07

 試合が終わり挨拶を終えベンチに戻った9人の表情は異なっていた。

 帽子を深く被り顔を隠す漆。

 漆の両肩をアイシングしながら語りかける清美。

 それをフォローする梨乃と奏。

 どうすればいいのか分からない様子の来夢と桂子ちゃん。

 そして、これからの予定を話し合っている外野3人。

 意識の違い、とすれば簡単な話だ。

 所詮、練習試合だし結果は求められていない。

 試合の中で問題を把握し、次へ活かす。

 それが大切だが今のメンバーを見渡してもそういう雰囲気ではない。

「ねぇー、カントクー。あたしら帰ってもいいー? 早く行かないと満室になるんすけどー」

「はぁ?」

 場違いなギャル声に反応すると、有紀が上目使いで駄々をこねる。

 帰る? この状況でか?

 確かに全員が漆のフォローにまわっても意味ないし、むしろ迷惑と言っていい。

 しかし、チームメイトが唇を噛みしめている中、雰囲気をぶち壊すような発言。

 無神経すぎるだろ、お前。

「あっ、あのその……私たちがいてもその……迷惑だと思いますし。すみません、すみません」

「ほら久も頭下げているし良いでしょ?」

 ペコペコ頭を下げる久を弁護するようにまりもが腕を組む。

 正直、こいつ等がどこ行こうとどうでもいい。

 解散すれば俺の役目は終わるし、このチームと関わることは無いだろう。

 だが、来夢や桂子ちゃんが直向きに頑張る姿、梨乃の想い……そして、漆の後ろ姿。

放っておけないだろ。

 消したと思っていた野球への想いが、実は心の奥に残っていた。

 結局、俺は野球を嫌いになれても、無関心にはなれなかった。

 ふっ、滑稽だな。

「コイツらがそう言っているが、良いのか? 梨乃」

「え?」

 俺が部長を名指しすると意外に思っていたのか目を丸くする。

 このチームの行く末、それを判断するのは俺の役目じゃない。

「このチームのキャプテンは梨乃だろ? 俺は正式な監督じゃないし部外者に近い立場だからな」

 傍から見たら無責任極まりない発言に思われるかもしれない。

 来夢は蔑んだ目で見てくる。

 他の部員からも何か言いたげな感じが伝わってくる。

 逆の立場なら俺でもそう思う。

 だが、俺は言い続ける……

「梨乃が決めろ」

 このチームの行く末を。

 梨乃の目を見て言うと困惑した表情で視線を下げる。

 確かに、キャプテンとして申し分無いし部内の中では一番野球に精通している。

 漆と清美、有紀達が独断でプレーする中、一人チームのことを考えて野球をしていた。

 だが、梨乃には最大の弱点が有る。

 きっと、今回も間違った選択をする。

「予定が有るならしょうがないよね。うん、良いよ、帰って……」

「本当にそれで良いのか?」

 髪間を入れずに切り返す。

 間違った選択をしてしまった、と感じたからだ。

 梨乃は相手を尊重しすぎる傾向が有る。

 試合前の会話でも他人を褒め称えるだけで自分の話はしなかったし、試合中も清美の言葉に反論せず引き下がった。

 相手を尊重することを否定するわけではない。

 だが、キャプテンとしてこのチームを導くには見過ごしてはいけない。

「だって、しょうがないですよ。うるるんの事をみんなで囲っても解決にならない。あたし達が居れば大丈夫です」

 興奮を抑えるようにあくまで冷静に話す。

「ほらっ、キャップがそう言っているんですしー良いじゃないですかー。満室になったらカントク責任とれんすかー?」

 ひしし、と人をイラつかせるような笑いで梨乃の発言に畳み掛ける。

 まるで俺が悪者みたいな物言いにイラッ、となるが唾を飲む。

 ここは我慢だ、我慢。

「責任? 別にカラオケ何て駅前ぶらつけばいくらでも有るだろ?」

「有紀はD○Mが良いのっ! D○M人気だから直ぐ埋まるのっ、分かる?」

