ハイエルフぐっちょんぐっちょん物語

 「いやあ、ちょっとはしゃぎすぎちゃいました」

 「はは、久しぶりだったからな」

 小一時間ほど経ってから、ふたりは仲良く戻ってきた。

 ミフネがアイシャをおんぶしていた。楽しそうである。

 「あははは、ありゃ、クムクムさんや、浮かない顔ですね」

 アイシャはミフネの背中から降りながら言う。

 「またあの異世界人に交尾をせまられたんですか」

 彼女はおれを指さす。

 「やめてくれ!」

 「アイシャ、ちょっと話がある」

 クムクムはアイシャを部屋の隅に引っぱっていって、何事かささやく。

 「ま、まじっすか……」

 にこにこしていたアイシャの顔が急速にひきつっていく。

 「イーライ学長がここに向かってるって、たしかですかそれ」

 「あのにおいの組み合わせはほかにないと思う」

 「な、なるほど……」

 アイシャの顔がさらにひきつる。

 「あの痴女、香水の趣味が悪いですからね」

 「痴女ですと!」

 おれは聞き逃さなかった。

 「ち、痴女がここに来るんですか!」

 「あーもう! おまえは黙ってろ!」

 クムクムが毛を逆立てる。

 「痴女と聞いて興奮せずにおられようか!」

 「何事だ? おい、戦闘か? 戦闘なのか?」

 ミフネがうれしそうに指をわきわき動かす。

 「どこが戦場だ? 敵は誰だ?」

 「いや、戦闘はないっす。ハイエルフが来ます」

 「チッ」

 ミフネは舌打ちする。そして吐きすてるように言う。

 「あのハイエルフの脂身どもかッ!」

 「脂身ってあんた……」

 アイシャはそういいつつも笑う。



 「さて話を戻すが……痴女がくるのか? クムクムさん」

 おれはクムクムを見た。

 「キリッとした顔で何を言うかと思ったら……」

 彼女はげんなりした顔をする。

 「来ますよ。すごい変態ハイエルフ女が。……わたしの上司ですが」とアイシャ。

 「変態エルフ女!」

 「ド淫乱ですね」

 「ド淫乱!」

 「ぐっちょんぐっちょんです」

 「なんですと!」

 おれの手は自然にガッツポーズになる。

 「ぐっちょんぐっちょん……! ついに!」

 「なにがだ……」

 と、呆れるクムクムさん。

 「なにがついにだ! 意味がわからん!」

 「ぐっちょんぐっちょんの淫乱エルフ! 万歳!」

 おれは喜びを表現するためにダンスをはじめた。

 「万歳!」

 「あはははは! なんですかそのキモい動きは!」

 アイシャがおれの喜びの踊りをみてゲラゲラ笑い出す。

 「……なあ。なんでこんな奴を召喚したんだ?」

 ミフネがおれを指さし、クムクムに問う。

 「正直なところ、わたしも自分にそう聞きたい」

 クムクムはおれの情熱的なダンスをみて言った。

 「こんな奴を召喚するために、この世界のジャガイモ汚染がまた一歩進んでしまったとは、わたしとしたことが」

 「失敗だったとしか言いようがないな。優秀なおまえにしてはめずらしい」

 「こいつのいた世界はとても文明が発展していたのだ。だから、連れてこれば少なくとも損にはなるまいという判断だったのだが……」

 「こんな種族がどうやって文明を?」

 「わからん……」

 クムクムとミフネはそんなことを話していたが、おれの心には響かなかった。おれの心は痴女エルフのことでいっぱいだったからだ。

 ついに、おれの異世界ハーレム生活がスタートである。

 「あはははは、やばい! あーおなかいたい」

 アイシャは笑いすぎて窒息しかけていた。喜びの踊りがこんなにウッドエルフのツボに入るとは思わなかった。これでアイシャとの友好度もアップである。



 「げっ……足音が」

 笑っていたアイシャが凍りつく。

 おれには何も聞こえない。

 「思ったより早いな」

 ミフネは指をボキボキと鳴らす。

 「こっちに来てます……あの足音はまちがいなく……」

