第1話

 目の奥が刺すように痛む。


 体の節々が悲鳴を上げている。


 意識が朦朧として、今にも気絶してしまいそうだった。体を巡る血液が焼けるように熱く、それでいてどうしようもなく冷たい。


 ……死ぬのだろうか。


 ぼんやり霞がかった視界を眺めて私は思う。何気なく思ったその一言はやけに実感を伴って、満身創痍の私に襲いかかった。発熱だけが原因ではない体の震えが止まらない。


 風邪なんて、今まで幾らでも罹ったことがあるにも関わらず、その時の私は只、直ぐ背後にいる『死』に怯えていた。


 頰に感じる冷たい石の感触が私にそう思わせたのかもしれないし、微かな視界からわかるこの場所が、全く見覚えのない洞窟だと分かってしまったからかもしれない。


 それでも私が、私の心が冷え切らないでいられたのは左手に握られた、何か石のようなモノの暖かさだった。


 私は縋るようにそれを抱えたまま、半ば気絶する形で意識を手放した。



 ***


 ホゥホゥと耳元で何かが鳴いた。緩やかだが、羽ばたく音も聞こえる。



 何か、いる。


 重たい瞼を押し上げると、其処には冷たい月の光を溶かしたような銀色の大きな梟がいた。弱った私を食べに来たのだろうか。


 普通梟は鼠などの小動物を食べるが、熱で思考力の弱まった私は梟に食べられると本気で思ったのだ。梟自体、私が知っているよりずっと大きかった事もそう思わせた原因でもあった。



 そして悪い知らせがもう一つ。


 私の体調は更に悪化しているようだった。寝ているのに目眩が酷かった。頭が割れる様に痛い。もしこの状態で、襲われたら抵抗しようがないだろう。


 逃げなくては、と思うのだが腕ひとつ上がらない。指先をぴくりと動かすので限界だった。声を出そうにも、ハー、ハー、と息が漏れるだけで意味をなさない。どうしようもなかった。


 仰向けになっている私の腹辺りに、梟が降り立った。服越しに鉤爪が軽く食い込んだ。少し、痛い。だが、そんなことは気にしてなどいられなかった。


 怖かったのだ。目の前の梟が。


 抵抗出来ない恐怖は、想像するよりずっと惨めで恐ろしい。私は恐怖を紛らわすように、手の中の石を握り込んだ。梟はどんどん胸辺りまで登ってくる。銀色の梟は顔を私の眼前まで、ぐっと近付けると、ホゥと笑うように鳴いた。

 可笑しな話だが、私は本当にその梟が笑った気がしたのだ。


 私はそんな梟の姿に一気に脱力した。梟が私を傷付けるつもりがないと本能的にわかったからだ。


 梟は何処から出したのか、私の口元に青い琥珀のように透き通った小石を近づけた。私は梟の意図が分からず、困惑気味に梟を見た。梟は私の困惑を余所に、更に青い琥珀をぐいぐい私の口元に押し付ける。


 もしかして。もしかすると……。


 ……食べろ、とそういう事なのだろうか。私は口を軽く開けると其処に、梟が遠慮なく琥珀を放り込んだ。噛む力がなく、暫く口の中で転がしているとそれは起こった。


 口の中の琥珀が溶け始めたのだ。喉が一気に潤う。


 私は目を見開いた。


 梟がホゥホゥと満足気に鳴く。青以外にも色々な透明な石を、梟は私の口元に持ってきた。腹が限界になってもまだ詰め込もうとする梟を制した。このままだと際限なく詰め込まれそうだったからだ。


 腹が十分に満たされた私は、昨夜よりも幾分か楽に眠ることが出来た。



 ***


 水の滴る音で目を覚ました。


 昨日ずっといた筈の銀の大梟はもういなくなっていた。その代わりとでも言うように、あれだけ辛かった体は随分と楽になった。頭の頭痛も、喉の痛みも、体の震えも、何もかも消えていたのだ。


 上半身を起こすと、ずっと握っていたらしい丸くて真っ青な石がころんと地面を転がっていった。その石に奇妙な愛着を持っていた私は思わず「あっ!」と声を上げた。


 何故なら、転がった石に大きなヒビが入っていたからだ。


 ああ……!! 自身でも不思議に感じる程に、その事実に衝撃を受けた。どうしようもない失態を犯してしまった気分になった。


 慌てふためく私を尻目に、ヒビは瞬く間に広がっていき、ついに



「ギュ?」

「……え?」



 一つの生命が産声を上げた。




 ***



 不透明で、真っ青な硬い石……ではなく、卵だったらしい。では、私は卵をずっと握っていたのか。一体何時から? どうしてなのか?


 ……第一ここは何処なのだろう。洞窟の中だという事しかわからない。疑問は尽きないが、取り敢えず目の前の産まれてきた生き物が気になって、考えがまとまらなかった。


 さっきからずっと視線を感じる……。


 石のように硬い卵の殻を、頭に乗っけたままの灰色の毛玉は、小さな瞳でじっと私を見上げていた。


「ギュキュ?」

 奇妙な鳴き声を上げながら、その毛玉は私の足をよじ登ろうとする。小さな手足を懸命に動かしているが、中々上手くいかず、こてんと背中から転がり、無防備に腹をさらした。


 私はそんな毛玉を抱き抱えると、背中を何度か撫でた。理由はない。唯、何と無くだ。


 刷り込み効果なのか、産まれたばかりの毛玉に警戒心のけの字もない。気持ち良さそうにキューキュー鳴いている。


 毛玉の顔は、少し鼻が大きく目が小さい。何処となくコアラに似ている。

 だが、コアラと違い、耳は小さく同じ種とは思えない。



 そう、これは……


「キュギュ!」



 ──ウォンバットだ。

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