伝説③



 所変わって、ここは学院長室。


 ミスタ・コルベールは、泡を飛ばして、オスマン氏に説明していた。


 春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の少年を呼び出してしまったこと。

 ルイズがその少年と『契約』した証明として現れたルーン文字が、気になったこと。

 それを調べていたら……。


「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」


 オスマン長老は、コルベールが描いた才人の手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめた。


「そうです! あの少年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じであります!」

「で、君の結論は?」

「あの少年は、『ガンダールヴ』です! これが大事じゃなくて、なんなんですか! オールド・オスマン!」


 コルベールは、禿げ上がった頭を、ハンカチで拭きながらまくし立てた。


「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。ルーンが同じということは、ただの平民だったその少年は、『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃろうな」

「どうしましょう」

「しかし、それだけで、そう決めつけるのは早計かもしれん」

「それもそうですな」


 オスマン氏は、コツコツと机を叩いた。

 ドアがノックされた。


「誰じゃ?」


 扉の向こうから、ミス・ロングビルの声が聞こえてきた。


「私です。オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」

「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」


 オスマン氏とコルベールは顔を見合わせた。


「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」


 オスマン氏の目が、鷹のように鋭く光った。


「アホか。たかが子供のケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

「わかりました」


 ミス・ロングビルが去っていく足音が聞こえた。

 コルベールは、唾を飲み込んで、オスマン氏を促した。


「オールド・オスマン」

「うむ」


 オスマン氏は、杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。







 才人は驚いていた。剣を握った瞬間、体の痛みが消えた。

 自分の左手のルーンが光っていることに気づいた。


 そして……。


 体が羽のように軽い。まるで飛べそうだ。

 その上、左手に握った剣が自分の体の延長のようにしっくりと馴染んでいる。

 不思議だ。剣なんか握ったことないのに。


 剣を握った才人を見て、ギーシュが冷たく微笑んだ。


「まずは、誉めよう。ここまでメイジに楯突く平民がいることに、素直に感激しよう」


 そして、手に持った薔薇を振った。

 あの造花の薔薇が、どうやら魔法の杖らしい。どこまでもキザなヤツだ。


 そんなことを考える余裕があることに驚く。

 こんなに体がボロボロなのに、いったい、俺はどうしたんだよ。


 ギーシュのゴーレムが襲ってくる。

 青銅の塊。

 戦乙女ワルキューレの姿をした像が、ゆっくりとした動きで、才人に向かってくる。


 なんだよ、と思った。

 あんなトロいやつに、今までいいようにあしらわれていたのか。

 才人は、跳んだ。







 自分のゴーレムが、粘土のように才人に切り裂かれるのを見て、ギーシュは声にならないうめきをあげた。


 ぐしゃっと音を立て、真っ二つになったゴーレムが地面に落ちる。


 同時に、才人はギーシュめがけて旋風のように突っ込んだ。


 ギーシュは慌てて薔薇を振る。花びらが舞い、新たなゴーレムが六体現れる。

 全部で七体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。

 一体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたためである。

 ゴーレムが、才人を取り囲み、一斉に躍りかかる。


 そして、一気に揉みつぶす……、かに見えた瞬間、五体のゴーレムが、バラバラに切り裂かれる。

 振る剣が見えない。速い。あんな風に剣を振れる人間がいるなんて思えない。


 咄嗟に残りの一体を、ギーシュは自分の盾に置いた。

 次の瞬間、そのゴーレムはなんなく切り裂かれる。


「ひっ!」


 ギーシュは、顔面に蹴りを食らって吹っ飛び、地面に転がった。

 才人が自分めがけて跳躍するのが見えた。

 やられる! と思って頭を抱えた。


 ザシュッと音がして……。

 おそるおそる目をあけると……。


 才人が、剣をギーシュの右横の地面に突き立てていた。


「続けるか?」


 才人は呟くように言った。

 ギーシュは首を振る。完全に戦意を喪失していた。

 震えた声でギーシュは言った。


「ま、参った」







 才人は、剣から手を離すと、歩き出した。


 あの平民、やるじゃないか!

 とか、

 ギーシュが負けたぞ!

 とか、見物していた連中からの歓声が届く。


 勝った……、のか?

 どうして?

 才人はぼんやりと思った。


 ……俺は、いったいどうしたんだろう。


 途中まで、ボロボロにやられていた。

 それが、剣を握った瞬間、体が羽にでもなったように感じた。

 気づいたら、ギーシュのゴーレムを、すべて切り裂いていた。


 俺って、剣なんか使えたっけ?