 アイシャはそう言うが、あいかわらずおれには何も聞こえない。

 「み、ミフネちゃん、じゃなかった中佐どの、ケンカしたらダメですよ」

 「名前で呼んでくれていいんだがな」

 ミフネはちょっと寂しそうに言った。

 「大丈夫だよ。もうハイエルフとの戦争は終わったんだ。戦いはしない」

 「よかったです」

 「たぶんしないと思う」

 ミフネはアイシャから目をそらす。

 「しないんじゃないかな」

 ミフネはそう言いながら足をもちあげ、ブーツのかかとを床に打ちつける。鋭い音を立てて、つま先から牙のような形の刃が飛び出す。

 「まあちょっと……覚悟はしておいてくれ」

 彼女はその刃に油っぽいむらさき色の液体を塗り、ブーツの側面をなにやら操作して刃をしまいこんだ。仕込み武器のようだ。

 「やめろやめろ!」

 クムクムがどなる。

 「ここは武器の持ち込みは禁止だと条約で決まっているだろう!」

 「なあに、武器じゃないさ、ただのブーツだ」

 「あははは、いま、毒塗りましたよね」

 「わはははは、目の錯覚だ」

 アイシャとミフネは笑いあうが、目は笑ってない。

 「そ、そんなにハイエルフとダークエルフって仲悪いの?」

 おれはクムクムにそっと訊く。

 「悪い」

 「ミフネさん、戦う気なのかな?」

 「いまのところは冗談半分だろう」

 クムクムは腕組みをしてうなる。

 「だが相手の出方しだいでは……冗談で済まなくなるということもな。このあたりでは、ハイエルフとダークエルフの抗争なんて珍しくない」

 「治安悪いのか……」

 「このへんはちょうど両方のナワバリの間だからな。犯罪が起こっても平等に裁かれなかったり、もみ消されたりすることもあるんだ。ハイエルフの裁判所で死刑を宣告された者が、ダークエルフの軍法会議では無罪とかな」

 「うはあ」

 「法が機能してないから、もめ事が起こると抗争になるんだ」

 「ま、まあ、大丈夫ですよ!」

 アイシャが引きつった笑顔で言う。

 「ミフネちゃんも責任ある身ですから、あとさき考えずにトラブルを起こしたりはしませんよ。ですよね? ミフネちゃん」

 「どうだかなぁ……約束はしかねる」

 ミフネは目をぎらつかせてくつくつと笑う。

 「は、はははは……おいおい、大丈夫なんだろうな?」

 「たたたたぶん大丈夫ですよ。それに、イーライ学長も素人ではありません。戦闘魔法の達人ですから。とくに破壊魔法については天才的です。えへへ」

 アイシャは笑いながらじわじわと出口の方に移動する。

 「だから、もし戦闘になったら、この建物ごと……というか丘ごと吹っ飛びますから、心配してもムダです。わっはっは……」

 「自分だけ逃げる気か!」

 「あははは。ちょっと族長が病気だといまわかったので森に帰りますです」



 「あらあら、みなさんお揃いで楽しそうですわねえ」

 アイシャが部屋からさりげなく出ようとしたとき、その声が聞こえた。

 甘やかでのんびりとした声だった。それから、小柄な女性が顔を出し、優雅なしぐさで部屋に入ってきた。

 「げえっ、学長!」

 アイシャはそう言ってから、姿勢を正して丁寧にその女性に挨拶した。

 「……じゃなかった、イーライ学長閣下、ごきげんよう」

 「ええ、ごきげんよう。楽しそうでしたわね」

 「お、お見苦しいところをば」

 「……あらぁ、あなたが別の世界からいらっしゃった方ですね」

 彼女はちらと部屋の中を見回し、おれに目を留めた。

 彼女はとても上品なしぐさで、おれに挨拶をする。

 「こ……これがハイエルフ……」

 おれのめのまえにいた女性は、アイシャよりもひとまわり小柄だった。

 肌は霜をおびたように真っ白で、クリーム色の柔らかそうな髪を腰まで伸ばしていた。前髪は後ろに流していて、形のいいひたいが理知的な印象を与えている。デコっ子だ! ラピュタは本当にあったんだ!

