第2話 黄金の夜明け 後編

 まるでガラスに描かれた背景が崩れていくように。

 暗い闇が姿を見せていく。

「イ、イブリス様……」

「大丈夫」

 大した防衛機能は無いとはいえこんな芸当ができるのは一人。

 そしてそれが可能なキャラクター……いや、人物は知っている。

 砕けた空間から一人の男がゆっくりと姿を現す。

 白い軍服を身に纏い小麦色の髪を靡かせる男、ただ立っているだけでも威風を感じさせる。

 顔はイケメン、というよりは整いすぎていると言うべきか。

 乙女ゲーの男性キャラクターでもそうはいない輝かしい風貌。

 常時魅了のスキルを発動しているのではないかという程だ。

「お、イブリスさんじゃないか、何かギルドホールから反応があったからもしやと思ったけど良かったぁ、ようやく知ってる人と会えたよ」

 爽やかな声でそう語りかけてきた男、キャラクター名は正一郎しょういちろうという。

 そしてユグドラシル屈指の廃人である。

 種族はハイヒューマン、職業はワールドチャンピオン。

 9人しかなれない職業でありながら唯一魔法職で到達した人物だ。

 それだけならまだ驚く程度だ、正一郎には屈指と呼ばれるにはもう一つの要因がある。

 それは運営が最も困るプレイヤー、無課金プレイヤーなのだ。

 オンラインゲームである以上プレイ時間=強さというのは避けられない式。

 それでは新規に始めたプレイヤーがいつまでたっても古参プレイヤーに勝てず離れてしまう、それは運営上余りよろしくない事だ。

 課金システムによって古参と新規の差を埋める事で多くのプレイヤー数を維持し、同時に運営資金を得られるシステムとなっている。

 だが当然古参プレイヤーも課金することができる為。

 古参+課金>古参=新規+課金>新規

 上記のような力関係ができあがるのだ。

 この関係は余程の事が無い限り覆る事は無い、特に上にいけば行くほど課金の力というのは大きくなる。

 超位魔法が最たる例だろう、通常の魔法よりも強力な効果の代わりに長い発動時間を要するが課金アイテムによって即時発動となる。

 というわけで無課金と課金者の差というのは雲泥の差程あるのだが。

「というかその娘って……もしかしてNPCのアンラ? 以前はそんな反応なんかしなかったし……やっぱり以前のユグドラシルとはかなり変わっているね」

「正一郎様!? た、大変失礼しました!!」

「はは、いいよいいよ、脅かしてごめんね?」

 透き通った声で好青年のような人格だが社会人である。

 ただ出勤時間以外常にログインしていたり、休みの日は24時間フル稼働という化け物じみたプレイヤーだ。

 いつ寝ているのか聞いた時は『移動時間あるでしょ? その時に寝てるよ』と答えが帰ってきたあたり人間じゃないと思った事がある。

「こっちは目が覚めて直で来たからあまり状況がわからないんだけど、正一郎さんはもうある程度情報は集めた感じ?」

「かな? 正直僕も信じられないけど……情報を合わせようか」

 円卓に隣り合うように座って互いに持っている情報を話し合う、その最中アンラは静かに自分の隣に立っていた。

 正一郎と情報を合わせた結果新たに分かったのは二つ。

 一つはステータスや装備画面といったプレイヤーと関連するものとギルドに関する物以外のシステム系が全て使えない事。

 これに関してはある程度わかってはいたがマップ表示といったデフォルト機能まで駄目だったのは少し痛い。

 二つ目はこの世界が完全にゲームではない事だ。

「それは考えたけどまだ確定ではないんじゃ?」

「そう思うよね、とりあえずこれ食べてみて」

 正一郎が差し出してきたのはヒルの実、一番下位のポーションよりも安く効果も低いが初心者では重宝する回復アイテムだ。

 言われるがままに一口齧る、カリッと音を立てて咀嚼するとほんのり甘い味がした。

「んなっ!?」

 驚いた理由は言うまでもない、普通ならば感触なんてしないし口に入れた時点で消費したとみなされ消える為咀嚼なんてできない、まして味覚なんてものがある筈が無いのだ。

「かなり甘いだろ? ユグドラシルでは疑似的に痛覚が再現されて視覚と聴覚は言わずもがな、ただ味覚と嗅覚までは再現できなかった筈なんだ」

「言う程甘く無かったけど……うん、味があるだけでも有り得ない事だし」

「そう、つまりはゲームだった物が現実となっている! 嗚呼ワクワクするねぇ、久しぶりだよこの感覚、最後に感じたのはいつだったかな、最後の大型アップデートの時以来だったか!」

