土曜日の郵送 - Anemone Carteiro (1)

**中央隔壁、通称・裾の町にて**

 

 呼び出した路地で、葡萄色の髪の少女が待っていた。

 彼女は決して、約束の時間を違えなかった。まるで機械のような律義さ。それが彼女の仕事の心臓部なのだと、シスルはよく心得ている。

「悪いな、わざわざ時間を取らせて」

「気にしないでよ、あたしとしーたんの仲じゃない」

「そうだったな」

「それで、どうしたの?」

「これを」

 シスルは、まるで人肌のようなクリーム色の封筒を手渡した。

「お手紙?」

「私が一年経って戻らなかったら、これを届けてくれないか」

「一年、って……今回のお仕事、そんなに長いの?」

「まあな」

 彼女は質問を重ねようとしたようだったが、ふと視線を宙に彷徨わせて、

「宛名がないよ?」

 そして代わりに別のことを訊いた――ような、気がした。

「宛先は、ドクターに伝えてあるから、聞いてくれ」

「例の博士ね。……いいの?」

 彼女とドクター・ガラノフは十年単位で直接の接点がない。そういう意味での「いいの?」なのだろう。シスルは安心させる意味も込めて、唇に笑みを形づくる。

「ああ、ちゃんと伝えてある」

「そっか。了解。確かに受領しました」

「料金は?」

「後払いでいいよ、ずっと先だもん」

「払えなくなったら困る」

「えー、じゃあねえ……」

 彼女は――もしかして気付いたのだろうか。シスルは、無邪気そうな姿勢で悩む少女に、ある鋭さを見た。

 だが、確かに彼女なら気付いてもおかしくはない。そして気付いたところで、何を言うこともないだろう。

 シスルと少女は、契約関係を結ばない限りでは、互いの仕事に関わらない。互いの生き方に関わらない。そういう確かな距離心地よく思うからこそ、こうして付き合いが続いているのだ。

「じゃあこの手紙、届けたとき読ませてくれる?」

「――うん。いいよ」

 シスルは、半ばその答えを予想していた。彼女もそうだろう。

「ありがと。じゃ、気をつけてね」

「ありがとう。それじゃ」

「うん。またね、しーたん」

 午後の光のなかで、初めて会ったときよりも幾分髪が長くなったその少女は、宗教観のないシスルから見ても、まるで慈母のような……と形容するしかない笑みを浮かべる。

 生きたものの笑み。生きていくものの笑みだ。

 まるで、安らかに死者を見送るような。

 

 

 

**裾の町より西に二十キロ、第五番隔壁にて**

 

「しーたんってもしかして、手紙書くの慣れてる?」

 アネモネは、裾の町への手紙を受け取りながらそう言った。言われた本人、しーたんことシスルは、禿頭から伸びるうなじを押さえて首を軽く回しながら、むしろ不思議そうに問い返す。

「どうしてそう思う?」

「職業柄、手紙を見ればわかるよ。宛先をどこから書き始めるかに迷いがないし、便せんの折り方も綺麗。封の糊付けもそつないし」

「そうか?」

「うん。ていうかしーたん、なんで首回すの。もしかして、肩こるの?」

「残念ながら一応、そういう風にできている」

「せっかく人工義体なのに、それって不便じゃない」

「まあ、おおむね肉体の構造は同じだからな。ドクターに頼めば痛覚の回路を切断してもらうこともできるけど、そうすると異変に気づけない」

「ああ、そっか。気づかないうちに動作不良起こしてましたー、じゃ笑えないもんね」

「そういうことだ」

「ま、とにかく預かるね。宛先はしーたんのところの大家さんだったね」

「ああ。念のため図書館の本を預かって貰ってきたんだが、ちょっとこの調子だと返せそうにないからな。代わりに返却して貰おうと思って。用件はそれだけさ」

「ならよかった。今生の別れとかだったらどうしようかと思ったよ。家賃払ってなくてすみません、とかね」

「まさか。それなら、書かなきゃいけない先が山とある。アンタに返さなきゃいけない借りも、な」

「えへへ。あ、じゃ、今回の料金はこれで」

 アネモネは、小さな紙片を渡す。そこに書かれた額は、決して小さくはない。しかしながら、差し障りのない手紙を安全確実に届けるためには、この少女に預けるのが一番だ。シスルは何も言わずに紙片を受け取って、懐から過不足なくその額を数えて差し出した。

 少女は「毎度、どうも」と笑って、鞄から取り出した重そうな布袋にそれを納め、再び鞄に戻す。そして、淀みない動作で、さきほど受け取った封筒をも追加する。

隅に少女と同じ名の花を刺繍されたその鞄は、まるでその手紙に噛みつくようにして、みずから収納した。

「鞄の調子は、最近どうだ?」

「このところは大丈夫。しーたんが縫ってくれた刺繍が効いてるのかな」

「そうだといいけどな」

 彼女の鞄は、あらゆるものを飲み込む。質量、体積、様態、有機・無機の別を問わず、彼女の「足」たる真っ赤な大型のバイクを初めとして、引っ越し用の大箱、本棚など、本当に何もかも。

 かつて、そういう風にこの鞄を作った科学者がいたのだ。旧時代の漫画作品にインスピレーションを得て、と誇らしげに語っていた博士が。

 ……それこそ「魔法」なのではないかとさえ思うが、シスルの記憶の上では、あの人はどこまでも科学者だった。魔法のような科学を繰り広げ、矢のように去って行った天才。

「また不具合があれば、ドクターへの取り次ぎはするよ」

「うん、よろしくお願い。最近、お元気?」

「近頃、目が悪くなってきたとは言っていたが、おそらく何か根を詰めすぎているんだろう。本人は矍鑠としたものさ」

 シスルが肩をすくめてみせると、アネモネもまた、安心したように笑みを浮かべた。

「そか、ならよかった。……じゃ、またね」

「ああ、また。よろしく」

「了解!」

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