 「ラピュタ……ですか?」

 「あ、いえ、きにしないでください」

 思わず口に出してしまった。彼女は不思議そうに首をかしげている。少女じみた丸みのある顔だちで、ほおに桃のような赤みがさしている。瞳は鮮やかな青で、くりくりとした温厚そうな目つきだ。

 彼女の着ていた服は、ローブというのだろうか? おれのいた世界のロングドレスというものに似ていると思った。真っ白な布地に、金糸で繊細な刺繍がほどこしてある。金の腕輪とピアスも身につけていた。いずれも豪華だが、いやみな感じはない。

 「これが……淫乱ぐっちょんぐっちょん……?」

 「ちょ、ちょっと、失礼な!」

 アイシャがあわてておれをとがめる。

 「この人が……こんな清純そうな人がぐっちょんぐっちょんだったら……おれは明日から何を信じて生きればいいのか! こんな人がッ!」

 おれは頭をかかえて叫んだ。

 目の前に女の子がいる。うれしい。その人がおれに会いに来てくれている。とてもうれしい。しかも上品で性格も良さそうだ。さらにうれしい。しかも美しい異種族である。願ってもない。しかも……。

 「本当に……淫乱なのかッ? こんな人が……信じたくない!」

 「あらー?」

 イーライは小首をかしげる。

 「あの、気にしないでください学長閣下、この異世界人はたまに妙な事を口走ります。精神的にまだ不安定です」

 「無理もありませんね。とつぜん別の世界に来たのですから」

 そう言って彼女はおれに向きなおり、上品に頭を下げた。

 「ハイエルフ公国の国立大学院学長、それと兼ねて教授会主席を務めております。イーライです。イーライ・イリアナ・イリアノ・イリュミール・シュトロファンガリョアリョシュエです」

 ふわっと甘い匂いがした。香水だと思う。鼻の奥をくすぐるようないいにおいだった。

 「長い名前……ですな」

 おれはどうにか格好をつけようとキリッとした顔をつくる。

 「覚えづらいでしょう? でも、これでも略式ですの」

 「正式な本名はあの三倍長い」

 クムクムがおれの耳もとで言う。

 「学長閣下、今日はどういった御用向きで」

 「もちろん、客人へのご挨拶です。それと……お持ちなさい」

 タイミングをうかがっていたように、ぱりっとした服装の、同じく色の白い男が部屋に音もなく入ってきた。彼は無言で金属製の箱を差しだす。イーライがそれを受け取ると、男は音もなく出ていった。

