加奈と真由美

 早朝からやってきた加奈は、ベッドの上の私を見るなりぼろぼろ涙を流した。


「か、加奈。ちょっと、どうしたの?」

「昨夜、足のこと聞いてからずっとこの調子なんだ。…………大丈夫なのか?」


 泣きすぎて答えられない加奈の代わりに真由美が答える。


「あー、うん、さっき痛み止めもらったし大丈夫だよ」

「そうじゃなくて、その…………」


 言い淀む真由美に極力明るく返す。


「リハビリは大変みたいだけど、普通に歩けるようになるって」

「でも、バスケは?」


 泣きながら加奈が口を挟む。


「バスケは…………選手復帰は難しいだろうね。お遊び程度ならできるかもしれないけど。粉砕骨折だし、場所が場所だけにね」


 はっきり聞いたのはついさっきだけど、覚悟はしていた。昨日の事故現場で自分の足を見たときから。骨が見えてたし、ありえない方向に曲がってたから。関節部の粉砕骨折。スポーツ選手にとっては致命的な怪我だ。インターハイ予選目前のこの時期に、と思えばなおさら絶望的。きっとここに来る前だったら、目の前が真っ暗になっただろう。

 でも、今の私にとって、インターハイ予選はもう違う世界のことなのだ。この世界でそれを目指すのは真由美。私は……部外者だ。

 そういう思いがあったからか、話を聞いたときも、一瞬戸惑ったけど加奈が思ってくれるほどにはショックを受けていなかった。


 歩けるようになるというだけで感謝しなくちゃ。


「う~~~」


 私自身が案外サバサバしているのに、加奈が泣いて泣いて大変だった。真由美の胸でぐずぐず泣いて、真由美が抱きしめて頭をぽんぽん叩いて慰めて……ってそこ、百合みたいなんだけど……二人ってノーマルだよね? 今まで気づかなかっただけってことないよね? 

 私の視線に気づいた真由美が睨んでくる。


「マミ、ヘンな妄想するなよ。オレはノーマルだぞ?」


 思わず吹き出してしまう。だって、自らノーマルだと名のらないと間違われるって自覚はあるんだ。


「イタタタ…………」


 動いたらあちこちが痛い。


「お前、笑い過ぎ」


 真由美が加奈を離してデコピンしてくる。加奈が涙をふきふき言う。


「マミ、元気そうでよかった」

「加奈は昼までここにいるって言ってるから、こいつの昔話、聞いてやって」


 加奈の頭をぽんぽん叩いて笑いながら言う真由美の顔を横から覗き込んで加奈が尋ねる。


「全部、話していいの?」

「全部って、…………オレの黒歴史まで話すつもりか?」


 こくこくと頷く加奈の頭をしょうがないなとでもいう顔をしてぐしゃぐしゃっとかきまわす。


「後でおごれよ。特大チョコパフェな。…………なに鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔してんだよ」

「真由美は甘いもの苦手かと思ってた」

「なんで? オレ、甘いもの好きだよ」

「だってコーヒー、ブラックで飲むし、杏花さんや加奈と一緒に甘いもの食べてるときいつもいないから」

「それは話の内容の問題だろ。コーヒーは特別。あれは砂糖なしの方がうまい」

「特大パフェ、大好物だもんね~」


 泣いたカラスがもう笑った、というのがぴったりなくらいいつも通り言う加奈に「忘れるなよ」と言い残して真由美は部活に行った。

 真由美が出ていった後、二人が来た時に入れかわりで朝食を買いに行っていた正人さんが戻ってきて、おにぎりを三つぱくぱくっとたいらげると「加奈が帰るまで少し寝る」と言って、壁際の長椅子に寝そべった。


 そんなところで寝ると疲れるのに。交代でって言ってたのに……ありがとう。


 すぐに正人さんの寝息が聞こえてきた。昨夜はあんまり寝てないのかもしれない。


「ほんと正人は心配性だよね。…………真由美がしんどかったときに側にいなかったこと後悔してるのもあるんだろうけど」


 正人さんが寝てしまうと、加奈はベッド際の椅子に座った。


「思ったより元気そうだけど、足の怪我、やっぱりちょっとはショックでしょ?」


 そりゃあね、ショックがないわけじゃない。


「あたしもね、同じところやったの。粉砕骨折。中学三年生の秋に。それで他人事じゃないっていうか、気になって。…………あたしの話を聞いてもしかたないかもしれないけど、聞いてくれるかな」


 窓の外を見ながら加奈は話し始めた。




 あたしね、プロになりたかったの。バスケの。だけど事故で右足を粉砕骨折しちゃってね。マミみたいな開放骨折じゃなかったんだけど、関節部でかなり酷くて選手としてやっていくのは無理だって言われたの。あたしは夢を諦めなくちゃいけなくなった。

 花咲高校にスポーツ推薦でいくことが決まってたけど、それも取り消しになった。それでもリハビリを頑張ればなんとかなるかもって思ってた。負けたくないって。花咲高校じゃなくてもバスケはできるし、まだまだ夢を諦めたくなかった。

