第6話 Edition-Dual Mind


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 彼女の最寄りである桜美鉄道北関(ほくせき)線『九流(くる)駅』からおよそ十五分、『寝宿(ねやど)駅』にて神関電鉄の本線に乗り換えて、そこから北に一駅進むと『堀枠前(ほりわくまえ)駅』に辿り着く。本関区の中心地に近くて、A出口から地上に出るとかなり大規模な『堀枠百貨店』が見えた。そのデパートの向かいに立地している雑居ビルの三階が、ウイの目指している目的地である。

 今は平日の午前中だったが、雑踏には人の往来が絶えない。主婦に手を引っ張られる子供、外回りを始めるサラリーマン、何が楽しいのかコンクリートジャングルをニコンで撮影する外国人旅行客……ただ書店の前に立ちながらリプトンを片手に、空色の眼鏡の向こう側に映る歩道を眺めているだけで、この街の活気が凄まじいモノであることが観測できる。

 このような繁華街に意味も無く溶け込むのは、数少ないウイの趣味だった。

 中学のテニス部のせいでもあるのだろうが、彼女の肌がわずかに日焼けしているのはきっとこのことが原因だろう。暇な時間を見つけては、電車に揺られながら賑やかさを求めて都心へ向かう。このような場所で夜を明かすこともしばしばだ。

だってあの家に居るのは嫌いで、騒がしさは『あの気持ち』を紛らわせてくれるから。

「……やっぱり、私は淋しかった?」

 誰に向けてでも無く、ふとウイがポツリと呟く。しかしこの言葉もアスファルトに吸われ、多くの足音に掻き消されてしまう。これも繁華街の良いところだ。

 ライトブラウンに染めた、彼女のナチュラルショートが輝きを潜める。どうやら空が曇ってきたらしい。彼女は静かに願う。この先、雨が降らなければいいのだが。

 サキに一通のメールを送る。内容は、彼女なりの決意。送信完了を確認したら、手にしていたパックジュースを飲み干し、そのポジションを後にする。

 本当は振り返りたかったけど、でも振り返らないと決意した。

「……私は――」

 排気ガスで深呼吸をし、ミラービルの反射光を浴びて、ウイは当初の目的地へと歩き始めた。


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『次のニュースです。立宮(たてみや)女子大学教授の手塚拓氏が昨日、春海(はるみ)にある越蔵(こしくら)記念会館にてフィースの生態系破壊に関する講演を開きました。田辺首相も出席して――』

 テレビがそんなどうでもいいことを垂れ流していた時に、ちょうどコーベがアルカの研究室の扉を開けた。

「こんにちは。って、サキだけ?」

「あ、コーベおはよう~。そそ、私が勝手に鍵開けさせてもらったの」

 適当な椅子に座っていたサキが、この部屋の鍵を掲げてはひらひらと彼に見せびらかす。今日もセミロングのボブカットだったが、いつもは黄色いヘアゴムが今日は赤かった。現在午前十時だが、アルカはまだ来ていないらしい。

「でも。もうそろそろアルカも来るよね?」

「でしょうね~……あの変態イカレ科学者、十時半にはいつも居るから」

 教授である彼が研究室で何をやるかなんて学生のコーベとサキの知ったことでは無いが、いつも通りならばそろそろアルカもこの部屋に来て何かしらの仕事をし始めるだろう。一方の二人はというと、九月も始まったばかりのこの頃、特にバイトのシフトも入れなかったために暇だったので、研究室に遊びに来ていた。

「そうだ、そう言えば……コーベ、この間はありがとね。お蔭でいい買い物が出来たわよ」

 思い出してサキが礼を言う。『この間のこと』が何を指すのかコーベは分からなかったが、それも束の間。すぐに先週のことを思い出した。

「西貝駅で偶然会った時のことだよね。良かったよ、サキのイメージに合ったお店を教えられて。買った奴は今も身に着けてたりするの?」

 『西貝』とは関市の中でも若者たちに人気のある地区で、彼がそこの中心駅で彼女とばったり会ったのが先週のこと。その日サキはアクセサリーを探しにそこへ来ていて、その際にコーベがおすすめの雑貨店を紹介したのである。

「うん、こんな感じにね」

 サキが自らの左腕を、彼の目の前へと伸ばす。半袖のカットソーで露になった彼女の白く華奢な腕も魅力的であったが、手首に付けられたカーマインとメタルのブレスレットがその腕をより高貴にしていた。銀色が蛍光灯の光を反射し、サキのきめ細かな肌を輝かせている。

「似合ってる。綺麗だね、僕は好きだよ」

 コーベが素直に褒めたのだが、それでも彼女は彼の言葉を素直には受け止めなかった。

「好きって、このブレスレットのこと?」

「うん。それと、赤色が似合ってるサキも」

「やっぱり、そーゆーこと言うと思った……」

 好きだと真摯な表情でコーベに言われたものの、サキは大きく溜め息をついていた。何となくだが、彼がどんな状況でこの言葉を呼吸するかのように吐くかを彼女は予想できるようになっていた。

「まぁ、ありがとうって素直に言っておくわ。コーベにそう言われると、私も嬉しいから」

 一転して、彼女が笑みを零す。彼女が彼のことを意識しているから、いくらバーゲンといえども彼から好きだとの言葉を掛けられるのは、とても気分の良くなることだった。もっとも、当のコーベはそんなサキの慕情までには気付いていないみたいだったが。

「そう。お店を教えるくらいだったら、またいつでもしてあげられるから。今度はウイも一緒に三人で行こっか」

 だからこんな風に、サキと二人きりの時でも平然とした顔でウイの名前を口にする。ただ、だからと言ってサキは嫌な顔をしなかった。三人一緒に居ることだって、とても重要なのだから。

「そうね、今度三人でまた西貝にでも……って、噂をすれば影がさす、だっけ? ウイからメールが来た」

「何て書いてあるの? ちょっとケータイを見させてもらうけど、いいよね?」

コーベがサキのスマートフォンの画面を覗き込む。内容を確認すると、そこには短い一文だけが載っていた。

『グラビアアイドルのオーディション、今から受けるから』

 その時、時間が停止した。


 そう、あれは確か四日前のことだった――。

「ウイ、どうしちゃったのよ? 急に私を呼び出したりして」

「……ゴメン。ちょっと相談があって」

 本関大学に程近い、某コーヒーがとても粉っぽいコーヒーショップチェーンにて。話がある、とのメールが届いて、サキはウイとここで会うことにしていた。

 サキの注文したアイスコーヒーはやはり舌にざらざらと纏わりつくような感覚を残していたが、ウイの飲んでいるアイスティーはその琥珀色と氷のクリアが見事に調和していてとてもおいしそうだった。

「……一口飲む?」

「ありがと。やっぱダメね、ここのコーヒー。でもどうしてか、ここに来たらいつもこいつを頼んじゃうのよね~……特に中毒性がある訳でも無いのに」

「……そういうの、よくあるから」

「そーよね、何で主力商品ってついつい買っちゃうんだろ?」

 サキがアイスティーに自らのストローを差す。とりあえず吸ってみると、どろりとしたガムシロップが口の中に広がった。

「ウイ、悪いことは言わないから。血糖値上がりすぎて糖尿病になるわよ?」

「……ガムシロ三つは、許容範囲内」

 何の許容範囲内だ、とサキが内心で突っ込む。ウイにはウイなりの基準があるらしい。

「で、さっきの話だけど。相談って、どうかした?」

「……うん、ちょっと」

 お口直しにコーヒーを飲んで、無言で話の続きを促す。そこでサキは、コーヒーにガムシロップを大量に入れれば不味さも軽減されるのではないかと思い至った。だからウイのトレーの上に大量の山を作っている半透明のカップのうちの一つに手を伸ばし、蓋を剥がして少量ずつコーヒーマドラーでかき混ぜながら入れていると――。

「……私、グラビアアイドルを目指そうと思う」

 驚きのあまり、ガムシロップを容器ごと流し込んでしまった。


「と、いうことがあって……」

 サキがコーベに説明し終えたところで、彼はどうやらウイのグラドル化が現実味を帯びた話であるらしいことを実感し始めた。

「うわぁぁぁ……サキ、どうしてその時にウイを止めなかったのさ?」

「止めたに決まってるでしょ~がっ! そしたら、ウイが『もう一度考え直してみる』って言ったから……」

「考え直した結果。友人であるサキの助言をウイは無に帰したと……」

 じゃあどうして相談したんだ、というのはコーベとサキの率直な感想だ。

 二人して頭を抱える。これは由々しき事態だ。このままでは、二人にとってのかけがえのない友人がやけに厚い週刊誌の表紙を飾って、『期待のDカップ、颯爽登場っ!』だか何だかみたいなキャッチコピーが付けられてしまう。

 そんな調子で悩んでいると、こんなにも微妙なタイミングで、何も知らない呑気なアルカが研究室に入ってきた。

「何だ、お前たち二人だけか。にしてもどうしたよ、スヴァールバルの炭鉱で強制労働させられてるおっちゃんのようなその湿気たツラはよぉ?」

「そんなこと。アルカは何も知らないから――いや、アルカには刺激が強すぎるよね」

「そうね、コーベ。このことをアルカに教えるには、まだ若すぎるのよ……」

「おいどうしたそこの超絶暇な大学生二人」

 除け者にされた彼には、何が起こっているのかが想像も付かないだろう。しかし、アルカに教えてしまっては彼がPTSDになってこれ以上研究を続けられなくなってしまう可能性がある。彼を失ってしまっては<メックス>と戦うことも出来なくなるし、何よりも大学教授である彼に成績をつけてもらえなくなってしまう。

「アルカ、せめて単位を寄越してから倒れてちょうだいっ!」

「だからどうしたよお前らっ?!」

 二人としてはこのまま彼には打ち明けたくなかったが、そうすることで別に状況が打開できる訳でも無い。三人寄れば文殊の知恵、いっそのことアルカにも例のメールを読ませて意見を求める方が賢明だと判断。こうしてウイがグラドルオーディションを受けるという不都合な真実を教えられたアルカは、パニックを起こしてイスクの起動スイッチを入れてしまった。

《ふにゃあ~……おはようございます☆ 早速ニャんだけれどもサキちゃん、はニャし(話)は聞かせてもらったニャ!》

 このような話題の場合は特に、この変態下ネタ猫かぶりAIは余計に話をこじらせようとする。イスクにかかってしまえば、解決の糸口だって瞬間接着剤を流し込まれて塞がれてしまうのだ。

「なぁ、イスクよぉ……あのウイがグラドルだってよ。俺、ショックでもうどうすればいいか分かんねぇよ……」

《ご主人様、気をしっかり持って下さいニャ! そんニャ時こそホラここに、恐らくウイちゃんのムフフニャ写真が掲載されるであろう再来週号の雑誌の予約ボタンが! お値段ニャんと、定価で三六一円☆》

「その週刊誌が悩みの種なんだろーがよ、このド変態二次元メスネコっ! そこら辺で発情してっか、或いは俺の視界二〇〇度の中から量子テレポートだか東京テ○ポートだかでも使ってとっとと失せろ!」

「アルカ。落ち着いて、イスクの電源を入れたのはアルカだよ」

 まるで痴呆老人を介護するかのようにコーベが諭す。言動がこうも矛盾している点からも、いくら我らが変態イカレ科学者といえどもかなり動揺していることがうかがえる。

「というか、実際に発売されたらかなりショックよね~……ウイのグラビア」

「サキ。お願いだから、そんな不吉なことは言わないで」

「そうは言うけどね、コーベ。想像してみるとすごく嫌よ? 『友人がグラドル』ってレッテルを張られるの」

 その言葉を聞いただけでも、彼の背筋が凍ってしまう。ウイと一緒に街を歩いていたら道行く人から指をさされ、今まで話したことも無い男子から『なぁ、この雑誌に載ってる娘ってお前の友達だよな。実際触り心地とかどうなの?』とか訊かれることになるのは目に見えている。

そんなこと、何としても避けたかった。

「私は嫌よ、『私には今勢いに乗っているグラドルの友達が居ます』とか説明するのはっ!」

「何の就職試験でのアピールだよっ?!」

 いくらアルカが突っ込もうとも、解決しないモノは解決しない。今までに無いほどに、三人は焦燥に駆られていた。

「ねぇ。ウイは本当にどうなっちゃうの?」

《そんニャの決まってるニャ、コーベくんっ! ウイちゃんはこのままグラビア→アダルト→裏と順調におとニャ(大人)の階段を登って行って、ゴールにはきっと場末のフーゾク――》

「大変、このままじゃ私の可愛いウイが危険なことにっ!」

《きっとおクスリに漬けられちゃってアソコ(A)をファンタジー(F)されちゃうニャ☆》

「おい誰かこの十八禁な暴走下ネコを黙らせろよ、クソがよぉっ!」

 ……とこんな感じで、研究室は阿鼻叫喚の事態に陥っていた。


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 一方その頃、彼女は――。

「え~と、ウイちゃんでいいんだよね?」

「……はい、若狭羽衣です」

「うん、よろしくねウイちゃん」

 雑居ビルの狭い一室、衝立により仕切られた空間にて。長机を挟んだ向かい側に座っているのは、脂の臭いが漂う四〇代前半の男性だった。ウイは現在グラビアアイドルの面接を受けている最中で、この男性は事務所のプロデューサー。『仕事が趣味』と言ってしまえば聞こえは良いが、失礼ながらもこの男性の場合、そこら辺のいわゆるオタクが趣味の延長で仕事をやっているように見える。

「それじゃあ、これから簡単な質問をしていくね。大丈夫、肩の力は抜いていいからね」

「……分かりました」

 目を合わせると臭いが移ってしまいそうだったので、目線をやや下げながらウイは答えた。そんな彼女のことなんて、プロデューサーは面白く思わないだろう。

「じゃあまずは、スリーサイズを教えてくれるかな?」

「……上から八七、六一、八三です」

 彼女に恥じらいは無い。あるのはこんな下らない質問をして給料を貰っている中年プロデューサーに対する憐れみだけだ。

「う~ん、見たところ身長は小柄みたいだけども、かなりいいカラダしてるねぇ~。次に、自分のアピールポイントはどこだと思うかな?」

「……眼鏡が似合っている、とよく言われます」

 目線を横にずらして、空色のフレームをした愛用の眼鏡を視界に入れる。前に一度サキかコーベのどちらかに言われた程度で、実際に彼女がそう思っている訳では無い。

「うんうん。じゃあさウイちゃん、どうしてグラビアアイドルになろうと思ったのかな?」

 その質問が三番目なのか、と心の中で毒づいた。

「……思い切ったことを、してみたくて」

「そっか~。ところでウイちゃんはかなり可愛いけど、僕はウイちゃんが笑ってくれたらもっと可愛くなると思うなぁ~。ちょっと笑ってみてくれない?」

 プロデューサーが吐き出したそのセクハラまがいの言葉に従おうと、ウイが口角を上げて目尻を落とそうとする。カラダ自体は評価されたのだから、この関門さえクリアしてしまえば無事にデビューできるだろう。今しばらくの辛抱だ。

 けれども、笑えなかった。

 どうしても出来ない。どれだけ意図して笑おうとしても、彼女の心中がそれを許してくれなかった。どんな感情の波も立たず、ただ無理に笑うことを拒絶する。

 サキかコーベ以外から『可愛い』と言われるのが不快だ。

 彼女自身が自らのことをそう思っていないというのに、たった今知ったばかりの他人から可愛いと言われる。ウイはこのことに違和感を覚えた。例えばサキやコーベからその言葉をかけられても、微塵も嫌とは感じないというのに。

 もしかしたらサキやコーベは彼女にとって、数か月前に知り合ったばかりの友人では無く、もっと前から良好な関係を築いていたのでは無いだろうか?