 わからない。

 でもまあ、とにかく勝ったんだから、よしとしよう。後で考えよう。

 なんだか、どっと疲れた。休みたい。


 ルイズが駆け寄ってくるのが見えた。

 おーい、勝ったぞ、と言おうとしたら、膝が抜けた。

 重い疲労感が体を襲う。意識が急に遠くなって、才人は倒れた。







 いきなり倒れかけた才人の体を、駆け寄ったルイズは支えようとしたが、うまくいかなかった。

 どたっと、才人は地面に倒れる。


「サイト!」


 その体を揺さぶった。しかし、死んではいないようだ。


「ぐー……」


 鼾が聞こえてくる。寝ているようだ。


「寝てるし……」


 ルイズはほっとした表情で、ため息をついた。

 ギーシュが立ち上がって、首を振る。


「ルイズ。彼は何者なんだ? この僕の『ワルキューレ』を倒すなんて……」

「ただの平民でしょ」

「ただの平民に、僕のゴーレムが負けるなんて思えない」

「ふんだ。あんたが弱かっただけじゃないの?」


 ルイズは、才人を抱え起こそうとした、が、支えきれずに転んでしまった。


「ああもう! 重いのよ! バカ!」


 周りで見ていた生徒の誰かが、才人に『レビテーション』をかけてくれた。

 浮かんだ才人の体を、ルイズは押した。部屋に運んで、治療してやらなきゃ。


 ルイズは目をごしごしとこすった。

 痛そうで、可哀想で、泣けてしまった。

 剣を握ったらいきなり強くなったけど、あのままだったら死んでいたかもしれない。

 才人が勝ったことより、そっちの方が重要だ。

 このバカは、死んでもいいなんて、思っていたんだろうか?

 平民のくせに、妙なプライド振りかざして……。


「使い魔のくせに、勝手なことばっかりして!」


 ルイズは寝ている才人に怒鳴った。

 ほっとしたら、なんだか頭にきたのだった。







 オスマン氏とコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 コルベールは震えながらオスマン氏の名前を呼んだ。


「オールド・オスマン」

「うむ」

「あの平民、勝ってしまいましたが……」

「うむ」

「ギーシュは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでもただの平民に後れをとるとは思えません。そしてあの動き! あんな平民見たことない! やはり彼は『ガンダールヴ』!」

「うむむ……」


 コルベール氏は、オスマン氏を促した。


「オールド・オスマン。さっそく王室に報告して、指示を仰がないことには……」

「それには及ばん」


 オスマン氏は、重々しく頷いた。白いひげが、厳しく揺れた。


「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇った『ガンダールヴ』!」

「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」

「そのとおりです。始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』。その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱の時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」

「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった……、その強力な呪文ゆえに。知ってのとおり、詠唱時間中のメイジは無力じゃ。そんな無力な間、己の体を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」


 その後を、コルベールが興奮した調子で引き取った。


「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジではまったく歯が立たなかったとか!」

「で、ミスタ・コルベール」

「はい」

「その少年は、ほんとうにただの人間だったのかね?」

「はい。どこからどう見ても、ただの平民の少年でした。ミス・ヴァリエールが呼び出した際に、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが、正真正銘、ただの平民の少年でした」

「そんなただの少年を、現代の『ガンダールヴ』にしたのは、誰なんじゃね?」

「ミス・ヴァリエールですが……」

「彼女は、優秀なメイジなのかね?」

「いえ、というか、むしろ無能というか……」

「さて、その二つが謎じゃ」

「ですね」

「無能なメイジと契約したただの少年が、何故『ガンダールヴ』になったのか。まったく、謎じゃ。理由が見えん」

「そうですね……」

「とにかく、王室のボンクラどもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇をもてあましている連中はまったく、戦が好きじゃからな」

