第6話 会議/会談/生存戦略

 数日が経った。

 伊勢方との小競り合いは散発的に続いている。

 その合間を見て荒次郎と初音、猪牙ノ助ちょきのすけの三人は集まり、作戦を練る。

 連日の議論。提案とダメ出しの繰り返しに、荒次郎以外の二人には、明確な疲れが見て取れた。


 この日も二人は灯明の明かりの中、夜更けまで侃々諤々かんかんがくがくの議論を行っていた。



「……ちょっといいか?」



 議論が煮詰まったころ、荒次郎が手を挙げた。

 エルフの少女、初音は、討論疲れのために肩で息をしながら、眉をひそめる。



「なんだよ。言っとくが火縄丸太とか桶皮おけかわ丸太とかは却下だぞ」



 役に立つのに、と呟いてから、荒次郎はぼそりと言った。



「猪牙ノ助さんも、エルフさんも、城の守り方とか、三浦をどう強くするかをずっと議論していたが……そもそも、どうすれば俺たちの勝ちなんだ?」



 荒次郎の言葉に、初音は首を傾け、三浦道寸みうらどうすんの影武者、猪牙ノ助は面白そうに目を細めた。



「単純に北条早雲――伊勢宗瑞を追い返せばそれで勝ちなのか。それとも、他の形の勝ちが存在するのか。まずそれを決めておくべきだろう。そうすれば、そのために必要なものが見えてくるんじゃないか?」


「……ふむ」



 主張を聞いた猪牙ノ助が、荒次郎をじろじろと見る。

 そして、やおら立ち上がると、荒次郎の肩を持ちながら、初音の肩をぽんとたたいた。



「なんだよ爺さん」


「貴様と荒次郎くん、リーダー交代」


「なんでだよ!」


「荒次郎くんのほうが相応しい」



 抗議する初音に対し、猪牙ノ助はバッサリと切り捨てる。



「なんでだよ! 荒次郎の戦国時代の知識なんて、高校生程度なんだぞ!」


「知識は持っている者が与えればいい。しかし問題の本質が見えている、これは得難い資質だ。身分も、三人の中で一番上だしのう。かかっ!」


「だからって……」


「当初は貴様も考えておったろう。どうすれば生き延びられるか、と。それが、勝ちの目が見えたことで、どうすれば勝てるかに目をとられた。むろん貴様がまるで駄目だとは言っておらん。貴様の知識は吾輩たちに欠かせん。だが、リーダーとしての適性は、荒次郎くんの方が高く、貴様はちょっとだけ残念だった。それだけなのだ」


「戦場に出てこなかったうえに、きっちり勝利に目を奪われてたくせに……」


「それはともかぁく! 頼んだよ、荒次郎くんっ!」



 初音の突っ込みを、猪牙ノ助は勢いでごまかした。

 エルフの少女はまだ「このままじゃ軍師の夢が……」などとつぶやいていたが、一応は納得したようだった。



「ふむ。では話そうか」



 荒次郎はうなずいて、ふたりに目を向ける。

 灯明の揺らめきに合わせて、畳に投げかけられたふたりの影も揺れている。



「――まず聞きたい。“俺たち三人の生存”。これが、皆が考える最低条件だと思う。だがエルフさんの話を聞いて、三浦家が存続していないと、俺たちの安全は保障できないと判断した。だから、俺たちの目標は“三浦家の存続”とする。異論はないか?」


