第23話「珈琲豆は焙煎中!03:猫たちはダンスを踊らない?」

(承前)


 50年前。

 件の黒猫、阿於芽あおめは惑星〈白浜〉の土岐氏の別荘に居た。


 その当時土岐氏は、航宙船の船長として独立した「まる」を支援するために、生前相続として財産の分与を行った直後であった。当の土岐氏は、まるが独り立ちしたのをきっかけにして、大きな仕事は人に譲り引退を宣言すると、惑星〈白浜〉で隠居生活に入ろうとしていたところであった。

 まるは数か月に一度は土岐氏に会いに行っていたが、〈白浜〉の惑星時間主体で過ごしている土岐氏と、船内標準時で過ごしているまるの生活リズムが合う訳も無く、二人が逢える時間はなかなか作れないでいた。

 重ねて、土岐氏が阿於芽あおめを引き取る前後からはまるは中規模船の船長になり、多忙になって来たため、連絡だけで済ますことも少なくなかった。


 だから土岐氏が阿於芽あおめを引き取ったことに関しても、まるは殆ど知らずに過ごしていた。「殆ど」というのは、まるが手元に居なくなった寂しさを紛らわすために、土岐氏がまた猫を飼い始めた、という話をちらほらと伺っていたからではある。まるも後釜については気にならなくはなかったが、その為に時間を割いて行動しようとまでも思わなかったから、そのうち忘れてしまっていた。


 土岐氏は阿於芽あおめを引き取って数年は、〈白浜〉で静かに暮らしていたのだが、生来のアクティブな性質と共に、周囲からいろいろな事で引き合いに出されることが多くなり、徐々に外出が増えてしまっていた。

 彼らが暮らす惑星〈白浜〉は、有効面積の9割を常夏の安定した気候に恵まれた、天然の居住可能惑星であり、〈大和通商圏〉のみならず、地球人類全体でも人気のリゾートであった。だからそこに広大なプライベートビーチと別荘を持つ土岐氏は、ちょっとしたセレブリティとして扱われていたのである。

 隠居して時間の空いた土岐氏を、社交界が放っておくわけはなかった。10年も経つころには周囲の社交界からやれパーティだ、やれ催事だと彼方此方に呼び出されることが増えてしまい、事実上の隠居返上になってしまっていた。隠居生活を手持無沙汰と考えていた土岐氏は再び航宙船による運輸会社を始めると、まるの船をパートナーとして商売を再開していった。


 慌ただしく帰って来てはすぐに別の呼び出しに応じる土岐氏を横目で見つつ、阿於芽あおめは最初のうちは別荘にハウスキーパーと一緒に〈白浜〉で過ごしていた。猫は面倒事を嫌うので、それでいいとも思っていた。

 だが並の人間より長く生きた彼は「今の飼主ボスが誰か」を理解していたから、そのうちハウスキーパーたちの云う事をあまり聞かなくなり、土岐氏が居ないとふさぎ込むようになって仕舞った。


「何だ、また阿於芽あおめはいう事を聞かなかったのか」


 幾つものパーティを梯子して帰ってきた土岐氏は少し呆れ顔で黒猫を抱き上げて目を覗き込んだ。


「にゃーう」


 ご主人に逢えてご満悦の阿於芽あおめは、目を細めて答える。


「精一杯のお世話はしているのですが、旦那様がいらっしゃらないことを分かっているようで……」

「仕方ない子だなぁお前は、まると似たり寄ったりじゃないか」


 まるがその時くしゃみをしたかどうかは定かではない。


 土岐氏はまるの遭難の件もあり、連れ歩くことで万が一の事故などに遭わせてしまい、また猫をなくしてしまう怖さを感じていた。

 だが、阿於芽あおめを置いて旅に出て、帰ってくるごとに繰り返されるやり取りもまた、彼の悩みでもあった。

 やがて土岐氏は覚悟を決めた。


 土岐氏は、阿於芽阿於芽への二度目の延命薬物エリクシアの投与を境に、彼を以前のまるの様に航宙船であちこちに連れ歩くようになった。そしてそれは、土岐氏とまるとが一緒に宇宙を旅した時間を遙かに超え、10年、20年と続いた。この間、阿於芽あおめとまるが出会わなかったのは、偶然ではなく、土岐氏のまるに対する配慮であった。