突拍子の無い考えのように思われるが、ウイは二人のことをどうしてか『懐かしい』と感じているのだ。だから可愛いと言われても不快にならない。ウイを含めて三人とも十二歳以前の記憶を失っているので、この可能性を完全に否定することはできないのではなかろうか。

例えば、小学生の頃は三人でよく遊ぶような仲で、何らかが原因で三人とも離れ離れになって、そしてその後に偶然にも三人とも記憶喪失に陥ってしまった。こう考えることだって、決して不自然とは言い切れないのだ。

「どうしたのかな、やっぱりちょっと緊張しちゃった?」

「……そうみたいです、すいません」

 プロデューサーが一瞬だけ、苦虫を噛み潰したような顔をする。これでオーディションには落ちてしまっただろう。

 無理して笑うことで幸せになるのは、不可能だった。

 静かな心の中でサキとコーベに謝りつつ、ウイは自分がどうすればいいのか分からなくて途方に暮れていた。


 どうすればいいのか全く見当も付かず、研究室の三人は途方に暮れていた。

「こんなんじゃ。ウイの将来が真っ暗だよ……」

「しかも、それを止めようにもウイはもうオーディションを受けちゃってると来た。まさしく、賽は投げられたとしか言えないわね……」

「だ~っ! 責任問題なのか? これは大学教員たる俺の責任問題なのかっ?!」

 コーベが目線を下に向け俯き、サキが目線を上に向け天を仰ぎ、アルカが保身に走ろうとしているのか自分に責任問題は無いということを立証しようと四苦八苦している。そんな三人に対し、手の出しようが無いのだからしょうがないとでも言いたそうな調子でイスクがボイスデータを再生した。

《ま~ま~みニャさん、そう慌てたって無駄ニャことは無駄ニャのですニャ! だからコーベくんもサキちゃんもアルカくんも、もうニャに(何)も考えずにウイちゃんの巻頭カラーを楽しみましょ~☆》

「いいから下ネコは黙ってろ、お前が喋ると事態が余計ややこしくなるんだよっ!」

 アルカが手元にあった試験管を床に叩きつけて割る。こうして税金がまた一つ、個人のストレス発散のために文字通り粉々となって消えていったのであった……。

「って、ちょっと待ちなさいな。イスク、アンタさっきこの変態イカレ科学者のことを何て呼んだのよ?」

 いきなり、気付いてサキが突っかかってくる。

《ニャニャ? え~っと……マルコムX?》

「おいちょっと待て、何だその高度な人種ネタは」

《冗談ですニャ! 私はさっき、『アルカくん』って呼びましたよ☆》

「あれ。イスクって、いつもはアルカのことを『ご主人様』って呼んでるんじゃ」

 コーベの言う通り、彼女はその格好にわざわざマッチさせようとしているのか、アルカのことをご主人様呼ばわりしている。いくら野良猫を電脳化したAIとはいえ実質イスクの開発者のような存在なのだし、この呼称は正しいだろう。ところが今回は、そのご主人様をくん付けで呼んだ。滅多にあるようなことでは無い。

《はい、いつもはご主人様って呼んでるんですけど……コーベくん、サキちゃんに続けてニャまえ(名前)で言うんだったら、それに合わせるようにして二人っきりの時と同じく『アルカくん』って呼ぶのが良かったりするのかニャ~、って思ったのです☆》

 無邪気なイスクの声だったが、おかしな箇所が一つだけある。それをつついたのはコーベだ。

「ねぇ。イスクはさ、アルカと二人っきりの時は『アルカくん』って言ってるの?」

《ふぇ? その通りですけど……》

 今までスタンダードだと思っていたことをイレギュラーだと言われたような、不思議そうなネコの表情。

「アルカ……アンタ、自分で作ったAIにいつも何言わせてんのよ?」

「別に俺が言わせてる訳じゃ無ぇよっ! コイツが勝手にほざいてるだけだろうが……!」

 サキが当の本人に詰め寄るも、彼はあくまでも無関係だというスタンスを貫く。流石に、自作した美少女プログラムにくん付けで自分の名前を呼ばせる行為はたいへん見苦しいということはわきまえているらしい。しかしアルカの言うことがにわかには信じられないコーベとサキは、止めておけばいいのに、イスクの方を問い詰めてみることにした。

「イスク。アルカと二人っきりの時って、いつもは何をしているの?」

《う~んと、そうですニャ~……例えば、『アルカく~ん、おねむの時間でちゅよ~』とか?》

 美少女情報統制/支援機器制御プログラムから出たフレーズは、まるでVTRを一時停止させるかのように周囲五メートルの空気を凍り付かせた。この言葉が定かならば、アルカこと新井悠教授は自身の制作したAIで伝説の『赤ちゃんプレイ』をしていることになる。きっとアルカとイスクが二人っきりの時、彼が穿いているのは紙製の――。

 その時、二人は思った。開けてはいけない扉をアルカは開いてしまったのだ、と。

「待て待て待て、んなことを俺が言わせてる訳無ぇだろが」

「そうよね、まさかそんなことをAIに言わせてる訳無いものね。もしかしたら私たちの聞き違いなのかも……イスク、他にはこの最底辺腐れド変態に何て言ってるのかしら?」

「サキ、お前聞き間違ってたとは微塵も思っちゃいねーだろ」

 そんなうるさいアルカを傍目に、下ネコが更なる爆弾発言をかます。

《他には『アルカくん、お菓子でちゅよ~』とか『アルカくん、ミルクのお時間でちゅよ~』とか……ニャニャニャ☆》

 果たしてどっちのミルクなのか。今までのことを思い出しては恥ずかしがっているのだろう、そのホログラムは頬を赤らませていた。そんな彼女の話を素直に信じ込んだコーベとサキは、まるで日本は東京都にある『夢の島』に投棄された産業廃棄物を見るような眼差しでアルカを冷たく責める。ただ、当の本人はそのことが二人にバレると不味いことがちゃんと分かっているのか、必死の否定を続けていた。

「違う、断じて違うからな! この下ネコが勝手にその屑みたいな妄言を垂れ流してるだけだぞ、俺は決してそんなプレイには走っていないっ!」

「うん。アルカが現実逃避したいがためにそんな妄言を吐いてるってことは、よ~く分かったから」

「そうよね、考えてみれば私たちはアルカに過剰なストレスを信じられないくらいあまりにも押し付けて過ぎていた。この大学教授が機械相手にそんなプレイをするところまで落ちたのは、きっと私たちのせいなのよ……」

「止めろ、そんな目で見るのは止めてくれっ! あの猫かぶりの嘘八百だって、どうして分かってくれないんだっ!」

「そうだよね。エリートの人って、よくそういうのが歪んでたりするもんね」

「おいコーベ、そういうのってどーいうのだよっ?!」

 荒ぶるアルカ、その勢いは止まらない。他の二人の想像も同様だ。

「こりゃ、きっと明日の一面に載るわね……『本関大学教授が不祥事――AIに幼児語を喋らせる』とか」

《いやいやサキちゃん、それを言うニャら『大学教授、自主開発のAIで性癖も開発――秘訣は〝なりきること〟』に決まってるニャ!》

「そう。ウイのグラドル化といい、週刊誌が待ったなしの話題ばかり溢れてるよね……」

「いい加減にしろよお前らっ! いいか、俺にそんな趣味はだなぁ――」

 アルカのボルテージが最高潮に達したその時、何の前触れも無く外で重低音のサイレンが鳴り渡った。唸るような、人を不安にさせる音。誰もが皆どうしても忘れられない、これは<メックス>が発生したことを知らせる警報だ。

「ちぃっ! 野良猫がでっかくなっちまったんだ、お前らはさっさと出撃準備をしてくれっ!」

「あ、逃げた」

「うん。逃げたね、アルカ」

 彼が話題を切り替える早さが、今はいつもの比では無かった。まさか<メックス>発生がアルカに予知できるなんて考えにくいのだから、会話の流れを快く思っていなかった故に、きっと何らかの非常事態を心の中で常に待ち望んでは備えていたのだろう。何とあくどい、大学教授卑怯なり。

「うっせぇよそこ! 今はそれどころじゃ無ぇっつってんだよっ! いーからとっとと地下行って可変自動車に乗ってろ!」

 <メックス>が発生したということは、善良な関市民が猫によって危険にさらされたということである。アルカはこれでもかと危機感を滲ませていて、いくら夏休み中のだらけた大学生といえどもコーベとサキの二人にも伝わってくる。二人は短くうなずいて、気持ちを鋼鉄猫との戦闘に切り替えた。

「あぁ、今日は何て日なのっ! まるでアルカの顔みたい!」

「おいサキ、余計な口を叩いてる暇があったら――」

「分かってる、もうガレージに向かうわよ!」

 彼女が踵を返そうとする。コーベには一つの疑問があった。

「ねぇアルカ。ウイはどうするの?」

「あぁ? そっか、その問題が……サキ、お前の<アクセラ>で途中までウイの<ティーダ>を牽引することは出来るか?」

 丈夫なロープで車同士を繋ぐ、両車の間隔を五メートル以内に保つ、〇、三平方メートル以上の白い布をロープにつけるなどの様々な規則があれど、普通自動車が普通自動車を牽引することは法律的に可能だ。しかしそんなことをやるシチュエーションなんてそうそうある訳も無く、サキは牽引をするのは今回が初めてである。だから不安でいっぱいなはずだが、それでも彼女は仕事を引き受けた。

「コーベにやらせるのは不安だしね、ウイの大切な<ティーダ>を擦りでもしたら大変だし。分かったわ、私がやる」

「じゃあ。これでやることは決まったから――」

 コーベの言葉に、アルカが続ける。

「あぁ、<T.A.C.>の出撃と行こうかっ!」


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 口では『結果は後日メールで知らせる』と言っていたが、あのプロデューサーの表情から読み取るに、良い結果でないのは明白だった。なけなしの勇気を振り絞った初めてのグラビアアイドルオーディションは、失敗に終わってしまったのである。

 雑居ビルの階段を下りながら、ウイは小さく溜め息をつく。泣く程では無いのだが、やはり悲しかった。オーディションに落ちたことでは無く、笑顔を要求された場面で彼女が笑えなかったことが。

「……今日、どうしよっか」

 外に出て空を見て、先ほどと変わらない曇りだったことに落胆する。流石に雨の心配は無いのだろうが、かといってこの調子だと晴れるのも明日以降になりそうだった。

彼女は、淋しいと感じていた。

何の主張もしない錫色(すずいろ)は、まるで青春時代のウイのよう。方やたった一色にしか塗られていなくて、雨を降らすことも出来ない空模様。方や一人であることを嫌がっていて、泣くことも訴えることも出来ない彼女。

 どうして、こうなってしまったのだろう?

 いつも同じことを考えて、彼女はいつも同じ答えに辿り着く。きっとあの家庭のせいだ。あんなところに居たから、彼女はコミュニケーションが苦手に――。

 その瞬間に、耳の奥の方で響くサイレンが聞こえてくる。

「……えっ、この音」

 これが鳴っているということは、<メックス>が発生したということだ。ならばウイも可変自動車に乗って戦わなければならないのだが、しかしここに来るのには電車を使ってしまった。彼女の愛車である<ティーダ>に乗って来たのではなくて、だから車は大学地下の駐車場にあるはずだ。

ここから本関大学までは、車で飛ばしても十分程度の距離がある。彼女が歩いて大学に向かっても、かなりの時間がかかってしまうだろう。

 ウイがケータイをチェックする。ほんの数十秒だけ待っていると、やがてアルカから手短なメールが届いた。内容を簡潔にまとめると、サキが<ティーダ>を曳いてウイの所まで迎えに来てくれるとのこと。ケータイのGPSから彼女の居場所を割り出してくれるらしい。

「……サキ、か」

 ウイが小さく呟いた。彼女の顔を思い出すと、少し心が痛んでしまう。二人は友達同士のはずなのに、最近はすれ違いが多くなった。

 例えば、先週西貝駅前で見たサキとコーベ。

 その時の二人は、まるで恋人のようだった。年頃の男女二人がそうしていれば、誰にでもそう見える。ウイもその例に漏れず、サキとコーベのことをそう見てしまった。

 その二人の間にウイが居なかったのは、どうしてなのだろう。

 今までだったら、サキもコーベも『一緒に街へ行こう』と誘ってくれたはずだ。しかし少し前に三人で海へ行ったあたりから、ウイを除いた二人だけで行動することが多くなった気がする。サキとコーベのことだからそんなことは無いのだろうが、ウイとしては仲間外れにされた気分だった。

 サキの隣にウイが居ない。

 コーベの隣にウイが居ない。

 このことに淋しさを感じて、彼女はグラビアアイドルになろうとした。面接でプロデューサーに言った『思い切ったことをしてみたかった』との言葉は、あながち嘘ではない。それくらいのことをしなければ、きっと振り向いてもらえない。

 そんなことを考えているうちに、白いセダンが見えてきた。あの車はサキの<アクセラ>だ。

「ウイ、ゴメンっ! 待ったよね?」

「……ううん、意外と早かった」

 <アクセラ>のすぐ後ろには、ロープで繋がれた<ティーダ>がハザードランプを点滅させていた。この車を見ていると、やはり彼女の心が落ち着いてくる。<メックス>と渡り合うために改造された可変自動車に、乗り慣れたくは無かったが。

「……ロープ、外せばいいんだよね?」

「うん、外し方は分かる?」

「……外せた」

 適当に纏めてはロープを<アクセラ>のトランクに収納し、ウイは<ティーダ>の運転席に座った。いつも持ち歩いているキーを差し、慣れた動作でエンジンをかける。振動が体に伝わってきた。

「コーベは先に接敵してるから、私たちも急がないと!」

「……分かった。<ティーダ>、<オーバーロード>」

「<アクセラ>、<オーバーロード>っ!」

 二人がそう叫ぶと同時に、それぞれの車が変形する。<アクセラ>が姫騎士のデザインで、<ティーダ>が鷹のフォルム。

 とりあえずコーベと合流しようと、二機は足のホイールを駆使して目的ポイントへと走り出した。


 その時のコーベは、高校時代のトラウマを思い出していた。

 体育の時間、彼の高校ではサッカーを延々とやっていた。あの秋の午後もその例に漏れず、彼はフラーレンのようなモノクロのサッカーボールを一人で蹴っていた。

 何回も同じ競技をやっていると、メンバーの皆もどうすれば勝てるのかが分かるようになってくる。作戦が高度化するのだ。その時は確かどちらの陣営も、ディフェンス重視のフォーメーションを組んでいた。

 つまるところ、コーベがボールを持っていて、味方からの援護も無く、相手の十一人を突破しなければならなかったのだ。

あの時の苦労と言ったら、勝るモノはせいぜいアルカが担当している講義のテストくらいしか存在しないだろう。一人を抜いたと思ったら、その後ろにはまた一人居る。次にその人をやり過ごしても、今度は三人がかりでボールを奪おうと襲ってくる。

 現在の状況は、大体そんな感じだ。

 ここは堀枠百貨店前から東に数百メートル離れた、『楓屋(かえでや)百貨店』なる高級デパートを擁する関市随一の商業地。西欧風の大理石を外装に使ったそのデパートに合わせるように、辺りには中世ヨーロッパをデザインコンセプトとした店舗やビル、公共施設が並んでいる。

 人態に変形した彼の<カローラフィールダー>の目の前では、四メートル大の<メックス>十一匹がこちらを睨みながら手を舐めている。一方の<フィールダー>はガトリング砲こそ装備しているものの、左手に付いているバックドア型シールドをメインとした『防御型』の機体であることに変わりはない。例えるならば、お好み焼き用の鉄板を装備してアメフト部の部室に乗り込むようなモノだ。そのうち回り込まれて後ろからやられてしまう。

「気が乗らないけど。物は試しって言うしね……」

 とりあえず<メックス>のうちの一匹に向かって、ガトリング砲を一発だけ撃つ。大きな撃発音の後に薬莢が転がって、また一匹の鋼鉄猫の額に小さいながらも穴が開いた。しかし<メックス>の核を殺さなければ相手は行動不能に陥らないため、頭に風穴が開いた状態でこちらを睨んでくる。

