第04話 コーヒーは熱く、苦い味がした

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丁度僕のいる真下の部屋に、あの死臭と腐敗毒をもった、世の中で一番憎むべきものが横たわっているのだ。

しかし僕はいつまでこうしているのだろう。

そして何を待っているのだろう。警官なのか。

それとも死なのか。

それとも世界の光の色を一度に変えるような何事かが起こるとでもいうのであろうか。


――椎名麟三「深尾正治の手記」より

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     5


 「17時15分、ニュースSGの森本がお送りします。先ほど、嵯峨崎総合病院の病室が爆発した、との通報が警察と消防に入りました。ごらんください、10階……いや、9階でしょうか。あちらに見える黒焦げになった窓が、爆発した病室です。病院からの説明によれば、酸素吸入用の管が破裂した可能性が高いとのことですが、未だ詳しい原因は不明とのことです。消防からの発表では、現在けが人はゼロとのことですが、両隣と上下の病室や、その当時廊下の付近を歩いていた見舞い客などが巻き込まれていないか、現在も調査中とのことです。また……」


 国道沿いにある、日本に於いてはありふれた苗字を冠した電機屋の軽快なテーマソングに混じって、現品限りの40型テレビがけたたましくニュースを伝えている。それをぼんやりした顔で見ながら、そのニュースの隠れた当事者である孝義と青藍は、事件の起きた病院から少し離れた国道沿いを歩いていた。

「やっぱ結構大騒ぎになってんな、これ」

「そりゃあ大騒ぎになるでしょうよ、爆発事故だよ爆発事故。当たり前じゃん」

「……はぁ、面倒くさいなぁ……」

 どう親やら何やらかんやらに説明すりゃ良いやら。孝義は困った顔で、土で汚れた自分の靴を見つめる。


 病院での爆発事故に、すぐに消防車やパトカーが出動していたのを見て、孝義はやはり日本は平和なんだな、と実感していた。ただ、病室が吹き飛ぶというのは何とも穏やかではない。同時に、警察が調査を開始した時点で、あの病室に入院していた自分が疑われるのでは、と心配にもなった。

 果たしてその心配事は現実のものとなり、彼の元へ事情聴取の依頼が来る。

 だが、昨日病院に事故で担ぎ込まれ、件の爆発の寸前まで眠っていた事を担当看護士が書類を交えて証言してくれたこともあり、

「運が良かったねぇ、気をつけて帰りなさいよ!」

 と明るく解放されてしまった。結局退院処理もつつがなく終わり、治療費や入院費に関しては警察、消防の調査が終わり次第、という形に落ち着いた。後日請求がある場合は自宅に手紙が届くらしい。


(ううむ、しかし――とんでもないことになってしまった……)

 彼は悪魔を自称する『黒い女』に、『平穏』を代償に生き返らされている。もしかしたら、この先ああいう感じの直接的な命の危険を伴った冗談みたいな事件が、イケイケドンドンな勢いで列を成してやって来るんじゃないか、という考えが頭をよぎり、彼は胃の辺りがシクシクと痛むような感触を覚えた。

 そしてそんな彼の心を知ってか知らずか、青藍は相変わらず飄々とした態度でキョロキョロと辺りを見回しながら歩いている。

 鴉羽は、この青藍とかいうふざけた女性……いや、本? が、自分のいわばコピーだと言っていた。もし仮に、鴉羽があの世界から出られないとするならば、この世界の物々が彼女の――鴉羽のコピーである青藍の興味を引くのは、当然の事なのかもしれない、と彼は思う。

 うだるような暑さの中、彼はTシャツの襟元でぱたぱたと顔をあおぎながら、面倒くさそうに訊いた。

「ところでさ、僕のその、さっきみたいな、ちから? ってのは……結局のところ何なんだ? トラック避けたり……壁走ったり……」

 病室から飛び降り心中を強要され、助かったと思った直後に本のカドで後頭部をぶん殴られた腹いせなのか、少し前からすっかり敬語が抜け落ちた孝義からそう聞かれ、青藍はにやりと笑う。

