第4話 拘置エリア→倉庫エリア

「よし、とにかくこの部屋を出よ! ……出れるよね?」

《イレギュラー》――タカラの首の根元が傾き、肩と首の角度が二十五度ほどになった。そして、目線は私の顔に向いている。

 私が出入り口に近づくと、ドアは一秒のタイムラグもなく横へとスライドして消えた。

 現時点では、私はまだイレギュラーと認定されていない。この部屋から出ること。それは今も耳に装着しているユニットから流れ続けている指示に一致する。ゆえに、私がこの部屋を出ることは拒否されない。

 踏み出そうとして、

「あ、待った!」

 タカラの声に、動きが止まる。私の隣に、タカラが立つ。

「わたしが先に出るね。そしたらトウヤもすぐ出てくる事!」

「何故」

「トウヤが出たらこのドア、すぐ閉まっちゃうでしょ。そしたらわたし出られなくなっちゃう」

 タカラの説明を理解する。このドアが閉まると、タカラは拘置スペース101の外に出られない。一緒に外へ行くのだから、タカラはこの拘置スペース101の外へ出なければならない。

「了解した」

「よし、じゃあ行くよ!」

 タカラが拘置スペース101の外に出る。言われた通り、私もすぐにスペースから通路へ出た。直後、拘置スペース101のドアは素早く閉じた。

 タカラの判断は正しかった。私が先に出ていたら、タカラが外に出るための時間はなくなっていた。

 タカラは通路に立ち、腰の左右に拳を当て、唇の両端を上方に吊り上げていた。

「さてさて、脱走劇の始まりですな! ちょーっと燃えてきちゃったよー、わたし!」

「どうすればいい」

「んん……そうだな。とりあえずこの建物の外に出たいな」

「地上か」

「そう地上……って、はぁ!? 地上って、……まさかここ地下なわけ!?」

「知らなかったのか」

「知らんわ!」

 タカラは眉の外側を上へ吊り上げ、下方から私を見た。黒で縁取られた瞳。よく見れば、中には黒が混じったような土の色。

 タカラは顎を上げ、右手でその瞳を隠した。ぺしん、と音がした。

「くあー、全然思いつかなかった! そりゃ窓が一個もないハズだよ!」

 タカラの発言に、周囲を見回す。確かに、タカラの言葉通り、この地下部分には窓が一つもない。地上部分にはある。その数を数えたことはない。タカラの中では、地下であることと窓がないことは連結するらしい。何故なのか、私には分からない。

 タカラが頭部の位置を元に戻す。

「よし、じゃあとにかく地上に出よう!」

 タカラの丸くて大きな黒い瞳が、再び私を見た。眉と唇はゆるやかな弧を描いている。

「ん? なに?」

 唇の弧を消して、少し首を傾ける。

「……よく動く顔だ」

「顔!?」

 また違う顔だ。今度は、目を丸く大きくしたが、瞳は収縮したように見える。眉は相変わらず弧を描いているが、先ほどよりもカーブが強い。口は大きく開き、その中の白い歯、赤い舌など、中がよく見えた。

「……って、ああ、びっくりした。表情のことだね」

 タカラは頬に手を沿え、人差し指と親指で頬をつまみ、横へと力を働かせた。それにしたがって、輪郭が横に広がる。顔はこんな風に形が変わるものなのか。

「……『ヒョウジョウ』」

「そ。感情を顔で表すの。嬉しかったら嬉しそうだーって分かる顔するし、悲しかったら悲しいんだなーって分かる顔するよ。特にわたしは気持ちが顔に出やすいらしいんだよねー。友達には『アンタとババ抜きしてもつまらん』なんて言われるくらいですよ」

「…………」

「……うん、『嬉しい』とか『悲しい』とか分かんないだね。ついでに『友達』も『ババ抜き』も分かんないよね知ってるー」

 声にすべき言葉を検索していると、タカラがそう言って、唇が弧を描き、眉は先ほどまでとは逆に弧を描いて見せた。

 そのとおりだ。タカラは私が何も言わずとも、私の中を見透かしているようだ。

「んー、教えてあげたいのはヤマヤマなんだけどなあ。『友達』や『ババ抜き』はともかく、感情なんて、ぶっちゃけ言葉で説明できるもんじゃないんだよね。ってことで、トウヤ」

