼は、椅子から立って外套を身につけた。

 薄雲が月を包み、犬の声が乾いた空気を伝う。草むらは一点を残して宵闇に沈んでいた。淡い光が地面に落ちて、人の気配に寄り添っている。すねまでを覆う草を踏みしめて彼は歩み寄った。気配が反応する様子はない。さらに足を進めた時、

「火よ」

風に紛れてつぶやきが耳をかすめた。

 彼は外套を翻して突進した。気配が息を呑んでたじろぐ。その手に握られた紙切れに、すでに新たな光――否、火が灯っていた。

 彼は細い手を捕らえた。一瞥すると小さな火は掻き消える。雲が去り、月光が地に流れ込んだ。

「伯父さま――」

 喘ぎながら少女が吐き出す。瞳が惑うように揺らめき、白い頰を汗が伝っていた。その頰を彼は叩いた。少女が崩れ落ちる。その足元には、いつの間にか彼の書棚から消えていた本があった。古びた筆跡を〈明かり石〉の光が浮かび上がらせていた。

「書物の知識だけで力を使うな」

 彼は努めて淡々と言った。

「死にたいならば話は別だが」

 絶えずさまよっていた風が凪ぐ。少女がやおら立ち上がった。紗のように顔を覆った金髪を、耳へ掻き上げる。

「ベノシュ伯父さま」

 リセアが言った。

「お願いします。私に魔術を教えてください。この力の操り方を」

 ベノシュは眼差しを静かに受け止めた。幼さの名残りをとどめる顔が、一つの影をまとっている。彼が血を分けた弟、少女の父親だった。見上げてくる瞳が色こそ薄く澄んで、しかし厳しい熱を帯びている。やはり恐ろしいほどに似ていた。ただ一つ異なるのは、この娘が確かに種火を備えていること。

 ――イゴル。ベノシュは影に呼びかける。お前が焦がれ続けた力を、この娘はもっている。

「覚悟はあるか」

 言いながら、愚かな問いだと考える。果たして首肯が一つ返ってきた。

「この名に懸けて」

 リセアの冷たい瞳の奥底で種火が赤く瞬いた。

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