「そんなカラオケ事情しらねぇーよ」

「えー、大学生のくせに情弱すねっ。何か幻滅ー」

 世の中の大学生が全員ちゃらちゃらしているとか思うなよ。

 内心反論しつつ視線を梨乃に向けると複雑そうな表情をしている。

 迷いが有るのだろう。

 今まで問題が有っても野放しにしていたと思うし、今更意思を言った所で反感を買うに決まっている。

「なぁ、梨乃。どうして野球をやっているんだ?」

「えっ? あたしは小さい頃から……」

「あー、そうじゃない。何を目標に野球をしていた?」

「目標?」

「あぁ。全国へ行く、プロを目指す何でも良い。梨乃が目指しているものは何だ?」

「目指しているもの……」

 自分でも意地悪なことを聞いていると自覚している。

 数年しか違わない奴が偉そうなことを言っているな、と思って頂いても構わない。

 事情を知って見過ごすほど腐った人間じゃない、その証明として。

「答えられない、まぁそうだよな」

「ごめんなさい。いっぱい考えたけど、あたし野球が生活の一部で当たり前のようにやっていたから」

 どうして食事をしているのか、と聞かれれば『生きるため』と答えると思う。

 究極的に言えば食べなくても生きていけるし、別の方法で栄養を取得すれば直ぐに死ぬわけではない。

 じゃあ、なぜ食事をするのか。

 それは一番効率が良く、人は食べることで幸福を得ることができるから、少なくとも俺はそう考える。

「野球が楽しい、そうじゃないのか?」

 俺が二年間失っていた感覚だ。

 小さい頃、バットを夢中で振っていたあの日々。

 安いおもちゃのグローブとボールをこずかいで買って、来夢とキャッチボールしたあの空間。

 シニアチームに入り、厳しい練習に挫けそうになっても続け強豪校に入部出来た喜び。

 全ては『楽しい』に満ちていた。

 だが、俺はあの決勝戦で楽しさを失った。

「楽しい……監督さんが言うとおりかもね。でも、今は分からない、わからないよ」

 蔑んだ瞳は複雑な思考を垣間見ているのかもしれない。

 今にでも涙が溢れだしそうな表情は梨乃の心の闇を表象しているようで、一度は失った張りつめた雰囲気を肌身で感じる。



「辛かったよな。野球が好きだと言い切れない歯がゆさ。俺もそうだった」



 それは過去、野球を嫌った自分自身に語りかけるように。

 そして、過去との決別の意思を込めて。

 

 

「えっ……」

 刹那、梨乃の頬に一粒の涙。

 俺は見逃さなかった。

 ゆっくり首筋に消える姿は梨乃が苦労した道筋を辿るようで、視線を逸らす。

 あの場面のフラッシュバックを恐れているのか……

 いや、もう関係無い。

 俺は梨乃に近くで腰を掛け両指を交互に握り顎を乗せる。

「天羽の生徒と話している時と漆や清美に話そうとしている梨乃は違った。なぜ、遠慮する?」

「遠慮何てしてない。ただ、うるるんはあたしと違ってみんなに認められている力が有る。きよみんはうるるんの事を一番分かっている……あたしがどうこう言える立場じゃないよ」

「梨乃ちゃん……」

 梨乃の身体の震えに寄り添っていた奏がそっと肩に手を添える。

 きっと、奏は知っていたのだろう、梨乃の本心を。

「でも、試合には負けた。つまり、清美に任せた結果こうなった訳だ」

「おいおい。まるで俺が戦犯だって言いてえのか?」

 俺の言葉に漆に寄り添っていた清美から威圧の籠った声が響く。

「そうじゃねぇよ。清美は乱調の漆を最大限に引き出そうとリードしていたし、何より自信を持っていた」

 打たれたのは結果論だしそこを攻めるのは今後に繋がらない。

「7回の裏、2アウトランナー無し、一打サヨナラ。それまで天羽の選手で外野まで飛ばした選手はいない。そして、バッターはクリス。俺は初対面だが漆の様子を見た限り初対戦ではない。つまり、クリスがどんなバッターか知っていたはずだ」

