第15話 風呂/湯けむり/エルフさん

 それは、大船おおふね合戦が終息して、二週間も経った頃のこと。



「ふう」



 と、息をついて。

 少女は文机から顔を上げると、凝った肩を鳴らした。

 小袖のえりからちら見える真っ白いうなじが、妙になまめかしい。

 年は十七。文句のつけようのない美少女だが、世にもまれな金髪と長い耳が、ひときわ異彩を放っている。


 真里谷初音まりやつはつね

 三浦半島を勢力圏に納める三浦一族の当主、三浦荒次郎の妻である。名目上は。

 夫荒次郎とともに玉縄たまなわ城を奪取して後、対伊勢宗瑞いせそうずいの最前線に留まっている。本人の意思はともかくとして。

 荒次郎や三浦道寸みうらどうすんの元影武者、猪牙ノ助ちょきのすけとともに、平成の時代から、なぜかエルフとして放りこまれた彼女である。元は彼だが。



「失礼します……おひいさま、またですか」



 と、部屋に入ってきた幼い侍女が、呆れたような口調で目をすがめた。

 初音付きの侍女であるまつは、女性としてたった一人、玉縄城に詰める主の身を案じて、戦の余燼よじんも収まらないうちに、城に乗り込んできたのだ。



「いや、違うんだ、まつ。これは玉縄城を必殺忍び殺し仕様に変えるために必要なことで……」


「怒りませんから。でもちゃんと御当主さまの面倒も見ていただかないと困ります」



 初音はこの少女に弱い。あわあわと両手を振るエルフの少女に、幼い侍女は、ためいきをつきながら、また目を眇める。

 まつの無言の圧力に、初音は言葉を濁すしかない。



「あー、はははは、まあ、うん」


「そういえば、お姫さま、お風呂を用意しております。準備もできておりますので、はやく入ってくださいね」


「風呂!? わかった、入ってくるよ!」


「……まったく、おひいさまの風呂好きはどうかしてます。毎日湯に浸かりたいなんて、薪代も馬鹿にならないのに」



 逃げるように部屋を出るエルフの少女の背に、幼い侍女はため息を落とす。

 現代日本人ゆえ仕方ないが、そのあたりの感性は、戦国時代の人間から見れば狂気の域だ。



「まあ、わかりやすくて、いいんですけど」



 はあ、とため息をついて。

 幼い少女は、疲れたように初音の消えた先をながめた。









「ふーんふふーん。ふふふふふふふーんふふーん」



 と。某大河ドラマのメロディーを口ずさみながら、初音は脱衣所に入る。

 自身で設計した風呂場は、急ごしらえの不格好ながら、彼女の住んでいた時代のものに近い。

 打掛うちかけ小袖こそでなどをすぱっと脱ぎ払うと、まばゆいまでに白い肌を隠しもせず、湯けむりに満ちた浴場に入り。


 そのままの格好で固まった。


 浴槽には人影があった。

 深い湯けむりで姿は見えないが、規格外の巨大な影を見れば、誰であるかは一目瞭然だ。



「な、な……」


「む? その声は、エルフさんか?」



 驚き、扉を閉めるのを忘れていたためだろうか。湯けむりがすっと晴れていく。



「……ふむ」


「お、おい、見るなよ」


「ふむふむ」


「やめろ、舐めるように見るな! くっ、こんなところに居られるか! 私は出るぞっ――って扉が閉まった!?」



 くるりと振り返ったところで扉を閉められ、初音は悲鳴を上げる。



「向こうにいるの、まつだろ! やめろよそういうこと! 出してよ! ここから出して! 今日は我慢して荒次郎と一緒に寝るから出してーっ!」



 と、そこまで叫んだところで。

 すでに侍女が、扉にかんぬきを掛けて去っていることに気づいて、初音は肩を落とす。

 荒次郎から見れば、細やかな腰から尻にかけてのすべてが丸見えなのだが、彼女は気づいていない。



「……一緒に入るか、エルフさん」


「荒次郎……オーケー、一緒に入るなら、その股間の丸太をなんとかしてからにしようか。てかそれナニ? そんなブツが存在していいのか私の腕より太いぞふざけんな! 謝れ! 理由は言いたくないがとにかく私に謝れ!」