 心なしか言葉に抑揚ができ恍惚とした表情になっている。

「そんなに嬉しいのか?」

「勿論だとも、むしろサービス終了の時は不安でたまらなかった、ユグドラシルを終えた後何をすればいいんだろうってね、新しく始めるゲームはユグドラシル程やり込めるのか、楽しいものなのか、その不安ももういらない! イブリスもそう思うだろう!?」

 物凄い気迫で迫られ少し身を引く。

 確かに正一郎程ユグドラシルに人生を捧げてきた人間からすればこの状況はこれ以上ないほど喜ばしい事だ。

 けれど自分は至って普通のプレイヤーだ、多少なりとも現実に未練くらいはある。

「…………あぁ、すまない、少し気が高ぶりすぎたね」

 正一郎は大きく息をつくといつものクールな表情に戻った。

「まぁ、とりあえずこれからどうしようか、残り二人の事もあるし……」

「ん? 大蛇とバードもいるのかい?」

 ひょんとした顔で首をかしげてくる、そういえば二人に関してはまだ言っていなかったか。

「多分いる筈、だよね?」

「は、はい! ギルドメンバーリストには表示されていますので、ただどこにいらっしゃるかは……」

 隣でずっと立っていたアンラに話を振るとびっくりした反応をしながらもきちんと答えてくれる。

「へぇ、そうなんだ、ありがとうねアンラ」

「そ、そんな事は…………」

 正一郎がゆっくりとアンラの頭を撫でる、こうして見ると兄弟か若い親子に見えるな…………。

「それじゃぁ方針としては二人を探す事、それに合わせて情報収集を、幸いここから少し行ったところに町があるから……」

「町? NPCの?」

「それはわからない、アンラのように普通に人間が暮らしてるかもしれないからね、イブリスさんがいない間近くを探索していたんだ、これでね」

 そう言って正一郎が取り出したのは古い羊皮紙のようなもの。

「うおっ、懐かしい」

 それは万歩縮図ばんぽしゅくず』。

 ワールドアイテムとはその名の通りワールドに一つ、もしくは少数しかないアイテムだ。

 『二十』と呼ばれるゲームルールを揺るがす物から超強力な物、そして万歩縮図のようなほぼ無価値な物まである。

 何故万歩縮図が無価値な物かと言うと、その効果に原因がある。

 万歩縮図は所持プレイヤーの半径5kmを自動的に記録し表示するアイテム、これはユグドラシル正式サービス初期から存在するのだが……。

 当初マップはプレイヤー自身が書くしかなかったのだがそれが不評だったらしく、途中のアップデートで万歩縮図とほぼ同じシステムが標準装備となったのだ。

 当然価値は下落どころかゴミアイテムとまで言われる有様、さらに標準システムのマップと違いメモを書き込んだりすることができない為完全な下位互換になってしまった。

「そうでしょう? あの頃は自作の地図が収入源でしたねぇ」

 黄金財団はこうしたワールドアイテムを三十二種類所持している。

 一応ゲーム上最大所持数だと思うがこの数は一切公開していない、まぁ手に入れたら持ち出すことは無い為情報が洩れる要素が無いのだが。

 ただ多いと言っても9割が万歩縮図のようなあまり効果の低い物か、取得難易度の割に効果が低く見向きされなかった物だ。

 恐らく本当の意味で有用なワールドアイテムは二個くらいだ。

「それで……ここです、海上都市ルミナシア」

 万歩縮図が表示しているのは大陸に面した海にぽつんと浮かんだ島、その中央に海上都市ルミナシアと文字が表示されていてその少し南にギルドホールの表示があった。

「本当に町があるのな」

「みたいですね、とりあえずこの町に行って情報を集めましょう……そういえばイブリスさん、一つ伺いたいんですが」

 正一郎が何やら改まって聞いてくる。

「ん?」

「一応聞きますが、どちらで行くんですか?」

「どちらって?」

「性別ですよ、一応人間がいたら態度を合わせてあげます」

「あぁ」