「なんだ? おめぇーはクリスと勝負しないで敬遠しろ、って言うのか」

 歯ぎしり混じりの声で俺の意図を言い当てた清美。

 当然の反応だよな。

 俺自身もさっきの試合で最善だと思っていた、否定はしない。

 最初から勝つつもりなんて無かったし、試合をするという意味ではプレイボールの時点でこの試合の意義を達成したからだ。

 しかし、試合に勝つ、という観点では違う。

「少なくとも、2ボールになった時点で勝負を避ける、という選択が有ってもおかしくないと思う」

 練習試合で敬遠、というのは推奨されるべき作戦ではない。

 しかも、フェアプレイがモットーの学生野球では敬遠そのものに批判が有るのが現実。

 かの5打席連続敬遠が物議をかましたことにも表象される。

 だが、結果的に敬遠を選択したことで勝利に繋がった。

「ちっ……俺はもっと骨の有る奴だと思っていたのによ。期待して損したぜ」

 清美は漆の頭に手のひらを乗せ髪を軽く撫でる。

「こいつはずっとあいつ……クリスの野郎に勝つために練習してきたぜ。新米監督さんには分からねぇーだろうがな」

「あぁ、そうだ。俺はこのチームの確執を把握していないし、どんな経緯で今に至るのか分からないな」

 2年野球から離れ、妹が野球していることも今日知った人間が把握している訳無い。

「だが、このチームには何かが足りない……何だと思う」

 俺は清美の威圧に対抗して視線を向ける。

「足りない? そんなの……」

 清美はちらっ、2年生トリオを見て

「2軍相手に一点も取れない打線だろ。来夢や桂子はしょうがねぇーが、こいつらはな……」

 挑発するような口調で語る。

「はぁー? もーしーかーしーてぇー、有紀達のこと言ってる?」

 あからさまな挑発に反応した有紀。

 それに便乗して、両サイドの二人も視線を清美に集中させる。

「自覚が有るなら話が早いよな。今まで大目に見といてやったが、マジでやる気ある?」

「やる気? そんなの有るわけないじゃん。そーれーに、有紀はヒット打ったしーその後空三したのは清美じゃね?」

「そうよ。あなたが打っていれば有紀の足なら一点入っていたわ」

 怒りの籠った声を飄々と返す有紀に畳み掛けるようにまりもが口撃。

「ふんっ、どうだか」

 二人の怒りを鼻で跳ね返す。

「あっ……あの、その……えーと」

「無理に話す必要は無いよ久。この際だからあなたに言っておくわ」

 これまで有紀を媒介にしていたまりもが清美の前に出る。

「ちっ、何だよ」

「あなたは自分がいかにも実力者みたいな物言いをくりかえしているけど、所詮あなたは置物」

「置物……だと」

「そうでしょ? あなたは鏡先輩のボールを受ける以外に存在価値は無い。否定出来る?」

 それは違う。

 確かに外野から見ればキャッチしている印象しかないし、セカンドショートのような派手な守備をする機会は少ない。

 後ろ逸らさなければ誰でも良い、野球を始めたばかりの俺でさえそう思っていた時期は有った。

 だが、キャッチャーはポジションの中で唯一全体を見渡すことが出来、相手打者の一番近くで守備をしている。

 つまり、もっとも近い立場で相手を感じ対策を練り、裏付けの有る情報を伝え動かすことが可能だ。

