第3話 仮押さえ

 その日の朝、俺は街道を歩いていた。


 現在商売の拠点としている地区より、もう少し規模の大きな城下町があるという情報を得ているのだが、十里ほど離れている。

 さらに、その延長線上には江戸が存在する。


 少しずつでも進んでいき、ポイント登録を上書きしていけば、いつかは目的の町、そして最終的に江戸へとたどり着く。儲けへの執着心が、俺を行動させていた。


 左手には幅五十メートルほどのかなり大きな川があるが、このところ雨が少ないために流れはゆるやかで、所々に中州も見えている。

 今歩いている街道は堤防の上だ。


 ふと目を河原にやると、地味な着物を着た女の子が五人ほど集められ、なにやらしょげている。

 泣いている女の子もいる。

 その子達をなだめているのは、二人の男性。うち一人は見覚えがある。

 興味をもって近寄ってみる。やっぱり、一人は「啓助」さんだ。


「……やあ、啓助さん。どうしたんですか、こんな河原で」

「おお、これは拓也さん。いや、これから『身売り』に出て行くところなんだ」

「身売りっ!?」

 俺は驚きに目を見張った。


 身売りとは、たとえば借金のカタとかで、女の子がその身を売らなければならないはめになった状態を指す。

 で、売られた女の子がどうなるかというと……たいていの場合、「そういうところ」で、「金を払った男達」に、「あんなことやこんなこと」をされる訳で……まあ、ぶっちゃけ「性欲の対象」となってしまう。そのぐらいの知識は、俺も持っていた。