「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」

「この件は私が預かる。他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」

「は、はい! かしこまりました!」


 オスマン氏は杖を握ると窓際へと向かった。

 遠い歴史の彼方へ、想いを馳せる。


「伝説の使い魔『ガンダールヴ』か……。いったい、どのような姿をしておったのだろうなあ」


 コルベールは夢見るように呟いた。


「『ガンダールヴ』は、あらゆる『武器』を使いこなし、敵と対峙したとありますから……」

「ふむ」

「とりあえず腕と手はあったんでしょうなあ」







 朝の光で、才人は目を覚ました。体中に包帯が巻かれている。


 そうだ。


 自分はあのキザなギーシュと決闘して、ボロボロに叩きのめされて……。

 それから何故か、剣を握ったら逆転して……。

 気絶したのだ。


 ルイズの部屋だった。自分はどうやらルイズのベッドで寝ているようだ。

 ルイズは、椅子に座り机に突っ伏して寝ていた。


 左手のルーンに気づく。

 このルーンが光りだしたら、自分の体が羽みたいに動き、体の延長のように握ったこともない剣が動き、ギーシュのゴーレムを切り裂いたのだった。


 左手のルーンは、今は光っていない。

 なんだったんだろう。あれは……。

 そんな風に左手を見つめているとノックがあって、ドアが開いた。


 シエスタだった。あの、才人に厨房でシチューをくれた、平民の少女だった。

 相変わらずのメイド姿で、カチューシャで髪を纏めている。

 彼女は才人を見ると微笑んだ。

 銀のトレイの上に、パンと水がのっていた。


「シエスタ……?」

「お目覚めですか? サイトさん」

「うん……、俺……」

「あれから、ミス・ヴァリエールが、ここまであなたを運んで寝かせたんですよ。先生を呼んで『治癒』の呪文を、かけてもらいました。大変だったんですよ」

「『治癒』の呪文?」

「そうです。怪我や病気を治す魔法ですわ。ご存知でしょう?」

「いや……」


 才人は首を振った。

 ここでの常識が才人に通用すると思われては困るけど、言っても始まらない。


「治癒の呪文のための秘薬の代金は、ミス・ヴァリエールが出してました。だから心配しなくていいですわ」


 黙ってるから、お金の心配をしていると思われたらしい。


「そんなにかかるの? 秘薬のお金って」

「まあ、平民に出せる金額ではありません」


 才人は立ち上がろうとして、うめいた。


「あいだっ!」

「あ、動いちゃダメですわ! あれだけの大怪我では、『治癒』の呪文でも完璧には治せません! ちゃんと寝てなきゃ!」


 才人は、頷いて、ベッドに寝転んだ。


「お食事をお持ちしました。食べてください」


 シエスタは銀のトレイを才人の枕元に置いた。


「ありがとう……。俺、どのぐらい寝てたの?」

「三日三晩、ずっと寝続けてました。目が覚めないんじゃないかって、皆で心配してました」

「皆って?」

「厨房の皆です……」


 シエスタは、それからはにかんだように顔を伏せた。


「どうしたの?」

「あの……、すいません。あのとき、逃げ出してしまって」


 食堂で、ギーシュを怒らせたとき、彼女は怖がって逃げ出してしまった。

 それを言っているのだろう。


「いいよ。謝ることじゃないよ」

「ほんとに、貴族は怖いんです。私みたいな、魔法を使えないただの平民にとっては……」


 シエスタは、ぐっと顔をあげた。その目がキラキラと輝いている。


「でも、もう、そんなに怖くないです! 私、サイトさんを見て感激したんです。平民でも、貴族に勝てるんだって!」

「そう……、はは」


 ホントにどうして勝てたんだろう。不思議だ。

 なんだか照れくさくなって、才人は頭をかいた。

 折れた右腕でかいたことに気づく。

 もう、なんともない。

 動かすと多少は痛かったが、骨はくっついているようだった。


 いやぁ、これが魔法か。才人は妙に感心した。

 ……確かに威張るのもしかたがねえか。


「もしかして、ずっと看病しててくれたの?」


 才人は体に巻かれた包帯を見て言った。


「違います。私じゃなくて、そこのミス・ヴァリエールが……」

「ルイズが?」

「ええ。サイトさんの包帯を取り替えたり、顔を拭いてあげたり……。ずっと寝ないでやってたから、お疲れになったみたいですね」


 ルイズは、柔らかい寝息を立てている。長い睫の下に、大きな隈ができている。

 相変わらず寝顔は可愛い。人形みたいだ。

 優しいところあるんだな、と思ったら、急にその横顔が激しく可愛く見えた。

 ルイズは目を覚ました。


「ふぁああああああああ」


 大きなあくびをして、伸びをする。それから、ベッドの上で目をぱちくりさせている才人に気づいた。


「あら。起きたの。あんた」

「う、うん……」


 才人は顔を伏せた。お礼を言おうと思った。


「その、ルイズ」

「なによ」

「ありがとう。あと、心配かけてごめん」


 ルイズは立ち上がった。

 それから才人に近寄る。


 才人はドキドキした。

 頑張ったね! かっこよかったね! なんつって、キスでもしてくれるんだろうか。

 しかし、そんなことはなかった。

 ルイズは才人の毛布を引っぺがすと、首根っこを掴んだ。


「治ったら、さっさとベッドから出なさいよ!」


 首根っこを掴んだまま、ルイズは才人を引っ張り出した。


「は! あぐ!」


 才人は床に転がった。


「お、お前、怪我人だぞ!」

「それだけ話せりゃ十分よ」


 才人は立ち上がった。

 まだ、体は痛いけど、動けないことはない。

 しかし、もうちょっと寝させてくれてもいいじゃないか。


「そ、それじゃ、ごゆっくり……」


 シエスタが苦笑いを浮かべて、部屋を出て行く。とばっちりを恐れたらしい。

 ルイズは、才人に服や下着の山を投げつけた。


「はぐっ!」

「あんたが寝ている間に溜まった洗濯物よ。あと、部屋の掃除。早くして」

「お前なあ……」


 ルイズはじろっと才人を睨んだ。


「なによ。ギーシュを倒したぐらいで待遇が変わると思ったの? おめでたいんじゃないの? バカじゃないの?」


 才人は恨めしげにルイズを見つめた。

 さっき可愛いと思ったことは取り消すことにした。


 しかし……、ベッドに座って足を組んだルイズはこの世のものとは思えないほど可愛らしい。

 長い桃色がかったブロンドの髪が揺れる。

 深い鳶色の目が、イタズラっぽく輝いている。

 生意気で、高慢ちきで、ワガママだけど、うーむ、取り消そうがなんだろうが、容姿だけはぐっときてしまう。


 指を立て、勝ち誇った調子で、ルイズは言った。


「忘れないで! あんたはわたしの使い魔なんだからね!」

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