「否定出来ないでしょ? 鏡先輩の腰巾着のあなたに」

「腰巾着……だとぉ……」

「ええそうよ。あなたは鏡先輩の才能に縋っているだけでしょ? 私は有栖川に入ってから始めたけど、それでも鏡先輩の凄さは理解している……いいえ、理解させられたわ」

 年の離れた俺だって一瞬で理解した才能。

 年の近いまりもの立場なら、衝撃は俺以上だろうよ。

「対外試合では敵無し。あの速球をまともに打ち返したのはクリスさんだけ……それなら、三浦さんの役割は捕球するだけ。そこに何パーセント関わっているのかしらね?」

「……ちっ」

 まりもの怒りを誘うような口調に清美は歯ぎしりを立てる。

 外野手のまりもに言わせればそうかもしれない。

 仮に一軍相手でも漆の速球を打ち返せるのは9人もいないだろう。

 それなら、漆は速球を投げ続けていれば連打を浴びる可能性は少ないしエラーさえしなければ合格点。

 天羽の個性豊かな投手をリードするより求められる技量は少ない、と考えてもおかしくない。

「答えられる? 答えられないでしょ?」

「そうだそうだ! まりも、あの大根女に言ってやれ!」

 口撃が止まらないまりもを後押しするように有紀が便乗する。

 攻めを緩めないまりもに対して口を噛みしめる清美。

 多分、清美の中にも葛藤が有るのかもしれない。

 清美はキャッチャーとしての適正は有る、断言する。

 だが、選手としては荒削りな部分も多いし、絶対の才能を持つ漆と比べると負い目に感じる部分が有るのだろう。

「……オレ……オレは……」

 言葉を渋る姿に、俺を問い詰めていた時の勢いは無かった。

 小刻みに身体が震え、仕切りにこぶしを握り堪えている。

 その姿に両腕で組み蔑んだ瞳で見下ろすまりもの姿は、このチームの確執を象徴しているようで俺も言葉を躊躇う。

 


「言いてぇーことはそれだけですか」




「漆……」

 刹那、これまで沈黙を貫いていた漆が立ち上がり、清美の握りこぶしを両手で包む。

「もういいです。あんな嫉妬女に聞く耳持つ必要ねぇーです」

「嫉妬? 私があなたの才能の妬んでいるとでも言いたいの?」

「間違っているですか?」

 まりもの棘のある言葉を冷酷に返す姿は、数時間前まで共に戦っていた仲間への口調ではない。

 クリスに闘争心を燃やしていた時の方が見ていられる姿だった。

「石川まりも……てめぇーこそ荒波有紀の腰巾着じゃねぇーですか。清美はバッテリー……清美以外みとめねぇーです」

 噛み殺すよう視線。

 お前に野球をやる資格は無い、と暗示するような雰囲気にまりもの表情が真っ青になる。

 才能への嫉妬……俺は感じたことが無い。

 男女の差かもしれないが高校時代の俺は、長打が打てなくても俺は俺、て考えだった。

 ドラフト候補の平石を見ていても良い選手って感じで、嫉妬は無かった。

「……そうね。鏡先輩の言うとおり……私は所詮有紀がいなければ存在価値の無い人間よ」

 表情を悟られないように背中を漆に向ける。

「おい、まりも……」

 エナメルバックを斜めにかけ、帰りを待っていた有紀がまりもの手の平を握ろうとすると、

「触らないで!!」



――パシッ……!



