影武者/エルフ/マルティスト -丸太で戦う戦国記-

寛喜堂秀介

第1話 夢/現実/戦国時代

 関東。

 戦国時代にひときわ異彩を放つ混沌の地。

 鎌倉以来の独立の気風が、関東公方かんとうくぼうを、関東管領かんとうかんれいを、甲斐かいの武田を、駿河するがの今川を、越後えちごの上杉を、混乱に巻き込み疲弊ひへいさせ、誰にも勝利をもたらさなかった魔境。


 ここに、ある一族が居る。

 関東乱世の権化のような一族が。


 相争う両上杉や、関東公方の血族。

 風見鶏の大名小名、我利がりを貪る国人たち。

 彼らはそのすべてを呑みこんで、関東に一大国家を創造した。

 五代にわたり領土を広げ続け、そして戦国時代の終わりとともに散った、時代の寵児。



 ――北条ほうじょう一族。



 その初代。北条早雲そううんの晩年。

 伊豆を盗り、小田原を奪った早雲は、相模さがみ平定に向け、最後の敵を平らげんとしていた。


 相模三浦氏。

 相模国の東半国を支配する小大名だ。

 いや、支配していた、と言うべきだろうか。

 長きにわたる早雲との戦いで、彼らは三浦半島の突端にまで追い詰められている。

 平安時代より続く前時代の名門は、関東乱世の権化によって、風前のともしびとなっていた。


 三浦一族、絶体絶命のとき。

 物語は、まさにここから始まる。







 時は永正10年(1513)7月14日のこと。

 荒次郎あらじろうは3日ぶりに目を覚ました。


 荒次郎は三浦家の当主だ。

 7尺5寸(230㎝)の巨体の主で、戦となれば先頭に立って戦う猛将でもある。

 それが、北条早雲の大軍に攻められ、いざ籠城、というときに、突然倒れて寝込んでしまった。

 不安に沈んでいた城中は、当主の目覚めに喜び沸いた。だが、当の荒次郎はその様子を見て、きょとんとしているばかりだった。


 しばらくして、事情を把握した荒次郎は、無表情のまま冷や汗を流した。



「なぜだ」



 喜びに沸く人々を尻目に、荒次郎はぽつりともらす。



「――なぜ、平成の一般人である俺が、こんな場所にいるのだ」



 三浦一族の存亡をかけた、新井あらい城の攻防戦。

 状況が“最悪”から“極悪”に変わったことに、まだ誰も気づいていない。







「ひょっとして……俺は、とんでもない状況に置かれているんじゃないだろうか」



 人払いをしてから、荒次郎はぽつりとつぶやいた。

 目覚めてからの状況を思い返す。


 まず目に入ったのは見知らぬ部屋。

 驚きとともに出した声はまるで別人のもので、手足も、体も、プロレスラーを思わせるそれにすり変わっている。

 さらには、見知らぬ人間が次々に現れては荒次郎の回復を祝っていく。しかも彼らはみな、自分のことを慕わしげに「若殿」や「御当主さま」などと呼ぶのだ。


 この時点で卒倒ものの事態だが、そんな人々の話から、荒次郎は自分が置かれた状況が、さらにひどいものだと察してしまう。



伊勢宗瑞いせそうずいが率いる七千の兵に攻められ、防衛中。こちらの兵は二千がいいところ、か」



 伊勢宗瑞とは北条早雲のこと。

 言うまでもなく戦国時代の人物だ。

 下剋上の代名詞のような梟雄きょうゆうが、三倍以上の大軍を率いて攻めてくる。

 攻められる側――三浦一族は、本拠地の城にまで攻め寄せられ、絶賛籠城中。危機的な状況と言っていい。



「そのうえ指揮をするのが俺。絶望的だ」



 どうやら荒次郎は三浦家の当主らしい。

 しかし、荒次郎には当主であったころの知識など残っていない。あるのは現代人としての記憶だけだ。


 平成の世に生きていた人間が、戦争の作法など知るはずがない。

