第33話 部費の交渉してください

「あっ……ああーー!!!」


 叫ぶしかなかった。


 他の女子2人も叫んでいた。


 宮澤は、無表情でそれを見ていた。


 頭のなくなったそれは、膝カックンをされたかのように前に倒れた。


 首から、大量の血が吹き出す。


 竜Pが、ゆっくり起き上がった。


 口の中の柳の頭を、そのままゴクリと飲み込む。

 首が異様に膨らみ、その膨らみは徐々に腹の方へ移動した。


 どうする。どうする。どうする。どうする。


 目の前で人が死んだ。さっきまで生きてた奴が死んだ。頭を喰われて死んだ。あまりにもあっけなく死んだ。


 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。


 生きるか死ぬか。


 口ではそう言っていたが、実際に死んだ。


 やばい。これ、本当に死ぬんだ。




 思い出したのは、亀井先輩だった。

「どんな人間でも、本当に、あっさり死ぬんだ」

 あの時もそう思った。


 僕が高校2年生の時で、先輩は高校3年生の、最後の大会だった。

 僕は毎日「亀井先輩を超える、亀井先輩を超える、亀井先輩を超える……」とつぶやき続け、確かに柔道は強くなっていた。

 練習では、10回に1回は亀井先輩の背中を畳に着けることができるようにはなっていた。でも、9回はあっさりやられる。まだまだ「超える」というには程遠かった。


 大会前日の練習。

 疲労を残してはいけないため、軽めに練習を終えた。

 粉末状のプロテインを、飽和状態を超えるまで溶かした(というか溶けていない)牛乳を飲みながら、いつものように汗臭い部室で、だらだらと雑談をしていた。


「このまっずいプロテインも、もう飲めなくなんのか」

 3年生の先輩がしみじみ言う。

「まずいのは、入れ過ぎだからじゃないっすか」

 後輩がもっともなことを言う。

「たくさん入れなきゃ筋肉にならねえだろ」

「僕はおいしく飲めた方がいいんですけど……」

「この前のココア味おいしかったから、また買おうぜ」

「あれ高いからなかなか買えないんだよ」

「部長、部費の交渉してください!」

 後輩が亀井先輩に話を振る。

「確かに、ココアは画期的だった。『まずい』というプロテイン最大の欠点をカバーできる点は評価できる。今までのバニラ味は、全くバニラじゃなかったからな。ただ、ココア味はタンパク質の含有量が少し低いから気をつけろよ。多分アレは、味を保つために犠牲になった部分だ」

 そんな所まで気にしてたんだ、という驚きが部室を包んだ。さすが部長。

 そのまま亀井先輩は続けた。

「でもまあ、飲みやすいに越したことはないから、切り替えるのもいいんじゃないか。でも、今後ココア味のプロテインを買ったとしても、飲むのは俺たちじゃない。お前たちだ。だから、俺が部費の交渉をするのも、もう終わりだ」


 先輩は、僕の肩を叩いた。


「これからは、お前が部費の交渉だ」


 突然の、次期主将の発表だった。


「頼むぞ」


 最初は先輩の言っている意味が理解できなかった。


「実力的なもんだけじゃなくて、いろんな角度から見ても、お前が主将だ。3年全員で、昨日話し合って決めた」


「ありがとうございます……」


 そう言うだけで精一杯だった。


「来い」


 亀井先輩は、僕を道場に連れて行った。


 他の部員は、部室に残った。 


「新宅、お前そろそろ、本気になれ」


「いや、僕は今までずっと本気ですけど」


「そう思ってるだけだ。本当は本気になってない」


「なんでそう思うんですか?」


「練習で俺とやる時、『ここで攻められたら負ける』って思うような時、お前は攻めてこない。あれはなんだ? 遠慮してんのか?」


「遠慮なんてしてませんよ。僕が単にそのポイントを見抜けてなかっただけだと思います」


「違う。組んだ奴には分かるって言ったろ。毎日『俺を超える、俺を超える』って言ってる割に、心の底では、俺を超えちゃいけないって思ってるんだ」


「超えたくても、……超えられないんですよ」


「お世辞ありがとう。でも、俺はもう引退だ。率直に言うぞ、お前は、おれより強い。『亀井を超えちゃいけない』を言い訳にして、攻めれば勝てるチャンスを無意識にスルーしてたんだ」


 先輩は、僕に向けて構えた。


「教えてやるよ」


「今やるんですか?」


 ふたりとも上はTシャツ、下はジャージだった。

 道着でないと襟を掴めないので、柔道はかなりやりにくい。


「道着着てたら、いつもの練習っぽくなるだろ。このままでいい。本気で来い」


「……わかりました。でも、僕を本気にしたいなら、ひとつ条件を聞いてもらえませんか?」


「お前、偉そうだな!」


「すいません」


「いいよ、何だよ条件って」


「ありがとうございます。もし、僕が勝ったら、あの盗まれたロレックスが、本当にニセモノだったのか、実はホンモノだったのか、教えて下さい」


 先輩は笑った。


「あー、気になってたんだ、そんなこと。……でも言いたくねえなあ」


「ずっと気になってたんです。教えてください」


「いいよ。分かった。それで本気になってくれるなら、安いわ」


 日が落ちる直前、西日が窓から差し込み、道場全体がオレンジ色になっていた。


 人知れず、僕と亀井先輩の試合が始まった。

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