第3章 6

 その翌日、わたしは教室で自分の机にしがみついて、身じろぎすらできない。わたしの一挙手一投足に対して、みんなからの嘲笑を浴びているような気がしたから。あるいは被害妄想なのかもしれない。しかし、周りのクラスメイトの視線が怖かった。みんな何もないように談笑しているけれど、その声の主はみんな、わたしのことを尻の軽い女だと思っている。後ろめたいことなどしていないのだから、堂々としていればいい、そう思う自分もいるけれど、実際に教室に来てクラスメイトの中にいると、すぐにどこかへ逃げ出したくなる。

 噂というものにはどんどん、尾ひれがついていく。わたしが大人のような人と休日にデートしている、お金のやり取りをしている、語弊はあるけれど、そこまでは事実だ。そこから、援助交際をしている、お金のためならSEXも厭わない、誰にでも股を開く、そういうふうに話が誇張されていくのは、考えなくとも想像がつく。

 わたしは彼女に昨日言われた捨て台詞を考えるともなく考える。

「あ、最後にひとつ言っておくけど、ウチはみんなに『避けろ』なんて指示出してないし、誰も言ってない。ただ、あんたが大人の男とスカイツリーでデートしてたのを見た先輩がいる、ということをLINEに書いただけ。だから、みんなが避けてるのは示し合わせてるんじゃなくて、自分たちの意思。一人ひとり、みんながあんたと関わりたくないと思ってるの。言ってる意味、わかるよね?」

 当然、分かっている。

 彼女がみんなに指示したりして、それでもってみんなが示し合わせてわたしを避けているのなら、そのリーダーである彼女の誤解を解いて、みんなにやめてもらえるように言ってもらえれば万事解決になる。でも、一人ひとりが自分の意思でわたしを避けているのだとしたら、首謀者ひとりの誤解を解いたところでどうしようもない。そもそも首謀者がいないのだから。

 彼女が首謀者であれば、彼女と話して理解してもらうだけで終わると思っていた。そんな甘い考えを持っていた。しかし、現実はそう単純なものでもなかった。彼女を納得させられなかったし、納得させたところでどうしようもない問題だった。

 事実というものはいつも辛辣なものなのかもしれない。それはとても残酷で、とても無情。そして、逆説的にいえば、優しさなんてものはやっぱり欺瞞だ。優しい現実なんてものはない。現実はいつも無情で、優しさは常に欺瞞。世の中はそういうふうに作られているように感じられる。

 今回のこともそう。彼女らに、いままで優しくされてきたのは偽物で、昨日彼女の放った言葉は本音なのだろう。このクラスには、この学校には、いじめなんてないし、いじめをするような人もいないと思っていた。でも、それは本物ではなかったらしい。

「いじめ……か」

そう呟いてから、自分の心の中に「いじめ」なんていう単語がすんなり浮かんできたことに驚く。いままでテレビや本の中でしか見たことのない「いじめ」という概念が、どうも身近なものに感じられなかった。それでもなぜか、別世界の単語だと思っていた「いじめ」なんて言葉が、自分のなかに出てきた。そこで、わたし自身がいじめの渦中にいるからなのではないか、と考えついた。

 わたしに対する、周りの人の反応は、客観的に見てもいじめと言って差し支えないものになっていた。昨日の彼女とのやり取りがあってから、クラスメイトのわたしに対する態度が露骨になったのだ。とはいっても物理的にというわけではなく、言葉の嫌がらせのようなものだ。休み時間になると誰かしらが悪口を言ってくる。二日三日経ったころには、ほかのクラスの人もそう。

「なあなあ、あいつだろ、金さえ払えば誰にでも股開くって奴。俺にもヤらせてくんねーかな」

「おいおい、やめとけよ。あんな汚れたクソビッチで童貞卒業とか勘弁だぜ。体が腐っちまうよ」

 そんな会話が日常になりつつあった。わたしの呼び名は「ビッチ」あるいは「クソビッチ」で固定したらしい。

 こういった陰口が毎日聞こえてくる。いや、わたしに聞こえるよう、これ見よがしに罵詈雑言を口にしていると言ったほうが正しい。明らかな嫌がらせ。テレビや本なんかで見るような、物を隠されたり集団で殴られたりなんていうのは今のところないけれど、このままエスカレートしていけば、もしかしたら分からない。少なくともわたしにとっては、いまのみんなの態度が苦痛だった。そして、今後これ以上の苦痛を味わうことがある可能性を考えると、もう何も考えられなかった。考えたくなかった。

 わたしは耐えられなかった。でも、耐えることしか、わたしは方策を持ち合わせていなかった。こんな生き地獄のようなの中を生きるしか術がなかった。

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