 タカラが私を呼んだ。

 タカラは両の手の人差し指で頬を上へと押し上げた。それにつられるように、タカラの唇の両端が上へと向かい、下向きの弧を描く。

「これね。これ、『笑顔』」

「……『エガオ』」

「そう。嬉しいときとか、幸せだなーって思ったときとか、楽しいときとか、面白いときとか……面白いとたまに声上げて笑ったり、涙まで出たりすることもあるんだけどね。まあ、そういうときに自然と出てくる表情なのだよ」

「…………」

「分かんない単語いっぱい出てきたと思うけど、とりあえず、こういう感じの顔は笑顔。いい事があるとこの顔。覚えておく事!」

「……了解した」

 私が返答をすると、タカラは指を頬から離した。それでも、タカラはエガオのままだ。『イイコト』がどのようなものなのかは分からないが、イイコトがあったようだ。

「さて、あんまりぐずぐずしてるのはよくないよね! トウヤ、ここから地上に出るにはどうしたらいいの?」

「……中央のエレベーターか、階段を使う」

「……ハイ、ですよね。でもさ、あの辺りって絶対カメラとかありそうなんだけど」

「そのとおりだ」

「やっぱりか! だとしたらあんまり使いたくないなあ……」

「何故だ」

「見つかるじゃん」

 たしかにそのとおりだ。イレギュラーの発見率におけるカメラの貢献率はさほど高くはないが、ゼロではないはずだ。

「てか、そもそもここのエレベーター、ボタンなかったから普通にゃ使えんでしょ」

「ボタン……」

「エレベーターを呼び出すためのボタンだよ。大抵、上矢印と下矢印の記号が描いてあるボタンでね。押すとエレベーターが来るんだよ。で、中に入ってから何階に行くか選択するの」

「そういったものは不要だ」

「……ですよねー。うん、さっき見たときは『なんでじゃー!』って思ったけど。トウヤからこの国の事聞いて納得したわ」

 パーツがエレベーターを使う際には、タカラが言うようなボタンは必要ない。マザーから向かう場所の指定があり、マザーがエレベーターの動作を制御する。中心となっている円柱の中で背中合わせのように二つ設置されているので、上下で衝突することはない。管理パーツはマザーからの指示なしに移動する事も多いが、そのために階段があるのだ。

 今、拘置スペース101で繰り返されていたマザーの指示はない。スペースから移動した事で通常作業に戻ったと判断され、指示を出す必要性がなくなったからだ。

「とにかく、そのマザーに見つかりそうなルートは極力避けたいな。捕まるのヤだもんね。どっか、カメラが少ない脱出経路ないかなあ」

 タカラの言葉に、私は記憶の中にある内部構造とカメラの位置を重ね合わせた。タカラの要望を満たす経路を検索する。

 一つだけ、満たせそうなものがあった。

「……倉庫エリア」

「ん?」

「倉庫エリアに、地上への非常用連絡通路がある。あそこはカメラが設置されていない」

「おお! じゃあそれ使おう! で、倉庫エリアってどこ?」

「ここより五階層上のフロアだ」

「五っ……! うな? 五……?」

 タカラの首がまたも傾く。タカラの行動の意味が分からず、私はただじっとタカラの次の言葉を待った。

「……ね、トウヤ。その非常用通路ってさ、すぐそばに真っ赤なボタンあったりする? こう、壁がくぼんでて、透明なプラスチックでカバーされてて……」

「ある」

「あれかー!!」

 タカラの両手がタカラの頭部をつかんだ。膝が六十度ほどに曲がった。元々低い頭頂の位置が更に低くなった。

「知っているのか」

「知ってるっつーか、なんつーか……いや、うんまあそこはどうでもいいか。とにかく行こう。こっから倉庫エリアには中央の階段を使わなきゃならないんだよね?」

「そうだ」

「なら急ごう。見つかるのはこの際しょうがないにしても、捕まるのだけは絶対避けなきゃ」

「了解した」

 タカラが先に動き出し、私はその後に続いた。タカラの体長は私の肩ほど、つまり一メートル五十センチ程度だ。小さい。

 私の視界に映るのは小さな背部。だというのに、どうした事だろうか。私の前を歩くタカラの背部は、とても大きなもののように見えた。じっと、黒に近い青と、それを隠すような、それよりずっと濃い色で出っ張っている何か――おそらく荷物入れ――を見つめる。