 昔から「クソ度胸だけはだれにも負けない」と言われてきた荒次郎だが、度胸ひとつでどうなるものでもない。



「だが――逃げ場はない、か」



 荒次郎は小さくため息をついた。

 戦国時代について、荒次郎は教科書以上のことを知らない。

 それゆえ自分がどこへ逃げれば安全なのか、見当すらつかない。

 そもそも敵軍に囲まれているらしい現状、城から脱出できるのか、それすらわからない。



「いったい、どうするべきか」



 腕組して低く唸る。

 答えは出ない。出せるほど情報がない。

 しばらく首をひねってから、荒次郎はぽつりとつぶやいた。



「……喉が渇いたな」



 夏だ。

 照りつける日差しの熱は、薄暗い寝所にまで及んでいる。

 にじむ汗をぬぐって振り捨てながら、荒次郎は人を呼んだ。



「――なにかご用でしょうか、御当主さまっ」



 声に応じて、ひょこりと現れたのは、和服姿の幼い少女だった。

 年齢は、十歳そこそこだろう。体も、顔の造りも小さな、愛らしい顔立ちの主だ。

「籠城中の城」のイメージを裏切る、ほんわかした存在に、荒次郎は思わずつぶやいた。



「なぜだ」



 言葉の意味を察しかねてか、少女は不思議そうに小首をかしげた。







「水が欲しい」と頼むと、少女は笑顔でうなずき退出した。

 それからいくらも経たずに、彼女は木碗に水を汲んで帰ってきた。



「ありがたい」



 荒次郎は礼を言うと、手渡された碗を傾ける。

 井戸が深いのだろう。喉をうるおす水は、冷たい。



 ――海が近いのか。



 かすかに塩気を感じて、荒次郎は思った。

 そう思うと不思議なもので、いままで気づかなかった波の音が、耳に入ってくる。



「うまい」


「よかったです」



 荒次郎が言うと、少女がほほ笑んだ。

 保護欲を刺激する、無防備な笑みだった。



「きみは」


「まつですよ。奥方様の侍女の。お忘れですか?」



 荒次郎の問いかけに、少女が不満げに眉をひそめる。



「すまん。まだボケている」



 謝りながら、荒次郎は考える。


 城の人間の、顔も名前も知らない、というのはまずい。

 記憶喪失だと誤魔化す手もあるが、籠城中の城主が記憶喪失など洒落にならない。大混乱になるのが目に見えている。



 ――なら、どうすべきか。



 しばし、考えて。

 荒次郎は「まつ」と少女に声をかける。



「きみの主を呼んで来てくれ。込み入った話がある」



 記憶喪失だと誤魔化して、信頼できそうな相手から情報を得よう。

 そう考えての言葉だったが、荒次郎の言葉をどう受け取ったのか、少女は顔を、ぱあっと晴らした。



「わかりました。奥方様もおよろこびになります。支度もありますので、少々お待ち下さいね」



 まつは、そう言ってそそくさと退出していく。

 少女の反応に、おや、と首をかしげて、待つことしばし。



「し、失礼いたします」



 消え入りそうな声とともに入ってきた少女の姿を見て、荒次郎はわずかに目を見開いた。


 高く結いあげられた、透き通るような金髪。

 アーモンド形の目に、瞳の色は透き通るような青。

 ぞっとするほど美しい顔立ち。耳が、人のものとは思えないほど――長い。


 着物姿のエルフ。

 荒次郎の前に現れた少女は、そう評すべき姿をしていた。



「なぜだ」



 戦国らしからぬ不可思議な存在に、荒次郎は思わず、そうもらした。







◆用語説明

梟雄――謀略や残忍な手口を使う人物。

籠城――城に立て籠って敵を防ぐこと。

着物姿のエルフ――ツボである。




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