「ですよね~!」

 コーベがわめく。頭に穴が開いている猫にガン見されるのがこれほどまでに怖いとは、思いもしなかった。まだ動いているということは、核である猫を殺していないということ。その猫が頭や腹や背中など、どこに収まっているかは<メックス>各個体によって違うため、額を貫通したからと言ってやっつけたことには決してならない。急所が個体によってバラバラなのだ。

 こんな時、ウイが居てくれたらとても助かる。彼女の<ティーダ>には温感センサが付いていて、猫の体温から<メックス>の核がどこに居るかを一発で見抜いてくれるから。

あと、サキも居てほしい。彼女の<アクセラ>は運動性能がとても高く、一番実戦に向いているから。

 そしてコーベが『好き』だと思える二人が居てくれたら、きっと何でも出来るから。

「サキ。ウイ。今どの辺に居るのっ?!」

 痺れを切らして、彼は通信回線を開いて二人に直接尋ねた。返ってきた声はサキのモノで、よく分からないことを言ってくる。

「もうすぐだから、三つ数えたりでもして待っててよね!」

「三つって……ちょっと?!」

 一時的に通信が切られる。ふと前面を見てみると、<メックス>軍団のうち五匹が<カローラフィールダー>目掛けて走り出していた。いくら鈍重な動きとはいえ、鉄の塊が加速しながらコーベの自動車に向かってきているのだ。まともにこのまま突進を食らってしまえば、いくら防御に特化した頑丈な<フィールダー>でもカーコ○ビニ倶楽部送りでは済まないだろう。

 無意味だろうことは分かっていたが、コーベは咄嗟にバックドア型シールドを構える。緊迫感のあまり口が落ち着かなかったので、とりあえずサキの言っていた通りに三つ数えることにした。

「三つに二つ。そして一つっ!」

「……合図確認。<グラビテーテドタイド>」

 突然届いたのはウイの声で、添付された銃弾が何もかも全てを飲み込んでいった。

 分子の強制酸化を引き起こす一撃、<グラビテーテドタイド>。近くの<メックス>を構成している鉄分子は『重力の潮汐』に飲み込まれるように<ティーダ>の放った特殊な弾丸に吸い寄せられていき、空気中の酸素と結合させられては粉末となって風に飛ばされる。ついでに地面のアスファルトも削って酸化させてしまったのだが、とにもかくにもこれで巨大猫五匹を葬ることに成功した。

 残骸として一匹分の右半身と三本の前足、それと額に穴の開いた猫の頭部が転がった。

「ウイ。来てくれたんだったら、素直にそう言ってくれれば良かったのに」

「……それじゃあつまらないからって、サキが」

 後ろを振り向くと、使い終わったスナイパーライフルをその場に置いて、近くの病院から新しく二本の短銃身ロケットランチャを引っ張り出す<ティーダ>の姿がそこにあった。目を覆っている薄型バイザーは鷹の瞳で、各種センサを搭載した肩の突起物は鷹の羽。そこに普段無口で大人しいウイのイメージが重なって、狙う猫に静かな威圧を撃ち込んでいる。

「それで。そのサキが見えないけど」

「……コーベ。前のヤツ、まだ生きてる」

 彼女に注意されて正面を向き直すと、左半身だけ侵食された<メックス>が二本の足と尻尾だけで起き上がった。断面を見てみると、虎ぶち模様の小さな猫が神経の糸で繋がれている。核がまだ生き残っていたのだ。

「じゃあ。動きの鈍いうちに僕が倒して――」

「コーベ、その必要は無いわよ!」

 その時に舞い降りたのがサキの声で、伴っていた踵の刃がちょうどその核を一突きした。

 一瞬の出来事だったので彼の思考が追い付かなかったが、どうやらサキの<アクセラ>が跳躍しながら、ヒールナイフで死に損ないの<メックス>に跳び蹴りをかましたらしい。華麗に舞い降りたその騎士は亡骸の上で直立し、右手のロングソードと左手のV字ブレードを一薙ぎした。

「サキも。えらくダイナミックな登場だね」

「これくらいしないと、面白くないでしょ?」

 彼女の笑い声が聞こえてくる。猫の殺処分にエンターテインメント性を求めるのは如何なモノか。

 <アクセラ>が下がって<フィールダー>の左に立ち、<ティーダ>が追い付いて<フィールダー>の右に立つ。この二機の増援により巨大猫は数をおおよそ半数にまで減らし、こちら側も三人一組の体制が整う。高校の体育の時間とは違って、コーベにはサキとウイが付いているのだ。

「んで、コーベ。これからどうしようって考えてるの?」

「とりあえず。サキのワントップは定石として、ウイも直接狙ってみて。援護は僕だけで大丈夫だろうから」

「……了解。ロケットランチャは初めてだけど、多分行けるとは思う」

「こちとら了解、じゃあ突撃しようかしらねぇっ!」

「うん。それじゃあサキもウイも、やってみようっ!」

 コーベの一言で各機が散開する。彼らの作戦としては、まず<アクセラ>が敵六匹の真ん中に飛び込んで陽動、<フィールダー>がそれを援護し、<ティーダ>がすかさずトドメを刺す。何も難しいことは無かった。

「コーベ、しっかりとお願いねっ!」

「了解。ウイも、僕がそっちに誘導するから!」

「……分かった」

 手始めにサキは身近な<メックス>に狙いを付け、右手のロングソードで右前足と頭部右半分を削いだ。次に彼女が危害を加えようとしたのは、その左隣に居た個体。逃がさないようにヒールで尻尾を踏み貫き、左手のV字ブレードで相手の脳天を乾竹(からたけ)割り。こちらの方は核まで殺処分出来たらしく、それ以降は動かなかった。

 残りの四匹は<アクセラ>から逃げるように離れていき、おおよそ<ティーダ>の待ち構えている方角へ走り出す。そんな可愛らしい彼女たちにアタックをかけたのがコーベの<カローラフィールダー>で、ガトリング砲を斉射して牽制もしくは中破させた。うち二匹は足をやったのでその場でうずくまらせることに成功したが、もう二匹は身体中穴だらけになりながらもまだ走っている。

「ウイ。今だよっ!」

「……ファイア!」

 満身創痍の<メックス>に向けて、彼女は左右のロケットランチャを直射砲撃。鈍い反動音が鳴って、<ティーダ>の全身に衝撃が行き渡った。放たれた砲弾は空気抵抗を受けつつもまっすぐ進み、しかし大きな猫に命中することは叶わない。珍しいことに、ウイが狙いを外したのだ。

「ねぇ。ウイって、今日もしかして調子が悪かったり――」

《ウイちゃん、前っ! 危ニャいニャ!》

 コーベの言葉を遮って、イスクのアラートメッセージが流れる。

 その<メックス>二匹はロケット弾が当たらなかったことをいいことに、減速をせずそのままウイへと突っ込むつもりだ。しかし<ティーダ>は近接戦闘用の装備を持っておらず、このままではねこパンチを受けてダメージを直接被ってしまう。

「ちょっと待ってて。僕がどうにかするから!」

 そう言って、<フィールダー>のガトリング砲が雄叫びを上げる。だが<ティーダ>が相手のすぐ近くに居るため中々狙いが定まらず、ろくに足止めをすることが出来ない。

「だったら。ここで仕切るよ、<フィールドウォール>っ!」

 シールドから発せられる電磁波を用いて、<フィールダー>が緻密な分子で出来た『大地の壁』を形成。<フィールドウォール>はしばしの間、<メックス>の足止めをすることに成功した。

しかし、猫の強大なパワーの前に破れてしまう。柔軟性とそこから由来する応用性に光るところがあるものの、薄膜であるため硬度はいまひとつ足りない。それが<フィールドウォール>だった。そんな大地の壁を突破して、<メックス>はウイの下へと駆け寄る。

「……ダメっ!」

 短銃身ロケットランチャを捨てて受け身を取るも、遅かった。ウイが短く叫んだ頃には、先着の<メックス>が<ティーダ>にブローを与えていた。

「……っあぁ!」

「ウイ、大丈夫っ?!」

 サキが<アクセラ>を猛スピードで向かわせるも、ただ走るだけではウイが二発目を食らうまでには間に合わない。良くて二匹目の<メックス>を葬れる程度で、先程彼女を殴った一匹目には届かないのが落ちである。

 もっと大きな、加速が必要だ。

「えぇい、こうなったら――<アクセルガスト>っ!」

 走りながら横にしたV字ブレードの上にロングソードを重ね、弓を構えるような体勢を取る。次にありったけの力を込めてアスファルトを蹴り、『加速した突風』のごとく鋼鉄猫めがけマッハ五以上のスピードで飛び込む。

そして、例の二匹目の<メックス>を衝突時の摩擦熱で溶断。その勢いで宙を舞い両手を広げ、連続して一匹目の方に本日二度目の飛び蹴りを見舞った。

 電光石火で敵を貫き、騎士が鷹の下へと到着する。

 しかし流石に二回目は耐えきれなかったのだろう、<アクセラ>の着地時には踵のヒールナイフが折れてしまった。だからその場に立っていられなくなり、その姫騎士は不覚にも跪(ひざまず)いてしまう。そこまで傷ついても、サキは相手を心配した。

「ウイっ、大丈夫なの?!」

「……何とか」

 彼女の<ティーダ>はダメージもそれほど甚大では無く、せいぜい左腕部がひしゃげて動かしづらくなっていた程度だった。このくらいなら、チーム戦や合体動作もギリギリこなせるだろう。しかし、問題はサキの<アクセラ>だった。

「……サキ、機体のフレームが弱ってる」

「ふぇ? ……ってうわ、本当だ」

 先ほどの着地失敗が応えたのか、基本フレーム、主に足回りにガタが来ていた。この状態で激しい運動をさせるとフォワードである<アクセラ>が歩行不能に陥ってしまい、チームのパフォーマンスが急激に低下してしまう。そうなってしまっては、かなりの痛手だ。

「でも。後は僕だけでも片付けられるから、二人は安心してて」

 コーベが自信ありげに言う。それもそのはず、残った三匹の<メックス>は一匹が顔の半分を失い、二匹は足をやられていて動けない。だから<フィールダー>が装備しているガトリング砲だけで残機の殺処分は十分行えるはずなのだが、どこから湧いて来たのか、突然アルカが横槍を入れてきた。

『違うな、もうタイムオーバーだっ!』

 どの<メックス>を見てみても、地面にその鋼鉄の尻尾を刺している。そしてそれをストローとして地中から鉄原子とタンパク質を吸収し、自らの身体の周りを覆うように新しい筋繊維と装甲を形成してゆく。最初は泡のように肥大化していったがやがて形も整えられ、銃創も切断痕も無い、出荷されたての鉄鋼のような八メートル超の大きな猫となった。

 三匹の<メックス>が同時に、数秒前よりも更に巨大化したのだ。

 うち一匹は、背中にいかにもなロケット弾を備えている。

これは巨大化の際に一定確率で紛れ込むモノで、原材料はこれまた地中にある窒素等のニトロ系分子。三人の初陣では、この砲弾に悩まされた。

「そっか、あの時にトドメを刺してなかったから……!」

「……ストレスが溜まって、<MBC>が反応した」

 サキとウイの分析が正しい。先ほどの攻撃で核に被害を与えられることなく『死なない程度の辛い苦しみ』をプレゼントされた鋼鉄猫たちは、まともに足掻くことも出来ずにただストレスを積もらせることしか出来なかった。そしてこの負の感情を<MBC>が拾って、悲しき彼女たちを更に巨大化させてしまったのである。

「こうなったら。合体するしか無いんだけど、二人の機体はダメージとか大丈夫なの?」

 動揺せずに、コーベは冷静に判断する。相手が八メートルにまで大きくなった<メックス>ならば、合体しなければこちらに勝機は無い。言葉はウイとサキに、そして目線はモニタ上のアルカに向けて、それぞれから返答が来た。

「……私の<ティーダ>は、このくらいならば支障は無いと思う」

「<アクセラ>はちょっと無理を利かせられないけど、殴り合いくらいまでだったらギリギリ大丈夫かしらね」

『合体自体に問題は無いが、サキの言う通り無茶が出来ない! 特にコーベ、お前は攻撃手なんだから一層気を付けろよなっ!』

「うん。了解、それじゃあ合体を――」

 彼のそのセリフに続けて、三人一緒にワードを揃える。

『<オーバーファミリア>っ!』

 前面ガラスモニタ上にて、イスクが『人態→合態』の表示を提示してくる。その背景はブラックアウトの後に色の三原色が交互に流れ、合体後のメインカメラ映像を映し出す準備を始めていた。

 まずは日産<ティーダ>、腕を背後に回してから肩の中へと収納し、頭の辺りまで直角に起こして『腰』にする。その際に小羽は畳まず『腹』に、足はむしろ広げて『足』のまま。胸のルーフを腰のあたりまで下ろしたら、胴体から割れて『脚』になる。これで『下半身』の完成。

 次にマツダ<アクセラ>、足を収納する代わりに『拳』を引き出す。スカートのように開いていたフロントドアを閉めてからは、胸を軸にして九〇度左右に開き腰を『肩』に、脚を『腕』に。頭と手を肩の中にしまっては閉じて、車態時のバンパーを『胸』とする。これで『上半身』の完成。

 そしてトヨタ<カローラフィールダー>、腕をくるりと回してから頭と共に肩の中に入れてボンネットに戻す。そうしてからフロントドアをシザードアのように直角に起こし、そのスペースを利用して脚を両サイドへと持ってくる。それは九〇度捻られてリアドアが前を向くことで『羽』を形成、しかしリアホイールを下に向けさせて『武装ラック』にする。これで『背中』の完成。

 それら三つのパーツそれぞれが、磁石のように互いを引き付け合う。各アタッチメントの確認を終えると<フィールダー>の頭部がせり出され、兜を広げて『頭』になる。両目に緑の輝きを灯して、同じく<フィールダー>のバックドア型シールドを左手に受け取った。

 鷹の足がその地を掴んで。

 騎士の胸が気高さを放って。

 ガーベラの羽は花弁のようで。

『<T.A.C.>、コンプリーテドっ!』

 これで合体は終了だ。

「……出力調整、問題無し」

「駆動系はやっぱり、少しだけガタが来てるけど……これならきっと、行けるはずっ!」

「それじゃあ。武器を受け取って、早めに処分しよっか!」

 ウイが機体制御、サキが機体操縦、コーベが火器管制。それぞれの役割においてチェックを進めていたところ、イスクの可愛らしい声による警報が響いた。

《ちょっと待って下さいニャ! 北東から新しい機体反応が……これは、お兄ちゃんっ?!》

 三人がその方角に目を向けると、黒いステーションワゴンが一台と、黒い大型トラックが一台見えた。このようなシチュエーションに来るということは、高確率で――。

《フニャハハハ~! 地獄の門より遣われし死神、アスタル参上だニャっ!》

 執事服を着た二次元美少年の映像が出てくる。やはり、厨二病ネコかぶれのアスタルだ。ということは、見える二台の自動車は<プリウスα>と<パストノッカ>ということになる。彼らと<メックス>との戦闘に介入せず高みの見物をして、三人が消耗するまで待ち伏せをしていたのだろう。

