第10話 アイドルの努力の結果は

 ヘッドマイクをはずし、スタッフに渡された水を飲んで、ふっと、息を吐く。


「疲れた?」


 瑠衣センパイは本当に人の心配しかしない、自分の心配も多少はしてほしいものだ。


「大丈夫、ルイ君の方が出番早いんだから、早く着替えなよ」

「そうだな」


 第一章が終わったら、次は第二章。

 第二章は、瑠衣センパイ、ボクの順にソロ曲の発表し、その後このライブで初披露曲を二人で歌う。つまり、この章は初披露の章なのだ。


「歌詞、間違えちゃだめだよ」

「お前も」


 約五千人の前で、一人で歌う緊張感というのは、ボクはまだ経験したことがない。

 緊張していたけど、何とか大丈夫だろうと思えたのは、瑠衣センパイと一緒だったからで、一人は少し、心細い気がする。


「大丈夫だろ、オレも、お前も。どっちも、さんざん練習してきた」

「うん」


 いつの間にか着替え終わっていた瑠衣センパイは、ボクの頭をくしゃり、と撫でた。

 黒のブラウスに、青のネクタイは結び目だけを見せて、白のロングトレンチコートを着て、下は黒のパンツに、茶色の編み上げブーツだ。


「行ってくる」

「うん」


 マイクを持って、舞台へ戻っていった。

 ボクも着替えて、指示された待機場所へ向かう。

 


 ボクは、ソロ曲を歌うとき、客席から登場することになっている。

 そこからくるりと回って、最後に舞台で待っている瑠衣センパイと合流し、初披露の曲を二人で歌うという、段取りだ。


 指示された場所は一番後ろの客席のさらに後ろ。トイレに行きたいお客さんとかに見えたりしないように、出入り口からも距離の離れた場所で、瑠衣センパイの曲を聴くことになる。


 水色で彩られていた客席は、今は青のサイリウムに色を変えていた。

 瑠衣センパイのイメージカラーだ。ちなみにボクは白。二人のイメージカラーを合わせて、YRのカラーは水色、ということなのだけどそれをファンの皆がちゃんと理解してくれているとは思っていなかった。

 本当に皆、ボクらを好いてくれているんだなぁ。


 ステージでは、青のスポットライトを一身に受ける瑠衣センパイが、しっとりとバラードを歌っている。スポットライトの光を白いトレンチコートが反射していて、瑠衣センパイ自身が青に染まっているみたいだ。


『あの日泣いてたボクを

 照らしてくれたキミは

 いつも傍にいてくれた』


 瑠衣センパイは最後まで、ソロ曲の歌詞をボクに見せてはくれなかった。

 ボクの方も「知らない方がいいだろ」と言って、歌詞も見なければ聞こうともしなかったので、ボクらは本番になるまで互いのソロ曲をタイトルだけ知っている形になった。

 曲の名前は、『BLUE MOON』。青い月。


『青臭い愚痴をこぼして諦めた顔をしたボクの

 心の黒い塊を蒼い光が溶かしていく

 ボクのつまらない人生は蒼の光に照らされた』


 バラードだから、歌唱力の高さが如実に出る。

 瑠衣センパイの歌の上手さは、もともと上手かった人の上手さではなくて、きちんと訓練を積んだ人のものだ。瑠衣センパイは、スカウトされて契約してから一度も歌唱のレッスンを休んだことがない。もちろん、ダンスや他のレッスンもそうだ。体調も崩すことなく、ただただ、アイドルに必要な技術を基礎から応用まで体に叩き込んでいた。


『真っ暗な夜空を見上げては光がないことに落胆して

 期待をすることを忘れてた』


 瑠衣センパイは、ずっと努力していた。

 この人は、「アイドルになりたい」と思ったことは多分スカウトされるまで一度もなかったと思う。「就職さえできればそれでいい」が高校時代口癖だった人が、今こうして、大勢の前でステージに一人立って、歌っている。それが何か、感動的だった。


『キミがボクに思い出させてくれた

 期待することの大事さを

 自分の存在が光になる可能性を』


 暗い会場の中で、灯りは数多いサイリウムと、スポットライトだけのこの状況。

 その中では瑠衣センパイが光だといえる。

 この曲だからこそ、この演出が映えるのだと思うと、この歌詞を考えた瑠衣センパイも演出を考えた東井さんも凄い。

 ボクはその瑠衣センパイの隣に立たなきゃいけないんだ。


『ボクを照らして、人を照らして

 キミは光になっていく』


 サビに入る前の盛り上がりに、瑠衣センパイは腕を上にあげる。

 ステージの手前、天井を見ればミラーボールが、光を会場にまき散らす。


『ありがとう』 


 それは、囁きだった。

 伴奏も何もかもが無くなって、静まり返った会場の中に囁きだけが落とされて、会場はそれに反響するようにざわめく。


 ボクは、泣いていた。

 何かが悲しかったわけでもないのに、その言葉に心が震えて、ボクの視界はぼやけて、目から雫は落ちる。また明瞭に見えるようになった。


『あの日泣いてたボクを

 照らしてくれたキミは

 いつも傍にいてくれた』


 サビに入ると、涙は止まらなくなっていた。

 悲しいわけではない、これはうれし涙でもない。

 ただ、感動していた。

 そして、ボクはこう思う。


 この人が、ボクの相棒だ。

 親に愛されなくて、何もかも諦めてた人だったけど、今こんなに輝いている。

 この人が人に愛されなくて、誰が愛されるの。


『照らされたボクが

 誰かの光になってるなんて

 嘘みたいでしょう

 ボクも信じられないんだ』


 そんなことはない。

 瑠衣センパイは、ちゃんと光になってるよ。


『そのきっかけをくれたキミに

 伝えられる言葉があるのなら

 それはきっと、「ありがとう」以外なくて

 その言葉でも足りないけど』


『ありがとう……』


 ピアノが暗い夜が明けるような旋律を奏でて、曲は終わった。

 三秒ほど時間が空いた時、すすり泣くような声が会場内に響いていた気がした。

 それはお客さんたちの声だったのか、ボクの声かわからなかったけど。

 

 カチッと音がして、何だろうと思ったらボクにスポットライトが当たっていた。

 ボクのソロ曲の前奏が始まって、後十秒もしないうちにボクの歌いだしだ。


「やっば」


 鈴芽ゆうき、ちょっとしたピンチだった。

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