「……ん、無い。できれば侍女まつも助けたいし、三浦家存続がベストのかたちだろ」


「吾輩は影武者であるからな。三浦家がなければ存在価値などない。もとより吾輩の求める条件は“三浦家の存続”である!」



 荒次郎の提案に、ふたりがうなずく。

 それを確認して、荒次郎は猪牙ノ助に尋ねる。



「つぎに猪牙ノ助さん。父――三浦道寸はいつごろ回復する?」


「……ふむ。死病ではないが、大殿の病は重い。一月かからぬやもしれぬし、数年がかりということもありうる」



 眉をひそめ、ちらと奥に目をやりながら、影武者は答えた。

 奥座敷のさらに奥、家人もほとんど行き来できないそこで、道寸は看病されているのだろう。



「猪牙ノ助さん。道寸が回復した後、彼のために俺たちの動きが制限されることを避けたい」



 二人が、淡い驚きを表情に見せた。

 荒次郎の発言は、たしかに必要なものだったが、同時にある種の酷薄さを孕んでいる。


 猪牙ノ助が、すこし難しい顔をして、考え込む。



「それは……大殿の回復までの時間次第だが、このまま荒次郎くんが三浦家の差配を続けていれば、保有する権力は自然と強固なものとなっていくだろう。むろん吾輩も協力する。指揮、命令の際、吾輩独断の形は絶対に避け、荒次郎くんを徹底的に立てる。吾輩が影武者だと知る重臣たちには、それとなく貴様を上げておくから、あとは実績でねじふせたまえ。

 ……ああ、忘れておった。三浦衆、および被官の者達、卑官に至るまで吾輩の頭に入っておる。あとで教えておくから、頭に叩き込んでおくのだ」


「わかった。ありがたい」



 荒次郎はうなずいた。

 家来衆や家人を知らなくては、ろくに指揮もできない。

 ここ数日で重要な人間については騙し騙しやりながら覚えてきたが、まだまだ枝葉にまでは手が回っていなかった。



「では、つぎだ。三浦家が存続するためには、何が必要だ?」


「はい!」



 手を挙げたのは、初音だ。

 荒次郎が促すと、エルフの少女は指をひとつ立て、短く答える。



扇谷おうぎがやつ上杉との連絡の回復。最低限でも江戸湾交通の安全の確保」


「すまん。説明してくれ」



 理解できず、説明を乞う。

 エルフの少女はうなずくと、ゆっくり説明をはじめた。



「現状、私たちは三浦半島の先端に押し込められてる。で、あるじの扇谷上杉との連絡が満足にとれていない状況だ。江戸湾の交通も同じ。横須賀よこすか氏が寝返ったせいで、交通が危険になってる」


