第2話

 県庁を出たところで悲鳴を聞く。


 キャー、という甲高い声は通りを歩く者たちの耳を劈く。


 咄嗟のことで肩をびくっとさせる。俺たち二人は顔を見合わせる。橘花の顔は驚いていた。俺の顔もたぶん橘花と同じような表情をしているのだろう。


「今、聞こえた?」と橘花が訊いてくる。


「ああ。結構近いぞ」


 しかし、その声がどこから来るものなのか。突然のことだったので俺にはわからない。さてはて、どこら辺から声がした?


 俺が周囲を見回していると、不意に手を掴まれる。


「こっち。こっちから声がした」


 橘花がそう言って俺の手を引っ張った。俺は彼女に引っ張れるがまま。そしてやって来たのはビルとビルの間。いわゆる裏路地で、そこには人だかりができていた。


 俺たちは人だかりを掻き分けて、その現場を見る。


 そこに展開されている風景は赤。血だまりの中に死体があった。人が死んでいたのだ。


 そこに広がる風景を見て嘔吐をしている人がちらほら。あまりに凄惨なので目を逸らしている者もいる。


 で、そんな死体はどんな死体か。


 表現するのは簡単だ。その死体は女性だった。そして頭がない。頭部を切断されていて、その頭部がない。きっと持ち去られている。そして、頭部のない死体の横には刳り貫かれたのか眼球が二つ、転がっていた。


 この手口。これはまさしく。


「【此岸征旅】の仕業と見て間違いないな」


 見せてもらった五件の殺人事件の写真。両腕を切断された死体が三体。そして、頭部が切断された死体が二体。特に頭部が切断された死体はどういうわけか眼球をその現場に残していた。


 写真と同じである。写真と同じ殺人現場がここにある。


 だからこれは【此岸征旅】の仕業と見て間違いないと思われる。


 少しだけ死体のある方に近づいてみる。近くでじっくり見たいところだが、そんなことをすればこれからやって来るだろう警察の皆様に迷惑がかかるのでしない。


 ぷーん、と。血の、鉄の匂いが鼻腔をつつく。血が渇きつつあるのか、匂いは強烈だ。臭い。生臭い。


 見て、何か見つけられればと思ったがそうもいかなかった。特に何かがあるというわけではない。【此岸征旅】に繋がる何か。見つけようとして、見つからない。


 まあ、そう簡単に手掛かりを落としてくれるはずもないか。


 とりあえず、わかることと言えば犯人は刃物を持っているってことぐらい。その刃物というのもおそらく刀のような長い得物だろう。頭部を切断できるほどのものだから、自ずとそうなってくる。眼を刳り貫くのに道具は必要ない。眼は素手で刳り貫ける。


 それにしたって何か落としていないものか。身分証明書の一つでも落としていってくれればいいのに。


「ねえ」と橘花が声をかけてきた。


「ん?」俺は橘花の方を向く。「なに?」


「これ、落ちてたんだけど」


 そう言って彼女が渡してきたものは、鍵。


「これ、どこに落ちてた?」


 訊くと、橘花が答える。


「そこ」そう言って彼女が指さした所は橘花の真横。裏路地の端。ポリバケツやら酒瓶ケースやらが置かれてごちゃごちゃとしている部分。「そこのポリバケツとポリバケツの間に光っているのが見えたから、何かと思って拾ってみたらそれだった」


 鍵。さてはて、これは何の鍵だ。見たところ汚れているわけでもないので、これはきっと落とされて間もないものだろう。状況的に考えて、殺人を犯した奴が落としたと考えられる。


 俺はその鍵をズボンのポケットに突っ込んだ。


「え、ちょ。いいの? それ、手掛かりになるんじゃ……」


「いいんだよ」俺はそう言う。「さて、ここを離れようか」


 今度は俺が橘花の手を取る。そして、野次馬を掻き分けて殺人現場から離れた。


 現場から離れて適当に歩く。大衆に紛れて歩く。


「ねえ、ほんとにいいの? 手掛かりだよ。それきっと。手掛かり持ち去ったら警察の迷惑になるよ」


「手掛かりだからだよ。それに手掛かりの一つや二つなくなったところで警察は困らない。〈日本〉の警察はすごいらしいからな。ドラマで見たんだが、警察にはすごい推理力を誇る刑事とか、あと警察に協力する天才少女とかがいるらしい。だからこのくらい見逃してくれるさ」


「あ、そうか。そうだよね……って、そんなわけないじゃん。そんなのはドラマだけだから。わかってる?」


「わかってる。ただの冗談」


 いくら外の世界を知らないとはいえ、虚構と現実の区別くらいはできるのだ。有り得ないことと有り得ることの区別はできているつもり。


「でも、手掛かりの一つや二つ持ち去ったところで問題はないっていうのは本気で言っているぜ。だって、このことを知っているのはお前だけじゃないか。お前が言い触らさない限り、このことが問題になるなんてことはない」


「わたしが言い触らす危険性は考えてないんだ」


「言い触らすのか?」


「言い触らさないわよ。言い触らしても得しないし。そもそもそんなことをする意味がない」


「そりゃよかった」


 俺は鍵をポケットから取り出して眺める。


「この鍵は鍵になる」


「なに? 駄洒落? 駄洒落ならしょーもないよ。寒い」


「違う。本当にこいつはキーになる。だって、鍵だぜ。鍵。鍵っていうのは大事なものを守るために使う道具だ。つまりこいつは大切な物。もしこの鍵を落としたのが殺人を犯した【此岸征旅】の構成員だったら、そいつはこの鍵を取り戻しにくる」


「ああそうか。つまり犯人が殺人現場に戻ってくる可能性があるってこと?」


「そういうこと。そして、俺たちは待ち伏せするんだ。待ち伏せて、そいつを捕まえて【此岸征旅】の本拠地を吐かせて、そしてそれから本拠地をぶっ潰す。ほら、これで万事解決だ」


「それならずっとあそこにいなくていいの?」


「人がいっぱいいるときはさすがの犯人も近寄らないだろ。その後も警察がやって来るから近寄れない。戻ってくるとすれば深夜とかじゃないかな」


「ふーん。てことは、夜まで暇ってことだね」


「ま、まあ、やることはないな」


 言うと、橘花が俺の正面に回ってきて、彼女は上目遣いで俺を見る。何かを乞うような、そんな感じ。


「なに?」


 橘花が笑う。にひっと笑う。


「遊びに行こう。せっかく外に出たというのにこの世界を楽しまないのは損というものじゃないかな」


 一理あるかもしれない。ずっと【特異生物収容所】にいて、これといった娯楽も与えられず、つまらない生活を送ってきた。雑誌とかテレビとかで流行りの物を紹介されて、それを欲しいと思っても買うことができない。


 俺も橘花も年齢的には高校生なのだ。流行に敏感なのだ。欲しいものは欲しいのだ。


 せっかくの街。楽しまなければ確かに損だ。別に少しくらい遊んだって五瀬さんもアルティゴスもどこかで俺たちのことを監視している監視員も咎めはしないと思うのです。


「そうだな。ちょっと遊ぼうか。俺も外に出たらやりたいことがあるんだ」


「よし! 決まりだね。じゃあ行こう」


 橘花が先陣を切って歩く。行きたい所でもあるらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る