《お兄ちゃんやめて、こんニャ時に妹の私をストーキングしてくるニャんてっ!》

《ニャ……妹者よ、出合い頭にニャんて恥ずかしい被害妄想をしてるんだニャ?!》

「アスタル。流石にそろそろ妹離れしないと、イスクが更に手遅れになるよ……?」

《コーベ、ニャんで妹者の言葉を真に受けてるんだニャ?!》

 折角なのでまたアスタルで遊んでみる。

「……そういえば、アスタルの機体は二週間前に私たちが仕留めたんじゃ」

「ウイ、失礼なことは言わないの。正しくは十六日と十五時間前よ」

《二人とも、そーやって吾輩のトラウマを正確にえぐるのはやめるのだニャ~!》

 いつもの妹よろしく、兄の方もぷんすかと顔を赤くしながら怒る。何とも微笑ましい光景だが、そう言えば<メックス>の存在を忘れていた。

「アルカ。武装はどこで受け取れるの?」

『何のための武装供給ガイドシステムだと思ってんだよ、お前? イスクの方が、俺なんかよか光の速さで把握してるはずだぜ』

「あ。そっか、そう言えばそうだったね。イスク?」

《きゃ~! 暗い夜道、『チカンに注意!』って書かれたあからさまな看板の前で黒い格好したお兄ちゃんに襲われるニャ~☆》

「アルカ。イスクが今遊んでるから、お願い」

『ちょっと待て! イスクのヤロー、もといアマはどんだけ使えねーんだよっ!』

 今度はアルカが怒っていたが、彼は仕事をちゃんとやってくれた。どこにどんな兵装があるのか、モニタ上のマップに分かりやすく表示される。現在地からの最短ルートは、ラインマーカーで塗ってくれていた。

「何というか。無駄に気配りが出来てるよね、アルカ……」

《フニャハハハ~! コーベ、そんニャ無駄口を叩いていられるのも今のうちだけだニャ!》

「びっくりした。いきなり僕に話振らないでよ……」

 突然アスタルが言葉を掛けてきたと思ったら、彼は<T.A.C.>のすぐ近くまで来ていた。時速にしておおよそ五〇キロメートル、その勢いで<パストノッカ>が荷台のコンテナをパージする。

「……この流れって、とても嫌になる予感が」

「アスタル、面倒事は増やさないでほしいんだけどっ!」

《お兄ちゃん! 余計ニャことやったらもう口を利かニャいって、あの熱い夜に約束したはずですニャっ!》

 女性陣三人がとやかく不平を零すも、アスタルは顧みず我が道を突き進む。

《というか妹者、あの熱い夜ってニャんのことだニャっ?! えぇい出でよ、地の底を彷徨いし吾輩が従者<パストノッカ>! いざ、<オーバーファミリア>だニャっ!》

 案の定、それは嫌なことで、面倒事で、余計なことだった。

 <パストノッカ>がコンテナのあった土台部分を『脚』として展開し、またキャビンも割れては回転して下半分を『肩』に、上半分を下げて『腕』にする。しかしそのままでは倒れている状態なので、過去から這い上がるようにしてむくりと起きた。

 ちょうど『胸』が空いていたので、車態の<プリウスα>がリアドアから後ろの部分を直角に折り、未来から降りかかるようにしてそこに収まる。するとしかるべきところから『手』と『足』をせり出して、ステーションワゴンのルーフから『頭』を覗かせた。ネコミミなどを展開して、大きさを七メートル級に調整。

 置き去りにしたコンテナから、死神の鎌を抜き取ってゆく。

《<p.α.κ.>、コンプリーテドだニャ!》

 三日月の刃が鈍く笑った。

「コーベ、どーすんのよこれっ?! アスタルの相手もしなくちゃだし……」

 サキがコーベに指示を仰ぐ。一気に四対一にまで追い詰められて、彼らは圧倒的に不利だった。

「とりあえず。<メックス>の方が弱いんだから、頭数をとっとと減らしちゃおう」

「分かったわ、じゃあ武装を受け取りに移動するわよっ!」

 プラズマにアシストされながら、<T.A.C.>がバックステップ。そしてある程度下がったらウインカーを点灯、右側の細い路地へと強引に割り込んだ。そして流れるように九〇度回転、すぐさま立ち去れるように路地の入口を向いておく。

 いくら地価が高騰しやすい商業地といえども、住居施設が完全に存在しないとは限らない。現にその路地には、モダンでシックな地上三階地下一階建ての洒落たアパートが建っていた。

 そのアパートをイスクが操作すると、道に面した壁が素早く観音開きのようにして開く。すかさず中に<T.A.C.>が勢い良く右手を突っ込み、引き抜いては振り払うとその指先から五本の糸鋸が伸びていた。長さは三~四メートル程度か。

「ま~た、趣向のよく分からない武器をっ!」

「……サキ、早く戻ろ」

「分かってるっ!」

 元々居たデパート前に復帰しようと走っていると、彼らを追って来たのか、ちょうど一匹の<メックス>と対面した。あれは確か、足をやられて動けなくなった個体のうちの片方だ。温感センサによると、核となる生身の猫は頭部の真ん中に潜んでいたはず。都合が良いので、最初に屠るのはコイツにする。

「ウイ、プラズマ吹かしてっ!」

「……了解」

 羽の部分から青白い電光がほとばしり、<T.A.C.>が一気に加速した。プラズマ推進機構がその場の大気をプラズマ化させることで空気が膨張し、その反動を利用することで推力としたのである。しかしプラズマの出力がやや大きすぎたのか、足が追い付かなくて前のめりになりながら走っていた。

機体は飛び込むように突撃して、右の掌を前へと突き出す。まるで糸鋸の刃をその歯とした貪欲な獣が、口をあんぐりと大きく開いているみたいに。

 鉄の猫は、とてもおいしそうに映えた。

「<フィヨルドサージ>、<オーバーファイア>っ!」

 コーベがそう叫ぶと、<T.A.C.>は手先を尖らせるように、開いた右手の指の間隔を狭めた。つまり鋼鉄猫の頭部を指の延長線でつまむ。そして肘打ちをかますような動作で、右腕を後ろの方へと引っ込める。

 刃の歯が<メックス>の頭を噛み、糸鋸で引き切られては綺麗に五分割された。

 <フィヨルドサージ>。指先に計五本の糸鋸を接続するだけのごく単純な兵装だが、それは『指』という器官の柔軟性をフルに発揮できる刃物でもある。例えば今回のように、糸鋸で相手の頭を『掴んで』は刃を引いて対象を切断することだって可能なのだ。

 五つの方向から斬撃を受けて核がやられたのだろう、<メックス>はその場にへたり込んでは溶け始め、地中から奪っただけの鉄分を液体として還元する。その水たまりをひょいと飛び越えて、<T.A.C.>は<p.α.κ.>と、そしてもう二体の<メックス>と対峙した。

「……次、あの建物から」

「オーライ、引っこ抜くわよっ!」

 隣にある楓屋百貨店から、大型の戦車砲のようなモノを受け取る。それを両腕で抱えるようにして構え、機体やバッテリからのエネルギー供給が十分であることを確認した。

《次の目標は、向いて左側のネコさんだニャ!》

「うん。分かった! <ルミナスライン>、<オーバーファイア>っ!」

 巨大化前に頭を削がれた<メックス>――つまり核は頭には無いので恐らく胴体の中――に照準を合わせ、コーベが躊躇一つ感じずにトリガーを引いた。バッテリ内の電力が全て武装に吸われ、銃口からはルビー色の透き通ったレーザービームが照射される。

 重力の影響をさほど受けないそれは寸分狂わずに真っ直ぐ進み、相手である巨大猫の装甲をじわりじわりと溶かしてゆく。やがて鋼鉄の腹に、ちっぽけな風穴が空いた。この程度の直径でも、核を焼き殺すくらいならばたやすい大きさだ。それの魂が抜けて出て行ってしまい、先程と同様にして鉄の液体が地面に広がっては小さな湖を形作ってゆく。

 <ルミナスライン>。<T.A.C.>専用のレールガンである<バレットライン>を再設計したレーザー砲で、かなり重い内蔵バッテリを搭載することで外部電源に極力頼らない仕様となっている。しかし弾数は実に一発のみで、それ以上の照射を望む場合はバッテリを新しいモノに交換しなければならない。もっとも、現在そんなモノは持ち合わせてなどいなかったが。

 弾切れで用済みとなったその<ルミナスライン>は、とりあえず右羽の武装ラックに接続しておく。その際に重心が後ろに傾いてしまっては大変なので、バッテリだけは取り外して右手に持っておくことにした。

 さて、次は敵のターンだ。

《我が三日月の刃の裁きを受けるがいいニャ! <ディスタンスイグノアラ・バリニーズ>、<オーバーファイア>っ!》

 アスタルの鎌が彼らを捉える。プラズマをスラスタとして右側に噴射、サイドステップで回避するも、どうせ二撃目が待ち伏せている。もっと有効な対処――防御が必要だ。

「別の武器、何か無いのっ?!」

《分かったニャ! サキちゃん、今からそっちに飛ばしますね☆》

 左手にある雑居ビルの二階部分から、小型のナイフが飛んでくる。<T.A.C.>がそれを素早く空中で受け取って、剣先を鎌に押し付けた。いわゆる鍔迫り合いの状況、これならば何とか持ち堪えられる。

《そのせニャか(背中)にある光の大砲、かニャりニャんじ(汝)に重くのしかかっているニャ……折角だニャ、吾輩が胴体ごと捌いてやるニャ!》

「ご丁寧に。じゃあこれの面倒、お願いするよっ!」

 コーベが<ルミナスライン>をパージさせ、上半身を右に捻り勢い付けて<p.α.κ.>へと投げつけた。だから避けようも無く数トンもある大砲をもろに食らい、死神が『光を浴びた』かのように怯む。いや、浴びたのは光では無く、光を出すレーザー砲か。

《卑怯ニャりっ、コーベ!》

「待ち伏せしてる方が卑怯だと思うけど。違うかな?」

《ニャニャっ?! ……言葉責めとは、卑怯ニャりコーベ!》

《お兄ちゃんがコーベくんから言葉責め……ニャニャニャ☆》

「そろそろ、誰かこの下ネコを止めるべきなんじゃ無いのかしらね……?」

 サキがそうぼやいている内にも、思い出したかのように最後の<メックス>が攻勢に出てくる。その個体は例のミサイルを装備したヤツで、まさしく彼らに向けて撃とうとしているところだった。近くに居る<p.α.κ.>まで巻き添えを食らいかねないと言うのに。

「……アスタル、アナタ多分あの<メックス>から味方として認識されてない」

《そんニャ~……おニャじ(同じ)ネコ科ニャのに》

「あ、やっぱ同じ組織じゃ無いのね。アンタとあの<メックス>」

《吾輩のご主人様はあっちの猫のことも詳しいみたいニャのだが……例えるニャらば、おニャじ(同じ)会社の別部署みたいニャ感じだニャ!》

 そうこうしている間にも、計一発のミサイルが放たれてしまった。距離もそんなに離れていないのだし、着弾までは時間の問題だろう。早急に対応が必要とされた。

「こうなったら。<トライフライト>、<オーバーファイア>っ!」

 そのミサイル目掛けて、左手のナイフをアンダースローで投げた。すると間もなく柄の部分から推進用の火が噴かれ、それが終わったら刃の部分だけが進行方向へと発射された。そして弾頭の部分に見事刺さり、ミサイルは空中で虚しくも爆発してしまう。

 <トライフライト>。『三段階加速式投げナイフ』とでも表現しようか、それはかなり特殊なナイフである。まず<T.A.C.>が投てきすることで一段階目の加速、次に柄の中に搭載されたブースターで二段階目の加速、最後にスペツナズナイフを模倣したグリップ内部のスプリングを使って刃部を射出することで三段階目の加速、そして刃だけとなったナイフが埋まるように深く対象に刺さる。

「これで武装は無力化、と……一気に行くわよっ!」

「分かった! <バッテリナックル>、<オーバーファイア>!」

 サキとコーベの短い応答。<T.A.C.>は最後の鋼鉄猫へと一直線に走り、右手に持つバッテリを振り上げては猫の脳天へと落下させる。

 重い低音と、重い衝撃。質量と重力がそのままめり込む。

 鉄と金属が織りなす苦しそうなハーモニー、<メックス>の頭は首の辺りまでひしゃげていて、核の猫はその中で圧死してしまった。

 <バッテリナックル>。質量によるただの暴力で、重量のあるバッテリを相手にぶつけるだけの攻撃である。それ故にダメージはかなり大きくて、いくら原始的といえども今回のように大打撃を与えることだって可能なのだ。

「さて。アスタル、これで一対一だね」

「……大人しく観念すべき」

 コーベとウイが大きなことを口にしてみるが、これは虚勢だ。<ルミナスライン>を放り投げた際に<ティーダ>の腕に蓄積されていた『腰』のダメージはやや悪化したし、<アクセラ>のフレームが受けていた『腕』の損害も<バッテリナックル>のお蔭で無視できないレベルになってしまった。

 右手からバッテリを放し、三人はアスタルを向き直す。彼の行動はとても読みやすい。この後はカービン銃を撃ってくるであろうことは容易に想像できたので、左腕のバックドア型シールドで予め防御態勢を取る。

《それでも、そっちは手負いだニャ! <ディスタンスイグノアラ・オシキャット>、<オーバーファイア>!》

 案の定やけに長い武装名を叫びながら、アスタルがスナイパーライフルの砲身を折りたたんだ状態のカービン銃を射ってきた。しかしこちらの防御が成功し、胴体を傷つけることは無い。

《大体だニャ、そっちは武装を持っていニャい! それでは吾輩を屠り勝利の月桂冠を掴むことニャんて不可能だニャっ!》

「武装なんて、そこら辺から拾ってくりゃ良いでしょーが!」

 青白い雷光を垂直方向にほとばしらせ、一時的に機体を浮かせることで敵の銃弾を回避する。続けて宙を舞いながら前進して<p.α.κ.>をオーバーパスし、振り返っては着地と同時に左手を地に付け股を大きく広げて低姿勢。右手を美術館の二階に差し伸べることで<リズムブラスタ>を受け取り、豹が獲物に食らいつくようにして肉薄した。

「アスタル。覚悟はいいよねっ?!」

 その<リズムブラスタ>を前に突き出し、<p.α.κ.>目掛けて乱射する。


oveR-05


 その数十秒後、銃弾が<プライアウォール>に阻まれたままで状況は膠着してしまった。

「あ~も~! こーゆー時にこそ、<ミルメイス>を使えば――」

『分かってんだろサキ、それやったらお終いだからこーなってんだろーがよぉっ!』

 アルカが乱暴ながらも、彼女の何とも言えないもどかしさを口で抑えていた。

 例外はあれど、彼ら<T.A.C.>の必殺技<ミルメイス>でないと、あの<p.α.κ.>による見えない壁<プライアウォール>は突破できない。しかし一度<ミルメイス>を使ってしまえば、腕が反動に耐えきれず使用不能になってしまうのだ。まさしく『諸刃の剣』である。しかも腕が壊れては、トドメを刺すことが出来ない。

 それに例え<プライアウォール>を破ったとしても、再度張られてしまっては元も子もない。この前<ミルメイス>で<p.α.κ.>を倒した時は、向こうのエネルギー切れにより<プライアウォール>の再展開が出来なかったことが勝因なのであって、今回そのエネルギー切れを狙えそうには到底無かった。彼ら三人が<メックス>と戦ってエネルギーを消費している間、アスタルは待ち伏せしてエネルギーを温存していたのだから。

 <ティーダ>の腕や<アクセラ>の基本フレームがやられたことも痛い。ただでさえ<ミルメイス>の反動を抑え込むので大変だと言うのに、<T.A.C.>のパフォーマンス自体が落ちているのだから、途中で合態が分裂する事態に陥っても何ら不思議ではなかった。

《フニャハハハ~! ニャんじ(汝)らの新たニャる矛は、もう残されてはいニャいのか? そっちの手がもう読めるようにニャってしまって、吾輩は少々退屈しているのだニャっ!》

「……アスタルが嫌味言ってるけど、アルカ。何か無いの?」

『残念ながらな。現時点で使える<T.A.C.>用の兵装は、あらかた出し尽くしちまった! 後は以前に使ったことのあるモノをまた使うしか無いんだが――』

「それだと。アスタルが過去のデータから対策を練ってくる、って訳だね」

 モニタ越しのアルカが頷く。

今までの戦闘スタイルは、言ってしまえば『斬新性が命』だ。相手が予想も出来なかったような攻撃をすることで意表を突き、敵の行動を一手遅らせる。しかしもう武装のレパートリーが尽きてしまったためにその斬新性が消えて、だからこの戦闘スタイルを取ることが困難になってしまった。

