第7話 螺旋階段→倉庫スペース203

 捕まってはいけない、とタカラが言った。捕まってしまえば、国の外へは行けなくなる。私はとにかく武装パーツに捕まらないよう、移動し続けた。

 タカラに教えられた『ハシル』という移動方法は、スピードの面では武装パーツに勝るが、長時間持続するのは難しい。

 膝を平常より上に持ち上げ、大腿部と膝下が接するほど膝を曲げる。そうして行う一歩は、平常の一歩より大きな一歩となり、前進する。しかし、消耗が激しい。繰り返すうちに呼吸活動に支障が発生し、脚の動作が鈍重になる。脚の動作を停止するなり、スピードを落とすなりすれば回復は望める。そうして、わずかずつではあるが、武装パーツと私の間に存在する距離は長くなってきていた。スピードを上げ、武装パーツから私の姿が視認できないほど離れてから、スピードを落として脚に短い休息を与える。それを繰り返した結果だ。

 ――タカラ……。

 タカラは、見つかっていないだろうか。捕まっていないだろうか。

 ぜっ、と喉の奥から音がする。この音が呼吸活動による音であると気づいたのは、つい先ほどの事だ。素体は、急激な運動で負荷を与えられると、呼吸活動時にこういった音を出すらしい。

 左耳のユニットから、マザーの指示が流れ続けている。『止まれ』、と。何度も繰り返される。しかし、私はそれに従わない。それは、私のすべき事ではない。

 私のすべき事は、戻る事。タカラのいる場所に。タカラのところに。

 フロア内部に、複数の武装パーツの足音が重なり響く。どのくらい離せばいいのか。まだ足りないのか。捕まらないために、重たい脚を引きずるようにして、階段を目指す。

 ――私は、タカラと、外へ…………、


「トウヤ!」


 …………。

 何故だ。何故タカラが、階段の踊り場から姿を見せている。

 タカラは倉庫スペース203の中、カメラに映らない場所に残してきた。そこにいろと、私は言った。なのに。

 タカラは間違いなく、そこにいる。口を大きく開き、胸部ごと肩部を上下に運動させ、顔の輪郭を水滴が緩やかな速度で流れ落ちていく。

「こんっの馬鹿! 三つも上の階に行くな、探し回って時間無駄にしまくったわ! って足止めてんなド馬鹿ァ! さっさとこっち来い!!」

「りょ、了解した……」

 タカラの言葉に返事をし、タカラに言われた通り、タカラの目前へと向かう。脚は少し軽くなっていた。

「タカラ、何故……」

「細かい話は後! トウヤ、あんたマザーとやらに居場所知られてんじゃないの!?」

「……確かに、パーツの位置情報は、ユニットを通してマザーが、」

「やっぱりー! それをさっさと言え、この馬鹿!」

 私が返答を終える前に、タカラは声のボリュームを上げて言葉を発した。

 タカラは先ほどから三度、同じ言葉を繰り返し発している。『バカ』。どういった意味なのだろうか。

 それを尋ねる前に、タカラが左右の眉の間の距離を詰め、眉の外側の端が上を向いた。目は私の顔、左の耳に向いている。

「ユニットってそれだよね! 外せる!?」

「…………」

 ユニットを外す。考えた事もなかったが、できない事ではない。このユニットは、一定期間ごとにメンテナンス時に取り替えるものだ。つまり、外す事は可能だ。

 私は返事をする前に左耳にはまっているユニットに左手を伸ばし、それを耳から引き離した。ユニットは簡単に私の耳を離れた。それをタカラに見せる。

「……外せた」

「貸して! 降りるよ!」

 タカラは強い力で私の手からユニットを持ち去り、私に背を向ける。そこに先ほどはあった荷物入れがなくなっていた。

 タカラは、斜め後ろに立っていたものに声をかける。

「シイナ、行くよ!」

「了解した」

 短く返答したそれを見て、私は一秒間、呼吸活動を忘れた。あり得ないものが目の前にある。そういうとき、素体の活動に必須と言えるはずの呼吸活動を簡単に忘れてしまうようだ。

「……タカラ、それは、」

「話はあーとーでー! 今はとにかく戻るよ!」

 発しようとした言葉は、タカラの大音量で遮られた。私は一旦口を閉じ、階段を滑るように降りていくタカラと、タカラの後に続くタカラよりも小さなそれの後を追った。

 三階層分階段を下りると、踊り場の手前の通路に赤色が落ちていた。タカラの首の下にあったものだ。

「トウヤ、シイナ、そこにいて!」

 タカラはそこから更に数段降りる。

 何故だ、倉庫フロアはここなのに。

 返事をしない私の隣で、小さなパーツが「了解した」と答えて足を止めた。

 私が何かを言う前に、タカラは十段ほど降りたところで足を止め、右腕を後ろへと引き、流れるように前方へと振った。カン、カン、と硬質な高音がいくつか連続で反響していく。