 船内を歩き回るのが楽しい、というのは、まるも含め、航宙船暮らしの猫の特徴かもしれない。阿於芽あおめは、以前の飼い主の元でも航宙船暮らしをしていたため、むしろその生活は懐かしかったし、とても肌に合った。彼は土岐氏と一緒に航宙船に乗る度に船内を散策し、いろんな人に出会った。何十年もそうやって人と触れ合いを重ねているような人物はむしろ珍しいだろう。


 そうやっているうちに、阿於芽あおめは「あれ」と出会ってしまった。


 今から20年前の事だった。


§


 まるが隔離されている部屋の片隅には普段はそれとは分からない小さな扉が有った。彼女がお願いした水は程よく冷えて、猫が持ちやすいように口で咥えられる取っ手が付いた形の容器に入って出てきた。


「便利ね、この部屋」

<案外この殺風景な部屋は、こういう装置で溢れているのかもしれないわね>


 そう思いながら部屋を見回し、それから容器を咥えておろしてから、水を飲んだ。飲んでいるうちに、大量に頭に書き込まれた情報で、再びめまいがしてきた。頭を容器から離してぶるるるるるっ、っと振るう。


『まるさん、辛いならお薬を出しましょうか?』


 羽賀参事官の声が聞こえた。


「それって、思考に影響与えたり、眠気を誘ったりする類?」

『はい、多少は』

「じゃ要らないわ」

『そうですか――ご無理なさいませんように』

「今無理しなきゃ、いつ無理するのよ」

『……』

<分かっているなら無駄な気づかいしなきゃいいのに。その部分は人間なのねえ……>

「で、阿於芽あおめは結局「何」なの?」


 そう聞くまるに対して、羽賀参事官はぐっと言葉を詰まらせていた。


『言葉で説明するのは難しいですね。私に近い存在ではある、とは言えますが』

「調停機構に関係あるの?」

『別に、そういうわけではありません』

<問題はそこなのよねえ……>


 まるはため息をついた。


<彼についての情報は一通り貰った。

 私より数倍の知性と運動速度を持つ怪物。

 しかも猫としては私が人工冬眠していた時間も活動していたから、実際は15年ほど年長と考えていいのかもしれない。ただ、人類社会での交渉事などの経験はないし、私には信頼すべきクルーもいる。総合すると、果たしてどちらが勝てるのか――>

「私を船に戻せる?」


 まるは、羽賀参事官に尋ねてみた。


『可能ですが、再度送り返すにはタイミングを考えないといけませんね。阿於芽あおめはおそらく外部からの干渉に対して敏感になっているはずですから』

「となると、むしろ単独行動した方が良い可能性があるのかもね」

『そうかもしれませんが、物理的な方法では彼に勝てませんよ』

「分かっているわ、彼の裏をかく必要があるわねえ――ところで」

『?』

「一緒に居るのは誰? 隠しているつもりでしょうけど」

『――まるさんには隠せませんか』

「猫の感覚は人間とは違うわ。聞こえてくる息遣いが一人分じゃない位は気が付くわよ」

『分かりました、シールドの関係で今すぐに引き合わせることは出来ませんが、きっとまるさんを助けてくれると思いますよ』


§


 阿於芽あおめは、最初「それ」がなんなのかは見当もつかなかった。

 ただ、「それ」が人ならぬ者であることは分かった。

 彼は土岐氏の友人らしく、よく現れては親しげな会話をしていた。彼の名前は「はが」と言った。周囲の人には彼は人間に見えているらしい。確かに人間。でもちがう。経験を積んでいなかったら彼ですら分からなかっただろう。

