乞食

動乱の夜はなお、けたましい。


八月十八日の政変、池田屋事件、そして禁門の変と長州派の維新志士は幾度となく追い詰められ、今では京都にすら居られぬ有様。しかも今度の長州征伐で倒幕派は完全に追い詰められた。

たとえ京都に潜伏している浪士があろうものなら、今日も今日とて追っ手の手から逃げ落ち、追っ手は刀を抜いて者どもを斬らんとす。血の流れぬ夜は無く、今も血は流れつつある。

しかし、それでもなお京都に留まり、再興の機会を伺う者がいる。

それが桂小五郎、後の維新の三傑と謳われた木戸孝允であった。彼は乞食に身をやつし、京都の情勢を探りながら、今なおそこにいた。

もちろん、幾度となく彼は幕府側の追っ手から狙われている。あの池田屋事件でも運が悪ければ死んでいたかもしれない。しかし、今なおこうして生きているのは彼自身の悪運の良さ、引いてはこの国を変えんがための執念の賜物であろうか。

たとえ逃げの小五郎と蔑まれても、彼は生きていく所存であった。生きていなければ、何も変えることができないのだから。


だから、こんなところでは死ねないのだよ。


彼は今、またとない恐怖の内にいた。

背中には冷や汗が幾度垂れたか。

小便が漏れる心地を幾度体感したか。

いっそ死んだほうがマシであろうその恐怖の中で、彼は死ねはしないと足掻いていた。

そんな彼の目の先には、幾人かの不逞浪士と黒の羽織を羽織った一人の男がいた。どちらも刀を抜きあっている。が、数で勝つ不逞浪士が押されているという面妖な状況か。

不逞浪士どもがその男を囲んで叩き斬ろうとしても、男は難なくその刀を捌きざまに一人、また一人と斬っていく。その剣筋に容赦などどこにもない。一度敵を前にすれば、殺すまで襲い来るだろう。

そんな剣筋の男を、桂は知っていた。しかし知っていたと言っても、人伝によるものであり、話に聞くまではまさかと思っていた男だ。

かの男の名は、御坂正一。仲間内からこうも呼ばれていた。


「シャボン玉キチ」と。


シャボン玉を狂ったようにずっと吹いているからその名で呼んでいる、ということもあるがシャボン玉キチの名は伊達ではない。何せ奴は、シャボン玉を吹きたいが為に、人を斬り殺してるという噂があるからだ。その証拠にともいうべきか、それこそ一度対峙した相手で、生き残った者はあまりに少ない。かの人斬り以蔵もこの男に敗れたと聞く。しかし、こう桂の耳に入っているということは、どこかで確かにこの男の手から生き延びた人物がいるのであろう。

桂は当初、その男を微塵も脅威と感じてはいなかった。ただの幕府の犬に過ぎない。特別警戒するべくもないだろう、と。話に信憑性を感じることができなかったからだ。

しかし、その見識が間違っていたことをこの夜の戦いにおいて、桂は見事なまでに覆されるのを感じていた。あの大勢の不逞浪士をただ一人で難なく斬り続ける姿に、否が応でも改めざるを得なかった。

桂は、その様を見ていることしかできなかった。今の桂に戦う余力など残ってはいない。さらに言えば、長州の神輿になった時に刀を抜くことをやめた身である。今の彼には、ただ逃げるということしかできない。まさに、逃げの小五郎でしかない。

だが、今は逃げることも憚られた。今逃げたところでただの乞食でないと不審がられるであろうし、何より恐怖を感じながらもあの男の太刀筋に見惚れていたのだから。

その剣筋は決して美しくなど無い。だが、恐ろしいまでにまっすぐな意志と、そして執念とを感じる代物であった。

かつて己も剣に磨きをかけた男である。その剣に見惚れてもおかしくはなかった。

あの剣が、欲しい。

などと、思わないでも無い。だが同時にその剣が己に向けられた時のことを思えば、もはや小便どころではない。

男はいまなお不逞浪士を相手に大立ち回りを演じている。だが、その舞台もいよいよ終盤にさしかかってきた。血溜まりはいよいよ広がり、残ったのもただ一人。その一人も最早目の前の男と、その先に見える死の恐怖で足が震えている。討たれるのも時間の問題か。