 乾いた音が響き渡る。

 有紀は叩かれた手の甲をぐっと抑え座り込む。

「だっ……大丈夫ですか」

 と黙っていた久が有紀の元に駆け寄りポケットからハンカチを出すと乱暴に受け取る。

「あっ……ごめんなさい。叩いたことは謝るわ」

 とっさに謝るまりもを睨み返す有紀。

「いい機会だから有紀に言っておくわ」 

 まりもは張っていた肩をなで肩の高さまで下ろす。

「私はあなたのことずっと嫉妬していたわ。出会ったあの日……風と一体化している姿。一瞬で私の心は有紀に取り込まれた。でも、あなたは突然陸上部を辞めた」

「……陸上面白くないじゃん。疲れるし」

「本当にそれだけ?」

 さっと振り返ったまりもは有紀を見下ろしじっと見つめる。

「聞いたわ。あなた先輩達に交渉したんでしょ? あなたが辞める代わりに私達に対する暴力を辞めてほしい、て」

 暴力、こんなお嬢様学校にもか。

「聞いたこと有るぜ。陸上部。有栖川で唯一寮生活が認められている強化指定クラブ。かなり上下関係が厳しいって聞くぜ」

 まりもの言葉に、清美がそっと口にする。

「ええ。先輩は神のような存在。一年生の私達は奴隷……会話することすら許されない閉鎖空間。あなたが思っているより悲惨よ」

 昔の野球部、特に強豪校では当たり前とされていた風習。

 それがお嬢様学校で行われていたことに言葉が出ない。

「私と有紀は同じ部屋で私達の希望の星……先輩に唯一実力で立ち向かうことが出来る人間として」

 まりもは有紀の目の前でしゃがみ目線を合わせる。

「無論、あなたは答えてくれた。私、嬉しかった」

 全国大会出場、てことか。

「でも、あなたは才能を捨てた。どうして? 有紀ならあの自尊心の塊を痛めつけることが出来る……私には出来ない手段をあなたなら出来る。なぜ、なぜ?」

「ちょっ、きゃー……痛っ、ちょっ」

「答えて。答えなさいよ!!」

「ちっ、離れろっ!!」

 刹那、高ぶった感情をぶつけるように有紀の両肩を握りしめる。

 異常さを感知したのか、清美が間に入り解こうとするが離れない。

「おい……手伝えっ!」

「分かってる!!」

 清美の救助要請の前に動いていた俺は清美の反対側を位置取り絡みを剥がす。

 これ以上の争いを防ぐためにまりもの脇に腕を入れ動きを封じるが、首筋から魅惑の香も影響して思うように力が入らない。

「はっ、離しなさい……訴えるわよ」

「あ、生憎女子校にいる時点で罪犯しているようなもんだからな」

 日本に在住する限り二重に問えないからな。

 と屁理屈で気を紛らわしながらまりもの抵抗が少なくなるのを待つ。

「……はぁ、はぁ。しぶといわね」

「ちっ……お前もやるな」

 数封後、疲れ切った魚のごとく勢いを失ったまりもは荒い息を繰り返す。

「ほら。頭、冷めただろ」

 腕の力を弱め解放する。

「そうね。おかげさまで」

 皮肉の声色に安心出来ないが、手を出す素振りは見せないから大丈夫だろう。

「なら良かった。お前、想像以上に執念深いな」

「あなたに言われるのは気に食わないけど。そうね自分でも驚いているわ」

 部外者だしな、俺。

 陸上界の期待の星、有紀。

 異次元のスイッチピッチャー、漆。

 二人の天才の板挟みの環境下でストレスが溜まっていたのだろう。

「有紀のことを追いかけて入部して今度は鏡先輩……努力しても届かない存在を改めて認識して、惨めになったわ」

「えー? 有紀は惨めなんて思ってないよ? まりもが居なきゃ誰が有紀の世話すんのって感じ」

 胡座を描き視線を逸らす有紀。

「……そうだよ。まりもちゃんは凄いって……思うよ」

「そうそう。有紀って結構がさつじゃん? 正直、足が速いのってまりものせいだしー」

 うねった前髪を人差し指で回す。

こそばゆい思いを紛らわしているような仕草に、心なし有紀の頬がほんのり赤くなる。

「ほらっ、小学校の競いあってたじゃん。あん時はまりもの方が速くて、必死に練習したし。だから、まりものせい」

「ふふっ、そうね。中学の頃には形勢逆転されたけどね」

「有紀なりに頑張ったから。ほら、バカだし。結構単純だし」

「……ふふ。そうね。でも、ありがとう」

 交互に視線を向け、ぺこりとお辞儀する。

「少し気が晴れた気がする」

「はぁー、もー改まるの禁止ぃー。堅苦しいのちょー嫌なんですけど?」

 すると、髪をくしゃくしゃかき回してまりもと正対。

 久も後ろに付く。

「ほら有紀って適当じゃん? たまにうぜぇ時有るけど感謝してるってこと。そんだけ」

 有紀の言葉につられて久が頷く。

「ふふ……わかりました」

「うわ、うぜぇー」

 口元で笑うまりもの姿をチラチラ見る有紀。

 ただのギャルかと思ったけど、友情深いところも有るんだな。

 少し見直した。

 

 

