なまくら
御坂正一は幕末という時代においては珍しく、刀にこだわりを持たなかった。
当時の武士というのは名刀を求めたがっていた。確かに刀で生死を決める時代、男たちは刀に命を預けている。その刀がなまくらではこころもとない。だからこそ、よく斬れ、信頼に値する名刀を求めていた。その心の底には、自分に箔を付けたいという気持ちも多分にあったのも一概には否定できぬ話だが。
しかして、この正一の場合、そんなことは全くなかった。むしろ、刀の扱いはどこか無頓着が過ぎたし、人が刀剣自慢をしていても一人シャボンを吹かす始末。
「名刀なんぞ興味なか」
彼の同僚である坂口金吾がせっかく給金をもらったんだと勧めてみても、頑なに拒んだ。いや、拒んだというよりかはめんどくさがった、と言ってもいい。
「俺でも名刀の類は欲しがるんだがな……」
あまりにもめんどくさがるので、さすがの坂口も首を傾げる。
だが、正一に常識など通用しないのは明らか。結局坂口は、それ以上正一に刀を勧めることはしなかった。勧めても労力の無駄であるし、何よりこの男がめんどくさかったのも多分にあった。
さて、そんな折だ。
とある日、仕事から帰ってきた正一はどうにも浮かない顔をしていた。やけに溜息も多い。
「やってもうた」
珍しいほど情けない声とともに坂口に見せたのは、見事真二つに折れてしまった刀。どうやら、敵の刀をもろに受けた際にあえなく折れてしまったらしい。なお、敵は刀を折ったところで、御坂に暗器を首に打たれて絶命したという。
その時はなんとか切り抜けたとしても、刀が無ければ彼の仕事は仕事になりはしない。なにせ、仕事というのが暗殺なのだから。故に刀は必須。
刀あってこそ御坂正一。
そういう訳で、早急な刀の手配を正一は要求されたのであった。
「なんちゅうめんどくさいことじゃけのお」
「自業自得だ、さっさと買ってこい」
そんなこんなで刀剣屋に来たものの、正一は多くの刀を目の前に、どうにも決めかねている様子。というのも、どれがいいのかさっぱりだったからだ。
ここニ年あたりの給金を貯めていたがために金はあるとはいえ、実際どの刀にすればいいのかは見当がつかない。元々刀に対するこだわりなど一切無いので、さらにそれは億劫なものになるばかりだ。
「お侍様、こんな刀はどうでしょう?」
と、見せられても正一はそんなものに目すらくれない。
刀身の美しさ?
波紋の素晴らしさ?
本当にどうでもいいのが、彼という男。
「お侍様、いったいあなたはどんな刀がいいんですか!」
とうとう商人も呆れて言葉がキツくなる。それもそうだ、早く選んで貰わねば次の客に迷惑がかかるというもの。焦るのも無理はない。
だが見れば見るほど、正一はどの刀も同じに見えて仕方ない。坂口から仕事に使うに値する刀を選ばなければならない、などと口を酸っぱくして言われていたが、どうでもよくなってきた。さらに選ぶのもいい加減嫌になったので、最終的にたどり着いた結論が、これだ。
「安い刀を適当に出してな」
まさに選ぶのがめんどくさくなった、と言わんばかりの、正一らしい答え。いや、そもそも初めから選ぶのをめんどくさがっていたから、当然といえば当然なのかもしれない。
そうなれば店の方も店の方。もうそう言うならその刀を出してさっさと帰ってもらおうと、手早く適当な刀を一振り持ってきた。
「これは、斬れ味もお墨付きですし、無銘ですので大した額でもございませぬ。どうでしょうか……?」
差し出されたのは、いかにも地味と言える刀だった。刀身も波紋も、これまで見せられたものとは違いどこか無骨だった。斬れ味がいいのかすら、疑ってしまう。
だが、御坂正一という男、そんな細かいところは一切見ない。
「んじゃ、それにするがな」
まさに即決。
しかし、その即決が吉と出るか凶と出るかはわからない。ともかく、正一はそれを腰に携えて、屋敷に戻るのであった。
さて、その刀、実際はどうなのかというと……あまりに酷いなまくらものだった。坂口が手にとって振ってみたところ、どうにも感じが悪い。他の者にも見せたところ、なんでこんなひどい刀を、と言う始末だ。
「折角買いに行ったのに、なんでこんななまくらを買ってくるんだ。もったいない」
「知らんがな」
「ちょ、おい」
いくら買い直した方がいいのではと言っても、正一は歯牙にかけずに、その刀を腰に携える。言えば言うほど意地になってるのかもしれない。
こんな刀で仕事がうまくできるのか?