一定の間合いを取りつつ、男は浪士を確実に斬るその時を伺っている。肌をチリチリとさせるような緊張がそこにはある。それは、同じ場にいる桂も同様だった。

奴が殺されれば、次は俺かもしれない。

そんな思い込みが彼にあった。それもそうだ、幾度となく狙われてきた長州藩倒幕派浪士の巨魁である。そう思うのが当然であろう。

しかし、今の彼は今日の飯も分からぬ乞食。そう、乞食。


俺は乞食だ。

俺は乞食だ、名もない乞食だ。


それは一種の自己暗示であった。自らを一介の乞食と思い込むことで、桂小五郎という己を忘れる、自己暗示。自らが忘れてしまえば、桂小五郎という男は一時的にこの世に存在しなくなる。

いやはや、なんと馬鹿げた思考か。しかし、この男はその馬鹿げた思考を本気にやっていた。それこそ生き残らんとするために。

生き残り、生き延び、自らでこの日ノ本を変えんがするために。

さて、乞食がそんな思考にいる中で、浪士と男の決着も、今つかんとしていた。

未だに空気は張り詰めているが、圧は浪士にのしかかっている。今にも押しつぶされそうな気分と、目の前に立ちはだかる恐怖に浪士は最早限界であった。男の首筋に向いた切っ先は先程よりも震え、いつもなら羽のように軽い刀は、今あまりにも重く感じている。

そして、浪士はその緊張に耐えきれず一瞬、ただの一瞬体によろめきを見せた、その時だった。

右肩から袈裟懸けに一閃が刹那に奔る。浪士は刀を振り上げる間も無く鮮血を噴き出し、一言の言葉も発することなく倒れ伏した。即死であった。

そのあまりの手際の良さに、馬鹿げた思考の中に陥っていた乞食も驚かざるを得なかった。むしろ、驚きを隠す方が難しかった。そして、その驚きの後にけたましいほどに己が内に鳴り響いたのは、恐れの叫び。

あれはいかん。あれは、この世に生かしてはいかん。

桂は、戦慄する。そして、かの男を生かせばいずれ最悪の事態にならんと確信する。

しかしながら桂は無力である。奴を殺すこともできねば止めることもできない。

今は一介の乞食。そうであれと自らに言い聞かせていたが、今ではそれが恨めしかった。ただの乞食はかの男を男をどうすることもできやしない。

仲間を殺され、同志が斬られていく様をただ無力に眺めるほかない。

かの男、御坂正一は自らの作り上げた屍に申し訳程度に手を合わせ、そしてこちらには目もくれず夜の闇へと消えていく。あくまで彼が用があるのは不逞浪士。一介の乞食などは眼中にないということか。

だがこれにて、桂は今日もまた危機を脱した。

確かに安堵はあった。今日もまた生き延びきった。

しかし、それでも後に残るのはどうしようもない悔いである。何もできない己と、むざむざと殺されていった同志たちに対する悔いである。



「何がこの国を変えるだ……俺は、何もできやしないではないか……」


いっそのこと潔く腹を掻っ捌いて武士らしく死のう、とも考えないでもなかった。禁門の変で死んだ久坂玄瑞のように、池田屋事件で死んだ吉田稔麿のように。

彼らは戦さ場に身をやつし、剣を取りて戦い、そして武士らしく死んでいった。志半ばであり、桂よりもまだ若い男たちであった。

そんな若き男たちが己よりも先に逝ってしまった事実は、桂にとっても痛切極まりないものであったろう。そしてまた武士らしいその最期に、自らが惨めに感じるのも仕方のない話。

己も武士らしく、徒花を咲かせてみせようか。


だが、それは許されなかった。


否、許さぬのだ。


己が許さぬのだ。その屍の先に立ち日本を変えるまで、この長州の神輿は沈まぬのを許されぬのだ。

桂は、無力な手を眺め、そして握る。血の滲むまで握る。無力さに打ちひしがれ、時代に押しつぶされてもなお、その先を変えんがために今は生きようと拳を握る。

それが桂小五郎、長州の神輿となった男が唯一できた、死んだ者どもへの手向けであった。

夜の闇はさらに深まり、未だ夜明けは遠く思えた。しかし、昇らない陽は決してない。誰がなんと言おうと、陽は必ず昇り来るのだ。

桂は、その朝陽を求め歩き出す。再び陽の中に躍り出で、幕府と合間見えんとせんがため、その時まで生き延びでみせようと歩き出す。

その足跡は、随分と力強く踏み残されていた。



これはまだ夜明けの来る前の話である。

そう、長州の夜明けが来る前の。

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