「一件落着なのか?」

「うーん、元々あたしがご指導頂いていた気がするけど。不思議だね、監督さん」

 何時の間にか俺の隣にいた梨乃が耳元でそっと話す。

「確かにな。正直整理出来ていない」

「それは漆の方です。清美に謝りやがれです」

 梨乃の反対側から不満不平を漏らす漆。

 すると、まりも視線を漆と俺の右肩に肘を乗っけている清美を交互に見つめる。

「ふん、勘違いしないでほしいわ。別にあなた方と和解した訳ではないし、分かり合おうとも思わない」

「……何様でいやがりますか」

「まぁ落ち着け」

 清美は漆の肩に手を乗っける。

「オレは気にしないし好きに言わせておけばいいさ」

「うっ、こういう無礼者には厳しい処分が必要ですっ。甘やかすのはよくねぇーです」

「うっせ。オレが良いって言えば良いんだよ」

「……また姉面して、見くびってやがるです」

「あれー。漆さんを毎朝起こしてあげているのは誰でしたっけ」

 とぼけた口調の清美に対して、漆は頬を膨らませる。

「別に頼んでねぇーです、不法侵入で訴えてやるです」

「はいはい。どうぞご自由に」

 ボン、と漆の頭に一発。

「うっ。だから叩くなですっ。縮むですっ!!」

 叩かれた場所を両手でふさいだ漆はその場に座り込む。

「ばかばかしい。まるで私が悪者みたいだわ」

 と溜息を漏らすまりも。

「別に無理して好きになる必要は無いだろ」

「あなたに意見を求めていないわ」

「じゃあ適当に聞き流してくれ」

「変なの」

 呆れ顔のまりも。

 まぁ、女の花園では男は無力さ。

「どんまい、お兄ちゃん。でもでも来夢はお兄ちゃんの事ずっとラブだからね♪」

 とさっきまで桂子ちゃんとドギマギしていた来夢がぴょっこり顔をだし、説明に困るようなセリフをぶちかます。

「あー。来夢ちゃん。抜け駆けは禁止ですよ」

 と言いつも桂子ちゃんはもぎゅっと腕を掴む。

「おいこらっ……皆の前で」

「ふふっ、人気ですね。では私も……」

「か、奏様!?」

 刹那、首に手を回されむぎゅっー、と奏の柔らかい身体がのしかかる。

 身長差が無いことも関係して奏のほわほわ顔が首筋付近をくすぐり、男の尊厳が熱帯びる。

「おいっ、俺は抱き枕じゃないぞ」

「えーそうなの? 私一人っ子だから憧れていたんだよね」

 と生物学的に誤解が含まれる表現の訂正を心掛けるが、柔らかな腕と乳圧で思考が低下。

逃れる手段は無い。

「奏様ずるいです。お兄様は私が独占所有権を所持しておりますので離れてください」

「桂子ちゃん嘘は駄目だよ。お兄ちゃんの正妹せいまいは来夢、来夢の権利ぃー」

 そんな所有権を認めた覚えが無いが、興奮しきった桂子ちゃんを止める気力が無い。

「これじゃあ私がお邪魔虫かな」

 と駄々をこねる二人の反応を見てか、奏の腕力が弱まり拘束が解除される。

 これ以上の密着は青年期の俺には刺激的が強すぎる。

「ちょっとこの二人は特殊でな。迷惑かけると思うがよろしくな」

 本日限定の監督生活も終わりだし、兄の立場として告げる。

「えー? 辞めちゃうの?」

「一応練習試合までの約束だからな」

 奏の残念そうな表情に躊躇いも有るが約束は約束。

 試合前に比べたら野球嫌いの気持ちは薄れている。

 来夢や桂子ちゃんの成長を見守るのも面白そうだし、漆や有紀の可能性を見続けたいという気持ちも有る、認める。

 だが、指導者としての経験が無い俺が出来ることは少ないし、こんな腐ったみかんの俺に教わりたい人間などいないだろう

「あたしは監督さんに続けてもらいたいですよ。アッキ―も何時帰ってこられるか分かりませんし、真面目にあたしを怒ってくれたの監督さんだけですもん」

「でも、ここ女子校だろ? 俺が監督やるのは色々とまずいだろ」

 ここまで来たときも男は警備員位しかいなかったし、他の生徒への影響を考えても難しいだろうよ。

「大丈夫だよ。お兄ちゃんが悶々したら来夢が綺麗さっぱり出してあげるよ♪ 何ならごっくんしちゃうぞ」

 てへ、と俺以上に他の生徒への影響が心配される発言をぶちかます我が妹。

 そのドヤ顔やめろ。

「……最低です。さっさと更生しやがれです」

 と何故か蔑んだ横目を俺に向ける。

「いや更生するのを俺じゃなくて来夢だろ」

「うっ、ひどい。来夢は所詮お兄ちゃんと血が繋がっただけの存在なんだね」

「それだけで十分だろ。大体、血の繋がり以上の関係って何だよ」

「知りたい?」

「知りたくない」

 真面目に否定すると来夢はくすん、と演技力ゼロの泣く仕草を見せる。

「この後、来夢はアニキに調教され幸せな生活を送りましたとさ」

 にしし、と笑う清美。

 はぁー、こいつら何様?