 「お菓子をご用意しましたの、お上がりになってね」

 「お、おおお気遣い、恐縮なかぎりで」

 アイシャはガチガチに緊張しながら、卒業証書をもらうみたいなしぐさで箱を受けとった。そのお菓子の箱にもびっしりと金の装飾がほどこされていた。

 「さっきの人、無言でスッと出ていったな……」

 おれはクムクムにそっと言う。

 「ハイエルフの使用人はああだ。許可がないかぎり主人の前ではひとこともしゃべらない。あの人は地位が高いほうの使用人だな。執事バトラーぐらいの位置だろ」

 「いたのすら気づかなかった……」

 「下級の使用人だと、主人と目を合わせるのも許されない。視界に入るのも褒められたことではないとされている。ハイエルフの身分制度は厳しい」

 「ダークエルフの方もいらっしゃるのね」

 イーライはミフネに軽く挨拶する。

 「どうかお手柔らかにお願いしますね」

 「だといいがな。そちらの態度しだいさ」

 「きっとそうなります」

 それから彼女はアイシャをちらと見る。

 アイシャがビクッ! とふるえる。

 「あ、ああああの、至らぬことばかりで、申し訳ございません」

 イーライはにっこり笑って、おだやかに言う。

 「いえいえ。なにも落ち度はありません。

  (意訳:てめえ、ふざけんな。なめてんのか)」

 その場にいた全員が、ビクッとした。

 彼女の言葉の「裏の意味」が瞬時に全員に伝わってきたからだ。

 イーライの言葉は完全に上品で、洗練されていた。表情もにこやかで、目下のアイシャをやさしくねぎらっていたようにみえる。

 しかし同時にその言葉の「裏の意味」がビンビンに伝わってくる。

 「なにも音沙汰がなかったから、アイシャ先生のことをとても心配していたのですよ? ウェルグングが現れたという報告を聞いて、慌てて駆けつけました。

  (意訳:てめえ、なぜ昨日のうちに報告をよこさなかった? なめてんのか? ウェルグングが現れたから召喚に成功したってわかったがな……)」

 「ははーっ!」

 印籠を見せられた代官のように頭を垂れるアイシャさん。

 「ダークエルフの方にまでご迷惑をおかけしてなければいいのですが

  (意訳:なぜダークエルフが介入してきている? 獲物を横取りされたらどうする? おまえはどっちの味方なんだ? ああ?)」

 「申し訳ございません!」

 表面的には、とても上品でやさしい言葉。

 しかし伝わる「本当の意味」は重い。

 いわば「強引に空気を読ませる」コミュニケーションだ。

 直接的なことは何も言わず、ニュアンスだけですべてを伝える。

 おれにはぜったいできない。

 「アイシャ先生も、多忙ですからね。論文の執筆なんかでお忙しいでしょう? そういえば発表が近いですわね。楽しみですわ。

  (意訳:アイシャてめえ、ダークエルフの肩を持つとはなんだ? 次の論文発表ではおぼえてろよ)」

 「ひっ」

 そこにいる全員にちゃんと伝わっていた。

 いわゆる腹芸というやつだが、信じられないクオリティだ。

 もちろん、そういうのはあるだろう。お客さんを帰らせたいときに、お茶漬けを出したりとか、そういうあれはおれのいた世界にもあった。いわゆる「京の茶漬け」的なコミュニケーションだ。

 だが目の前で繰り広げられているものは、それを極限まで突きつめたものである。

 「あら、異世界人の方に手持ちぶさたにさせては申し訳ありませんね」

 イーライはくるりとおれの方を向く。

 おれもビクッとする。

 でも、イーライは向き合うと完全な清純少女である。

 「お手をとっても?」

 イーライはおれの手をそっとにぎる。

 「ああ……力強い手ですわね」

 彼女はほおを赤らめて微笑む。

 おれは感動した。

 女の人のほうから手を握られたのなど、おれにとっては人生で数度もないほどだ。せいぜい、学校でやったフォークダンスぐらいである。クラスのアイドルの女の子はおれの手をとるとき明らかにイヤそうな顔をしていた。

 それに比べると、なんという厚遇だろうか。

 異世界いいとこ、そう思った。

 「緊張してらっしゃるの?」

 イーライはそう言いながら、おれの手のひらをそっと撫でた。おれの手は汗ばんでいたのだろう、たぶん。

 彼女の指は細く冷たかった。きれいにととのえられた爪は桜の花のような色をしていた。

 「まあ……なんて汚らしい爪……」

 イーライはおれの手をにぎにぎしながら、うっとりとした口調でつぶやく。

 彼女はハアハアと息が荒い。おれの手に息がかかる。

 「お顔ももっとよく見せて」

 イーライはおれの顔をのぞき込む。下品にならない程度の、ちょっとした上目遣いである。心なしか、彼女の頬はさっきより赤い。

 「軽い近視で……もう少し近く」

 彼女はおれの耳をそっと撫でながら、顔をさらに近づける。甘い香りがさっきより強い。

 「あ、あうあうあう」

 おれは対応に困る。

 「まあ…………まるで野獣……蛮族そのものね…………」

 そう言ってイーライはすうっとおれのそばで息を吸い込む。

 「やれ、始まったか……悪い手クセが。うわさどおりだな」

 クムクムはそっとおれから離れながら、ぽつりと言う。

 「失礼しました」

 イーライはおれからすっと離れ、にまっと笑う

 「あとでもっと、ゆっくり、話してみたいですわ……ね」

 彼女はアイシャに目配せする。

 「異世界から来た方は、いちど、ハイエルフの大学をごらんになるとよろしいかと思います。もちろん、滞在されるあいだは不自由ないようにさせていただきます……ね?」

 「そ、そうなるとよろしいかと」

 アイシャはさかんにうなずく。

 「うけたまわりました。そうなるとよろしいかと存じます」

 よく分からない事をいいながら空中におじぎをするアイシャ。

 「よきに計らいますです。仰せのままに」

 そのとき、すっとさっきの執事らしき男が部屋の入り口に出てきた。

 「あら、時間?」

 彼は無言でうなずく。

 「あらあら、ざんねん。お菓子はどうかみなさんで……」

 イーライはそれぞれに丁寧に挨拶して、立ち去った。



 「……よし、足音が離れましたね」

 アイシャは壁に耳をあてながら言った。

 「……はぁ、思ったよりも早く行ってくれてよかったっす。あの毒蜘蛛女……ああ、くそ、アヤがついちゃいましたよ。なんとかご機嫌をとらないと」

 アイシャはおれに向き直り、にっこり笑う。

 「……と、いうわけで」

 「なんか、アイシャが笑う時ってイヤな予感がするんだが……」

 「お、おまえも分かってきたじゃないか」

 クムクムとミフネが同時に言う。

 アイシャはおれをびっと指さす。

 「……おめでとうございます! あなた、イーライ先生の性癖にドンピシャです! わたしの出世のために犠牲になってもらいます!」

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