ただでさえ彼の本業は暗殺である。暗殺は手早くやらねばうまくいかない。故にその刀で暗殺をこなせるかどうか、甚だ疑問だった。
だが、最早正一が頑なになってしまった以上、説得を諦める他ない。他人の言葉でなびくほど、彼は人間ができていないのだから。
ここで坂口は、一人で彼に刀を選ばせてしまったことを酷く後悔するしかなかった。こういう人間だとわかっていればこそ、出来る対処もあったというもの。しかし、もはや後悔後先立たず。
結局、正一はそのなまくら刀を仕事でも迷うことなしに使ったのだった。斬れ味が悪いのも承知で、標的を斬る、斬る、斬る。
検分役の部下厄から見れば、正一の斬った死体は以前よりも傷が多く、正一自身も斬るのに時間がかかっているという。
「やはり、あの刀はどうにかした方がいいのではないか、金吾」
「どうにかしたいのは山々だが、あいつが聞くと思うか?」
「……聞きませんな、我が主人はそういう男ですから」
「だろ?」
全くだと言わんばかりに溜息をつく坂口。こうなれば、その刀を早く使い潰すのを待つしかないらしい。
「何気あいつは、物を最後まで使うからなぁ……手入れは雑だが」
「そういえば、主人がよく吹くシャボン玉のあれも…………」
「ああ、江戸にいたときからずっと使っている。どころか、着物も、袴も、一向に新しいものを買おうとせず、昔からあるものばかりを使っている」
「……新しいものを買うのをめんどくさがってるように見えないこともないですが」
「そうだろうなぁ……」
彼のめんどくさがりには何度も煮え湯を飲まされてる。それが命に関わることばかりだから、坂口もたまったものではない。命がいくつあっても足りないくらいだ。
今回のことに関しても、命が関わってる。ただでさえ頼りない刀を振るって生死の場に足を踏み入れているのだ。いつ命を落としたとしても不思議ではない。
正一の剣の腕ならば早々に人に殺されることはない、と坂口は確信しているが、やはり一つでも不安があると心配になってしまうものであった。
その心配は、奇しくも的中してしまうとなる。何故だか、坂口の心配は毎度のごとく的中するのである。
「つーわけで、さてどうしたもんかのぉ」
現状、正一は囲まれてしまっていた。しかも、そこは屋内である。扉や壁が障害物となり、おおっぴらには戦うことは不可能。
たまたま標的がとある家屋に逃げたのを追ってきたら、このザマだ。どうやら、敵の策略にまんまとはまってしまったらしい。
「これは全て貴様を殺す策だ。我が同胞たちの命を奪い、挙げ句の果てには桂先生の命をも奪おうとしている! そんな貴様はここで死すべし!」
と、首領とみえる黒ずくめの男は、すらりと剣を抜いてみせる。それを合図にかかりにいく手下たち。どうやら合わせて八人ほどか。
多勢に無勢、さらに正一の腰の刀は心もとないなまくら刀。まさに絶体絶命というべこか。
「ま、しゃあないがな。立ちふさがるんなら、斬るだけじゃけ」
しかして、その男は恐れることなしに、なまくら刀をスラリと抜く。いつも通り構えはとらない。片手に持ちながら、切っ先を若干下げた無形。
そして、まず左からかかる敵を一刀両断……できるはずもない。浅く傷が入った程度にすぎない、が構わずに蹴り飛ばす。
だが、敵は四方八方、刀で迎撃しつつ正一は自らの懐をて探る。
首領格はさすがと言ったところか、その行為を見逃さない。
「?! 気をつけろ! やつは何か隠し持ってるぞ!」
その読み通り、懐に入れた手を前方に振ってみせれば、一人の男が倒れおおせた。
敵供はそれに一瞬たじろぎを見せる。その隙は、なまくら刀で頭部を割るのには十分なものだった。さすがのなまくらでも、骨くらいは割れるらしい。竦んだ敵どもの頭蓋を、途端に割って倒してみせた。
その状況に、敵は一度間合いをとり、態勢の立て直しを図る。と、同時に首領格は、先ほど倒れおおせた男の死体に何かを見た。
「……成る程、棒手裏剣か」
死体の額に刺さるそれを取り上げてみると、それは黒い鉄の棒だった。
「忍びの者がよくつかうと言われる手裏剣の一種か。さすが隠密と言ったところか」
「んが」
「だが、これらの死体を見る限り、大したことはなさそうだな」
「んが?」
確かに、死体は頭を割られているとはいえ、やはり切り口は浅い。さらにいえば、刀も無理な使い方をしたせいか、無数の刃こぼれを起こしている。
だが、相変わらず正一はその刀で戦うつもりらしい。切っ先は敵に向いたままだ。