「志田くんがが聞きたいのはぁ、どんな能力か、ってことかな? それとも、能力の名前かなぁ?」

 へらへらと青藍は質問を質問で返した。

 暑そうにしている彼とは正反対に、青藍は汗一つかいていない。逆に涼しそうな顔をして、彼の後頭部を強打した凶器である本を掌に載せてバランスを取りながら遊んでいる。

「……どっちも聞けるの?」

「聞きたいなら……っとと、どっちも話してあげるけどねぇ」

 そう言いながら、青藍はにしし、と笑い、本を小脇に抱えると振り返る。彼女は身体を屈めながら上目遣いに孝義を見て、腕を組むと唇を突き出してポーズを取った。

「……なにそれ、ふざけてんの?」

「んふふ、あのポスターの真似ぇ。ふざけてんのは否定しない」

 目で合図をする彼女の視線の先には、扇情的な水着姿をしたグラビアアイドルのポスターが貼ってある。どうやら週刊誌の広告のようだった。

「どう?」

(……? ああ、組んだ腕は胸を寄せてるんだな? 多分……)

 だが、寄せている筈の胸の膨らみは絶対的に足りていない。どう見ても胸と尻が足りんではないか、という言葉を飲み込み、彼は袖口で汗を拭いながら、ポーズを取ったままの青藍の横を無言で通り過ぎる。

「それじゃあ、どんな能力かってのを教えてよ」

 青藍はつれないなぁ、と不満を漏らし、小走りに彼を追い抜くと、後ろ向きに歩きながら彼の顔を覗き込んだ。

「キミの能力は、『血液を燃料にして全身の筋肉の馬力と強度を上げる』力っぽいね」

「……ふぅむ、なるほど」

「反応薄いね」

「なんとなく予想通りだったからな?」

「つまらんなぁ。名前を付けるとしたら内燃器官って感じかな。きかん、は内臓のほうの器官で、内燃器官と書いてエンジンと読む。かっこよくない?」

 孝義は青藍の言葉に、頭のなかで内燃器官エンジンにこんな感じでルビをふる。

(ちょっとかっこいい……かも……)

 と一瞬思い、ニヤニヤと笑う青藍を見てその考えを振り払った。

「……えーと、かっこいいかはさておき、なんでそんなもんが僕に?」

「志田くんはデッカいトラックに轢き潰されたんでしょ? それが強烈に印象に残ってたんだと思う。ただ、キミみたいな体の構造を作り替える力の場合、完成まで時間がかかる。最終的にどう落ち着くかは解らんね」

 孝義はそれを聞いて、忘れかけていた自分の死体を思い出した。


・明後日の方向どころか一ヶ月先くらいの方向を指している左足

・電柱とトラックの間に挟まれ真空パックのような状況になった右足

・文字通り板状にプレスされた胸板

・見て解る通り、なんだかよく解らないことになっている両腕

・カリフラワーやタラの白子に似た何かがこぼ▲■○×


(いかんいかんいかんこれ以上思い出すのは危ない)

 頭のなかに浮かんだ映像をほんわかファンシーなものに取り換え、思い浮かんだカリフラワーを緑色で塗りつぶしてブロッコリーに変えた後、彼は血の気の引いた顔で大きなため息をつく。

「どうした孝義くん。カリフラワーがそんなに嫌いかね」

「やッ! ——めてよ、もぉお」

 孝義は生理的嫌悪感のあまり阿波踊りのようなポーズを取りながら、オネエ系のイントネーションでそう言う。

 うわ、と青藍はひどいものを見たような表情になり、

「ま、まぁ……大体の人は死んだ原因にちなんだ能力になるらしいし。なんで内燃機関エンジンがキミの能力になったかってのは、よくあることとしか言えないね」

 と、彼の先ほどの疑問について、どうでもよさそうに答えた。孝義は、いよいよ自分が人外のもの――目の前に居る青藍や、死に際に見た悪魔を自称する黒い女に近づいた気がして、困ったようにもう一度ため息を吐き出す。


「はぁ……」

 それにしても暑い、と彼は思う。孝義が携帯を開くと、時刻は17時半を廻ったところだった。



     ※



 病室爆発のうまい言い訳を考えるためと、丁度空腹だったということもあり、同時に避暑を兼ねて彼らは道沿いのファストフード店へと入った。店内は涼しく、この時間帯にしては客はまばらで、夏休みだからか孝義と同年代の人間が多く、中には部活帰りなのか制服姿の少年たちも見受けられる。

