第六話 宗子と時子

 保元二(1157)年の初秋、母は私を連れて、祖母の池禅尼いけのぜんにを訪ね、池殿へと向かった。

 祖母はかつて、白河院のご落胤らくいんとの噂もある父ではなく、自ら生んだ家盛いえもり叔父こそが平家の正当な後継者であると、公然と祖父忠盛に訴えていた。家盛叔父の夭逝でその運動は無駄に終わったが、問題を起こし謹慎していた父を尻目に、順調な昇進を続けた叔父の官位は、一時父を追い越しそうになったこともあったほどであった。

 そんな経緯もあり、父や母との関係も微妙で、はっきり言えば確執があったし、祖父が死んだ今となっては、一門の中で微妙な立場となっていた。それだけに母と私の急な来訪は、祖母にとっても不思議だったようだ。

「時子殿、此度は一体どうされたのじゃ?急に私の元を訪ねるなど、珍しいではないか」

 訝しげな祖母に、母は、私の元服前のあいさつ回りだ、とだけ説明した。確かにその日は、池殿にいる祖母に会う前に、経盛、教盛の叔父や、同じ泉殿に住む頼盛叔父に会っており、この時の私はかなりくたびれていた。

「そうか、もう清三郎もそのような年になったか…。もはやばばの膝の上には乗れませぬな、のう清三郎」

 しばらく世間話などしていた二人だったが、母が出された菓子をつまみつつ、本題を切りだした。

「ところで、義母上、清三郎のいみななのですが……」

 私の諱がなかなか決まらず、難航していることを、祖母はもう知っていた。

「諱がまだ決まっておらぬというではないか。早く決めねばお忙しい清盛殿のこと、元服の話などすぐ立ち消えとなりますぞ」

 確かにありえない話ではない。保元の戦の後から、父は一門のことだけでなく、徐々に国の政事まつりごとにも力を持つようになっており、私の元服どころではないといった風であった。

「実は、そのことで折り入って義母上に頼みがあるのですが」

 祖母は保元の乱の際、息子である頼盛叔父の去就に大きな影響を与えるなど、まだ隠然たる力がある。母が祖母を通して頼めば、父へのとりなしは簡単になるだろう。しかし、母の頼み事は、予想外のものだった。

「清三郎の名乗りのことですが、義母上から『宗』の字をいただき、「宗盛」としてもよろしゅうございますか?」

 祖母は今でこそ池禅尼と名乗っているが、俗名は「藤原宗子ふじわらのむねこ」である。母はその一字を私に名付けようというのだ。祖母は少し驚いた様子を見せたが、悪い話でもないので、すぐさま快諾してくれた。

「宗盛…良い名じゃな。清三郎、そなたはこれから、宗盛じゃ!宗盛殿じゃ」

 自分の名前の一字を孫に与えることができたのがうれしかったのか、すっかり祖母は上機嫌になり、帰り際に唐菓子からくだものやら何やら、いろいろな土産を持たせてくれた。

 あいさつ回りを終えて屋敷へ戻る道すがら、母は唐突に私にただならぬ様子で話しかけてきた。

「清三郎や。そなたにははっきりと言うておく。父上やばば様には内緒じゃぞ」

 一体何があったというのか。その時の私は「はい」というほかにできることがなかった。

「そなたの宗盛という名、これはばば様にあやかったものではない」

 先ほどまで祖母と愛想よく話していた時の声とは全く異なる、母の冷たく低い声に戸惑う私を尻目に、母は独り言のように話し続ける。

「宗盛という名はな、亡き院の御名から頂いたのじゃ。」

 亡き院、というのは鳥羽院のことだ。院は親王時代、「宗仁むねひと」と名乗っておられた。その名に畏れ多くも肖ったというのだ。母は一呼吸おいて、ゆっくりと私の目を見て、刷り込むかのように語りかける。

「亡き院は、そなたの従兄弟にあらせられるのですよ。」

 父が白河院の胤だという噂がもし本当ならば、確かに私と鳥羽院は祖父白河院を同じくする従兄弟同士だということになるが、母はその噂を信じ切っている。そして、母はこの噂を、父以上に大胆な形で利用しようとしていたのだった。

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