 タカラは、よく分からない。

 しかし、私にとってタカラは、たった一つの導だ。今、私の周囲にはタカラ以外に、答えへの手がかりを与えてくれるものはない。

 この国の外に何があるかは分からない、とタカラは言った。けれど何かはあるだろう、とも言った。そして、私が求める答えは、外に出なければ見つからないだろう、と言った。

 この国でそんな事を私に言う何かはない。この国では原則的に言葉を応酬するという行為が認められていない。行う必要性もない。私を含む管理パーツは、時折修復作業を行うにあたって二本の腕では足りない場合に声をかけ合う事もあるらしいが、その程度だ。私はそういった事態にあたった事はない。

 こんなにも連続して言葉を発する事、また発し合う事は初めてだった。マザー以外の音声を聞く事は初めてではない。マザーの指示に対して了解の返事をするパーツの声を聞いた事がある。しかし、これほど多く、長く聞いているのは初めての事だ。

 聞いた事がないもの。見た事がないもの。タカラの中には、私が知らないものが多く詰まっている。同じ空間にいる時間が長くなればなるほど、タカラの口から、素体から、私が知らないものが溢れてくる。

 タカラは、よく分からない。

 分からないからこそ。

 ――タカラだけだと。

 タカラとともに行けば、私の求めるものが見つかるのだと。

 素体の内側のどこか、奥底から訴える声が、頭部から手の先、足の先まで響き渡り続けていた。


 * * *


 タカラを追い、階段をいくらか上った。

 私の背後から、複数の足音が迫りつつあった。

 タカラにも足音が聞こえたようだ。階段を登る足を止め、上半身を半分ほどこちら側へと捻った。

「ゲッ、来た! トウヤ、駆け足!」

「カケアシとは何だ」

「知らんのか!? じゃあ走れ!」

「…………」

「ちょ、ガチで!? ええい、もう!」

 タカラが私の左側の手首を強い力でつかみ、階段の上方へと引っ張りあげるように前へと進んだ。その力に合わせるように体を動かすと、自然と両足の前後の行き来のスピードが平常より増す。膝が直角よりさらに鋭角に曲がる運動が立て続けに発生して、素体を内部で支えているものがギシギシと鳴る音が聞こえてきた。

「……タカラ、これが『ハシレ』という事か?」

「そうですー! 正確には『走る』って動詞! 五段活用!」

「…………」

「詳しい事はまた今度ね!」

 ぜっ、と喉の奥から音がした。それははたして、私の素体内からの音なのか、タカラから聞こえてきた音なのか。分からないはずがない。私の音でなければタカラの音という事だ。なのに、分からなかった。

 時間が経過するにつれ、だんだんと脚が鈍重になってきた。無理やり引っ張り上げ、時折階段の縁に足の先をひっかけながら、タカラに引っ張られながら、階段を登っていく。

 タカラの移動スピードが少しずつ緩み、私を引っ張りあげる力も弱くなった。階段と階段の間にある踊り場、エレベーターの前で、タカラは足を止めた。私も足を止める。

「っ、は、……五、階分……来たぞ! や、べっ……死ねるわコレ!」

 タカラの顔の色が、先ほどより赤くなっている。右の手は私の左側の手首を掴んだまま、空いている左の手で左の膝を押さえ、腰と膝を緩く曲げ、顔が黒い毛髪に隠れる。タカラの呼吸に合わせて、肩と背が大きく上下運動を繰り返している。自分の素体に意識を戻してみると、私の肩も呼吸に合わせるように大きな上下運動を行っていた。

 呼吸活動を行うたびに、喉と胸部に違和感が発生する。頭部の中に、「呼吸活動を行う事を中止したい」といった内容がふと浮かんだ。素体維持に必要な行為のため、これは実行不可能だ。