 音が鳴り止む前に、タカラが倉庫フロアの踊り場まで戻る。そして、素早く踊り場の手前に落ちていた赤色を拾った。拾いながら、タカラが言う。

「トウヤ、さっきの場所! カメラの死角!」

「……『シカク』とは、」

「カメラに映らないところ!」

 カメラに映らないところは『シカク』とも言うらしい。タカラは博識だ。

 私は「了解した」と答えながら、先ほどタカラを置いてきた場所へ向かう。倉庫スペース203の前に立つとドアがスライドして開いたので、内部へと進む。

 通路に比べても階段に比べても照明の足りない倉庫の中、限られたスペース。タカラの背にあったはずのものが床にあった。私達はそこに座り込んだ。

 タラカと私は、乱れた呼吸活動のリズムをどうにか取り戻そうと、口を大きく開いて何かを求める。吸い込み、吐き出す。それだけに意識を向けた。

「……これ、ちゃんと三人とも、映ってないんだよね……?」

 タカラの言葉に、私はカメラがあるはずの位置を確認し、これまでのチェック作業時に確認できなかった倉庫の中の様子を記憶から探し出し、解答を得る。

「……問題ない」

「そっか……なら、いいや」

 タカラはそう言うと、「あー」という音とともに息を吐き出し、首を前方へと折って顔を床に向けた。

「とりあえず、トウヤが無事で良かったよ……」

「『ブジ』……」

「捕まってるわけでも、怪我してるわけでもないって事」

「……『ケガ』とはなんだ」

「うおぅ……そっか分かんないのかそーだわな……。えーっと……こう、体に傷がついたり、とか? 『傷』は、分かる?」

「分かる。つまり損傷の事か」

「……なんか、違うような、違わないような……うん、もーいいや、それで」

 私の素体に損傷はない。脚部の関節部分に違和感はあるが、傷は見当たらない。

 私はじっと、タカラを見下ろした。タカラの素体にも、損傷はないようだ。

「……タカラも、ブジだ」

「そうだよー、無事だよー。ほんっと良かったーもー!」

 首を真っ直ぐに戻したタカラ。再び見えた顔は、エガオだった。イイコトがあったらしい。この場合のイイコトは、私も、タカラも、ブジだという事だろうか。

「……タカラ、何故動いた。私はここにいろと言った」

「ふん、それで大人しく待ってたらトウヤ戻って来んの?」

 タカラの目が細くなり、左右の眉の間には皺ができ、声が少し低くなった。それを聞いて、腰から上が少し後ろへ移動した。何故だろう。

「……もう戻る予定だった」

「居場所知られてるの分かってるのに対策とらなかったひとの言う事は信じませーん」

 タカラが言っているのは、ユニットの事だろう。

 ユニットを装着したままここに戻れば、タカラの位置もマザーに知られる。タカラが来なければ、気付かなければ、そうなっていたはずだ。

 そういえば、そのユニットはどこにあるのだろう。

「まったく……あれじゃどんなに頑張ったって隠れる事もできないじゃん」

「タカラ、ユニットはどうした」

「投げた。あの感じならもう一階下ぐらい行ってるんじゃないかな。螺旋階段だから、上手くすればもーちょっと下まで行ってるかもね」

 階段での動作。その後に響いた音の正体は、ユニットだったらしい。という事は、ユニットはここにはない。それを知り、胸のあたりが少し軽くなったような気がした。

「とりあえず、しばらくは大丈夫そうかな……」

 タカラが首を回して倉庫のドアを見る。

 私は管理パーツゆえに、他のパーツに比べればより多くの知識を持っている。しかし、それも到底タカラには及んでないようだ。私は、ユニットを耳から外す事も、投げて遠くにやる事も、行動の選択肢に挙げる事ができなかった。

 タカラがいるから、私は今、この場所でこうして素体に休息を与える事ができているに違いない。

 ……しかし、視界に映り込む、あるはずのないものはどうした事だ。

「……タカラ」

「うんー?」

「それは《武装パーツ》のはずだ」

「うん、知ってる」

 タカラの隣に座り込む、タカラより小さな素体のパーツ。服装、腰のホルスターとそこに収まっている銃、そして目を覆うゴーグル。そのどれもが、それが武装パーツである証拠だ。