「今年は不作だったから……このあたりじゃ、決して珍しくない。この村なんか、少ない方だ」

 啓助さんはさらりと言う。つまり、「慣れて」いるのだ。


 もう一人の、巨漢の怖そうなおじさんは、いぶかしげに俺の事を睨んでいたが、啓助さんが

「ほら、例の『しゃき』の人ですよ」

 というと、なんか納得したような顔つきになった。


 しかし、この少女達の不憫なことといったら、なんと表現すればいいのだろうか。

 中には、まだほんの子供もいるじゃないか。年齢を聞くと数え年で十四歳、つまり現在の満年齢でいうと十三歳だという。


 他にも、泣きはしないが、唇を噛んで耐えているような娘や、懸命に、自分も涙を流しながら、小さな子をなだめている「お姉さん」もいる。

 しかもその子達、全員がかなりの「美少女」だ。


 啓助さんも、「特にこの村には上玉が集まった」という話をしていたが、その表情からはやりきれなさが感じられた。


 さらに、困った事も起きているらしい。

 今年は「身売り」する者が多く、相場が下がっている上に、「受け入れ待ち」の状態なのだという。

 このままだと、今日はどこかの宿屋で一時的に彼女らを泊めてもらうしかない。


 もちろん、タダでというわけにはいかない。

 宿泊代が払えなければ、一晩だけでも「身を売って」稼ぐしかない。

 ということは……早ければ今夜にも、彼女達は男に弄ばれてしまうかもしれないのだ。


 それを聞いて、俺は思わず叫んだ。

「この娘たち、俺がまとめて面倒見ますっ!」


 その言葉に、啓助さんともう一人の、佐助という名の男の人は驚いた。


「面倒見るって……買い取るってことか? 高いぞ」

 佐助さんの声は、ちょっとドスが効いていて、怖い。

「高いって、いくらですか?」

「一人、百両。五人で五百両だ」

「五百両……」


 呆然としてしまう。今、俺は二ヶ月かかってやっと稼いだ、二十両しか持っていないのだ。


「あの……五百両、払いますが、今、手持ちで二十両しかなくて……」

「えっ……拓也さん、二十両も持っているんですか?」

 啓助さんが、もう一度驚いた。


 現代の物価にして、約二百万円。当時、人件費が安く、実はこれは彼等の年収以上の金額だったのだ。


「……まあ、それだけありゃあ、頭金としてはいいんじゃないか? どうせ正規の身売り先は『待ち』の状態だ。それなら、その間少しでも金になった方が、俺等もありがてえ」

「それはそうですが……拓也さん、彼女らを住まわす場所とか、用意できますか?」

 そう言われると、回答に困ってしまう。俺はこの時代に住む「家」を持っていない。


「そういや、もう一つ向こうの村に、だれも住んでねえ古い庄屋の家があるじゃないか」

「……なるほど。あそこもこの不作で、買い手や借り手がいないんでしたね。そこも遊ばせておくぐらいなら期間限定でお貸しした方が……」


 こうして、啓助さんら「万屋よろずや」にとっても「渡りに船」の事情があり、とんとん拍子に話しが進んだ。

 そこで決まった条件は、以下の通り。


「『拓也』は一人三両、計十五両で少女達を『仮押さえ』状態にする」

「二十八日以内に『一人百両』、計五百両用意できれば、彼女達を全員買い取ることができる」

「彼女達は監視しやすいように、一件の民家に住まわせる。その敷地内から出してはならない」

「逃げ出さないように、見張りを立てる」

「民家の賃料である二両、見張りの賃金一両は、『拓也』持ちとする」


 もちろん、これらの事は現代では許されない「人身売買」だ。

 しかし、江戸時代では、こういったことは当たり前におこなわれていた事なのだ。


 ともかく計算上、十八両で、俺は彼女達の「仮の主人」となった。

 さらに一両使い、彼女らが生活に必要な食料や衣類、布団などを運び込む手はずとなった。


 そうと決まるや、佐助さんは急いで万屋へと帰っていく。先に主への報告と準備を済ませておくということだった。

 商人達の恐るべき手際の良さに、俺は舌を巻いた。


 とにかく、まずはその「古い庄屋の家」に、全員で歩いて行かねばならない。


 啓助さんの案内で、子供達のペースに会わせてゆっくりと進む。この速度だと、二時間ほどかかるらしい。

 双子の女の子たちは、すぐに俺に懐いてくれた。


 二人とも最初の内は俺を「ご主人さま」と呼んでいたが、俺が『タクヤ』でいいよ、というと、おてんばな方の子はすぐに「タクッ」と呼び捨てにしてきた。

 その子が「お雪」だった。


 もちろん、俺もそれで嫌な気分になるはずもない。俺も彼女を「ユキ」と呼び捨てにした。ただ、もう一人のほんわかした女の子は「ご主人さま」と呼ぶのをやめなかった。それはそれで、まあいいかな、と気にしなかった。

 彼女の名は「お春」。俺は「ハル」と呼ぶことにした。


 彼女らの姉は、むすっとした表情のまま、俺と言葉を交わそうともしない。

 そしてもう一組の姉妹が、遠慮がちに声をかけてきた。


「あの、私……『優』と言います……よろしくお願いします」

「ああ、『ユウ』だね。よろしく」

 俺は気さくに返事をしたが、内心、かなりドキドキしていた。

 彼女は、本当に俺好みの美少女だった。


 他の子も可愛らしいのだが……この子は、まさに「彼女にしたい」と思わせるような……それどころか、現代ならば「手の届かないアイドル」だったとしてもおかしくないような、そんな存在に思えたのだ。


 ちょっと控えめで、おとなしそうな所も、俺の理想と一致していた。


「私がこの娘の姉、『凜』です。拓也さん、この娘共々、よろしくお願いいたします」

 そう言って深々と頭を下げてくる。ずいぶんと大人びた印象だ。


「あ、はい、こちらこそ。『リン』さんですね。失礼ですが……おいくつですか?」

 思わず敬語になってしまう。


「私は、十九になります。あなた様はずいぶんお若いように見えますが……」

 数え年で十九、ということは、満年齢では十七歳か十八歳だ。やっぱり年上だったか。それより、俺は相手の歳を聞いていながら、自分の歳を言っていなかった。


「あ、すみません、俺は、えーと、数え年だと……十七歳です」

「えっ、十七歳……ということは、優、あなたと同い年じゃない。良かったわね、こんなに若くて格好のいい人がお相手で」

 彼女は、そう言われると真っ赤になってうつむいてしまった。


 どうしたんだろう、と不思議そうな顔をする俺に、凜さんは言葉を続けた。


「この子、まだ男の人を知らない、純情な娘なんですよ。だから……初めて事をいたしますときは、どうか優しくしてあげてくださいね」

 ……彼女か赤くなった意味を知り、今度はこっちが戸惑う番だった。


「いや、あの……俺はそんなつもりじゃなくて……ていうか、まだ仮押さえだから、俺は君たちにそういう風に接することはできないんです……ねえ、啓助さん」

 このやりとりをニヤニヤしながら見ていた彼に助けを求めた。


「はい、その通り。今の段階では、拓也さんはあなた方に手を出すことはできません。そういう契約です」


 啓助さんの言葉に、凜さんと優、そして俺と口を聞いてくれなかった「ナツ」が、一斉に「えっ」という表情で顔を上げた。


「それに、五百両で買い取った後も、俺は君たちを親元に戻すことしか考えていない」

「そんな……それじゃあなた様、なんにも得がないんじゃあ……」

「損得なんて考えていない。ただ……見ていられなかっただけだ」

 少しやけになったようなその言葉に、凜さんと啓助さんは、呆れているようだった。


「でも……あの三人はそれも叶わないんです。お夏ちゃん達の母君は三年前に、そして武士であった父君もつい先日、亡くなったんです……」

 凜さんが、悲しげに教えてくれた。

 そして俺はそれを聞いて、軽々しく「親元に帰す」などと言ってしまった自分の浅はかさを知る思いだった。


 ナツは俺たちのやりとりを聞いて、顔を上げた。

「いや……けれど、私は感謝している。私はどうなっても構わないが、この二人が……身売りの意味さえ理解していない妹たちが、男どもに弄ばれるなど、考えたくもなかったから……」


 そう言われると、あどけなさの残る双子は、終始きょとんとしていた。だからたぶん、ナツの言う『身売りの意味さえ理解していない妹たち』はその通りなのだろう。


「けれど、そういう約束になっているのなら……もし、貴様が妹たちに手を出したならば……私は貴様を成敗して、そして私も死ぬ」


 武士の娘らしい、毅然とした言葉だった。

 しかし、俺には彼女のそんな決意など、無用だった。


「心配しなくていいよ。俺はこの子達に、そんな変な気を起こすことは絶対にない。他の人にも、同様にね」

 俺は笑顔を見せる。


「そうか……なら、今は礼を言っておく。あと、すまないが、しばらくやっかいになる。金は絶対、何年かかっても、私が働いて返すから……」

 思いがけないナツの言葉に、俺は彼女の心の強さ、そして妹達に対する愛情の深さを知り、笑顔になった。


 そうこうする内に、目指す「古い庄屋の家」が見えてきた。

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