#04:仮面

 ――その時。

 ザッと木の葉を撒き散らす音が背後で聞こえた。反射的に振り返り、短剣を身構える。気付けば森の奥が白い霧に深く包まれていて、その中から黒い靄が蠢いているのが見えた。

 クロンは思った。こいつが、ユーナンを殺した張本人かもしれない、と。

 武器は不充分で、戦える状況ではない。しかし、今、村を背に立っている自分が逃げたら、村が襲われるかもしれない。それだけは、何としても阻止しなければならなかった。

 急いで革袋を降ろし、中から信号弾を取り出した。筒を上に向けて紐を引くと、笛のような高い音を放ち、赤い光が森の天井付近まで打ち上がった。

 役目を終えた空筒を直ぐに投げ捨て、走り始めた靄の怪物に備え、短剣を構える。

 四本足の獣だ。黒く光沢を帯びた肌を持ち、長く抉るように湾曲した二本の牙を口元から生やしている。

 決して重量を感じさせないような肢体ではない。なのに、落ち葉の山には沈まず、その上にしっかりと立ち、駆けている。まるで、落ち葉が堅い足場となり、獣を支えているかのようだ。

 獣が爪を振り上げてきた。クロンは身を仰け反らせ、最小限の動きで躱す。しかし、ふわふわした木の葉の上では思うように身動きが取れない。板履きを外すことも考えたが、腰元まで浸かる深さである。敵の素早い動きには対応しきれないだろう。

 傍を通り抜けていった獣は直ぐに身を翻し、大きく後ろ足を蹴って落ち葉を舞い上がらせ、跳躍の如き大きな一歩で再び疾駆する。大きな顎が縦に大きく開き、黒ずんだ涎を垂らしながら、低い咆哮と共にクロンの頭目掛けて降り掛かる。

「…………ッ!!」

 一か八か。クロンが斜め上方に突き出した短剣が、内側から上顎に突き刺さった。それでも噛み付こうとする獣の鼻先を板履きを履いた足で押しやると、なんと、板履きが黒い唾液でボロボロに腐り果ててしまった。

「うわっ!!」

 慌てて板履きを脱ぎ捨てると、クロンはよろめき、とうとう落ち葉の中に身を投じてしまった。仰向けに身体が沈み、体勢が整えられない。

 バギン、と音を立てて刺さった短剣が見事に噛み砕かれた。

 クロンは落ち葉の中でユーナンの死体を思い出し、思わず頭を抱えてうずくまった。小さな身体は落ち葉の中で完全に隠れはしたが、獣が鼻先を突っ込めば軽く噛み付ける程の距離だ。

「た、助け……」

 クロンが一層縮こまり、身を堅くしていると――。

 ドズン、と何かが直ぐ傍の落ち葉の中に潜り込んだ。

 くぐもった声を上げながら、獣は身を横たえ、落ち葉の中に身体を沈めた。見上げていたはずのソレが唐突に見下ろす形になった事で、クロンは絶句し、僅かに身じろぎしながら落ち葉を押し退け、一歩、二歩と下がった。

 よく見れば、黒い獣の背中から腹にかけて一本の蒼い槍が突き刺さっていた。

 獣はしばらく痙攣を繰り返した後、とうとう動かなくなった。皮膚の艶は無くなり、干からびたように乾燥すると……それは獣の姿をした枯れ木となった。

 クロンには、乱れた自分の呼吸だけが聞こえていた。背中から一突き――則ち、この槍を刺してきたのは……。

 ゆっくりと顔を上げる。視線が直線上にある機械樹の幹を上っていくと、その途中の幹に、何者かが楔のようなものを刺し、身体を支えているのが見えた。

 背丈はクロンよりもやや小さいか。フードと仮面を着けていて、顔は良く判らない。クロンの衣装よりも深い緑の外套に身を包んでおり、体格から想像するに、子供のようだった。

 そいつは幹を蹴って楔を引き抜き、軽い身のこなしで木の葉の上に舞い下りた。どういうわけか、そいつもまた、板履きを付けずに木の葉の上を平然と歩き、ゆっくりとクロンの方へ近付いてくる。少なくとも、獣のような脅威は感じられないが、クロンは警戒を怠らなかった。

「……キミが……助けたのか?」

 だが、そいつは何も言わずに、仕留めた獲物から蒼い槍を引き抜いた。その勢いで、枯れ木と化した獣は真っ二つに割れる。

「コノ場ノ安全ハ保タレタ」

 仮面の奥から、男か女かも分からない無機質な声が合わさって発せられた。

 不思議な模様の仮面だった。ヒトの顔を模したモノらしいが、見る角度によって泣いたり、笑ったりしているように見える。

 そいつは前触れも無く細い腕を突き出し、クロンの襟を掴んで真っ直ぐつるし上げるように引き上げた。

「うわああっ!?」

「今見タモノハ忘レ、速ヤカニコノ森ヲ去ッテ都ヘ行ケ」

 ――そんな無茶な、とクロンは思った。

 言うが早いか、そいつはクロンを村に向かって投げつけたのだった。

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