 たまたま土岐氏が席を外し、阿於芽あおめは「はが」と二人きりになった。


「面白い子ですね、私が何者か分かるのですか?」


 阿於芽あおめは威嚇しようとしたが、身体が委縮した。ただ全身は総毛立って、瞳孔は開ききっている。


「恐怖を感じさせてしまいましたか……。これは申し訳ない」


 羽賀は恐怖で固まる阿於芽あおめに触れた。


「……あっ……」


 空間が捻じれる様な変化が起こると、一瞬で収まった。だがそれは、決定的な変化であった。


「この子は――因子持ちだったのか――」

<いんし? いんしってなんだ。目の前のこれは何だ。人の変わり種? いや違う、人はこんなに恐ろしいものではない、こいつは……底が見えない。全然分からない>

「珍しい。羽賀家の人間以外で因子持ちに出会えるとは思っていませんでした。しかしどうやら、まずい事が起きてしまったようですね――」


 次の瞬間、阿於芽あおめは何も分からなくなり、その場に倒れた。


 阿於芽あおめが次に気がついた時、土岐氏が側らに居た。「はが」……いや、羽賀参事官の姿はない。


「ん、起きたかい、お腹が空いた頃かな。調理室にお願いしてご飯を用意させよう」

<いつもの土岐さん。近くに羽賀参事官は居ないんだね>


 阿於芽あおめは、自分の思考がいつもと違っているのにすぐに気が付いた。


<僕は……どうしてしまったの? 僕は阿於芽あおめ

 土岐さんの猫だ。

 羽賀参事官は「因子持ち」と呼んだ。因子って何の因子だ。

――高次生命体の受容因子か?>


 彼は自分の思考で混乱し始めた。くるくると周りを見回しながら目を真ん丸にしている阿於芽あおめに、土岐氏は心配そうな顔をした。


「何だ、どうした? 虫か何か居るのかい?」


 土岐氏の方を向いて、ぶんぶんと首を振る阿於芽あおめ

 そしてはっとした。普通の猫はこんな反応はしない。慌てて顔を右前脚で隠す阿於芽あおめ。しかしそれはダメ押しでしかなかった。


 自分が今やったジェスチャーが、土岐氏にどう受け止められるか――。

 阿於芽あおめは誤魔化しのために体を舐める。

 だが遅かった。土岐氏はちょっと顔をしかめた。


「ちょっと待ってくれ」


 土岐氏は顔に手をやり俯いた。


「勘弁してくれ。私は何かの呪いにでもかかったのか。まるは事故の所為で機械に知性化されたんだったよな――」


 そういうと辺りを見回した。


「サバイバルしなければいけない事故はここではまず起きないし、学習装置も無い」


 土岐氏は阿於芽あおめの空色の目を覗き込む。

 阿於芽あおめが短く「にゃっ」と鳴いたのを聞いて、薄笑いを浮かべ、そしてがっくりと肩を落とした。


阿於芽あおめ君。君はどこでその知性を手に入れたんだい?」

<それは僕が知りたいことです。土岐さん>


§


 まるは土岐氏に対してちょっと怒っていた。

 仕方がない事だったとはいえ、だ。


『土岐氏にはご迷惑をかけたと思います。事情を黙っていてくれと頼んだのは私です。私は20年前、不用意に彼に触ってしまい、誤って阿於芽あおめ君がもつ高次接続因子を活性化させてしまいました』