「でも、泣き寝入りするのも性に合わないし……とりま、試すだけ試してみない? アスタルと出会う前に使った武装なら、ひょっとすると向こうも把握してないかもなんだし」

「そうだねサキ。イスク、その二つの武器はこの近くにある?」

《う~んと……はい、徒歩三分の物件にありますニャ☆》

 武装供給ガイドシステムが示すには、片方が北に二〇〇メートル、もう片方が南に二〇〇メートル進んだ場所に隠されているとのこと。<T.A.C.>から見て<p.α.κ.>は現在南側一〇〇メートルに位置しているので、前者から先に受け取るのがベストだ。

「じゃあ。まずは後退してみよう!」

 プラズマを前面に噴射しながら、<T.A.C.>が北へと背中から進む。牽制として、<リズムブラスタ>は相手に向かってフルオート射撃をしたまま。目的地に着いたら左腕を横に伸ばし、建物から榴散弾砲である<スプリンタプランタ>の提供を受けた。前回これを使ったら防がれたので望み薄だが、それでも足止め程度にはなる。

「見晴らしは。ここじゃあんまり良くないかな」

「……また飛ぶの?」

「舌、噛まないようにねっ!」

 三人は機体を上昇させて、すぐ隣にある立体駐車場の屋上まで登った。その高さ地上六階、おおよそ十五メートル。まだ足りない、ここはコンクリートジャングルだ。周りのビルに埋もれてしまっている。

 さらに跳躍し<p.α.κ.>の頭上を越して、先程まで近くにあった楓屋百貨店の屋上に足をつける。今度は地上十三階、おおよそ四〇メートル。北に居るアスタルが良く見えた。

 デパートの最上階はビアガーデンだ。ご丁寧に芝生が植えられており、<T.A.C.>の鳥趾を容赦なくそれに突き刺す。爪をアウトリガとして、機体をそこに固定させた。

「……発射体勢へ移行。<リズムブラスタ>は右脚ハードポイントに保持、武装はシステムオールグリーン、ターゲットのロック。コーベ、撃鉄を起こして――」

「<スプリンタプランタ>。<オーバーファイア>っ!」

 マズルフラッシュと鈍い咆哮。吐き出されたその弾丸は、一〇〇メートルと少しだけ進んで拡散する。チョコチップのような無数の細かい鉄の破片が、<p.α.κ.>の頭上へ雨あられと降り注いだ。

《これくらいニャら、<プライアウォール>!》

 しかし重力加速度も加わったはずなのに、その播かれた鉄片は全て『見えない壁』により防がれてしまう。この前と同じ光景、まるでボードに刺さったダーツの矢だ。結果的に、この武装はまたもやアスタルには通用しなかった。

「やっぱ、こっちはダメって訳ね……」

《ちょっと待って下さいニャ! お兄ちゃんがニャんかやって――》

 イスクのアラートが鳴り響くと同時、突然<T.A.C.>の頭部右半分が弾けて吹っ飛んだ。少し遅れてソニックブームが到達し、その分離した鉄クズは風に乗る。デパート内部へ通じる階段入口の外壁に当たったのか、コンと泣けるほど軽い音が響いた。

「……何が起こったの?」

『アスタルの奴が、こっちの隙を狙って撃ち返してきたってのかっ?!』

 片目になってしまったカメラで<p.α.κ.>の方を見やると、機体を一八〇度反転、<ディスタンスイグノアラ>を<ラグドール>形態で構えながらこちらを狙っていた。機体の装甲が展開していて、放熱による蜃気楼が見て取れる。

『チクショウ、<ルームアルファ>を使ってやがるっ!』

 アルカの悪態が響く。あろうことか<p.α.κ.>は、この前と同様<ルームアルファ>を起動してきたのだ。二週間前の戦闘では二つの弱点を突くことで<T.A.C.>は勝利を収めたが、現在のこの状況ではその弱点を狙うことが出来ない。エネルギー残量は前述の通り余裕があるだろうし、この離れた距離では近接戦なんて夢のまた夢だ。

《フニャハハハ~! ニャんじ(汝)らが吾輩に憎悪の矢を向けてきたからこそ、吾輩はそちらの位置を逆算することが出来たのだニャっ! 前にもこんニャことがあったとは思わニャいかっ?!》

「憎悪の矢って。僕たちはアスタルのことが好きなんだから、そんなモノを向ける訳なんて無いよ?」

《ニャニャ……コーベ、吾輩にそんニャ趣味はニャい(無い)ニャっ!》

《お兄ちゃんに向けてコーベくんが愛の矢を後ろの穴に刺す……ニャニャニャ☆》

「イスク、毎回言ってるけどちょっと黙っててくれない?」

 サキに咎められた下ネコは置いておいて。『前にもこんなことがあった』との厨ネコの言葉だが、三人には心当たりがある。アスタルとの初戦闘だ。

「……私たちは、二か月前から何も成長していない?」

「ウイ。考えるのは後にして、さっさと次の攻撃に移ろうっ!」

 片目を潰されてしまった今、砲撃戦ではこちら側が不利だ。<スプリンタプランタ>をその場に捨てて、<T.A.C.>が四〇メートルの高さから飛び降りる。最大限のプラズマを作りながら着地したのは、<p.α.κ.>から南側に一〇〇メートル離れた、道路上の中央線。とりあえず、相手にこれから近づこうとする。

 しかし突如アスタルが<ルームアルファ>を休止状態にして、通常形態でこちらに向かってきた。<ディスタンスイグノアラ>は勿論、近接戦用の鎌である<バリニーズ>モードにして。

「しまった、<ルームアルファ>の電源を切ればデメリットも消える……!」

《その通りだニャ、サキ! 元々遠距離戦用のシステムニャんだから、接近戦でも律儀に発動したままにする義理ニャんてどこにもニャい(無い)のだニャ!》

「……でも、こっちにとっては好都合」

《<リンクトボルト>、お兄ちゃんがおバカさんだったお蔭でいつでも使えるニャ☆》

 <T.A.C.>の後方、右側の車線がワニの口のようにして開く。地下の喉から伸びてきたのは、あちこちを黒く細くしなやかなケーブルに繋がれた、一本の質素なバスターソードだった。

これこそがもう一つの武器、<リンクトボルト>。ケーブルの先は地下に繋がっているため、装備した状態では行動範囲が限られてしまうが、この要素を度外視できる程の有用性がこの剣には秘められている。それにこの欠点だって、アスタルが自分からこちらに近づいてきてくれたため今回限りでは問題ない。サキ、ウイ、コーベの初陣の時に使った、三人にとっては思い入れがある兵装だ。

「覚悟してよね! <リンクトボルト>、<オーバーファイア>っ!」

 柄を掴んで腰だめに構え、ちょうど目の前まで近付いて来てくれた<p.α.κ.>目掛けて斬り上げた。狙いは相手の左脇腹。しかしこれもまた、<プライアウォール>に阻まれる。

《だから、吾輩にはこの見えぬ地獄の門扉を壊してからでニャいと攻撃が通らぬと――》

「ウイ。今だよっ!」

「……通電」

 地下の電源からケーブルをバイパスして、<リンクトボルト>より三〇万ボルトが放電された。この高圧電流こそがこの武装最大の有用性で、特に巨大化した<メックス>の筋繊維を焼き切る際には有効である。

 今回はこの放電により、人為的に雷を発生させることが目的だ。

空気や建物のような分子を構成するのは原子だが、その原子自体は陽子と中性子、そして電子で出来ている。そしてプラズマとは、空気に含まれる原子中の陽子と電子が分離した状態のことを指す。

稲妻が空から地上へと落ちてくるのは、電気の素であるこの電子(マイナスイオン)が空気中の陽子(プラスイオン)に引き寄せられるためだ。そのプラズマは彼らが移動の際に嫌というほど振り撒いたので、<プライアウォール>を回折して<p.α.κ.>へ電撃を届かせることは理論上可能だった。

《ニャ……ニャーっ! このままでは……》

「大人しく、焼かれなさいな!」

 サキが威勢良く叫ぶ。自動車の外装は鋼鉄だ。白花色の雷光が、その死神へと繋がりゆく。高圧電流は飲み込むようにアスタルを襲い――。

『いや……マズったな、こりゃ』

 小さいアルカの呟きが的中。電撃は<p.α.κ.>に届いたが、けれども相手の機能をダウンさせることは無かった。

「……どうして?」

「そっか。車だから、電撃が利かないんだ……!」

 自動車の内装はプラスチック等の絶縁体で作られているので、いくら電気を浴びせて駆動系を壊そうが、キャビンの中の人間やシステム中枢部などにまで電気が届くことは無い。

しかも今回は狙いどころが悪く、<p.α.κ.>の横腹には<プリウスα>のタイヤ――自動車部品において最高の絶縁体――が片側に二つも付いている。高圧電流が全てそのタイヤにより防御されてしまったのだ。もし別の箇所に当てていれば、行動不能程度には追いやることが出来たろうに。

《そうか、吾輩はタイヤに守られたのかニャ……フニャハハハ~! 天は吾輩を見捨てニャかった!》

「アンタさっき、自分で地獄のどうのこうのとか言ってなかったっけ?」

 そんなサキの突っ込みをもろともせず、アスタルによる反撃が始まった。<T.A.C.>は<リンクトボルト>のケーブルが邪魔で、まともに身動きが取れない。

《我が地獄の鎌により裁かれるがいい! <ディスタンスイグノアラ>、<オーバーファイア>だニャっ!》

 <p.α.κ.>が両手で大きく鎌を振るう。三人は急いで機体をバックステップさせて避けようとしたが、間に合わず左脚のスネから下、片方の鳥趾を刈り取られてしまった。

「ウイ、大丈夫っ?!」

「……サキ、それ今日二回目」

「よかった。大丈夫そうだね……」

《減らず口を叩くのはまだ早いニャ!》

 次は<バリニーズ>をこちらの背中側に回し、それを引くようにして後方から仕掛けてくる。このことに辛うじて気付くことが出来たサキは、機体を突撃させて捨て身のタックルをかますついでに回避を試みたが、間に合わず結局左羽を同様に切り取られてしまった。二機諸共に倒れ込む。

「痛た……サキ、早く機体を――」

《そこをどくのだニャー!》

 アスタルが<ディスタンスイグノアラ>を器用に扱うことで、<T.A.C.>を下から突き上げるようにして起こす。機体の胸部、<アクセラ>の流麗なバンパーが酷く凹んでしまったが、今はそんなことどうでもいい。まずは<p.α.κ.>から離れなければ、またあの鎌にやられてしまう。

《全く、お兄ちゃんはいつもそーやって私に乱暴するニャ! エ●同人みたいに☆》

「……ブースト、最大」

「ふぇ? ウイ、ちょっと待って――」

 左足をやられたおかげでサキがうまく直立させられずにいた矢先、ウイが片肺のプラズマ推進機構から閃光をほとばしらせる。当然機体のバランスが大きく崩れてしまい、<T.A.C.>が今度は背中から倒れてしまった。

 対して調子良く起き上がった<p.α.κ.>が、その倒れた機体へとにじり寄る。黒猫は死神の鎌をこちらの首筋に掛け、その花を刈り取ろうとした。

 が、刃の動きが不意に止まる。

《足りニャい……物足りニャいニャ! ニャんか呆気ニャいぞ、今日の三人っ!》

「い、いきなり何を言い出すのよ? この厨ネコは……」

「さぁ。一度は言ってみたかった憧れのあのセリフを言ってるだけじゃ無いの?」

『王手かけられてるっつーのによぉ、えらく冷静だなお前ら……』

 お構いなしに、アスタルが言葉を続ける。

《ニャんか、こう……連携が取れていニャいのかニャ? さっき機体が倒れたのだってそういうことだし、<リンクトボルト>とやらの時ももっと狙いをずらしていればどうにかニャってたと思うニャ》

「……つまり、私たちの調子が悪いと」

《違うニャ。ウイ、きっとニャんじ(汝)の調子が悪いだけだニャ》

 突然に名前を呼ばれたので、ウイは視線を動かし戸惑った。

 言われてみれば、彼らには思い当たる節があった。アスタルが挙げた先の例は、二つとも機体制御を統括するウイの失敗に依るところが大きい。合体前の<メックス>戦に至っては、<グラビテーテドタイド>の狙いが甘くてアスファルトを削ったり、手負いの鋼鉄猫に当てられずカウンターを食らってしまったりした。彼女が不調であることは、まず間違いないだろう。

《今のニャんじ(汝)らと剣を交えても、ニャにも面白くニャいニャ……張り合いがニャいニャんて、戦闘に勝っても勝負に負けた気がするニャ》

「うわ、勝者の余裕ですかいな……」

 こんな状況だが、サキがいつも通りのアスタルに呆れる。しかし続いたセリフは、おおよそいつも通りの厨ネコのモノでは無かった。

《ウイ、ニャんか嫌ニャことでもあったのかニャ?》

「……え?」

 唐突な洞察に、彼女が驚き目を見開く。

《見てれば分かるニャ。<ティーダ>のコンディションは問題ニャさそうだったし、コーベとサキ自体はいつも通りニャか(仲)が良いみたいだし。三人で喧嘩したー、とかじゃニャいんだったら、あとはウイ個人の問題しか考えられニャいニャ》

「凄い。何かアスタルが賢くて新鮮だよ」

「っつーか、いつから待ち伏せしてたのよこのネコ……」

 コーベとサキが思い思いにコメントする。補足代わりか、イスクが付け足してくれた。

《私たち猫って、ちゃんと人間の心を理解してるんですよ? ホラ、よく聞くじゃニャいですか。飼い主が病気の時に猫が親身にニャってすり寄ってくれたー、とか。あれだって、私たちはちゃんと分かっててやってるんですからね☆》

「そっか。だから、アスタルもウイのことを気遣ってやってるんだね」

『ネコって、かなり高等な生物だったんだな……』

 アルカまで驚く。猫の考えていることを猫自身から聞くことなんて、そうそう無い。

《このまま剣を交えてもニャんの意味もニャいニャ。吾輩はあそこの方でお茶でも啜ってるから、三人で意思疎通をするがいいニャ》

「……私たち、かなり舐められてる? このアスタルに」

《ちょっと待つニャウイ、どうして語尾に吾輩のニャまえ(名前)を付けるんだニャ》

 彼のことをやや小馬鹿にしたような言葉に、アスタルが引っ掛かる。それにしても、ただの猫を電脳化しただけの存在であるアスタルから情けをかけられるとは。今日の三人、特にウイはそんなにも腑抜けていたのだろうか?

「ねぇアスタル。僕たちの問題が解決したら、そのことをどうやってアスタルに知らせればいいの?」

《そっちが先制攻撃を仕掛けてもいいニャ。機体は手負いニャんだし、そのくらいのハンデは必要ニャはず……じゃあ、吾輩はそこの道端で待ってるニャ》

 アスタルがそう言い残して、<p.α.κ.>は楓屋百貨店のそば、三人の目が一応届くくらいの位置まで後退していった。


 敵であるアスタルが時間を作ってくれるのは有難かったが、ウイは中々口を割らなかった。

「ウイ、あの厨ネコはアンタに原因があるって言ってたけど……最近、何か悩んでいたりしない?」

「……別に、サキには関係無い」

 こんな調子である。

 俯いて声のトーンを下げながら喋っているのだから、彼女が何らかの悩みを抱えていることなんて誰にも明白だった。そして、その悩みが一体何なのかも。

「ねぇ。ウイ、僕たちにはどうしても話してくれないのかな」

「……話すことなんて、何も無い。アスタルが適当なことを言ってるだけだから」

 こんな言葉を受けて、コーベは少しだけ悲しくなっていた。一種の『淋しさ』とも形容できる感情。だって、友達から頼りにされていないのだから。

 それならば、強制的に悩みを吐かせて発散させなければ。

「ウイ。どうしてグラビアアイドルになろうとしたの?」

 ようやく、彼女がモニタ越しにコーベを見てくれた。その眼差しは驚愕のそれだったが、いつも掛けている空色の眼鏡を久々に見られた気がする。やっと顔を上げてくれた。

 ウイの心を深く覗いて、その核心を的確に突く。満開の花のように綺麗な笑顔を浮かべながら、彼はウイの問題を具現化していった。

「やっぱり。ウイの悩みって、このことと関係してるんだね」

「……何で、そんなことを訊くの」

「いつものウイだったら。オーディションなんて、絶対に受けないから」

 自己主張をしないのが、ウイの持つ一番の個性だ。反対に、グラビアアイドルはその自己主張の念が無ければ恥ずかしくてやっていられない。彼女の性格とは一番合わなさそうな職業で、それはつまりウイが現在の自分を一変したいと考えたということだ。では、何故そうしようと?