 一応ギルドメンバーはリアルが男だということは知っている。

 というかそもそも何故女装、女性キャラロールをしているかといえば……。

 まぁ、現実の自分は根暗でお世辞にも見た目なんか良いとは思えない、ゲームの中くらい美少女やりたいなー、みたいなノリで始めたら慣れてずっとこんな感じだ。

 だったらイケメンでいいじゃないかと思いもした、うん、根っからのオタク性格もあるから仕方ない。

「こんなに可愛い娘が男のはずがないだろう!?」

「まぁ中身知ってなきゃイケますね、知ってたら引きますが、まぁ性癖なんて人それぞれですし……」

 言うな、それ以上言うな。

 そんな事を言えば世の中にはもっと業の深い人間がいるのだ。

 だから自分みたいなものはまだまだ浅い方よ。

「ではそれで、行きましょうか」

 互いに立ち上がりギルドホールの外へと向かう。

 扉を開けば日の光が差し込み眩しい、と思った瞬間光度調整されなんともなくなった。

 この辺り少し違和感があるのだがあれだろうか、種族特徴というやつだろうか。

 ともかく久々の冒険だ、未知である事が非常に楽しい。

 まるで初めてユグドラシルをプレイした時のことを思い出しそうだ。

「んじゃま、<フライ/飛行>かけてくれよ」

「え? 嫌ですよ」

「えっ?」

 あっけなく拒否されてしまった、本来フライは自身のみだが正一郎クラスになれば他人にくらいかけれる筈なのに。

「だって味気ないじゃないですか、それに……」

 正一郎が振り向いた先、ギルドホールの入り口で少し寂しそうにアンラが立っていた。

 見送りのつもりだろうが表情で行ってほしくないと思っているのが簡単にわかる。

「…………来るか?」

「え、そんな……私にはギルドホールの管理がありますし……」

「嫌ならいいんだが」

 俯きながら物凄く考え込むアンラに少し罪悪感みたいなのを感じる。

 直接ついて来いとでも言った方が良かっただろうか。

「お願いしても……よろしいでしょうか」

「じゃぁ来いよ」

「……はいっ!」

 ギルドホールの管理と言っても大した仕事はないだろう。

 多少空けたってどうせ宝物庫には行けやしないさ。

「まぁ一応……」

 正一郎が呟くと彼を中心に立体的な魔法陣が展開する。

 超位魔法、その詠唱時に展開される魔法陣に他ならない。

「示せ絡み合う双蛇の杖カドゥケウス!! <ディメンションウォール/次元障壁>!!」

 ギルドホールであるログハウスを多い囲むように次元そのものがずれる。

 本来十分程発動時間を要する最高峰の防御魔法、それを軽々と正一郎は使って見せた。

 詳しくは聞いた事が無いがカドゥケウスという杖がその仕掛けなのだろう。

 正一郎がワールドチャンピオンになった際、運営に作って貰ったのが杖だったのだから。

「まぁ一応保険でね、では行きましょう」

 保険にして大げさすぎる気もしなくはないが。

 安心できることは間違いなしだ。



                ◇



「む……」

 冒険者組合からの帰り道、僅かな世界の違和感にアインズは空を見上げる。

「如何されましたか、モモンさ――ん」

「ナーベ……お前は今のに気づいたか?」

「申し訳ありません、何がというのは一体……」

「いや、それならいいのだ、私の勘違いかもしれん」

 ナーベラルが感じ取れなかったのであれば近くで起きた事ではないだろう。

 ただそれがどれ程遠くなのか、何が起こったかに関してはわからない。

 気になる事ではあるが自分でも確信が持てないくらいに微弱すぎる違和感。

(頭の隅に考えておくくらいでいいか……)

 問題ないと吐き捨てるには小さすぎず、かといって問題視する程大きくはない。

 ならば警戒の候補として記憶しておくことにしよう。

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