「その高次接続因子って、結局何なの?」

『生物はそもそも、大脳の許容量より多くの事を記憶できるのです』

「はい?」

『人類社会には諸説ありましたが、その中に実際は脳が別の空間に繋がっているという説が有りましたよね』

「それって眉唾な理論でしょう?」

『そうとも言い切れないのです。大脳新皮質はコンピュータのクラウドメモリの様な物へのゲートウェイの機能を備えているらしいです』

「ふんふん」


 この時代においても、それは割ととんでもな理論ではあった。

 ただ、そうでもない限り証明しにくい事象が有るのも事実だった。まるは半信半疑な状態で話を聞いた。


『ところが、ごくごく稀に、それが人類以外の高次生命体へのリンクになっている場合が有ります。そういう個体を高次接続因子持ち、と言うのです』

「羽賀参事官の家系がそうだったのですよね」

『ええ、因子持ち自体も珍しいモノではありますが、全く居ない訳ではありません。ただ、私に近い生命体へのリンクが強く顕現している例はほとんどないのです』

阿於芽あおめはその稀少例の一つだった?」

『そうです』

「猫の脳みそなんてちっちゃい物だし、だいたい新皮質なんてほとんどない筈よね?」

『大脳以外の部分でも、ゲートの可能性があるというのが定説です。阿於芽あおめはそれを実証して見せてくれたわけです』

「それで、脳にゲートがあるとどうなるの?」

『私もそれをよく理解していなかったんです。彼と接触した瞬間に、私の一部である高次生命体の欠片を阿於芽あおめ君に植え付けてしまいました。正確には、彼に吸着してしまったとでも言えば良いでしょうか……』

「つまり、彼は知性化されたという訳ではない。と」

『狭義ではそうですね。私の一部を受け取ることで知性に目覚めたという感じでしょうか』


 予想外の事に、まるは頭を抱えた。


「それで、責任を感じて土岐さんを説得して阿於芽あおめを引き取った。と」

『はい、そうなります。お恥ずかしい』


 全然恥ずかしそうにせずにそう答える羽賀参事官に、まるは呆れると同時に感心もした。


<この人が恥ずかしがらないのは、それが厳然たる事実だからよね。合理精神は大したものだわ>

「でも、羽賀参事官。あなたが阿於芽あおめを引き取ったのは20年も前でしょう? 何故今頃問題になったのかいまいち分かり難かったのだけど」

『一応そこら辺も記憶に書き込んだはずなのですが。ちょっと補完の為にお話ししましょう』


§


 阿於芽あおめは知性に目覚めた後、様々な情報を欲した。

 彼が高次知性体から得た情報は不完全な状態で、彼が能動的に使うまでは活性化されなかった。つまりは、知識が欲しければ、実際に行動する必要が有った。だから阿於芽あおめは知識を求めるために様々な方法に手を付けた。

 彼はまるが作成したグローブとヘッドセットとは違い、自らの身体に生体共生型ナノマシンを注入するという荒業で腕や指を自在に動かし、音声をそのまま認識、合成する事で、人間の機械を操作し、コミュニケーションをとれるようにした。

 だが、土岐氏の所でやれる事の限界はものの数か月で訪れ、それを見計らうかのようにそこに羽賀参事官がやってきて、土岐氏に事情を「適当に」説明した。

 最初は何とか阿於芽あおめを手元に置いて事態を収拾できないかと粘っていた土岐氏だったが、羽賀参事官との話し合いで、自分の限界を思い知ったらしく、彼は条件付きで羽賀参事官の元に阿於芽あおめを送り出すことにした。その条件とは、好きな時に阿於芽あおめに逢いに行ける権利だった。


 そんな阿於芽あおめ に土岐氏は、悲しそうに微笑みかけながら言った。


「結局お前もまると同じ道を歩むのだね」


 阿於芽あおめはその青い瞳をかすかに曇らせながら、簡潔に答えるのだった。


「いつでも会いに来てください。待っていますから」


 実際、自分が何者になるのかは、阿於芽あおめには分からなかったし、羽賀参事官にもそれは分からない事であった。参事官は阿於芽あおめの幾末に対しては責任を感じてはいたものの、人間的な情緒に基づいているというよりは、不要な感染を起こしたというミスに対して修復をしようと考えている、といった方が正しい感じではあった。猫の体とはいえ、70年以上を生きてきた阿於芽あおめはそういう機微には敏感で、彼の羽賀参事官への感情は、信頼というより不信感に近いものとなっていた。