 つつましい胸を隠すのも忘れて、全力で主張するエルフの少女。

 顔を真っ赤にしてはいるが、羞恥からでは一切ない。



「落ちつけ、エルフさん」


「エルフ言うな! つか落ち着けって言うなら、そっちこそ丸太をどうにか落ち着けろ!」


「無茶なことを言う」


「わかってるよ理解してるよ元男だもの! でもその凶悪な丸太が立ってると、こっちは本気で怖いんだよ!」


「では、どうすればエルフさんは一緒に風呂に入ってくれるのだ」


「お前はホントに欲望に素直だよなあ!」



 突っ込み疲れて、ぜいはあ、と肩で息をする初音。

 荒次郎は丸太をどうにかしようと、股に挟みこもうとするが、びくりとも動かない。鉄の丸太である。


 なにはともあれ。

 全裸のまま浴場に突っ立っているほうが、よほど拙いことに気づいた初音は、結局荒次郎とともに湯船に浸かることになった。


 湯船は広い。荒次郎と初音が離れて座っても、なお余裕がある。



「……しかし、よくやったよな、私たち」



 心地よさからか、湯に溶け込みそうな表情をして、初音は荒次郎に声をかける。

 三倍強の兵を率いた北条早雲に追い詰められた状態から、二ヶ月あまり。綱渡りの末、三浦半島を奪還し、荒次郎たちは鎌倉の北西、玉縄城に居留している。

 戦火はいまだ燻ぶり、諸方復興に、国衆の慰撫にと、いまだ多忙を極める状態だが、首根っこを押さえつけられるような圧迫感が無くなった分、気は楽になっている。



「ふむ」



 荒次郎が相槌を打つ。



「――また、これからのことを考えねばならんな」


「ああ。早雲も、玉縄城奪還に動いてくる。国衆をあやしつけなきゃなんないし、そのあたり、荒次郎や猪牙ノ助の爺さんに任せてるけど……なあ、本当に良かったのか? 三浦道寸の死を公表して」



 身を寄せながら、初音が尋ねる。

 荒次郎は、戦が終息した時点で、三浦道寸の死を援軍諸将に明かしている。

 影武者である猪牙ノ助を本物に仕立て上げれば、各方面での折衝も、円滑に運べたはずだ。


 三浦家の若き当主は、巨体を体育座りで固定したまま、「ふむ」とうなずいた。



「たしかに道寸の名を使えば、国衆を取りまとめることは容易かもしれない。だが万が一、道寸の死が露わになった時、道寸の名の元に従ったものたちは、容易く裏切るだろう。時期もいい。この戦で、俺は名を上げた。大船合戦でとっさに影武者を使った機転も、よくわからんが評価されたようだしな」