 階段の下方に視線を向ける。何も見えない。音を拾うために、耳に意識を集中する。タカラの声、呼吸の音。私の呼吸の音。遠い、しかし確実に近づいてくる足音。

「は、ははっ……あいつらも、走る事、知らないのかなあ……」

「……先ほどの、行動は……騒音に類するものか」

 私も、タカラも、呼吸があまりに苦しいため、うまく言葉を続けて発する事ができない。

「うあー……? ああ、そうっ、かも……ここ、足音、響くし、ねっ……」

「ならば、理解できる。必要最低限、以外の、騒音の発生を、はっ……禁じている」

「……マジでか。それで、走るのもナシね……徹底してんなあ」

 追ってくる足音は、最初に聞いたときよりもずっと遠くから聞こえてくる。いつもと変わらぬ速度で私たちを追いかけてきているのだ。

「……つっても……このままだと地上まで追っかけてくるよね……」

 長く息を吐き出して、タカラが再び背をまっすぐに伸ばした。タカラは踊り場の外に広がるフロアを見て、それから階段の登り方面を見た。

「……倉庫エリアっつーことは、部屋があるはずだよね。イレギュラーでも入れる?」

「入れる。地下で出入りが特別に規制されているのは拘置スペースのみだ」

「オーケー。じゃあトウヤ、しばらくこのフロアで逃げたり隠れたりしといて」

「何故」

「わたし、もうちょっと上行って、あいつらどうにか撒いてみるよ。うまいこと遠ざけたら戻ってくるから」

 私を下から見るタカラは、エガオだ。イイコトがあったようだ。

 ……《イイコト》とは、何だろう。

「……でも、もしわたしが戻ってこなくても、危ないって思ったら、一人でも逃げるんだよ。トウヤ、カメラの位置分かるんだよね?」

「把握している」

「なら、カメラにあんまり映らないような道を選んで、どうにか外に行く事。ぜっっったい捕まるんじゃないよ! 絶対。分かる?」

「……分からない」

「おっふ……まあいいや。とにかく、捕まらない事。トウヤはそれだけを考えるの。いいね?」

 了解した。

 いつものように、与えられる指示にそう答えようとした。

 しかし、口は動かなかった。喉は震えなかった。私は口を閉ざした。

 私の左手は、離れようとしたタカラの右手を掴んでいた。

「トウヤ?」

 階段の下方から、カツカツカツ、と武装パーツのブーツが発生させる音が聞こえてくる。武装パーツに捕まってはならない。捕まれば、再び拘置エリアへと連行される。タカラも、私も。そうなればもう、国の外へ出る事はできない。タカラは私に、ここへ残れと言う。タカラは上の階層へ向かい、武装パーツを遠ざけると言う。そして、もしタカラが戻ってこなくても、私は国の外へ行け、と言う。タカラなしで、行けと……、

「――私が行く」

 私の口は、答えるべき言葉とはまったく違う言葉を発していた。

 タカラの目が大きく丸くなり、中央の黒い瞳が縮小したように見える。先ほども類似したヒョウジョウを見せていた。ヒョウジョウには法則性があるようだが、私には判別不能だ。

「行く……って。え? どこに?」

「私が、上に行く」

「え、いや、でも……連絡通路はこのエリアにあるんでしょ?」

「タカラは、ここの内部構造を知らない。戻って来ないかもしれない」

「あー……それはまあそうね、うっかり迷子になるかも。――いや、いやいや、大丈夫、がんばって戻ってくるよ。あ、そだ、この辺に目印でも残して……」

 タカラの空いている左手が、首の下の赤に伸びる。私はその手を右手でつかむ。タカラの目が、さらに大きく丸くなる。

「タカラがいないと、私は外へ行けない」

「トウヤ……?」

 タカラが戻ってこなくても、私だけで外へ行けと、タカラは言った。それでは駄目だ。なぜなら、それでは私は、外へ出たところで、答えを知る事はできないからだ。

 タカラだけだ。タカラだけが、私の導だ。タカラがいなければ、私は行くべき方向を見失う。この国の外へ出る事も、出た後も。

 私はタカラを引っ張り、手近な倉庫スペースに踏み入る。その中の、壁際のある一点にタカラを移動させ、言う。

「ここはカメラに映らない。だから、ここにいろ」

「ちょ、トウヤ!?」

 タカラをその場に置いて、つい先ほどタカラに教えられたように、平常より膝を持ち上げ、床を蹴るようにして前に進む。オートでドアがスライドして閉まり、私はそれを音だけで確認して階段を目指した。

 踊り場に立てば、明瞭に武装パーツの足音が聞こえてくる。ずいぶんこの階層に近づいてきている。

 ここから、どうすればいいのか。私には分からない。タカラは上のフロアへ行くと言っていた。なら、とにかく上だ。階段を登ってくる足音を耳に入れながら、私は上へと向かう階段に足を乗せた。

「……タカラは、必要だ」

 誰が聞いているわけでもない、聞かせなければならないものでもない。しかし、私の口からその言葉は零れた。そして、確認する。

 タカラは必要だ。

 この国にとって、ではなく。

 私に。

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