 サキが彼女の話を促す。普段の鋭い口調ではなく、諭すようなイメージで。

「それで、ウイはどうしてオーディションを受けたの? 私はあの時に止めたはず。もし何か、言いたくない事情が――」

「……今になってそうするのはやめて、サキ」

 呟く声量だったのに、サキの心が大きくえぐられた。

「え……?」

「……どうして今、私に優しくするの? そんなこと、いつもからやってよ。私が問題起こした時にだけ構うのなら、私はサキのこと……」

「ウイ。その先の言葉は言っちゃ」

 コーベの制止は彼女に届かず、時間を止めるように一拍置いて、そして彼女は放ってしまう。

「――嫌いになっちゃう」

 ウイの嗚咽が小さく聞こえる。雲行きまで怪しくなってきて、今にも一雨来そうだった。どうしてだろうか、<T.A.C.>に乗るといつも天気が崩れてしまう気がする。

 彼女の言葉を受けて、サキは一瞬息を詰まらせた。突然の絶交をほのめかす単語。しかも、ウイに優しくしたことに対する返事がこれとは。

 そんなサキは悩みが何なのかを何となく理解し、コーベはその悩みを完全に把握した。

「ごめんね。ウイのこと、見てあげられなくて」

「……違う、そんなのじゃ無い」

 ウイが即答、コーベが追撃する。

「そんなのって。何が違うの?」

「あ、いや、その……」

 図星を突かれた場合、多くの人間はまずそれを否定する。コンプレックスが大きければ大きいほど、その行動も素早くなる。今の彼女はまさしくそれで、『見てあげる』のワードに対し過剰に反応していた。

「ねぇ、ウイ……もう一度訊くけど、何があったの?」

 最後のピースを埋めようと、どうして彼女が自分のことを見られていないと感じたのか、サキがウイにゆっくりと尋ねる。しばらくの沈黙の後に返ってきた答えは、とても小さく、そしてとてもか細い声だった。

「……先週、西貝の駅前でサキとコーベが二人で会ってるのを遠くから見て。それで、二人がすごく楽しそうで、でもその中に私は居なくって……」

 声の大きさとは反比例に、涙の勢いが増してきた。二人が今日の朝に話していた、サキがアクセサリーを買った店をコーベが紹介した話だ。その場面を、ウイが遠くから見ていた。しかしあの時は偶然会ったのであって、待ち合せたりした訳では決して無い。

「それは勘違いよ、あれはばったりと出会っただけで――」

「そこじゃないの……っ!」

 ウイの語調が強まる。ようやく心情を表面化してくれた。

「……あの時、私が居ない時に、二人が楽しそうでっ! 私が居なくても、二人は楽しそうでっ! 最近のサキは私じゃ無くて、コーベと居る時が一番楽しそうでっ……!」

 まさしく羽ばたく鷹のように、力強く想いをぶつける。こんなにも激しいウイなんて、コーベもサキも初めて見た。

自分が輪の中に入っていない時の方が、相手が楽しそうに見える。そう言っているのならば、彼女が一番辛いことは――。

「淋しいんだ。ウイは、仲間外れにされたみたいで」

「ちょっとコーベ、私はそんな気なんか微塵も無い!」

「そんなのは分かってるよ、サキ! だから言えなかった……」

 荒く立った羽根が落ち着いて、ウイの言葉も小さな声に逆戻りする。

「……サキにもコーベにも、悪気なんて無い。だから、『淋しい』って言えなかった。悪口を言ってるみたいだから」

「でも。どうしてグラビアアイドルなんかに」

「……私を見てほしかったから。このままだと二人だけで私の知らないどこかへ飛んで行っちゃいそうで、でも私の羽じゃ二人みたいには飛べなくて。だから思い切ったことをして、私から離れてほしくなかった……!」

 ウイの愛機である<ティーダ>は鷹のようだが、しかしその機体には飛行能力が無い。そして乗り手のウイはいつも落ち着いていて、自分を大きく変えることが無い。どこか別のフィールドへと、アクセルを踏んで飛び立つことが出来ないのだ。

 もしグラビアアイドルになったら、それは彼女にとっての大きな変化だ。飛行するための、二人に付いていくための羽となりうる。サキとコーベに見てもらうには、このくらい思い切ったことをしなくてはならなかった。

 しかし、彼はこのことを快く思わない。

「『離れてほしくない』っていうのは。それは逆だよ」

「……逆って、どういうこと」

「ウイが僕たちから離れていってる」

 今度はウイが息を詰まらせた。サキがコーベに追随する。

「思い切ったことをしちゃったらね、確かに飛べるよ。でもね、私たちはそもそもウイから離れていっていないの。どこにだって、私たちは行かない。ウイが勘違いしちゃったのよ。……勿論、その勘違いをさせちゃった私が悪いんだけどさ」

 モニタの前で、サキが胸に手を置く。ミルクセーキみたいな、溶けたまろやかな想い。そんな感情が、コーベやウイにも流れていった。

「ゴメンね、ウイ。私、きっとウイよりもコーベのことを無意識に考えてた。だから今度、一緒に買い物にでも行こっか」

 朝、コーベが言ったこと。朝、サキが乗った話。このタイミングだが、或いはこのタイミングだからこそ、ウイに伝えることが出来た。

 ないまぜになった感情を、頭の中で整理する。そして彼女は、サキの気持ちのせいで大きく泣いた。そうしながらゆっくりと、けれど確実に言葉を紡ぐ。

「……うん、三人一緒で行こ」

 悲しみも淋しさも無く、ただウイには嬉しさがあった。

「それじゃあ。どこいこっか?」

 いつもの調子に戻って、コーベが問いかける。釣られてウイもサキも、普段の通りに戻っていった。

「……甘いモノが、食べられるところがいい」

「甘いモノ、ね……だったら、あそことかいいのかも?」

「……あそこ、って?」

「高坂(たかさか)の方に、新しいクレープ屋さんが出来たってテレビでやってたのよ。あそこの辺りって、他にもポップコーンとかアイスコルネットとかあるしさ」

「アイスコルネット……? 聞いたことないんだけど、どんなやつなの?」

 コーベが尋ねて、サキが身振り手振りを使って説明する。

「簡単に言うと……チョココロネのパンの中に、ソフトクリームを入れたやつよ。アイスで冷えた口の中にカリカリに焼いたパンが入ってきて、一層パンが温かく感じておいしくて……とにかく、前食べた時に感動したわ」

「……おいしそう」

「そうだよね。サキの話を聞く限りだと、死ぬまでに食べないと死にきれなさそう」

「何よ、それ?」

 彼の言葉はそんなに面白くは無いはずなのに、三人して一緒にくすっと笑った。

「それじゃあ。どこに行くか決まったんだ、さっさとアスタルを倒しちゃってから行ってみよっか!」

 ウイが機体制御。サキが機体操縦。コーベが火器管制。

 今度の<T.A.C.>は、完璧なモーションで楓屋百貨店の角へと歩き出せた。


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 片肺飛行のプラズマながらも、片足で地面を思い切り蹴り、迅速に<p.α.κ.>を片目のスコープに捉える。<リズムブラスタ>をフルオート、三発目から<プライアウォール>に防がれてしまう。つまり一発目と二発目は隔てられずに届き、不意を突くことで見えない壁は破ることが可能であることを再度証明した。戦闘中は集中するので、不意打ちなんてもう出来そうに無いが。

《むにゃ……終わったのかニャ。その調子だと、もう心配は要らニャいみたいだニャ!》

「うん。おかげさまでねっ!」

 左手のライフルを撃ち尽くす前に、右手で新たな<リズムブラスタ>を受け取る。今まで使っていたモノは用済みになった際に道路へ叩きつけ、すぐに右手のヤツをぶっ放した。

《今しがたは吾輩も不意を突かれたがニャ、もう二度とその手は通じニャいニャ! その上、ニャんじ(汝)らにはもう抗う槍もそう残されていニャい……もうその武装は知り尽くしてるニャ!》

《お兄ちゃんに知り尽くされてるニャんて私……ニャニャ☆》

「イスク、だから黙ってなさいって!」

「……でも、武器だけが攻撃じゃない」

 ウイの言葉を受けアスタルがいぶかしげにこちらを見、そうしてようやく分かったらしい。<T.A.C.>がたった今使い切った方の<リズムブラスタ>は、『工事中』とバリケードが張られた道路の一区画上に打ち付けられた。そしてそのバリケードの中では土が掘り返されていて、アスファルトも一時的に撤去されている。ということは、もうすぐ――。

 水道管が真っ二つにされ、水飛沫が辺りを舞い踊った。

 その区画では、ちょうど水道管の補修工事をやっていたのだ。だからそこに何かをぶつけてやれば、ステンレス管くらいだったら赤子の手をひねるように一瞬で壊すことが出来る。

そしてそこから勢い良く噴出してくる水を利用して霧を作り、インスタントの煙幕とした。これで、前回のような不意打ちだって可能になる。

《ニャニャ……えぇい、卑怯ニャりっ! とりあえず<プライアウォール>を張って、どこから来てもこれできっと大丈夫……ニャはずだニャ!》

 いつ攻撃されてもいいように、アスタルが<プライアウォール>を展開した。しかしこの霧だ、少し回り込むだけで守備範囲外から攻撃が出来る。

「機体はひとまず、横に行かせるからっ! コーベ、やっちゃって!」

「うん。<リズムブラスタ>――」

「……ちょっと待って、向こうの様子が」

 <p.α.κ.>の方に目をやると、どうしてかその機体の周囲以外は霧が晴れていた。まるでその死神を、外界の光からかくまっているかのように――。

《違うニャ! <p.α.κ.>の周りだけ、本当に霧が晴れちゃってますニャ!》

「どういうことよ、それ? アルカ、何か分からないの?」

『そう簡単に言うなよ……! 霧が晴れてんだからよぉ、普通に考えたら蒸発したんじゃねーのか? となるとだウイ、温感センサでアイツを見てみろ』

 言われて彼女がカメラを切り替え、サーモグラフィを表示させる。すると周囲の外気温が三〇度程度なのに対し、<p.α.κ.>の周囲だけ摂氏百度を優に超えていることが判明した。しかしもう一つだけ、奇妙なデータを入手する。

「……おかしい、アスタルの近くだけ異様に熱くなってるけど、その中心部分はマイナス二一〇度を下回ってる」

『温度上昇は確認できたから、これで霧が蒸発したことの証明は出来たって訳だ! だがしかし、台風の目は高温どころかその部分だけ北極状態……じゃあよぉコーベ、どうしてこんなことが今起きているんだと思うよ?』

「えーっと。マイナス二一〇度から二二〇度ってことは、確か窒素や酸素の融点がその辺で……って、そういうことだったんだ」

「何よ、どうしたのコーベ?」

 小さくひとりごちていた彼を不審に思い、サキが声を掛ける。対するコーベは忘れないようにノートに走り書くかのように、他の二人に対し自らの仮説を口早に説明していった。

「ねぇ。最初に<p.α.κ.>の<プライアウォール>を破ろうとした時、僕がどんな仮説を立てたか覚えてる?」

「……物質の状態変化と、<カローラフィールダー>の<フィールドウォール>と同じ原理を使ってる、だっけ?」

「そうそう。それでその内どっちの仮説が正しいのかだけど、答えは『前者は結果で後者は過程』だったんだ」

『ほぉ……コーベ、つまりどーいうことだよ?』

 アルカが話の続きを促す。

「簡単に言うと。あっちは、電磁波の磁力で物質を圧縮してるんだ」

 まず、<フィールドウォール>の原理から説明する。こちらは強力な電磁波を放出して電場(電気の力が働く範囲)を形成し、コンクリートなど街を構成する物質の表面にある分子に『分極現象』を引き起こす。

 この分極現象とは、物質を構成する原子が持つ電子の位置をずらすことだ。場合によっては、電気を通さない物質に導電性を持たせる『誘電分極』という現象をも引き起こす。乾いた布でこすった塩ビ管が静電気を持つのは、この現象が理由である。

 分極現象を起こした分子はプラスかマイナスのどちらかに帯電し、その逆の電気を帯びている<フィールダー>の電磁波に引き寄せられ、元の物質から数ミクロメートル分だけ剥離される。

そうしたら電磁波の強さ、つまり分子との引力を操作することで分子を自由自在に移動させ、そして誘電分極の応用で分子一つ一つの電子の位置をいじって分子間で共有させることで、堅く結合させて(共有結合)自由自在な物質を形作る。これで『大地で出来たしなやかな壁』、<フィールドウォール>の完成だ。

「<フィールドウォール>は電磁波で作られるとして、<プライアウォール>も電磁波で作られてるってことなの? コーベ」

「うん。その通りだよ、サキ」

 彼の仮説がある程度理解できたのか、アルカがコーベに助け舟を出さんばかりに説明役に回る。

『つまり、コーベはこう言いたいんだろ。<フィールドウォール>は電磁波を『電場』として使って物質同士を繊細に結合させているが、<プライアウォール>は電磁波を『磁場』として使って物質を力技で無理矢理固めてる』

『電場』とは電力が及ぶ範囲のことで、『磁場』とは磁力が及ぶ範囲のことだ。この二つは表裏一体の存在で、電気が流れる(=電場が変化する)と磁場が発生し(電磁石)、また磁石を電線に近づける(=磁場が変化する)と電力が発生する(電磁誘導)。つまり、電場が変化すると磁場が発生し、磁場が変化すると電場が発生する。この変化を波として表したのが、まさしく『電磁波』だ。

 この電磁波は目には見えなくて、しかし空気中を伝わっていく。<カローラフィールダー>は電磁波で電場を発生させ、<プリウスα>は電磁波で磁場を発生させる。両者ともこれを使うことによって、離れたところから物質を操ることが出来るのだ。

「……でも、前回はどんな物質で<プライアウォール>を作っているのかが分からなかったんじゃ」

「見えない物質を使って<フィールドウォール>もどきを発生させるー、ってのがこの前の仮説よね? 電磁波を使ってるって点ではこれも半分正解だったけど、その『見えない物質』が何なのかは分かったの?」

 ウイとサキが疑問を投げかけてきた。<フィールドウォール>は街中のコンクリートやアスファルトを原料としているため、それ自体に薄く黄土色がかかっている。対して、<プライアウォール>は無色透明だ。前回はこの差が何なのかを判明できなかったのだが、コーベは今回ようやく正体を掴んだ。同時に、『見えない壁』の全貌も。