「……そういやさ、孝義くんは友達とかいないわけ?」

 店内に居る少年少女を見ながら、青藍はふと疑問を口にした。

「あー、まぁ居ないわけじゃないけどさ、面倒くさくて」

「ふーん、そんなもんか」

「いやー、しかし天国じゃ……涼しいってのはいいな……」

 冷房の恩恵を存分に浴びながら、孝義は言う。その感想を受けて青藍はきょとんとした顔をしていて、孝義が注文を済ませるまで、青藍はやはり物珍しそうに店内を見回していた。


「注文は?」

 レジ周りのコーヒー用ミルクを不思議そうに手に取っている彼女に、孝義は訊く。

「なにが?」

「いや、なにがって――何か食べなくて良いの?」

「食べるって……なんで?」

 青藍は呆れたような、トボケたようなような表情。

「いや、腹減ってたりしないのかなって……」

「なにそれ。よくわかんない。それより歩きづめで疲れたよ、さっさと座ろう。あの誰も座ってないところ、座ってていい?」

「ああ、うん……」

(疲れはするが、腹減るとかは無いのか……)

 孝義は、目の前の美人がやはり人外の存在だ、という事に、改めて気づかされた気がした。まず食事という概念そのものが無いのだろう、と彼は思う。

 ガラス張りの窓のそば、四人掛けの席に対面で彼らは座った。青藍は背もたれに身体を預け、ため息にも近い声をあげる。

「あ――……、シンドい――……」

「僕だってシンドいさ……思い返しゃあ、僕はアンタ抱えて壁走ったんだぞ、壁」

「キミなら壁ぐらい走れるよ、別に驚く事じゃないわい」

「そうなの……?」

 やがて商品が運ばれてきて、彼がそれを口にし始めると、青藍はじーっとその様子を見つめた。

「……なに?」

 ジロジロと顔を見られるのに耐えかねて、孝義は怪訝な顔でそう聞く。

「いや、メンドくさそうだなって」

「ああ、そう……っとと、まだ熱いな……」

 彼は言いながら、ホットコーヒーの蓋を取る。彼はどんなに夏が暑かろうと、コーヒーが頼める場所ではいつもホットコーヒーを頼んでしまう癖があった。最初は背伸びのつもりだったが、今ではコーヒーを一日に何度か飲まないと調子が悪い。

「……?」

 ふと、孝義は青藍の視線が先ほどからずっと、彼の顔ではなくコーヒーに向けて注がれていたことに気づく。

「……飲んでみる? 熱いけど」

 食事はしない、ということは先ほどのやりとりで解りきっていた。だが少しからかうつもりで、彼は蓋を取ったカップを青藍の前へと置く。すると、青藍はそのカップを大事そうに両手で抱え、

「うん」

 と返事をした。

「――あ、熱いからな、気ィつけて」

「わァかってるってうるさいなぁ」

 言いながら、青藍はふー、とコーヒーを冷やす。匂いを嗅いで確認をした後、動きを止め、さらにもう一度匂いを嗅いで口をつけた。味を確かめるように口の中をモゴモゴと動かし、青藍はジィッとコーヒーの表面を眺めながら一口目を飲み込む。

「……どう?」

 孝義が怖々と聞いてみると、青藍は真面目な顔をして黒い水面を眺めながら、うんうん、と二度頷いた。どうやら気に入ったらしい。

「悪くないね、なんか目が覚める」

「そうか、そりゃ良かった」

 謎だらけのこの女性の事が少し解った気がして、孝義は少しだけ嬉しくなる。だが、その喜びをぶち壊すかのように、青藍はドン、と音を立てて青い本をテーブルの上に置いた。

「な、なんだよ、どうした」

「目が覚めついでに予報来たから教えとくね。はいこれ」

「えぇえ、今かよ……メシもマトモに食えないじゃないか……」

 彼は心底嫌そうに表情を歪ませた。そんな彼に対し、青藍は無表情で中空を見つめている。目を見開いたまま、彼女は続けた。

「キミは『平穏』を失った事を忘れちゃいないかい?」

(……忘れていた)