 羽賀参事官の阿於芽あおめに対する接し方は、阿於芽あおめの目から見た感じではとにかく羽賀側の都合を押し付けるような内容に思われた。確かに彼は、元が不愛想なのもあるが、合理至上主義的なところがあるのは否めないし、通常の人類とはそもそも価値観の基準が違っていた。

 だから、阿於芽あおめの自由を尊重していた土岐氏の接し方とは、180度違う感じで、抵抗を感じるのも仕方ないとは言えた。しかし、自由を旨とする猫の性分には、この差は大きかった。程なくして阿於芽あおめはは羽賀参事官のいう事を一切聞かなくなった。


§


「それで、いう事を聞かなくなった阿於芽あおめはどうしたの?」


 まるは記憶を辿りながら訪ねた。


『彼はハンストして死にかけました。私や阿於芽あおめはその気になれば長いことエネルギーの摂取を抑えられますが、彼は年単位で絶食してきたのです』

「冗談みたいな生態ね。海底に居る節足動物じゃないんだから――」

『まさかそこまでの反応を見せるとは思っていなかったので、私もさすがにこれからの事を憂慮しました。なので、彼の生命を救う事を第一に考えたのです』

「生命を救う?」

『衰弱した彼の体をゆっくり回復させつつ、人工冬眠装置にかけました』


 まるはちょっと絶句した。


「それ、彼が知ったら対話を拒否したって思われかねないんじゃない?」

『はい、そこを失念していたようです。しかるべき時に睡眠から目覚めさせ、ゆっくりと会話をしようと思っていたのですが……』

「何らかの事態が起きて、彼は人工冬眠から覚め、更に怒りを募らせて、羽賀参事官のライブラリを利用して学習を強化し、反旗を翻してきた。という事なのね」


 まるはため息をついた。


<こんな感じじゃ、あの子が餓鬼みたいなテンションで怒っているのも無理ないかも>

「つまり」


 まるは事態を今度こそ理解した、という事を示すために咳ばらいをした。


「私は、あの子を出し抜いて暴走を止めたうえで、羽賀参事官との間に入って仲裁をしなきゃいけない訳ね」

『――そうなるのでしょうか』

「はああああああぁ――」


 まるが大きくため息をつくと、羽賀参事官からの連絡に、笑い転げる声が加わった。


「誰、そこで笑ったのは? 羽賀参事官が話していた『誰か』ね?」


 笑い声が抑えられると、まだ笑いの余韻が残る声が響いた。


『ああ、まる船長、ごめんなさい。つい笑ってしまって』

<聞き覚えのない声。というよりこれは合成音声だわ>


 羽賀参事官の説明が入る。


『申し訳ありません。ゲストの方です。まるさんもよく知っておられる方ですが、こちらで用意した音声合成装置で通訳してますので、聞き覚えがないとは思います』

「ええ、でもテンションでだいたい誰かは分かったわ」


 確信を持ってまるは付け加えた。


「そこに居るのね、ピンイン」


§


 阿於芽あおめは裏で起きている自体に関してはまだ感知していなかったものの、おかしな事態が進行していることだけは理解できた。


「まるが結局、どうしてしまったというんですか」


 もちろん、質問しながら聞くべき相手は〈渡会わたらい雁金かりがね〉のクルーではないことくらいは察しがついていた。羽賀がやったに違いない。

 答えるラファエル副長は慎重だったが、声には不安がにじみ出ていた。


『私達にも船長の居所は分からない。だが必ず戻ってくると信じている』

<たいした部下たちだねえ。まるは人材に恵まれているようだな>


 まるに対する少しの嫉妬、まるの仲間に対する少しの賞賛、後の大半は事態が思うように進まないイライラ。それが今の阿於芽あおめの心境だった。しかし、よほどうまく各種の探知装置から遮蔽をしているのか、羽賀参事官はおろか、まるの居場所も一向としてわからない状態だった。もし二人が合流しているならば、彼の出自や何をしようとしているかなどなどを、羽賀の立場から説明している状態なのだろうとは思う。