 だけど、生活に不便を感じなくなっても、バスケは上手くできない。思った通りに動かない足がもどかしくて、悔しくて。とうとう諦めることにしたの。

 それを決めた日。冷たい雨が降る中を傘もささずに歩いて、三条湖畔でしばらく泣いてたの。雨と涙でぐちゃぐちゃになって、ただ湖面を叩きつける雨が作る水紋を見つめてた。

 その時突然の落雷があって、驚いて慌てて少し先にある茶店に駆けこんだら、直後にもう一人駆け込んできたの。あたしと同じくずぶ濡れの女の子が。


「あれまぁ、こんな日にどうした? もう閉めるところだったに」


 奥からおばあさんが出てきて、あたしたち二人にタオルとフリースの厚手の毛布を貸してくれてね。ストーブをもう一回つけてくれたの。


「すぐ裏の家におるけぇ、温まったら火の始末して帰りぃや。鍵は、ほれ、その前の箱に入れておいてくれたらええから。傘も持って行ったらええよ」


 そう言って机に鍵と温かい甘酒を置いて出ていってしまった。

 後に残ったのはびしょぬれの二人。


 あたしはね、誰かと話をしたい気分じゃなかったの。だから黙って貸してもらったタオルで頭を拭いて、――雨に打たれている間は感じなかったんだけど、その中途半端にあったかい部屋に入ったら急に寒く感じてストーブに近寄っていった。

 そしたらね、後ろでバサッて物音が聞こえたの。振り返ると彼女どんどん服を脱いでいってるの。確かにね、濡れた服は冷たかったから、脱いで毛布にくるまった方があったかいのはわかるんだけど。


「見ないで」


 一言冷たく言った彼女は、結局全部脱いで毛布を纏ってストーブの前に座ったの。脱いだ服を椅子に掛けて火の届くところに持ってきて乾かすのも忘れずにね。

 彼女のその潔さを見たらなんだか躊躇してるのが馬鹿らしくなって、あたしもおんなじようにしたの。

 少し離れて座って。

 しばらくは二人とも黙ってた。あたしは自分の夢をあきらめることを考えていたし、彼女も何か物思いに沈んでいるようだった。

 でもなんだかおかしくなってきたのよね。なんでこんなところでこんな格好でいるんだろうって。

 だってすっぽんぽんに毛布だよ? 

 彼女もそう思ったのか、急に笑い出して。あたしもつられて笑って。


 で、どちらからともなくお互いの話をしたの。

 あたしは事故で再起不能になってしまったこと。プロになる夢を諦めないといけなくなったこと。

 彼女は両親を亡くして初めて会う親類が自分を引き取ることでもめていること。大事にしてくれる人を自ら遠ざけてしまったこと。


 絶望のふちにいると思っていたのに、他人の不幸を聞いてみると自分の悩みなんて大したものじゃないように思えたのよね。

 自分はただバスケットが思うようにできなくなる、ただそれだけのこと。両親がいなくなって、守ってくれる人が誰もいない。一人ぼっちの寂しさと比べたらどうってことないようにね。

 だけどそんなあたしに彼女は言ったの。


「親はいつかいなくなるもの。乗り越えていくもの。だけど自分の夢はそう簡単に変えられるものじゃない。目標を失ったら…………辛いよね」


 あたしたち、お互いに自分だけが一番辛いんじゃないんだって思ったのよ。


 その時、あたしはふと思いついて提案したの。あたしの両親に相談することを。不動産業をやってて、弁護士の友達がいて、彼女の役に立ちそうだったから。

 

 翌日、一緒に傘を返しに行ったときに彼女は自分のこと”オレ”って言ったの。

理由を聞いたら、「自分を守るための鎧、かな。加奈が味方についてくれるっていうから、闘う気になった」って。

 

 強いなぁって思った。私も彼女と一緒に強くなりたいと思った。


 その後、いろいろあって彼女は自分で下宿をすることになった。私の親が後見人になって。




「…………彼女が誰かは勿論わかるでしょ」


 私に視線を戻して加奈が言った。


「あたしは、自分より悲しい思いをしてる真由美に出会って、これくらいのことでへこたれてたらいけないなって思ったの。

 それでも辛くて何度も挫折したけど、真由美が一緒にいてくれたからやってこれた。リハビリにもつきあってくれてすごく嬉しかった。八つ当たりしたこともあったけど、全部受け止めてくれた。自分もいろいろ抱えてるのにいっぱい支えてくれた。

 だから真由美が辛いときには寄り添ってあげたいと思った。そうやって支え合って少しずつ前に進めたと思ってる。とは言ってもプレイヤーに戻る自信はなくて、マネージャーやってきたんだけど。

 でも、マミが来て真由美も前に進もうとしてるのを見て、私もこのままじゃだめだなって思ったの。元の通り動けなくてもいい。今の自分ができる最高のプレイをすればいいだけって。だから、最後の試合に向けて復帰する。

 マミもこれから辛いリハビリが待ってるけど、あたしたちがついてるからね。辛い気持ちとかぶつけていいんだからね。一人じゃないよ」


 自分の辛い過去を話すのはきっとしんどいことだろうに、話してくれた加奈の気持ちが嬉しい。一人じゃないと言ってくれるその優しさが沁みてくる。復帰を決めた加奈を応援したいと思う。


 そんなにショックを受けてないなんて嘘だ。加奈みたいにプロを目指してたわけじゃない。でも。ほんとは――。


 ああ、もう、なんでこんなにみんな優しいの? 


 泣かないつもりだったのに、ぽろぽろ涙が勝手にあふれてくる。

 

「遠慮して泣けてないんじゃないかなって思ったの。辛いときはわ~って泣いてしまった方がいいよ。立ち直るのはその後でいいよ」


 そう言って加奈が立ち上がるから、頭を撫ぜてくれるとか、抱きしめてくれるのかと思ったら。

 にやっと真由美がするみたいに嗤って。


「慰めてもらうのは、タヌキにしてもらってね。あたし、もう行かないといけないから」


 タヌキ? ってなんのこと?


 私が首を傾げると、加奈がちらっと眠っている正人さんの方を見る。


 って、ええ?! 

 正人さん、まさか起きてるの?


「あ、タヌキがいたこと、真由美には内緒ね」


 くすくす笑いながらコートを羽織るとさっさと帰っていってしまった。


 あとに残されたのは慌てて涙を拭く私と、タヌキ……。

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