「勝手に決めつけるな。まぁ、監督は考えても良いが学園の許可を貰えないとな」

「それなら大丈夫だよ。秋山先生に連絡したら問題無いだって♪」

 スマートフォンを耳に当てながら笑みをこぼす奏。

 仕事早いなマネージャー。

「ただし。エッチなことをしたら一生太陽の光が届かない所で死ぬまで幽閉、だって♪」

 と感心をするのも束の間、表情を変えずに恐ろしいことを口走る。

 たく、緩いのか緩くないのか分からないな、ここの教師は。

「えー。そしたらお兄ちゃんと来夢のラブラブベースボール出来ないですよ」

「いや、ラブラブとか無いから」

「そうですよ。お兄様と愛し合っていいのはわたくしだけですよ」

 桂子ちゃんが俺の前に来て

「お兄様。不束者ですがこれからもよろしくお願い申し上げます」

 ぺこり、と項(うなじ)が見えるほど深い礼をする。

 まるでプロポーズみたいな言葉に視線が集まるのを感じる。

「いや、まだやると決まった訳じゃないし、そんな改まれても……」

「桂子が必死になってお願いしているだろ。男ならさっさと決めろよなっ!」

「ぐほぉっ! ……何しやがる」

 言葉の整理をしていると、後ろから清美の太い腕が背骨に衝突。

 肺の空気が逆流し息が飛び出る。

 何て力だよ。お前の先祖絶対ゴリラかオランウータンだろ。

「気合だよ気合。別に男とか気にしねぇーし、来夢や桂子に教えてやれよ、な?」

 清美の言葉に来夢と桂子ちゃんは頷く。

「身体に少しでも触れてみやがれです。即行地獄に送ってやるです」

 と閻魔大王さながらの死刑宣告をぶちかます漆。

「有紀的にはもうちょっとイケメンだったら大賛成だったけどー。まぁ、いいんじゃね?」

 有紀が面倒くさそうな口調に久もこくこく頷く。

「私は反対ですけど、多数決の原理が採用されている日本では少数意見は通らないので我慢するわ」

 棘の有る口調で反対意見を述べるまりも。

 まぁ、この世界で満場一致で物事が進むことはゼロに等しいし、そういう奴が居ても不思議じゃないだろう。

 多種多彩な表情が向けられる中、俺はこのチームのキャプテンである梨乃に視線を合わせる。

「良いのか? 俺で」

「うんっ! あたしは歓迎しますよ。打倒天羽、目指せ全国ーー!!」

 拳を突き上げる梨乃。

「いきなり全国かよ」

「あー、笑わないで下さいよー。結構本気なのに、ねぇーうるるん」

 梨乃は漆の肩を包み込むように抱く。

「うぅ、離れやがれです。まな板が痛い」

「まな板じゃないよ。ちゃんと有るもん、触る?」

 と女同士だから許されるコミュニケーションに漆は首を横に振る。

「むーん、漆だって無い者仲間だと思っていたのに」

「うるさいです。漆は貧乳じゃねーです。ぽよんぽよんです」

「ダウトだな」

 漆の虚偽告白に清美が溜息を漏らし指摘する。

「うー、清美は黙りやがれです。この贅肉おっぱいお化け」

「こらっ、誰がおっぱいお化けだぁーー?」

 清美は漆の後ろへ

 そして握り拳を漆のこめかみに当て

「うがっ……! ぐりぐりするなぁです。お姉ちゃんに逆らう清美がわりぃーです!!」

 と仲睦ましい姿をくすくす笑う梨乃が俺の目の前に来る。

「じゃあ監督さん。これからも監督を続けてもらってもいいかなぁー?」

 と今は無き昼のワイドショーみたいな振りで握り拳を俺の口元へ。

 期待の眼差しで見つめる来夢、桂子ちゃんとそっぽを向く有紀、まりも、久。

 昼ドラ並みにドロドロした野球部を立て直すことが出来るのか、自信は無い。

 漆や有紀の才能を伸ばすならもっと良いコーチが居ると思う。

 それでも期待されているなら答えたい。



「あぁ、よろしくな」



 葛藤の中、俺はこいつら共に青春をやり直す選択肢を選んだ。




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