不思議じゃない国のアリス04


 照ノは紫煙を吐き、紅の羽織を揺らしながら答える。


「小生に関与する問題ではありやせん。神に誓って」


「神を信じてない人間に言われても……」


「とまれ、この幼女が、どういう身分で、どんな正体なのか……小生は知りやせん」


「でも照ノのこの部屋は、人払いの結界を張っているんでしょう? あなたが連れ込まない限り、この部屋を認識できないのは、あなた自身が言った言葉……言質じゃないですか!」


「それを言われると痛いでやんすが誓って後ろ暗いことはしていやせん」


「それをどうやって証明するんです……!」


 剣呑な目をして、新たに仮想聖釘を具現化するクリス。


「待った待った待つでやんす! 委細はこの幼子に聞けばいいでやんしょ!」


「……っ! それもそうですね……」


 そう言ってクリスは仮想聖釘を離す。


 チリンチリン。


 軽やかな音をたてて床に落下する仮想聖釘。


 ほうと安堵の溜め息と同時に紫煙を吐く照ノ。


 それから照ノはキセルを口から離して右手に持つと、そのキセルで裸の幼女のおでこをチョンチョンと叩く。


「ほら。起きるでやんすよ……」


「ん……むに……」


 起きる気配を見せない白いロングヘアーの裸の幼女。


 照ノは幼女に向かって少し強めに……中指一本拳人中撃ちをかました。


「痛っ!」


 人中を押さえながら、裸の幼女は飛び跳ね起きた。


 ボーっとした寝ぼけ眼で、キョロキョロと周りを見渡して、それから照ノとクリスを眺めると、幼女は動揺した。


「ななな何ですかあなた達はー」


「それはこっちのセリフでやんす……」


 うんざりとした様子で、そう言う照ノ。


「余所様の家で全裸で寝こけている人間に誰何されるほど小生らは落ちぶれていやせん」


 そんな照ノの言葉に、コクコクと頷くクリス。


 裸の幼女は、ポンと右手の握り拳で左手の平を打って、閃いたとばかりに言った。


「もしかしてこの部屋の家主さんですねー」


「小生がそうでやんす。こちらの凶暴そうなシスターは……」


「…………」


 無言で一本の仮想聖釘を具現化するクリス。


「……こちらの優しそうなシスターは別件でやんす」


 弱い照ノであった。


 裸の幼女は、ふんふんと頷くと、照ノに向かって正座して一礼した。


「私はアリスと言いますー。お邪魔してます家主様ー」


「ああ、そう言えば自己紹介がまだでやんしたね。小生、天常照ノあまつてるのという者でやんす」


「私はクリスティナ=アン=カイザーガットマン。クリスって呼んでください」


「照ノ様にクリス様ですねー」


 そう言ってニッコリ笑うアリス。


「クリスにアリス。とっちらかりそうな名前でやんす」


「そんなことはどうでもいいです」


 きっぱりとそう言うクリスに、


「ああ、そうでやんすね」


 照ノも首肯した。


「それで? アリス嬢……なにゆえ小生の部屋にいやんすか?」


「ええとアリスー……」


 と状況を説明しようとしたアリスを、


「ちょっと待った」


 と留めてクリスは言った。


「それよりアリス……あなた、服を着なさい。それから照ノ……あなたは印鑑を準備なさい」


「へぇ、ようがす」


 そう言って、印鑑を棚から取り出す照ノ。


 アリスはキョトンとして首を傾げた。


「あのー、何故衣服を着ねばならないのでしょうー?」


「何故って……無論身嗜みのためですよ」


「うんー?」


「とにかく! 衣服を着なさい! これは命令です!」


「はぁ、命令とあれば否やはありませんがー。しかし服を着るなんて珍しい人達ですねー」


「普通服を着ない人間の方が珍しいのでやんすが……」


「そうなんですかー?」


「そうでやんす」


 そう言って、フーッと紫煙を吐く照ノ。


 クリスが、結論だけを纏める。


「とりあえずアリスは服を着なさい」


「はいー。ところでアリスー、服を持っていないのですがー」


「ではこっちで用意します。照ノ、とりあえずあなた持っている羽織を着させてやってください」


「へぇ、ようがす」


 そう言って照ノは、クローゼットを開いて、十着以上の曼珠沙華の意匠をあしらった紅の羽織の束から一着を取り出し、裸の幼女に着せた。


「別に裸でもいいですのにー」


「こちらにとっては目に毒でやんす。ここは我慢なさっておくんなまし」


 そう言って照ノはスーッと煙草の煙を吸い、フーッと吐いた。


 それから先行して、アパートの隣に立っている大きな教会に走って戻ったクリスを追いかけるように、照ノとアリスもお揃いの紅の羽織を揺らしながら、教会の裏口から中へ入る。