 まると羽賀の探索を難しくしているのは、〈コピ・ルアック〉のクルーたちの様に、彼らの位置がつかめない事ではなかった。その逆なのだ。近隣にある惑星、人口天体などのいたるところから彼らの反応がある。木を隠すなら森の中か。よく考えたものだ。彼らの反応をコピーしてばら撒いているのである。彼らの姿をもたせたデコイに、生命兆候としての温度、心音、呼吸音、二酸化炭素排出などの大まかな行動を模倣させている。探知可能範囲数万は存在するだろうか、よくばら撒いたものだ。困ったことには標的にしている〈渡会わたらい雁金かりがね〉からも彼らの反応が有る事だ。まるの部下を含めて全員でブラフを切っている可能性もまだ否定はできない。


「私の観測に依れば、あなた方の船の中も依然として、まるや羽賀さんがいる可能性がある。隠し立てはためにならないよ」


 阿於芽あおめは敢えてブラフを切った。恐らくまるの仲間の言い分は真実なのだろうとは思っている。だが、彼とまるの仲間の通信を羽賀が傍受している可能性を、阿於芽あおめは考えていた。


<さあ、引っかかってくるか?>


 だが、今はまだ反応はない。


『こちらには船長は不在だ。何ならこちらの船をスキャンしてみるといい。それ位は出来るのでしょう?』


 ラファエル副長も強気の反応を返す。


「ああ、それならやった。船尾の格納スペースから、二人の反応が出てるよ」


 面倒臭そうに阿於芽あおめは答えた。すると、何やらドタバタとしている雰囲気が伝わってきた。どうやら船内の探索をしているらしい。観測すると外形的にはとても小さい船だが、内部の空間が折りたたまれていて、実際には中規模船であることが分かる。不思議な船だ。多分人類が作ったモノではないのだろう。羽賀が用意したのか? なら何となく納得できる。こういう事態を想定して、任意の人間の状態を偽装する機構が付いているのだろう。


「探しても無駄だと思うよ」


 それだけ言うと、阿於芽あおめは目を閉じて椅子の上で香箱を作った。先程からレーダーに変な干渉波が出始めている。おそらくは新たな攻撃だろう。厄介ごとに対処を始める前に、少し落ち着きたい。阿於芽あおめはごろごろと喉を鳴らして精神の安定を図り始めた。


§


 拍子抜けしたような聞きなれない人工音声が、まるに見知った相手の言葉を伝えてきた。


『あれ。あっさりばれちゃいましたか。つまらないなぁ』

「まあ、すぐに分かるわよ。これで知性化猫属オールスターって感じね」


 まるは毛繕いをしたくて仕方なかった。だが、どこから見られているか分からない。というより確実に見られているこの部屋で、お腹を舐めたりしてあられもない格好を晒す気はなかった。


「それで、ここから出るタイミングはどうするの? 存在を遮蔽し続けているにしても限度はあるでしょう」

『そうですね、阿於芽あおめもそろそろ、偽装信号を追いかける以上の事を考え始めているでしょう』

「偽装信号?」

『はい、阿於芽あおめに場所を検知されないように3重の罠を仕掛けています。一つ目は通常探索への遮断。二つ目はより高度な検索に対抗する為に、逆に存在信号を3万個ほどばら撒きました。3つ目はおそらくそろそろ発動する頃です』

