2.高野真唯の場合

「あいつ、今日もいる」


 図書館の入り口で、思ったことが口に出ていた。私はあたりをうかがう。よかった、だれも聞いてない。


 気に入らない。


 いつもそう思っていた。

 私と同じ三年生だということくらいは知っていた。学年合同のイベントで顔をみたことがある。

 いつも放課後、図書室にきて、ただただぼーっとしているだけのあいつ。

 勉強をするでもなし、読書をするでもない。

 それなのに、成績はいつもトップ。

 模試の校内順位はあいつが一位で、私が二位。


 どうして?


 夏に部活を引退してから、こんなに毎日放課後まで頑張ってるのに。

 あいつが読むでもないマンガをパラパラめくってるあいだに、私はすっごく勉強してるのに。

 どんなに努力しても、アキレスと亀みたいに追いつけない。


 不公平だと、思う。

 あいつはこっちなんか見向きもしない。私があいつに追いつこうとひぃひぃ言いながら登ってる階段を、鼻歌混じりに軽く駆けあがっていく。

 才能の違い、というものなんだろうか。


 どうにかして、意識させたい。気づかせたい。

 自分に並ぼうとしているひとがいるんだっていうことを。

 ライバルになるかもしれないひとがいるんだっていうことを。

 私という人間が、ここにいるんだっていうことを。

 名前はつかんだ。小崎冬子。地味なポニーテールの小鼻女。


 あいつはいつもの席に座って、ぼーっとしてる。


「そうだ」


 すこし、驚かせてやろう。

 思いついて、私は図書室に入って、あいつの横を通る――通るときに、机に鞄を当ててやる。


 硬い音が静かな図書館に響く。


「ひゃっ! ご、ごめんなさい!」


 ――。


 高い、透き通った、キレイな声。

 その声に突き刺されたように感じて、私は。


「あ、ごめんなさい、ぶつかっちゃって」


 思わず、謝っていた。


「え、あ、いいの、こっちこそぼーっとしてて……」


 小崎冬子……さんは、気まずそうに笑って私と会釈を交わす。

 私も、つられて頭を下げる。


「高野さん、だよね? となりのクラスの」


 予想してなかった単語が頭に響いて、私はフリーズする。


「え、あ、うん」


「かばん、大丈夫だった?」

「大丈夫」

「良かった」

「うん……それじゃ」

「うん」


 それからなにもなく、私のいつもの席に、私は座る。

 ちいさな罪悪感を胸にかかえて。


 名前。

 知られていた。


 いや、そんなのはちょっと調べればわかることだし、合同授業で同じクラスだったこともあるし、部活で人前に出ることだってあったし、あいつが私の名前を知ってることなんてなんにもおかしいことじゃない、けど。


 私も、呼べばよかった。


 机の上にノートを拡げて、書いてみる。

 私が口に出しそこねた固有名詞を。

 それから我にかえって、あわてて消しゴムで乱暴にこすって消した。

 よかった、誰も見てない。


 小さくため息をすいて、私はよし、と気合を入れなおす。

 あいつに並ぶ。それを、これから卒業までの私の目標にしよう。

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