 照ノとアリスが中に入ってリビングへと足を向けると、シスターマリアが低姿勢で電話相手と根強い交渉をしていた。


「はい。それはもちろんわかっておりますが……ええ、こちらとしても引けぬ理由があることは存分にわかっておられると思うのです……。ええ、ええ、もう、それは当然でございます。しかし何卒、何卒よろしくお願いします。ええ、ええ、ええ、これは一つの貸しということに、ええ、このお礼はいずれ、ええ、本当に申し訳ありません。ええ、しかしやはりというか譲れない案件でございまして。ええ、ええ、ええ、ええ、それでは詳しいことは書類にしてそちらに送らせてもらいます故。ええ、何卒、何卒よろしくお願いします。ええ、ええ、ええ、ええ、ええ、では、はい、それでは……」


 そう言い終えて茶髪のふわふわとしたパーマヘアーを持った大人の女性……シスターマリアは、スマホの通話を切った。


 それから「ふう」と溜め息をつく。


 どうやら疲れているようだ。


「大変そうでやんすなマリア殿」


 ボサボサの黒髪を掻き、くわえたキセルをピコピコと上下させながら天常照ノが声をかけた。


 シスターマリアはクスッと笑って言う。


「この辺りを管理している魔術結社に総出で交渉してるからね。ゲオルクを討った暁にはその名誉を神威装置に売るようにって。ところでさっきクリスちゃんが早足でズカズカと帰ってきたけどどうしたの? また喧嘩でもしたの?」


「いえいえ、こちらのアリス嬢のために衣服を用意すると言って帰ったんでやんす」


「アリス……?」


 クネリと首を傾げるシスターマリアの視界に、照ノは恥ずかしがって壁に隠れている白いロングヘアーにブカブカの紅の羽織を着た幼女を引っ張り出した。


「こいつでやんす」


「その子がアリスちゃん?」


「そうでやんす。人の部屋に不法侵入かました上に全裸で寝転んでいるものだから小生早合点したクリス嬢に殺されかけたでやんす」


「それは大変だったわね」


「ちなみに仮想聖釘によって貫かれた壁、床、天井、ガラス等々の修繕費はしっかり請求しやすのでご覚悟のほどを」


「それは構わないけど」


 そう言って、シスターマリアは、じろじろとアリスを見る。


「あのー……何でしょうー……?」


 じろじろと見つめられて照ノの陰に隠れるアリス。


「ああ、ごめんね。なんだか不思議な雰囲気を持つ子だなぁって……」


 シスターマリアがそう言ったのと並行して、クリスが二階から階段を下りてきた。


「はい、アリス。服と下着です。これを着なさい」


 クリスは子供用の白いワンピースに白いショーツをアリスに渡した。


「はぁ、まぁクリス様がそういうのなら否やはありませんがー……」


 そう言って紅の羽織をスラリと遠慮も躊躇もなく脱ぐアリス。


 一時的に全裸になる。


 同時に、クリスが照ノの頭部を持って、無理矢理視線を反転させた。


 その無理矢理のせいで、


「ぐへぇ……!」


 照ノの首から、グキッと、嫌な音がした。


「な、何をするでやんす……」


「乙女の素肌を見るなんて野暮のすることよ」


「せめて目を覆うとか優しい感じでお願いしやす……」


「そう。では次は目をえぐる方向でいきましょう」


「何ゆえ提案した方法より残虐に!」


 そんなことを言ってる間にも、アリスはショーツを穿いてワンピースを着た。


 そうしてようやっと照ノはクリスから解放されて、首の骨を正常に戻した。


 それから照ノは目を奪われた。


 アリスの……その姿に。


 髪は白いロングヘアー。


 あどけなくも西洋人形のように整った顔立ち。


 スラリと伸びる四肢。


 肌はこれまた外人らしく透き通るような白さを持ち、白いワンピースが無垢な体を包んでいる。


 結論として、どこまでも白い美少女がそこにはいた。


「ア……リス……?」


「はい、なんでしょうー? 照ノ様ー……」


「いや、なんでもありやせん……」


 まさか幼女に目を奪われたとは照ノには言えない。


 言った瞬間クリスが仮想聖釘を投げてくるに違いないからだ。


 だから照ノは、


「可愛いでやんすな、アリス嬢」


 そう言ってクシャクシャとアリスの頭を撫でるだけにした。


「ふえー……」


 アリスは赤面した。


「可愛いですかー? アリスがー?」


「おうとも。可愛いでやんす」


「ふえー……」


 アリスは真っ赤になってもじもじすると、照ノに抱きついて、


「えへへぇ」


 と笑った。


 それはとても無邪気で完成された笑みだった。

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