「なるほど、1つ目はこのシールドね。2つ目は木を隠すなら……って感じかな。3つ目は何?」

『彼の元に土生谷はぶやを向かわせました。電子的攪乱をやってくれるはずです』

「彼もこき使われているのねえ」

『本人はとても楽しいらしいですよ?』

「――まあ、本人が良いなら良いのかな。でもせっかくこの時代まで生きてきている阿於芽あおめを傷つける事が無いようにしてほしいわ」

『そこは細心の注意を払うようにと伝えています。彼の攻撃の本格化と同時にここの遮蔽を解除しますので、3人で〈渡会わたらい雁金かりがね〉に移動しましょう』

「ちょっと待って。一緒に行っても利点はないわ。それより、阿於芽あおめの位置はどこ? ちょっと作戦を立てたいわ」

『そうですか、ふむ……わかりました。阿於芽あおめの位置ですが、ここから平面距離で30kmほど離れた場所に停泊してある降下艇ドロップシップの中の筈です』

「え? 何よ、ここって地上なの?」

『正確に言えば正しくありません。ここは地下5kmにあるシェルター内です』

「5km?!」

『まるさんの隔離ブロックまでは50mほどあります。というか、我々も別の隔離ブロックの中で、有線通信で繋げているんです』

「地上への移動は?」

『マーカー設置地点へなら一瞬です。現状は屋敷と、宇宙港付近でしょうか。それ以外だと、モバイルマーカーのある位置への移動は可能ですね』

「阿於芽のいる地点との間の地図が欲しいわね」

『既に記憶に入っているはずです。思い出そうとしてみてください』

「ええと――ふむ。分かったわ。となると、三方に分かれたほうが良いわね。計画はこうよ――」


§


「電子戦とか苦手なんだよなぁ」


 そう言いながらコンソールを制御する阿於芽あおめに、土生谷の攻撃は容赦なかった。阿於芽あおめの乗っている降下艇ドロップシップは、〈渡会わたらい雁金かりがね〉程ではないにしても、色々と異星人テクノロジーを導入した、羽賀参事官がサブで使っている機体である。

 通常の地球人にはクラックどころか、アクセスも難しいように調整しているのだが、流石は異星人社会の調停官の元で働くクラック専従要員である。楽々と用意している障壁を乗り越えて、制御を奪いにやってきている。


「こっちだって奥の手を出しちゃうからね」


 そういうと、彼は指の間から触手状の物を突き出したかと思うと、コンソールにあるポートに突っ込んだ。触手は高次生命体の体そのものらしいが、組成は一切不明だ。だが、物質的な介入力は出鱈目の域に達しているようだ。

 阿於芽あおめは、異星人から受け継いだ能力を全開にしてクラックへの対抗を始めた。土生谷はぶやは機械的にブーストして異星人テクノロジーの操作能力を獲得しているのだが、阿於芽あおめはいわば活きの良い天然ものだ。コンソール上の画面ではもはや何が写っているか分からない速度でめまぐるしく状況がモニタリングされている。

 正直なところ、この勝負は、阿於芽あおめが有る決断をすれば一撃で終了するものだった。要するに接続を全部OFFにすればいいのだ。どこにもつながっていないマシンをクラックするには、スタンドアロンのウィルスプログラムを潜入させるなど、一度制御権を乗っ取ってファイルを実行させる必要がある。だが、そこに関しては羽賀氏のマシンは堅牢だったし、操作している阿於芽あおめの能力も尋常ではない。「苦手なんだよなぁ」とはよく言えたものである。


「ああもう、面倒くさいやっ」


 阿於芽あおめは一度接続を落とした。


 しかし、それが羽賀参事官の作戦でもあった。土生谷から接続が切れた連絡が届いた彼は行動を起こした。


「まるさん、開始しますよ」

『了解、いつでもいいわ』


 羽賀氏がコンソールのスイッチを操作すると、彼とピンイン、まるの3人が光の渦に転換されて、それから消えた。

 そして、彼の屋敷には羽賀参事官が、宇宙港へはピンインが出現した。同じ時間に〈渡会わたらい雁金かりがね〉にはまるが出現して、皆に指令を発していた。


「いろいろ質問はあるでしょうけど後回し。全員対ショック体制へ、緊急降下するわよ!」


 もちろん、阿於芽あおめはこの事態を予測していない訳ではなかった。土生谷にクラックされないスタンドアロンのデバイスを使って〈渡会わたらい雁金かりがね〉をマークしていた。


「動いたね、じゃあ僕のターン」


 そう言いながら、通信系の電子装備を切ったままでシャトルを起動した。


「行くよ、まる。空中デートと洒落込もうじゃないか」

 

(続く)


 

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