 ぎくり、と孝義は動きを止める。色々な事がありすぎて、記憶の中からその事がすっぽ抜けていた。

「今までがぬるま湯だったんだ。このぐらいの方が目が覚めるよ、コーヒーと一緒だって」

 それから本がやはり独りでに勢いよく開く。それを孝義の方へと半回転させた。

「嫌な言い方だ」

「んふふ、洒落た人生じゃないか。熱くてちょっと苦い」

 やはりニヤリと笑う青藍は嫌みに対してそう答える。

「お先真っ暗じゃねーか」

 孝義も負けじと切り返し、チキンバーガーをぱくつきながらページへと視線を落とす。開いたページには、病室の時と同じように版画によく似たタッチの絵が描かれていた。

「誰だこの二人」

「さぁ? もうすぐここに来るんじゃない?」

 現れた絵には、『雑踏の中に並んで立つ強面の大男と、優しそうな女性』が描かれている。

 雑踏の人々は薄いタッチで、中心の二人だけが強調されていた。絵は白黒で、髪や着ている服の色やまでは解らない。だが、大男は短髪で、タンクトップとダボついたハーフパンツを履き、女性は緩いウェーブのかかった髪を腰まで伸ばし、ハイネックのノースリーブとロングスカートを着ているようだった。

「こいつはステレオタイプな不良だなぁ。横の人はなんか優しそうではあるけど……」

「余裕あるねぇ。何度も言うけど、この予報って命に関わる事象だよ?」

 にしし、と笑う青藍に対し、孝義は頭をかいて顔をしかめた。

「いや、もうなんか開き直ったというか」

「そう、まぁそれならいいけど」

「ああ、それで……このヤンキーと――ん? これ……」

 彼は絵に描いてある女性を指差し、眉間に皺を寄せて顔を近づける。絵の女性の顔は少し俯いてはいるものの、顔ははっきりと描かれていた。その顔は――

「これ、青藍と……同じ顔?」

「だねぇ、このヤンキーとやらはキミと同じ境遇なのかもしれないねぇ。私もきょうだいに会うのは初めてだからドキドキしてきたよ」

「……同じ、か」

 言いながら、孝義は目の前の青藍と絵の女性を見比べる。だが同じとは言ったものの、青藍と絵の女性では胸のあたり――というか胸。その胸囲に至っては明らかな差が出ていた。

(うむ、興味深い……)

 同じような存在といえども、ここまで格差が出るものなのか。孝義は思わず正面に座る青藍の平原と、ページに浮かび上がる女性の渓谷を見比べる。

 その視線に、怪訝そうに青藍は顔をしかめた。

「……何? 私の顔になんか文句でもあんの」

「いや、えーと、その、結構違うんだな、って……」

 青藍が鋭い目を向ける中、ふと孝義は疑問に思う。

「あ、ちょっと待って、僕みたいなのってそう何人も居るもんなの?」

 まるで誤魔化したようなタイミングになったことで、一瞬青藍は訝しげな表情を作るが、すぐに彼の疑問に答えた。

「んー、まぁ多くはないだろうね。鴉羽からすばが目をつけるのは、あいつが説明した通り『死の予報』から外れた人間で、要するに切っ掛けも原因もよくわからない死に方をした人間だけだからさ。だから助けるんだよ、チャンスとか、その他諸々を与えてね?」

「へぇ——あぁ、なるほど」

 孝義は自分を轢き潰したトラックが無人だった事を思い出す。

(ふむ、鴉羽が僕を選んだ理由はそれか……)

 自分が何故選ばれたのか、という疑問を少なからず持っていた彼は、至極納得といった表情に変わる。それから、本に浮かんだヤンキーを指差して、

「じゃあ、こいつもそういう死に方をした、って事なのか?」

「そういうことになるね。でも、ほら、この隣にいる女よりさ、私の方がシュッとしてて美人じゃない?」

「は?」

「ねぇねぇ、どっちが美人? ほら、この人と、私と」

「何言ってんだお前」

 青藍の興味はヤンキーより隣の女性に向いていた。孝義はあきれたように青藍を見ているが、それを気にする彼女ではない。

「いやほら、美醜の閾値は個人の見解の差があるのは重々承知なんだけどさ、ぶっちゃけた話一般的な尺度っていうかそういうアレに当てはめた場合さ、私のほうがちょこっとだけ上回ってない?」

