第八話 殿上始

 保元四(1159)年二月半ばのこと。前年に譲位されたばかりの先帝(のちの後白河院)の姉、上西門院統子じょうさいもんいんむねこさまの院号宣下、および殿上始てんじょうはじめが行われた。

 統子さまは本来、先帝の姉にすぎないので、通例通りであれば院号を受けられることはない。しかし、先帝の強い意向で、准母じゅんぼ、つまり母代わりとして先帝の後見役となった経緯もあり、「上西門院」という女院にょいん号が特に与えられたのである。


 父や徳大寺実定とくだいじさねさだ卿らの参加の下、春の訪れとともに華々しく行われた殿上始の翌日、六波羅の邸に見知らぬ少女が一人訪れていた。

 少女とはいっても、当時十三歳の私よりはいくつか年上で、もうほとんど大人と言っても良い年頃だろう。初めて見る顔のはずだが、なぜか懐かしく、まるで私が乳飲み子の頃から、ずっと一緒にいたような気さえした。

 本来見知らぬ人が苦手な私だが、なぜか私は手招きされるままに彼女の元へと近寄っており、すぐ目の前にはもう彼女の大きな瞳があった。


「あなたが宗盛殿ですね?」

 突然話しかけられて驚いた私は、「は、はい」と声を裏返しながら応えるのが精いっぱいだった。私の戸惑った顔を見た彼女は、少し苦笑しつつ、自分が母時子の腹違いの妹で滋子しげこという名であること、上西門院さまの御所で「小弁こべん」という名で仕えていることなどを教えてくれた。

 それにしても、重盛兄たちに負けじとする思いにとらわれ、さらには策略好きの時忠叔父に毒されてすっかり以前の優しさ、しなやかさを失ってしまった母が、こんなに純粋そうな少女を妹に持っていることが、にわかには信じられなかった。


 ああ、この人が私の姉であったら、いや、いっそ母であったらば……滋子叔母の包み込むような笑顔や、鈴のなるような声や、それでいてどこか凛とした強さも兼ね備えた佇まい。まだ恋を知らない幼かった私にすれば、そう願うのが精一杯であった。


「あら、姉上」

 母が来たようだ。私の心は冷や水を浴びせられたように、急に冷えてしまった。

「宗盛どの、よう聞きゃれ。これがそなたの叔母上、滋子じゃ。ほれ、滋子、あいさつせぬか」

 いつもの急き立てるような調子で、母は改めて私と叔母を引き合わせる。

「この叔母上はな、今は上西門院さまの元にお仕えしておるが、ゆくゆくはしかるべき家柄の殿御と結ばれよう、のう滋子」

 だから私に仲良くしておけというのだろう。そう言われると、却って先ほどまで叔母へ抱いていた甘やかな感情が急に醒めてしまうのだから、不思議なものだ。

 

 私の顔が明らかに曇ったのを見かねて、叔母がすぐさま話題を変える。こうした気遣いが、上西門院さまからの覚えもめでたく、かつ他の女房からの悋気りんきも巧みにかわすことができる所以だろう。

「ところで姉上、昨日の殿上始の儀で、源氏の頼朝殿が、清盛殿や徳大寺卿に御酒を振る舞われましてね……」

 滋子叔母の話によれば、頼朝は私と同じ十三歳。この少年を、上西門院さまはいたくお気に入りだそうだ。

「頼朝とは……左馬頭殿の、確か三男でしたね」

 かたや平家棟梁の第三子、かたや源氏嫡流の第三子。しかもどちらも正室の子であり、頼朝は先帝の後見役でもある上西門院さまの寵を受けている、という事実は、母に頼朝の存在を不快に思わせるには十分すぎるほどだった。

 叔母がせっかく場を和ませようと切り出した話題が、却って母の機嫌を損ねてしまい、いたたまれなくなった叔母は早々に邸を退下してしまい、後には不機嫌な母子が二人、残されることになった。

 

 保元四年二月二十日。この日は後に平家に全盛をもたらす少女と、滅亡をもたらす少年との、重大な邂逅かいこうを遂げた一日であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る