「<p.α.κ.>の周りの一部が氷点下二二〇度くらいだったけど。これって、無色透明な空気を固体にした時の温度だと思うんだよね」

『空気を圧縮させて密度を増やせば、その気体は状態変化を起こして固体になる……その硬度を使って、<プライアウォール>は盾として機能してるって訳だっ!』

 仮説の全てを把握したアルカが叫び補足し、コーベは応答として小さく頷いた。

 突然だが、冷蔵庫はどうやって食品を冷やしているのだろうか? この答えは、『気体を圧縮すること』にある。

 一般に、気体を構成している分子は絶えず飛び回って運動している。これは分子が動けるほど気体が密度の薄い状態だからで、またこの運動により物質は熱エネルギーを持つ。

例えば、水蒸気が熱くて氷が冷たいのはこのようなことが理由である。気体である水蒸気は密度が薄いため分子が思う存分に飛び回ることが出来るので熱エネルギーを多く持ち、固体である氷は密度が濃いために分子は身動きが取れず熱エネルギーをそれほど持てない。液体である水はこの二つの中間の状態だ。

 このことを逆手に取った法則が、『物質を圧縮すれば温度が下がる』ということである(熱力学第一法則の一部)。冷蔵庫に話を戻すと、あの機械は気体の状態にある冷媒を圧縮することによって冷気を得て、それで食品を冷やしているのだ。

 では、物質が元々保有していた熱はこの際どこに消えるのか? それは物質の外部だ。つまり全体としてみると、熱エネルギーが物質の内側から外側へと逃げていることになる。冷蔵庫を外から触ったらほんのりと温かいのは、このことが理由である。

 さて、<プリウスα>と<p.α.κ.>の持つ特殊技である<プライアウォール>について。本来『空気』という物質は密度が薄くて硬度なんて微塵も無いのだが、電磁波により発生する磁場が及ぼす磁力を使用して圧縮することで、密度が濃くなって弾丸を通さないほどに硬くなる。

 この硬くなった空気だが、密度が高くなったことにより状態変化を起こして固体となったのだ。

 過程だけだが、要は冷蔵庫と同じ原理である。気体を圧縮させることにより、冷蔵庫は冷気を得るが、<プライアウォール>は硬度を得る。もっとも、冷蔵庫が圧縮した気体に硬度が要らないことと同様、<プライアウォール>自体に冷気は必要無かったが。

 霧が晴れたのはこの影響である。空気を構成している物質は主に『窒素』と『酸素』だが、『融点』(物質が固体になる温度のこと。例えば水の融点は零度で、この値を下回ることで固体である氷となる)はおおよそ前者がマイナス二一〇度、後者がマイナス二二〇度。ちょうど現在の<p.α.κ.>周辺の気温と同じ値だ。つまりそれほどの熱量が外部へと逃げてしまったため、結果として霧はその熱により蒸発してしまったことになる。

 最後に答え合わせをしようと、ちょうど他の霧まではっきりと晴れた頃、コーベはアスタルに訊いてみた。

「ねぇ。<プライアウォール>のカラクリだけど、『電磁波で空気を圧縮して固体にする』ってので合ってるかな?」

《ふにゃ? え~っと、いちたすいちはかニャり速そうに飛んでる飛行機で……つまりはそーゆーことだニャ! って、ニャんでそんニャことが分かったのだニャ?!》

「いや。だってアスタルの周り晴れてたし」

「はたから聞くと意味不明よね、その言葉……」

 サキの突っ込みも去ることながら、結局濃霧の中で不意打ちすることも無く戦闘が再開してしまった。<プライアウォール>の原理を暴くためには必要な時間ではあったが。

《しかしだニャ、そんニャことが分かったところで<プライアウォール>が破ける訳ではニャい(無い)ニャ! 食らえ、<ディスタンスイグノアラ>!》

 手持ちの鎌を折り畳んでカービン銃にし、<p.α.κ.>が銃弾を浴びせてきた。連続する重低音の銃声が、彼ら三人を冷酷に襲う。

「ったく、容赦無いんだから!」

「……とりあえず、これをどうにかしないと」

「ここで仕切るよっ! <フィールドウォール>!」

 コーベが叫ぶとシステムが作動し、間髪入れずに薄くしなやかな壁が出来る。<プライアウォール>が絶対の硬さを持っているのに対し、こちらの取り柄は柔軟さだ。<フィールドウォール>はパラボラアンテナのように面が曲線を描いており、雨あられと降りかかってくる銃弾を全て受け止めていた。

《えぇい、その壁が邪魔だニャ! 一思いに貫通しニャいと! <ルームアルファ>を起動して、<ディスタンスイグノアラ・ラグドール>を<オーバーファイア>だニャ!》

 こちらの右目を撃ち抜かれた時と同様、<p.α.κ.>の装甲がスライドして排熱効率を上げてくる。そしてカービン銃をライフルの形にして――。

《<フィールドウォール>じゃ、お兄ちゃんの攻撃を防ぎきれませんニャ!》

「そんな、じゃあどうしろって――!」

 サキの言葉は中途に、一瞬の衝撃の後、<T.A.C.>の胸が撃ち抜かれた。ひしゃげた装甲が修復不能状態にまで陥る。風穴の大きさは三〇センチメートルもあり、<アクセラ>の流れるようなバンパーがひどく傷付けられてしまった。

「……<アクセラ>のエンジンがパフォーマンス七割減少、というかサキとコーベは……!」

「私は大丈夫よ、ウイ。で、コーベは……」

「うん。当たり所が良かったみたい」

 搭乗者は三人とも無事。しかし、機体の方が被害甚大だった。機体の出力が半分程度にまで落ちる。<フィールドウォール>も<ルームアルファ>の威力の前には紙粘土も同然で、易々と貫通されてしまった。

《お兄ちゃん、私を貫通するニャんて……☆》

 こいつはどうでもいい。

 ひとまずコーベは、もう使い物にならなくなった<フィールドウォール>を解除する。今すべきことは、第二波に対する回避運動と――。

 波?

「あ――気付い、ちゃった」

 手から雫が零れるように、彼が意図せず呟いた。先ほど繋がった全ての思考が、この時ようやく流れ始める。

 急に様子を変えたコーベを心配してか、アルカが声を掛けてくる。しかしそれも、アスタルが容赦なく遮った。

『おい、どうしたコーベ? さっさとしねーと、お前次こそはガチで銃弾食らって……』

《まだ動くみたいニャね……もう一発<ディスタンスイグノアラ>、<オーバーファイア>だニャ!》

「ヤバい、このままだとやられるわよっ!」

「……コーベ、防御して!」

 すぐさま確認、弾薬は残り五つ。猶予は無い、全て使ってしまえ。

 あの『見えない壁』を溶かすために。

「こうして……そしてっ! <リズムブラスタ>、<オーバーファイア>!」

 スナイパーライフルよりも早く、アサルトライフルが咆哮を上げる。相当の加速を受けながら五つのリズムが等しく刻まれ、どれもが<p.α.κ.>へ向けて飛び立つ。しかし、隔てるは<プライアウォール>が存在し――。

 見えない壁は打ち消され、五音は長銃身の中へとダイブした。

「……え?」

「何……何が起きたのよ?」

《ニャ、ニャんだとぉっ!》

 アスタルだけでなく、ウイとサキまでもが驚愕した。<プライアウォール>をパスして<ディスタンスイグノアラ>に命中、内部で爆発し、そのスナイパーライフルを使用不能にさせたのだ。この美しい花は一体、どんな魔法を使ったのか?

 気付くことが出来たのはアルカ。

『まさか……コーベ、お前逆位相の波を?!』

「ご名答。<フィールドウォール>も<プライアウォール>も、原理は同じ『波』だから。逆位相の波を当ててやれば、一発だよ」

 波には『位相』というモノがある。振動状態を表す量で、分かりやすく言うと波の『山』と『谷』の位置のことだ。二つの波を比較した時、位相が完全に一致することを『同位相』、山と谷が正反対の位置にある状態を『逆位相』と呼ぶ。

 二つの波がこの逆位相である場合、山と谷が重なり合うことで平衡し、波は互いに『打ち消し合う』。音楽プレーヤーのノイズキャンセリング機能はこの理屈を応用していて、周囲の雑音とは逆位相の音波を意図的に発生させることで打ち消している。

 そして、電磁波は『波』の一種だ。

 <フィールドウォール>を解除する際は電磁波の放出を止めればいいだけで、それは<プライアウォール>を消す時も同じ。つまりは<プライアウォール>の電磁波を打ち消すだけでいいのだ。

<フィールドウォール>はその柔軟性ゆえ、自らの使う電磁波の位相を自在に変更することが出来る。これを<p.α.κ.>の電磁波の逆位相に設定すれば、簡単に打ち消すことが可能なのだ。ノイズキャンセリングで例えると、<プライアウォール>を形成する電磁波が雑音で、<フィールドウォール>を形成する電磁波が意図的な音波となる。

<p.α.κ.>より放出された電磁波とは逆位相の電磁波を<T.A.C.>が放出することにより、<プライアウォール>の空気圧縮に使用されていた電磁波を強制的に打ち消して、空気の密度を高めて固めていた要因を消してしまう。こうすることにより、コーベは<プライアウォール>を破って見せた。

「さて。折角<プライアウォール>が無くなったんだから、向こうの<ルームアルファ>が続いてる内に近接戦をやるよっ!」

《かしこまりました、<ミルメイス>を投下しますね☆》

 イスクがちょちょいと操作して、上空にてずっと待機していた輸送機の胴が開く。最後の力を振り絞って、<T.A.C.>がその武装を受領した。細いマドラーの形をした持ち手は、力強く握る。

「さぁ。やってみようっ!」

「了解、コーベ!」

「……分かった、プラズマ放出!」

 五〇パーセントのエンジンを、騙し騙しでこき使う。残っている右の鳥趾で地を蹴り、<p.α.κ.>に向けて拙く歪な加速を始める。両手の<ミルメイス>は、いつぞやと同じく脇構え。

《く、来るニャぁっ! <ディスタンスイグノアラ>を<バリニーズ>、<オーバーファイア>ニャっ!》

 まだ<プライアウォール>が破られたことに順応しきれていないのか、半ば怖気づきながらアスタルがその鎌を薙いだ。照準もロクに合わせていなかったその攻撃だが、運悪く<T.A.C.>の右大腿に命中してしまう。片方の脚をごっそりと、彼らは斬り落とされてしまった。

「しまった。これじゃウイが運転席ごと分離されて……!」

「……いや、私はまだ二人と繋がってる!」

 日本車であることが幸いした。<ティーダ>の運転席は右ハンドルで、合態時にはそれが左膝の部分に来る。鳥趾は両方とも削がれてしまったが、膝は片方だけ健在だ。

 だから、ウイは独りでは無い。

 アスタルが<ルームアルファ>の解除よりも先に、<バリニーズ>で攻撃したのは正解と言えよう。勿論<ルームアルファ>が発動していては、近くが見えなくて格闘戦がまともに出来ないが、しかしこれを解除するにも数秒のタイムラグが生じる。

その間にも、接近する<T.A.C.>が目と鼻の先に来かねないのだ。そんな状態に陥るよりは、一瞬で終わる<ディスタンスイグノアラ>のモード変更に時間を割いて、僅かな可能性にかけて鎌を振り回した方が生存確率は上がる。

 と言っても、アスタルが勝利する未来はどのみち残されていない。

「……足が無いなら!」

「飛ぶのみ、よねっ!」

 プラズマをまだバーストさせて、<T.A.C.>が最後の飛翔。踏ん張る足は、空中ならば必要無かった。こちらの右目はもう無いので、左目でその黒猫を見下ろす。鎌が再び振られる前に、敵の頭より少し上まで。

『三次元の攻撃だ、そのAIじゃあ予測出来ねぇよなぁっ!』

 相手に至上の絶望を贈りたく、吐き捨てるようにアルカが大きく煩(うるさ)く叫ぶ。

<ルームアルファ>の欠点は、近くが見えないために周囲の状況が掴めないことだ。平面的な二次元戦闘ならばこのデメリットも武器を振り回しているだけで解決するが、空を飛ばれたら手が出ない。垂直方向に対しZ軸が加わるだけで、存在する座標は二乗分から三乗分にまで増えるのだ。こちらがどこに居るかなんて分かりっこ無い。

《どこだニャ、三人はどこに居るのだニャっ?!》

《ここですニャ、お兄ちゃん☆》

 イスクが親切に居場所を教え、けれどそんなモノはアスタルに伝わらない。だって、見えないのだから。

 あの<プライアウォール>は今消えた、隔てるモノは何も無い。

右肩の上まで<ミルメイス>を担ぎ、腕のバンパーが膨張する。

 シフォンケーキのようなドラム部分が、口を開けるように割れて開いた。中に入っていたのは一回り小さな、タンブラーのような黒い長筒。ブラックコーヒーと同じ色をした。

 目いっぱいにその身体を捻り、込める力を最大にする。

 空は雲間から陽光が差す。

『天使の梯子(はしご)』が、死神を照らした。

「……回転開始、エンジンは保たせる!」

「振り下ろしは、もう最高に出来るっ!」

 ドラム缶のような『臼(うす)の鉄槌』が、掻きまわすような回転を始める。

 鷹の片脚が全てを制御し、騎士の両腕が限界を超える。

 ウイとサキのその想いは、一人の花に託された。

「やって仕舞うよっ! <ミルメイス>――<オーバーファイア>っ!」

 振り下ろしたその鉄槌は、黒猫へと直ぐに落下した。

 運動エネルギーがピークに達して、肩から<p.α.κ.>を削ってゆく。

 きゅるきゅると、きゅるきゅると。

 まるで、世で最硬のダイヤモンドを研磨するよう。

「<p.α.κ.>を挽き殺すっ!」

 シフォンケーキが口を閉じて、相手の足腰が食べられた。

『舞われぇぇぇっ!』

 サキ、コーベ、ウイの三人で、思うままにその言葉を放つ。噛んだ状態で<ミルメイス>は回り、<p.α.κ.>の削りカスを舞い散らした。

 上下のケーキだけではなく、中味のコーヒーにもすり潰される。

 だから、残るは右腕と<プリウスα>の部分だけだった。

《ニャぁぁぁっ! 吾輩の<パストノッカ>がぁぁぁっ!》

『なにトラック壊されたくらいで叫んでんだよ、お前はどこぞのトラック野郎かっ?!』

 <p.α.κ.>を壊されたアスタルに対しアルカが平然と突っ込んでいるが、一方の<T.A.C.>は大変だった。相手を倒したことで目的を達成した<ミルメイス>だが、その威力故に制動が利かない。遂には<アクセラ>部分が肩から壊れ、腕が完全に分離してしまう。物理的に一回しか使えない、諸刃の剣。これが<ミルメイス>の弱点だ。

「あぁ、また私の<アクセラ>がっ!」

「……ま、皆のクルマもボロボロだから」

「ドンマイ……かな?」

 サキがウイとコーベに励まされている間にも、アスタルの方は<パストノッカ>を失った悲しみから一時的に復帰していた。

《えぇい、今回吾輩が敗北したことは認めてやるニャ! でもニャ、これで吾輩が負けたという訳じゃあニャい(無い)ぞっ!》

「……矛盾してる。日本語でお願い」

《う……ウイ、それはいいんだニャ! とにかく、吾輩はこれで我が拠り所である冥府の門へと一旦転進するのだニャ!》

「つまり、逃げると」

《ニャニャ~! サキ、余計ニャことはいいんだニャー!》

 厨ネコが中学生っぽくぷりぷりと発狂しつつも、<プリウスα>を合態から車態へと変形させる。やはりウイとサキにとって、アスタルをいじることはとても楽しい。

《っとと、最後に一つ言っておくニャ》

「うん。どうしたのアスタル?」

 コーベが受け答えをしたが、どうやら黒猫も彼に伝えたかったらしい。

《ここで終わるつもりじゃニャい(無い)のだよニャ?》

「そのつもり。僕はまだ、やることがあるから」

《そうか……ニャら、いいのだニャ》

 そう言い残して、アスタルは去っていく。追いかけようにも、機体がボロボロな彼らにその術は無かった。


 損害は酷い。<カローラフィールダー>と<ティーダ>は後部左側がごっそりと持っていかれ、うち後者はバックドア(合態時の鳥趾部分)まで喪失。<アクセラ>に至ってはボンネットと本体が分離して、目も当てられない姿に成り果てていた。