「いや、どうでもいいけどさ。なぁ、これどうにかして予報から消す方法とか無いのか? もしケンカになったりしたらさ……」

「でもそうだなぁ、かわいいかどうか、って点だとこの女に負けちゃうかもなぁ、どっちかといえば私ってかわいいよりは美人寄りの顔面偏差値っていうかさ、あるじゃんそういう好みの差っていうかタイプの差っていうかさ」

「あの、聞いてますか青藍さん?」

「孝義くんこそ聞いてんの? ねぇー、ねぇー、ねぇーたーかーよーしーくーん! どっちが美人かおーしーえーてー!?」

 読点の部分で顔を左右に揺らしながら、青藍は孝義に向かって身を乗り出す。

「ぐっ……!」

 孝義は思わず言葉に詰まった。性格部分を抜きにして考えれば、確かに青藍はかなり上級の美人カテゴリに分類される。目は大きくぱっちりとしていて、鼻筋は通り、唇は形がよく少し薄め。髪の毛は整えられた綺麗なワンレングスで、控えめとはいえ整った女性らしいスタイル……ほのかにいい匂いもする。そんな彼女が唇を突き出し、頬を膨らませながら近づいて来るのだ。

 そんな美人が目の前に居てみろ。男性諸君ならばなにかしらの、こう、そういう、トキメキ的なサムシングを抱くのは当然であろう。即ち男性であり、思春期ど真ん中に位置する志田孝義という少年も例外であるはずがなく、わかりやすく顔を少し赤くして目を逸らした。

 だが、彼の眼前に居る青藍という女は、そんなウブめいた反応を見逃すような優しい性格をしていない。

「あ、なに? 志田くん。顔赤いっスよ?」

「う、うるせえよ……」

「照れてんの? ねぇ? 照れてんの志田くん?」

「ああ、もう! 顔を近づけんな貧乳!」

 孝義は言いながら身を引いて青藍を手で遠ざけると、窓の外に視線を向ける。

「……ん?」

「おい、今なんつった、あ? 聞こえちゃいけない単語が聞こえた気がするんだけど?」

 青藍が凄むのも無視して、彼はそのまま、二度青藍の本と窓を見比べた。歩道の上の雑踏の中――


「……? どうした志田くん」

「居た」

「へ?」


 孝義の視線の先には、孝義と青藍を睨む二人組が居た。


 絵に描いてある通り、ステレオタイプなヤンキーと、青藍と同じ顔をしている女。

 男は髪を金髪に染め、派手な色の服に身を包んでいる。威圧的な空気をまとったその男は、口の端を持ち上げ、孝義と青藍に剥き出しにした敵意の視線を送っていた。


 背後に佇んでいる女性は全体的に緑色の洋服で、長い髪も黒に近い、深い深い緑色――字面通りの『緑の黒髪』だった。

「……!」

 吸い寄せられるように、孝義は男と一瞬だけ目が合ってしまった。まずい、と思った孝義はすぐに視線を逸らしたが、彼の視線に気づいた男はポケットに手を入れ、のしのしと彼に向かって歩いて来る。


 そしてガラス一枚を隔てて、その男は覗き込むように孝義をジロジロと見ると、青藍に視線を移した。

「……、……」

「…………。……」

 孝義はガラス越しに、件の二人が話をしているのが聞こえた。チラリとガラスの向こうを確認すると、男は青藍を指差して、隣の女性に何か話しかけているように見える。


(やばい、これはやばい、どうしよう、超恐いぞ)