 武装パーツは、イレギュラーを拘束する役目を担う。ゆえに、それはタカラと私にとって危険なものであり、ともにカメラのシカクに座っているというこの状況は、あり得るものではない。

 武装パーツがタカラと私にとって危険なものである事は、タカラも理解している。だが、タカラはそれから離れる様子がない。

「それがさー……トウヤ探しに出たら、この子とぶつかっちゃって。どうもその、ユニットってやつを、わたしが壊しちゃったみたいでさ……。あれ、マザーとやらから指示が出るんでしょ? で、代わりになのか何なのかは知らないけど、わたしのしゃべった内容を指示として受け取ってるみたいだったから……」

 ユニットの破損。平常ならばあり得ない事だ。しかし、タカラはその事態が発生したと言う。パーツはユニットを通して与えられるマザーからの指示に従って行動する。それが平常であり、そこから大きく逸脱する事はあり得ない。

 国のシステムを大きく逸脱する事は、どのような原因であれ異常なのだ。

「……不可抗力ではあるけどさ。この子、多分イレギュラーって事になるんじゃないかなって。そう考えると、ほっとけなくて……半分以上、わたしの責任だかんね」

 タカラはエガオだ。……少し、違うかもしれないが。眉の外側の端が下を目指すように下がった。

「一応識別番号も聞いたんだけど、やっぱり覚えられないから……トウヤみたいに名前付けてね。連れて来ちゃった」

「名前……」

「下三桁が417だったから、《シイナ》」

「……識別番号はなんだ」

「…………」

 タカラが連れて来たという武装パーツは答えなかった。

「シイナー、識別番号、もう一回教えて」

「WE‐X‐43898‐P‐20417」

 本来ならば成立するはずのない遣り取りだが、この場においてそれはすんなりと成立した。

 タカラの言葉通り、下三桁は417だ。それが何故シイナと呼ぶ事に繋がるのかは理解できないが、タカラがそう言うのだから、そうなのだ。識別番号はすでに記憶したが、呼ぶには長い。少なくとも、《シイナ》より長い。長いと、呼びにくい。呼ぶだけで時間を消費する。タカラは《シイナ》と呼ぶのだから、私もこの武装パーツを今後シイナと呼ぶ事にする。

「最初は質問しても答えてくれなくてさ。質問には答えてほしいなーって言ったら、答えてくれるようになったんんだよ。いやあ、言ってみるもんだね」

 問い掛けかどうかの判別はつくらしい。『質問に答える』。シイナはそれを指示として解釈したのだ。それは現在も継続されているらしい。

「ところでさ、これ、ゴーグルっていうらしいけど……」

 タカラの指が触れたのは、シイナの目を覆っているものだ。武装パーツなら必ず装着しているものだ。

「暗視ゴーグルだ」

「ほっほう、なんか武装パーツっぽい感じ。これは居場所知られたりしないの?」

「そういった機能はユニットに集約されている。そのゴーグルは、ユニットとリンクしていれば視界に映るものの情報を表示する事も可能だが、ユニットがないのなら暗視ゴーグルとしての機能しかない」

「バッテリーで動いてるの?」

「そのはずだ」

「じゃあ、つけててもそのうち使えなくなるね、バッテリー切れで」

「そうだ」

「シイナ、ゴーグル外しちゃおっか」

「了解した」

 シイナはタカラの言葉に返答してから、後頭部を締めつけていたバンドに手を伸ばし、それを外す。銀色の大きな瞳が、ゴーグルの代わりにシイナの顔に乗っている。

「っ……かっわ……!! 何これかわいい! 何なのトウヤといいシイナといい、パーツは美形が前提条件ですかコノヤロー!」

 タカラの顔は、少し赤い。

「……タカラ、何を言っているのか分からない」

「ん、分からなくてよし!」

「……いいのか」

「いいのさ!」

 タカラの言葉は、よく分からないものが多い。

 武装パーツはタカラと私にとって危険なものだが、シイナはタカラの言葉に従う。ユニットがなく、マザーから出る指示がないからだ。タカラの言う通り、そのままにしておいてもシイナはイレギュラーとして認定されただろう。イレギュラーとはマザーの管理から外れたもの、指示に従わないもの。シイナはその要件を満たす。

 シイナはタカラを捕まえない。私も捕まえない。ならば、問題はない。

 私とタカラが外へ行く予定が、私とタカラとシイナが外へ行く予定になった。それだけの事だ。

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