「成る程、死ぬまで戦うか、それも面白い……やれ! 同胞の仇をうて!」
勇ましい声とともに、残りの敵が三方からかかりくる。刀はともかく腕は正一の方がはるかにたつ。
雑魚は棒手裏剣やなまくらの刀で容易にあしらってみせるが、最後に剣を交わした首領格はそうもいかない。
剣筋は隙がなく、容易に得意の受け流しも使えやしない。たとえ受け流したとしても、刀自体の切れ味が悪いために浅い傷を入れるのみだ。
「そんなものか、貴様の実力は!」
「んがっ」
正一の刀が肩口に斬り降ろしをかけたが、刀は骨を断つことができずそこで止まり、逆に相手の攻撃が御坂の胸を一閃に切り上げた。
「これで終いだ!」
振り上げられた刀はそのまま正一の頭部へと……はいかなかった。
その手に突き刺さるのは、先ほどの棒手裏剣。動きが鈍ったその隙に、なんとか距離をとってみせる。
だが、もはや刀は使い物になりはしない。棒手裏剣も雑魚をあしらうのに使いすぎて、手持ちが無い。
が、当の正一はどこか余裕綽々で刀を構える。
少し油断しすぎたか、と男は棒手裏剣を抜きつつ、正一を睨み見る。
「……ちぃ、まあいい。次で最後にしてやるよ」
と、正眼に構えたまま正一へと詰め寄る。やはり一分の隙もない。攻撃を入れるのは困難だろう。
場が凍る。
男は容易に攻めに入らない。一足一刀の間合い紙一重で、様子をうかがう。
間合いの睨み合い。隙の探り合い。そんな静かな、しかし激しい膠着戦が続くであろう。少なくとも、首領格はそう思っていた。
しかして、その思いは刹那に裏切られる。
それは、殺気だった。突然にして眼前に迫り来た、冷たくも鋭い殺気。
首領格の男はギョッとした。するしか、なかった。
彼の顔面に恐ろしいほどに冷たい殺気が、正一が投げた刀に乗せられてくるのだ。修羅場をいくらかくぐってきた男も、その状況には足がすくむ。その刀しか、目に入らぬ。その一瞬が間が、彼の命取りとなった。
次に襲いかかったのは、衝撃。顎から脳にめがけて、稲妻のような一閃が突き刺さる。
男は何が起こったのかわからない。わからないまま、気が遠くなり、意識は闇へと沈んでいった。そしてその意識は再び浮かび上がることのなく、次に降りかかった容赦ない拳の嵐に沈められていった。
「……つかれたのぉ」
血に濡れた拳を拭い、先ほど投げた刀を見る。しかし、刀はどうにもぼろぼろで、二度とは使えそうになかった。
「……これまでか。まあ、どうでもいいけどの」
そのまま、正一は刀を置き捨てる。さも、使い古したおもちゃを捨てるように。
「だーかーらー言ったんだよ!」
帰ってみれば坂口の怒声が響き渡る。だが正一はどこ吹く風と、堂々と耳を塞いで坂口の説教を流している。そんなことをすれば、余計に坂口の説教は長くなるというのに。
さて、そんな長い説教も一通り終わったところで、だいぶ遅めの晩酌をする。正一は下戸なので、酒がわりに茶で晩酌だ。
「しかし、お前の刀に対する扱いはアレだな。なんで自分の命を預けるものをそんなに適当に決めれるんだよ」
「んが?」
もう何杯かになる酒を仰ぎつつ、坂口は聞く。
「あんななまくら刀なんか、自分の命を預けれないだろ。それで今日も危機に陥ったのだろう?」
「んが」
「じゃあなんで、あの刀を使い続けたんだ?」
「つーか、なぜに自分の命を刀に預ける必要があるが?」
「え?」
キョトンとした坂口を尻目に茶を啜り、シャボン玉を吹かす。
「いや刀が自分を守ってくれる唯一の術だろ、この時代。一体何で守るんだよ」
「何を言っとる金吾。あんなもんにわりゃの命を預けれるかいな」
あまりにバッサリとした物言いに、坂口は唖然となるしかない。
「じゃ、じゃあ一体何に預けるというんだよ」
「んなもん決まってる。わりゃしかなかろ。わりゃの命は、わりゃにしか預けれぬよ。じゃから、刀なんぞどうでもいいがな」
実際に、今回正一が最後に頼ったのは正一自身だった。正一は刀を捨てて、自らの拳で生を掴み取ったのだ。
「最後は、わりゃしか頼れぬよ」
正一は茶を飲み干すと、ゴロンと横になり、そのまま寝息につく。
丁度殺しの帰りだというのに、茶を数杯飲んだだけで眠りにつけるのは、まさに正一と言ったところか。
「……お前らしいといえばお前らしい、か」
坂口は苦笑とともに酒を飲む。
月明かりがふんわりと、正一の寝顔を照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます