第二章 微熱のキュルケ

微熱のキュルケ①



 授業中、夢の話で散々ルイズをからかった日の夜……。

 ルイズは才人の藁束を、廊下にほっぽり出した。


「なにすんだよ」

「わたしが忍び込んだら、困るでしょう?」


 授業中の夢の話を根に持っているらしい。


「部屋の外は、風が入ってくるから寒いんだけど」

「きっと、夢の中のわたしがあっためてくれるわ」


 ルイズは形のいい眉を吊り上げて言い放った。

 つくづく根に持つ少女である。

 どうしても才人を廊下で寝させたいようだ。


 才人は毛布を持って、廊下に出た。

 才人が外に出ると、中からがちゃりと鍵をかける音が聞こえてくる。


 壁にあいた窓から、風がぴゅうと吹いて才人の体を凍えさせた。

 寒いと呟いて、毛布にくるまり藁束の上に寝転んだ。

 廊下の床は石なので、冷たさが体にしみこんでくる。

 暖炉もない。冷える。


 たかが夢ぐらいで俺を凍えさせやがって!

 才人はルイズの部屋の扉を蹴っ飛ばした。もちろん、返事はない。


 才人はそれから、復讐の方法を考え始めた。

 もう、パンツのゴムに切れ目を入れるだけでは済まさない。

 さて、どうしてくれようあの小娘と、毛布の中で凍えていると……。


 キュルケの部屋の扉が、がちゃりと開いた。



 出てきたのは、サラマンダーのフレイムだった。

 燃える尻尾が温かそうだ。

 才人は目を丸くした。


 サラマンダーはちょこちょこと才人の方へ近づいてきた。

 才人は思わず後じさった。


「な、なんだよお前」


 きゅるきゅる、と人懐こい感じで、サラマンダーは鳴いた。

 害意はないようだった。


 サラマンダーは才人の上着の袖をくわえると、ついてこいというように首を振った。


「おい、よせ。毛布が燃えるだろ」


 才人は言った。しかし、サラマンダーはぐいぐいと強い力で、才人を引っ張るのであった。


 キュルケの部屋のドアはあけっ放しだ。

 あそこに俺を引っ張り込むつもりだろうか。


 確かにそのようだった。

 サラマンダーの気まぐれじゃなかったら、いったい、キュルケが俺に何の用だろう?


 才人はルイズといっつもケンカをしているから、うるさいと文句を言うつもりかもしれない。

 才人は腑に落ちない気分で、キュルケの部屋のドアをくぐった。



 入ると、部屋は真っ暗だった。

 サラマンダーの周りだけ、ぼんやりと明るく光っている。

 暗がりから、キュルケの声がした。


「扉を閉めて?」


 才人は、言われたとおりにした。


「ようこそ。こちらにいらっしゃい」

「真っ暗だよ」


 キュルケが指を弾く音が聞こえた。

 すると、部屋の中に立てられたロウソクが、一つずつ灯っていく。


 才人の近くに置かれたロウソクから順に火は灯り、キュルケのそばのロウソクがゴールだった。

 道のりを照らす街灯のように、ロウソクの灯りが浮かんでいる。


 ぼんやりと、淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰掛けたキュルケの悩ましい姿があった。

 ベビードールというのだろうか、そういう、誘惑するための下着をつけている。

 というかそれしかつけていない。


 キュルケの胸が、上げ底でないことが確認できた。

 メロンのようなそれが、レースのベビードールを持ち上げている。


「そんなところに突っ立ってないで、いらっしゃいな」


 キュルケは、色っぽい声で言った。

 才人はふらふらと、夢遊病者のような足取りで、キュルケの元へと向かった。

 キュルケはにっこりと笑って言った。


「座って?」


 才人は言われたとおりに、キュルケの隣に腰掛けた。

 裸に近いキュルケの体のことで、頭はいっぱいになっている。


「な、なんの用?」


 才人は緊張した声で、言った。

 燃えるような赤い髪を優雅にかきあげて、キュルケは才人を見つめた。

 ぼんやりとしたロウソクの灯りに照らされたキュルケの褐色の肌は、野性的な魅力を放ち、才人をどうにかしそうになる。


 キュルケは大きくため息をついた。

 そして、悩ましげに首を振った。


「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「キュルケ?」

「思われても、しかたがないの。わかる? あたしの二つ名は『微熱』」

「知ってる。うん」


 下着の隙間から見える谷間が、なんとも注意を引いた。


「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼びだてしたりしてしまうの。わかってる。いけないことよ」

「いけないことだね」


 才人はなんだかよくわからないままに相槌を打った。

 こんな風に、異国の女の子に打ち明け話をされたことはないので、緊張すると共に、困惑していた。


「でもね、あなたはきっとお許しくださると思うわ」


 キュルケは潤んだ瞳で才人を見つめた。

 どんな男でも、キュルケにこんな風に見つめられたら、原始の本能を呼び起こされるに違いない。


「なな、何を許すの?」


 キュルケは、すっと才人の手を握ってきた。

 キュルケの手は温かかった。

 そして、一本一本、才人の指を確かめるように、なぞり始めた。

 才人の背筋に電流が走った。


「恋してるのよ。あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね」

「まったく突然だ」


 才人は混乱した。からかっているに違いない、と思った。

 しかし、キュルケの顔は真剣そのものだった。


「あなたが、ギーシュを倒したときの姿……。かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる! 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!」

「じょ、情熱か、うん」

「二つ名の『微熱』はつまり情熱なのよ! その日から、あたしはぼんやりとしてマドリガルを綴ったわ。マドリガル。恋歌よ。あなたの所為なのよ。サイト。あなたが毎晩あたしの夢に出てくるものだから、フレイムを使って様子を探らせたり……。ほんとに、あたしってば、みっともない女だわ。そう思うでしょう? でも、全部あなたの所為なのよ」


 才人はなんと答えればいいのかわからずに、じっと座っていた。

 キュルケは才人の沈黙を、イエスと受け取ったのか、ゆっくりと目をつむり、唇を近づけてきた。

 ああ、キュルケは魅力的だ。


 ルイズも魅力的だが、色気という点でキュルケに二歩も三歩も劣る。

 その分ルイズは清楚で可愛らしいが。見た目だけだが。


 しかし才人は、キュルケの肩を押し戻した。

 なんとなく、悪い予感がしたからだった。


 どうして? と言わんばかりの顔で、キュルケが才人を見つめた。

 才人はキュルケから目を離して、言った。


「とと、とにかく、今までの話を要約すると……」

「ええ」

「君は惚れっぽい」


 才人はきっぱりと言った。

 それは図星だったようで、キュルケは顔を赤らめた。


「そうね……。人より、ちょっと恋ッ気は多いのかもしれないわ。でもしかたないじゃない。恋は突然だし、すぐにあたしの体を炎のように燃やしてしまうんだもの」


 キュルケがそう言ったとき、窓の外が叩かれた。

 そこには、恨めしげに部屋の中を覗く、一人のハンサムな男の姿があった。


「キュルケ……。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……」

「ペリッソン! ええと、二時間後に」

「話が違う!」


 ここは確か、三階である。

 どうやらペリッソンと呼ばれたハンサムは魔法で浮いているらしい。


 キュルケは煩そうに、胸の谷間に差した派手な魔法の杖を取り上げると、そちらのほうを見もしないで杖を振った。


 ロウソクの火から、炎が大蛇のように伸び、窓ごと男を吹っ飛ばした。


「まったく、無粋なフクロウね」


 才人は唖然として、その様子を見つめていた。


「でね? 聞いてる?」

「今の誰?」

「彼はただのお友達よ。とにかく今、あたしが一番恋してるのはあなたよ。サイト」


 キュルケは才人に再び唇を近づけた。

 才人は身動きできなかった。むせるような色気が、才人を襲う。


 すると……、今度は窓枠が叩かれた。

 見ると、悲しそうな顔で部屋の中を覗き込む、精悍な顔立ちの男がいた。


「キュルケ! その男は誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

「スティックス! ええと、四時間後に」

「そいつは誰だ! キュルケ!」


 怒り狂いながら、スティックスと呼ばれた男は部屋に入ってこようとした。

 キュルケは煩そうに、再び杖を振った。


 再びロウソクの火から太い炎が伸びる。

 男は火にあぶられ、地面に落ちていった。


「……今のも友達?」

「彼は、友達というよりはただの知り合いね。とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜が長いなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に、太陽はやってくるじゃないの!」


 キュルケは、才人に唇を近づけた。

 窓だった壁の穴から、悲鳴が聞こえた。才人はうんざりして振り向いた。


 窓枠で、三人の男が押しあいへしあいしている。

 三人は同時に、同じセリフをはいた。


「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!」

「マニカン! エイジャックス! ギムリ!」


 今まで出てきた男が全員違うので、才人は感心した。


「ええと、六時間後に」


 キュルケは面倒そうに言った。


「朝だよ!」


 三人は仲良く唱和した。キュルケはうんざりした声で、サラマンダーに命令した。


「フレイムー」


 きゅるきゅると部屋の隅で寝ていたサラマンダーが起き上がり、三人が押し合っている窓だった穴に向かって、炎を吐いた。

 三人は仲良く地面に落下していった。


「今のは?」


 才人は、震える声で尋ねた。


「さあ? 知り合いでもなんでもないわ。とにかく! 愛してる!」


 キュルケは才人の顔を両手で挟むと、真っ直ぐに唇を奪った。


「む、むぐ……」


 才人は慌てた。

 キュルケのキスは、いやもう、情熱的であった。

 ぐいぐいと強く押しつけてくる。

 才人は呆然と、なすがままになっていた。


 そのとき……。


 今度はドアが物凄い勢いであけられた。

 また男か、と思ったら違った。

 ネグリジェ姿のルイズが立っている。


 キュルケはちらりと横目でルイズを見たけど、才人の唇から、自分のそれを離そうとはしない。


 艶やかに部屋を照らすロウソクを、ルイズは一本一本忌々しそうに蹴り飛ばしながら、才人とキュルケに近づいた。

 ルイズは怒ると口より先に手が動き、さらに怒ると手より足が先に動くのだった。


「キュルケ!」


 ルイズはキュルケの方を向いて怒鳴った。

 そこでやっと気づいた、と言わんばかりの態度でキュルケは才人から体を離し、振り返った。


「取り込み中よ。ヴァリエール」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」


 才人はおろおろとした。

 ルイズの鳶色の瞳は爛々と輝き、火のような怒りを表している。


「しかたないじゃない。好きになっちゃったんだもん」


 キュルケは両手を上げた。才人は二人の間に挟まれて、おろおろし始めた。

 勢いに任せて、唇など重ねてしまったが、いたくルイズを怒らせたようだ。


「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で焼かれるなら、あたしの家系は本望なのよ。あなたが一番ご存知でしょう?」


 キュルケは両手をすくめてみせた。

 ルイズの手が、わなわなと震えた。


「来なさい。サイト」


 ルイズは才人をじろりと睨んだ。


「ねえルイズ。彼は確かにあなたの使い魔かもしれないけど、意思だってあるのよ。そこを尊重してあげないと」キュルケが助け船を出した。


「そ、そうだ。誰とつきあおうが俺の勝手だ」


 ルイズは硬い声で言った。


「あんた、明日になったら十人以上の貴族に、魔法で串刺しにされるわよ。それでもいいの?」

「平気よ。あなただってヴェストリ広場で、彼の活躍を見たでしょう?」


 ルイズは呆れたように右手を振った。


「ふん。ちょっとはちゃんばらがお上手かもしれないけど。後ろから『ファイヤーボール』を撃たれたり、『ウィンド・ブレイク』で吹き飛ばされたりしたら、剣の腕前なんて関係ないわね」

「大丈夫! あたしが守るわ!」


 キュルケは顎の下に手を置くと、才人に熱っぽい流し目を送った。

 しかし……、ルイズのセリフで、才人は我に返った。


 さっきの窓にぶら下がっていた連中が気にかかる。

 連中、キュルケのそばに座っているのが自分だとわかったら、なるほどルイズの言うとおり、才人を魔法で串刺しにするかもしれない。

 キュルケが守るとは言っても、四六時中、自分を助けるわけにはいかないだろうし、さっきの様子を見てるとどうにもキュルケは気まぐれなようだ。

 才人の護衛なんか、すぐに飽きてしまうに違いない。

 そこまで冷静に考え、才人は名残惜しそうに立ち上がった。


「あら。お戻りになるの?」


 キュルケは悲しそうに才人を見つめた。

 キラキラとした瞳が、悲しそうに潤む。


 後ろ髪を引かれた。

 キュルケはなるほど、驚くような美人で、そんな美人に好かれるなら、魔法で焼かれるのも本望なのでは、などと考えてしまう。


「いつもの手なのよ! ひっかかっちゃダメ!」


 ルイズは才人の手を握ると、さっさと歩き出した。

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