 とりあえず外の空気が吸いたくて、三人はそれぞれの運転席から脱出する。目に飛び込んだ光景も悲惨だ。えぐられたアスファルト、焼け焦げた壁、銃創を刻んだ楓屋百貨店……どうせいつものことで人々は避難しているのだろうが、それでもこの被害は彼らの心をちくりと刺した。

 コーベが他の二人に目を向けると、少し離れたところで既に向かい合っていた。いや、ウイがサキに身体を預けているのか。

「……サキ、私が分かってなかったんだ。ゴメン」

「いいのよ、そんなことは。今こうして、私がウイのそばに居てあげられるんだから」

 そんな会話が聞こえてきて、彼は思わず肩の力を抜いて溜め息をついた。ひとまず、今回の件はこれにて一件落着だ。

『おいコーベ、被害状況を……違うな、それはこっちでもある程度は把握してるんだ。お前らの回収に必要なトラックは何台だ?』

 通信機から、アルカの声が聞こえてくる。仕方が無いので、コーベは自分が応答をすることにした。

「アルカ。少しは空気読まない?」

『何のことだよ……? 俺はただ、お前以外の二人と通信が繋がらなかったからお前に掛けてるだけだ』

「そっか。なら、一応は空気を読めてるんだね」

『だから、一体何のことだか』

 とりあえず、今ちょうど綺麗にまとまりつつあるあの友情を変態イカレ科学者に蹂躙させたくなかった。

「トラックは。武器も多く使ったし被害も大きいから、とりあえず中型を五、六台くらいお願いできる?」

『オーライ、イスクは準備をしておけ!』

《かしこまりました、ご主人様! コーベくんも、もう少し待ってて下さいね☆》

「うん。お願いするよ」

 イスクが機体・武装回収用トラックの準備を進めている間に、アルカがぼやき始めた。

『にしても機体の状況が大まかにはこっちにも分かるんだがよぉ、お前ら今回は格段と派手にやってくれたな……』

「修理は。やっぱり大変そう?」

『修理ってよりは、作り直しに近くなりそうだ。特に<ティーダ>なんかはやられた箇所が箇所だし、もう車種が変わるレベルだな。<アクセラ>はまた装甲を総とっかえするとして……』

 ぶつぶつと呟き始めた彼に、とりあえずコーベは労いの言葉を掛けてやる。

「直してくれるのはありがたいけど。アルカ、無理だけはしないようにね」

『心配は無用だ、俺はまだまだ働けるっ! そんなことよりもだなぁ、無理すべきじゃねぇのはお前の方だろーが、コーベ?』

「あ。アルカは分かっちゃったんだね、さっきのアスタルの言葉」

 彼がそう返したものの、アルカの返事ははっきりとしたモノでは無かった。

『やっぱ何かあるのか。具体的なことはお前から後で聞こうとでも思うんだが……とりま、お前はさっき『まだやることがある』とか言ったろ?』

「そっか。その言葉だけでも、無理しすぎないようにっては言えるんだ」

 彼は少しだけ、墓穴を掘ってしまっただろうか。黒猫の言葉の内容までは、アルカも分からなかった。だというのにコーベは今しがたのセリフを零してしまって、結局彼の本意をアルカにも教えることになった。

《はいは~い! 私にだったら、お兄ちゃんの言いたいことニャらばニャんでもお見通しですニャ☆》

 トラックを遠隔操縦しながら、イスクが会話に参加してきた。

「ねえ。やっぱりイスクも、アスタルみたいに人の心が読めたりするの?」

《当然ですニャ! ネコはみ~んニャ、ヒトの考えていることを見ニャがら行動してるのです☆》

 元気よく答えてくれる。彼女ならば多分、今回の件だって最初から全て把握していたのだろう。そこを敢えて、コーベに解決させようとした。

 だからこそ、彼はそのネコに尋ねてみる。

「イスク。僕のやろうとしてること、どう思う?」

《ムニャニャニャニャ……難しい質問ですニャ。そうですね、私としては――》

 丁度そのタイミングで、イスクのトラックが到着する。

『きっと、コーベくんだから大丈夫だと思いますニャ!』

「そう。ありがとう、自信がついたよ」

 短く礼を言って、三菱ふそう<ファイター>の助手席へと乗り込む。

 今のサキとウイは、一時的に関係が修復しただけに過ぎない。

 コーベはまだ、気分が悲しい状態のままだった。


oveR-07


「おうよ、お疲れさんだなぁっ! 今回は派手に壊してくれたが、<p.α.κ.>を遂に打ち破ったのも事実だ!」

「……じゃあ、今度でいいから奢って」

「結局、教授職に求めるモノはそれかよっ?!」

 珍しく地下ガレージにまで迎えに来てくれたアルカだったが、ウイの一言でノックアウト。学生は皆、一番身近な社会人である教授という名の『うちでのこづち』に食費を払ってもらうのが最も嬉しいのである。

「で。アルカ、ここまで来てくれたのは僕たちを褒めるためだけなの?」

「んな訳ねーだろーがよぉ、コーベっ! 機体の修理について話があるに決まってんだろ!」

「やっぱり。不自然だと思ったんだよ」

 普段のアルカといえば、ただパソコンに向かって三人に対し偉そうに指示を出すだけの簡単なお仕事しかしないような科学者だ。だから彼とガレージで話す機会なんて、コーベの記憶では片手で数えるほどしか無かった。

「んで、具体的にどんな話なのよ?」

 面倒臭そうに話を促すサキだったが、次のアルカの言葉で態度を一変させた。

「まず<フィールダー>はさほど改修も無く、<ティーダ>については小改造を施して……でもサキは喜べ、<アクセラ>をまたモデルチェンジさせっぞ!」

「ほ、本当にっ?! 今の私の愛車の次のモデルってことは、まさか――!」

「あぁ、そのまさかだなぁっ!」

 ついさっきに壊れるまでサキが乗っていた<アクセラ>は、通算して二代目のモデルだ。曲線を多用した『流』フォルムが特徴的だが、しかしこれは現在から見て一世代前のモデル。現行モデルと言ったら、もう『アレ』しか残っていない。

「んで、サキにはもうちっとばかしデザインについて意見を聞いておきたいんだが、構わねぇよな?」

「ふぇ? そりゃ、勿論いいけど……」

「アルカ。サキだけを捕まえるのはどうしてかな?」

 コーベの問いかけに対し、彼はしれっと答える。

「んなの、デザインにうるさいのがサキくらいしか居ないからに決まってんだろが」

『……あ~』

 コーベだけならず、ウイにまで納得された。確かにサキはバブル時代の若者よろしく車に対する異常なまでの執念を抱いており、こと可変自動車に関しては人態のデザインまで彼女の意見を反映させなかったら後が怖い。対して他の二人はアルカにお任せもいいところなので、サキにだけ意見を聞くのはまぁ当然のことだった。

「そっか、デザインにこだわるのは私くらいなのね……うん、分かったわ。コーベとウイは、先に行ってて」

「……分かった」

「じゃあ後で。すぐに終わるよね?」

「えぇ、多分ね!」

 このままガレージで待っていてもしょうがないので、コーベはウイと一緒に五階にあるアルカの研究室へと向かった。


 もう空は晴れ渡っていて、加えて今は夕刻だ。朱色の日差しが斜めに入り、その踊り場を無音で照らす。二人で階段を登っていると、コーベが声を掛けてきた。

「さっきの話。今ここでするのもなんだけど……」

「……?」

 彼が振り返り、ウイと向き合った。二人の視線は、階段の踊り場で交錯する。止まったような、ゆるやかな時間の流れ。そうして次に出てきた言葉は、どこか今更なモノだった。

「ゴメンね。今まで、仲間外れにさせちゃって」

「……ううん。それは、私の勘違いだって」

「でも。ウイにその勘違いをさせるようなことをしちゃったのは、事実だから」

 コーベの表情は、いつも優しい。今もその通りで、彼女の心に安らぎを与えてくれた。包み込まれそうな優しさ。

「……コーベは、何もしてない」

「それじゃ。まるで全部サキが悪いみたいな言い方だよ」

「……イジワル」

 不貞腐れるが、不快感は全く無い。彼の意地悪だって、悪意は微塵も含まれていなかった。

「僕がウイを見ていなかった。このことが、紛れも無い事実なんだ」

 そんな彼の表情が曇る。彼女に向けられていた視線を逸らし、申し訳無さそうに目を伏せた。

 対して、二人には夕陽のスポットライトが当てられている。

 ここ数日、三人で居る時のコーベは大体サキとばかり会話していた。これは彼女が彼へ事あるごとに話を振っていたためであるが、だからと言ってサキのせいでは決して無い。話題の途中でウイに話を振ることだって、コーベにはいつだって可能だったのだろうから。

「……でも」

 会話に混ざろうとしなかった自分も悪い、とウイが言い返そうとする。二人からは『ウイが自分から離れていっている』と指摘された。このことはつまり、彼女が積極的に二人の間に入ろうとしなかったことを指している。悪いのは、やはり彼女の方だ。

 しかしそう言い返そうとしたところで、唇をコーベの人差し指で塞がれた。

「言わなくていいよ。分かってるだけで、いいんだ」

 外の暑さとは違う温もりが、彼女の口元を支配する。今度は柔らかく笑ってくれた。そのセリフが嬉しくて、ウイは思わず落涙しそうになってしまう。

 そしてそれを引き留めてくれたのも、コーベだった。

「――僕は見てるよ。ウイのこと」

 蕾(つぼみ)のように、彼女は花びらに優しく包まれる。

 その花の色は、多分夕陽と同じ朱色だ。

「……えっ?」

 ウイはこの時、コーベに抱き締められていた。

 目を大きく見開く。頭の中が熱くなる。何が起こっているのか、彼女は一瞬分からない。ようやく回転が追い付いた時に、彼の温もりを直に感じた。

 他にコーベは何も言わない、ただ感触だけが伝わってくる。

 離れていくことを許してくれない、とても強く抱擁される。

 優しくて、柔らかくて、暖かい。

 これを、彼女は欲しがっていた。淋しさを紛らわせてくれるモノ。独りだったウイを覆ってくれる、彼の華奢で繊細な右腕。

「……ありがと」

 このくらいしか口に出来ない程、彼女の胸は詰まっていた。悩んでいた気持ちからの解放と、初めて感じる彼の温度。

 今この瞬間がずっと続けばいいな、と思った。

 二人の邪魔をする音は無かった。静寂が、時間の停止を醸し出してくれる。まるでガムシロップのような、甘くて流れない時間軸。この瞬間は、彼女はそれのプールに浸っている。

 幸せな笑みを零しながら、ウイはコーベにそっとその身体を預けた。


 見てしまった。

「これ、って」

 アルカとの話もすぐに終わって、サキは急いで二人を追いかけていた。そしてようやく追いついたと思ったら、この光景を見てしまった。コーベとウイが抱き合っていたのだ。

 何が起こっているのか、彼女も一瞬分からない。

 ウイとコーベ、そしてサキは、『記憶喪失』という共通点の下に集まっただけの普通の友達だ。少なくとも、サキはそう思っている。ただ少しだけ、彼女がコーベに対して恋愛感情を抱いているという点が付加されただけの。

 コーベとウイは抱き合っている。先ほどあんなことがあったばかりなのだから、もしかしたらちょっと慰めているだけかも知れない。あの植物のことだ、どうせウイに『好き』だとか適当に言ってはああして彼なりに頑張っているのだろう。二人がそういう関係だと考えるのは早計だ。第一、そう考える根拠が無い。

 ウイは、とても幸せそうだった。

 とろけるような、甘い表情。あの状態を、サキは知っている。かつて彼女も感じた、あの時と同じ感情。今にも感情がバーストしそうで、いつか嬉しさで泣き出してしまいそうな。

 ――ウイも、コーベのことが好き?

 信じられない、という訳では無い。全く想像していなかったのだ。ウイにとってのコーベは、一人の友達。今までそう思っていたのに、目の前のウイの笑みはそんなことを否定している。

 ふと、サキにとっての二人が何なのか気になった。落ち着いて考える。

 まず、コーベ。あの七月の夕方から、サキにとっての彼は好きな人となった。今のところは、それ以上でもそれ以下でもない。友達よりも、もう少し踏み込んだ感情を一方的に抱いている。

 そして、ウイ。彼女は女性としてとても可愛らしくて、人と話すのが苦手だから放っておけなくて、困った時の味方になってあげたくて。疑う余地も無く、サキにとっての彼女は友達だ。

 コーベほど、ウイのことが『好き』では無い。

 そんなことを考えた自身に、サキは激しい嫌悪感を抱いた。

 軽い眩暈(めまい)を覚える。友達に対し、優劣を付けてしまった。これは決してやってはいけないことだ。自分のことを友達だと思ってくれている相手に対して、とても失礼なことである。

 コーベは言っていた、『二人のことが好きだ』と。

 彼は、ウイとサキに優劣を付けていない。

 こんな最悪な思考を経て、彼女は自分がどれ程ウイのことを見ていなかったのかを理解できた。

 あの時――コーヒーショップでウイに相談を持ち込まれた時に、もっと優しくしてあげられたら。

「あ……」

 最早、うめき声しか出せない。

 二人に対して等しく好きと思えるから、コーベはウイにあんなことが出来る。サキには、到底出来ない。ウイを見てあげることすら出来ない。だって、ウイよりもコーベのことが好きなのだから。

 それとも、コーベが彼女よりもウイの方が好きなのだろうか?

 どちらでもいい。どちらにしろ、今回の件はサキのせいなのだから。

 友達の片方を好きだと感じたから、もう片方の友達をないがしろにした。前者がコーベで、後者がウイのこと。ならばそのないがしろにされた友達がひがむのは、至極当然のことでは無いか。

 そして彼女をないがしろにした人物こそが、サキだ。

 コーベのことを『好き』になったから、サキはウイを見捨ててしまった。

 気が付くと音も無くその場を去って、空き教室で泣いていた。

「全部、私なんだ……っ!」

 ウイを悲しくさせてしまうんだったら、コーベのことなんて好きにならなければよかった。

 今からでも、きっと遅くは無いだろう。

 この感情を、隠すだけでいいのだろうから。

 サキの頭の中には、『お姫様の部屋』という領域がある。身の回りの環境のことが嫌になった彼女が作り出した、想いを閉じ込めるための部屋。他人にぶつけると不幸にさせてしまうから、サキの主張や感情は全てここに隠している。

ここにしまった感情は、二度と出てくることも無い。誰に影響を与えることも無く、世界を平穏に回すため。そのために、彼女はこんな部屋を作った。

周りの都合に振り回されて、王子様が居なければ自分で抜け出すことも出来ないお姫様。彼女はまるでそんなお姫様のようで、彼女の感情もそれと同じだ。

 今。コーベへと向けたサキの感情が、ウイを不幸にさせてしまった。

 だからとりあえず、彼女は自分の気持ちを『お姫様の部屋』に閉じ込めた。


oveR-Ext.


 <メックス>の更なる論文を提出するため、タクは彼の部屋へと立ち寄ってみた。いつもだったら電話かメールか、或いはこっそりと会っている。こうして彼が研究室を直接訪問するなんて、滅多に無かった。

 ドアを三回ノックして、自らの名前を名乗ってみる。

「こんばんは。タクだけど、今いいかな?」

「戸に書いてある表示、見えないのかお前?」

 苛立たしげな、相手の声。研究の山場だったりしたのだろうか。取り込み中なのに悪いことをしたな、とタクは考えながら、言われたドアの表示とやらに目を通す。そこには次のように書かれていた。

『新機体開発中により面会謝絶』

 やや殴り書きなのが、まさしく彼らしい。

「ゴメンね、悪いことをしちゃったかな。それじゃ、頑張ってね」

 そう言い残して、タクはその場から立ち去って行った。

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