「ふむ」


「交通を阻害するとは許せんなぁ!」



 琴線に触れるものがあったのか、猪牙ノ助がいきなり怒声を発した。

 それを無視して、エルフの少女は説明を続ける。



「だから、領地を扇谷勢力と隣接させる。そして江戸湾の西を三浦の手に取り戻す。つまり相模東部の回復。これが三浦家存続のための、先を見据えた戦略となるんだ」


「うむ……そのためには、どうすればいい?」



 荒次郎が水を向けると、とたんに少女の目が泳いだ。



「……かっこいい三浦荒次郎あるじさまは伊勢宗瑞相手に連勝に連勝を重ね、相模東部を奪い返しました、とか……」


「それは可能なのか?」



 荒次郎が冷静に問うと、エルフは降伏した。



「ごめん無理。最低限扇谷上杉、その配下で縁つづきの太田家の協力が――あ」


「どうした、エルフさん」


「すっげー大事なこと、忘れてた。このままじゃ詰む」



 エルフと呼ばれたのを訂正するのも忘れて、少女は冷や汗を流しながらつぶやいた。







「うーむ」



 急造りの小屋の中、大道寺八郎兵衛だいどうじはちろべえは唸った。

 三浦荒次郎による丸太の一撃を喰らったこの男は、自陣に運び込まれて治療を受けていた。

 骨を痛めたか、打ち身で済んでいるのか……かろうじて骨折は免れたようだが、八郎兵衛は当分動けない体になっている。



「あー、痛む? 八郎兵衛」



 そんな中、小屋の中に、ひとりの少年が頭をかきながら入ってきた。

 二十歳前と見える。亡羊ぼうようとした瞳にしまりの無い口元をした、どこかとりとめのない少年だ。



「御当主、っ!」



 身を起こしかけて、八郎兵衛は顔をしかめた。

 痛みは耐えられるが、物理的に動けないのだ。



「あー、いいよいいよ。見舞いに来たのに悪化されちゃ、元も子もない」



 ひらひらと手を振りながら、少年は八郎兵衛のそばに座りこんだ。

 この少年、名を大道寺盛昌だいどうじもりまさという。大道寺家の若き当主である。



「しっかし、八郎兵衛も頑丈だなー。大丸太の直撃なんか喰らって……なんで生きてんの?」



 八郎兵衛のありさまをじろじろと見て、少年は呆れたように口を開いた。



「御当主はわしが殺されておったほうがよかったか?」


「まさかー。死んでるより生きてる方がいいに決まってるさ。にしても、手ひどくやられたなー」


「次は不覚など取りませぬ」


「次……次ねぇ?」



 少年が首をひねる。

 八郎兵衛はむっと口元を引き結んだ。



「御当主は我が武勇をお疑いか?」


「いや、そうじゃないんだ。悪い。気を悪くしないでくれ。次があるかなーって考えただけだよ。八郎兵衛、そのざまじゃ元気になるの、当分先になりそうだし……うちの大殿、やっぱスゲーわ。頭ん中で描いてる戦図の広さが、俺らとはまるで違う」


「と、いうと?」



 八郎兵衛の問いに、少年は目を輝かせながら答える。



「三浦――」


「三浦は餌よ。本命は扇谷上杉。そして江戸の太田」


「ちょ、大殿!?」



 少年当主の声をさえぎり、入ってきたのは彼らの主君――伊勢宗瑞だった。

 突然の来訪に、盛昌が声をひっくりかえした。



「八郎兵衛、見舞いに来たぞ――ああ、見舞いに来たのだから、よい。安静にしておれ」



 音もなく板間に座りながら。

 老いた梟雄は、にやりと口の端を釣り上げる。



「はっ。しかし大殿、三浦が餌とは」


「大人しくしておれと言うに……まあよい。これからの戦の話をすれば、お主も、早く傷を癒す甲斐があろうよ」



 かっかっと。笑ってから、伊勢宗瑞は語り始めた。



「関東の混乱に乗じ、わしは三浦を追い詰めておる。三浦は滅ぶ。あとは時間の問題よ」



 だが、と老雄は続ける。



「――三浦の役目は、まだ終わっておらぬ。三浦には、もっと悲鳴をあげてもらわねば困るのだ。扇谷上杉や太田が、助けに来ざるを得ぬほどにな」



 宗瑞の言葉に、八郎兵衛はしばらく考え――気づいた。


 玉縄城という城がある。

 宗瑞が三浦半島のつけ根に築かせた城だ。

 三浦との戦で、扇谷上杉からの援軍を押さえるために築かれた城。誰もがそう思っていた。


 だが、宗瑞の戦は、さらに先を行っている。



「つまり、玉縄の城は……」


「左様。後詰ごづめに現れた、扇谷上杉を討つ。玉縄は、そのための城よ」



 老雄は八郎兵衛の言葉を継ぎ、語る。



「三崎は難攻不落じゃが、同時に兵の出し入れが容易ではない。この地に押し込めたことで、わしらはここにわずかな兵を残すだけで、挟撃の脅威から逃れられる……三浦方でそれが見えているのは、おそらくは道寸だけか。見えているだけに業腹であろう」



 くつくつと、宗瑞が笑う。

 笑いながらも、瞳は笑っていない。鷹の瞳は、遠くを見据え続けている。



「それでは、城を攻め落とす気はないと?」


「馬鹿な。衰えたりとはいえ敵は三浦道寸ぞ。動く間を与えれば、何をしよるかわからんわ。攻め続ける。疲弊させる。敵兵の心をくじく。彼奴きゃつに奇策の余地は与えぬ」


「……そうすると、この先もこれまで通り、寡兵での嫌がらせと力攻めを繰り返すってことでいいんですかね?」



 八郎兵衛に聞かせるためだろう。大道寺盛昌が確認する。

 それに対し、老いた梟雄は首を横に振った。



「いや、そろそろ搦め手を混ぜる時期よ。道寸の肝を、せいぜい冷やしてやろう――のう、小太郎よ」



 誰も居ない闇に向かって、老雄は声を投げかけた。







◆用語説明

それはともかく――ともかくにしておくべきではない。

軍師の夢――夢幻のごとくなり。




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