 大船合戦に至る、道寸との高度な連携。玉縄城一夜取り。そして大船合戦で大崩れを防いだ、とっさの機転。

 若き武将としては、過分なほどの実績を上げた荒次郎は、武蔵むさし諸衆からも、要らざる侮りを受けずに済ませられた。

 とくに姉婿である太田資康おおたすけやすなどは、道寸を死なせたおのれの無力を詫び、それから荒次郎の武勇と知略を声高に褒め称えたものだ。


 もっとも、これは義弟を助けるための世辞含みなのかもしれないが。



「まあ風魔も居るし、隠し事は怖いよな」



 ふう、と、初音がため息をついた。

 耳が、湯気にあたって赤くなっている。



「……にしても、あの城攻めは死ぬかと思ったよ。私はなんとか矢傷も受けずに済んだけど、荒次郎は大丈夫だった?」


「大鎧にはいくつか矢が突き立ったが、みなが防いでくれたのでな。たいした傷は無い」


「本当?」



 ちゃぷ、と水の音。

 初音が湯船から、手を引き抜いたのだ。

 白魚のような手が、すっと荒次郎の肩に触れる。



「うわ、岩みたい」



 体育座りになった荒次郎をさする初音。

 しばらく為すがままになっていた荒次郎だが、ふいに、その大きな手が、エルフの少女のやわらかな胸を掴んだ。



「ひゃ――い、いきなり何をする!?」



 ずざざざっ、と湯船の端まで身を引いた初音が悲鳴を上げた。



「うむ。エルフさんが触ってくるので、こちらも触ってよいものかと」


「いいわけないだろ! というかいきなり胸に行くなよ! お返しならせめて肩とかにしろよ!」


「うむ――うむ。心地よい」


「や、やめろよ。感触を思い出すみたいにエア胸揉みとかするなよ……」


「しかし、残念だ」



 懇願する初音を尻目に、片手をなおワキワキさせながら、荒次郎がしみじみとつぶやいた。



「……なにが?」


「俺の手は大きい」


「ああ、そうだよな」



 唐突な発言に首をかしげながら、初音は同意した。

 二メートル強の巨体にふさわしく、荒次郎の手の大きさは、初音の倍近くある。



「エルフさんの胸は、やや小さめとはいえ手のひらサイズなのに、俺のこの手では、手のひらサイズにならない」


「死ねよ」



 初音はめいっぱい冷たい瞳で吐き捨てた。

 現在“小さい”という言葉には敏感なエルフさんである。



「そんなに大きい胸が好きならさえさんとこ行けよ! ……いや、行くな。早合点するな。やっぱ駄目だあんな美人がめかけとか妬ましすぎる!」



 一人上手する初音を尻目に。



「話は聞かせていただきました! つまり荒次郎さまはわたくしをお求めなのですわねっ!!」



 どーん、と、勢いよく扉が開かれる。

 その奥から、浴場に入ってきたのは、年のころ十五、六の、黒髪の美少女だ。


 出口冴でぐちさえ

 三崎城の城代、出口茂忠でぐちしげただの娘だ。

 人質として新井城に居たのだが、荒次郎が居城を移して早々、侍女のまつと同時期に、玉縄城に越してきている。


 冴は二人の前に、惜しげもなく裸身をさらしている。

 すらりとした細身だが、乳房は大きい。

“荒次郎の”手のひらサイズだ。



「ほほほ、奥方さま、いかがでして?」



 ずい、と胸を誇張して見せる冴に、エルフの少女は仏のごとき笑顔を返し、そして言った。



「ありがとう」


「ありがとう」



 体育座りの荒次郎も、なぜか初音にならう。

 似た者夫婦である。



「え? なんですの? 奥方さまも荒次郎さまも揃って……ちょっと、拝まないでくださいまし! なぜ拝むんですの? なぜ拝むんですの? 怖い。怖いですから、拝みながらにじり寄ってくるのは止めてくださいまし!」



 風呂の中であげられる叫び声を、城中の人間はどう受け取ったのか。

 いずれにせよ、ひとり身のものには、想像を刺激させられる声だった。


 ちなみに、その夜。

 初音は荒次郎の部屋で寝る事を強いられた。

 風呂場に閉じ込められた時に初音が叫んだ言葉を、侍女のまつは、きちんと聞いていたのだ。



「寝所が一緒だからって、なにもしないからな! なにもしないって言ってるだろ! だから期待して正座すんのやめろよ荒次郎!」



 なにはともあれ。

 不幸中の幸いがあったとはいえ、初音にとっては災難な一日だった。







◆用語説明

必殺忍び殺し仕様――石垣や忍び返しなど。参考熊本城。あとで荒次郎たちに止められ、分相応の備えに落ち着く。

小袖――現代和服と呼称されている着物。

打掛――小袖の上に羽織る装飾された着物。

丸太――丸太であって丸太でないもの。人によって細木であったり丸木であったりする。

国衆――在地領主。

期待して正座――荒次郎は紳士である。


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