 孝義は、自分の心臓が凄まじいスピードで鳴っていることに気づく。息が上手く出来ず、乾いた唇を舐めながら、この場を上手く逃げる事だけを考えていた。

 ガラスの向こうの二人に悟られないように、彼は首を動かさずに、小声で青藍に話しかけた。

「青藍、やばいぞ。こいつら僕らを――」

「おっきいなー、このガラ悪そうなの。志田くんより背高いよねぇ」

「いや、あのさ、早く逃げよう」

「なんで?」

「いや、なんでってお前……ああもう……」

 そんなやり取りをしている間に、窓の外の二人は入り口方面に回り込むと店内へ入ってきてしまった。

「あらら、あの二人入ってきちゃったよ。なんだろね?」

「なんだろね――って、のんきに構えてる場合じゃないだろ! こっち来るぞ!」

 相変わらずの小声で、孝義は言う。それを聞いて青藍は盛大にため息をついた。

「大体、キミはあの二人の事に全然関係ないし。あの隣の本だってそれは解ってるはずだよ?」

「いや、だってお前、あの男の顔見たろ? 超怖いじゃんか、絶対あいつらヤバいんだか――」

「誰がヤベぇんだって?」

 頭上から、低い声。

 孝義は身を堅くする。押さえ付けられるような圧力を、彼は頭の上に感じていた。

 俯いた孝義の視線の端に、男の革靴が映っている。敵意ある視線が後頭部をジリジリと焦がしているような感覚に、孝義は思わず唾を飲み込んだ。

「……チッ!」

 男は孝義を一瞥した後、大きな舌打ちをする。

 だが、周囲の空気がピリピリとしている中、

「おおぉ、デカいデカい! すごいねえ、何食ったらこうなんのよ?」

 と、青藍は自分と男の背丈を比べるように手を行ったり来たりさせながら、絵が描かれているページを開きっぱなしではしゃいでいた。

(間違いない、こいつ――青藍はアホだ……絶対アホだ……)

 彼の頭の中では、もう一人の孝義がゲイン、ボリューム最大のアンプスピーカーに繋いだマイクで『危ない!』と叫んでいる。同時に、彼の全身の汗腺が、怒涛のように脂汗を緊急生産し始めたのを感じ取り、掌の汗をズボンで拭うと、彼はもう一度唾を飲み込む。ああ、今日は良い天気だと窓越しに空を仰ぎながら。

 この男が外にいた時、店内と外界を隔てるガラス窓はとても心強い存在だった。だが、今では単なる牢獄の小窓に過ぎない。

「なァ」

 重く、圧力のある声が、孝義の頭の上から振って来る。

「ちょっとよォ、そこのオメェに聞きたい事があるんだけどさァ――」

 孝義はその声に、必死に恐さを我慢して、出来損ないの能面のような顔を上げ、肺から言葉をひねり出した。

「……な、なんですか?」

「ハッ」

 そんな孝義を見て、男は鼻で笑う。それから断りも無くドッカ、と孝義の隣に座り、大きな身体を背もたれに預け、椅子が壊れるのではないか、と思えるほどにギシギシと音を立てた。

 だが一緒に居る女性は立ったまま、座っている三人をニコニコと見つめている。

「……あのよォ、さっき、嵯峨崎総合病院で爆発があったの、知ってるか?」

(ここでこの質問かよ!)

 頭の中の孝義が、孝義自身に突っ込みを入れる。

 何もかも不穏極まり無い男の言葉に、孝義はさらなる不穏さを感じ取った。知ってる、と答えれば、この男は何かトテツモナイ理由でアクロバティックな因縁をつけて来そうな気がする。ここは知らぬ存ぜぬを決め込んだ方が良いな、と彼は考え、

「そ、それが……どうしたんでしょう?」

 と精一杯の引きつった営業スマイルを顔面に貼付けた。


 が。


「いやぁ死ぬかと思ったよねぇ、孝義くん。まさか私らのいる病室がぶっ飛ぶとは思ってなくてさぁ、逃げなかったら病室共々木っ端みじんだったよ」

 と、腕組みをしながらしたり顔の青藍。

「ばッ……!」

 孝義は『バカ!』と言いかけ、その言葉を飲み込んだ。そんな孝義と青藍の顔を交互に見て、ニヤリと笑うと、大男は続ける。

「へェ……そこのに話聞いた方がよォ、話は上手く運ぶみてェだなぁ?」

 その言葉に、孝義は確信する。


 この男は、自分と同じ境遇の、なにかだと。

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